第14話 修行場あるいは禁足地

 悠々と空をっていたきじが、なめらかな曲線を描いて、木の枝の上に止まる。ようやっとひと休みできた雉は、一度羽をたたんだ。――瞬間、かすかに風が鳴る。雉が反応するより先に、飛来したものが雉のくびをしたたかに打った。鳥を仕留めたのち、地に落ちて砕けたそれは、人間の指三本分ほどの小石であった。そして小石を投げたのは、雉の向かい側の枝葉に身をひそめていた、小さな狩人――ルーである。


 彼女は木の幹をつたってするすると地上に下りると雉を回収し、その場で短剣を取り出した。都人にはあり得ない慣れた手つきで、クルク族の少女は狩りを終わらせる。それは彼女にとって、朝起きて夜寝るのと同じくらいに自然な営みだ。


 仕事を終えた狩人は、意気揚々と林を抜け、本日の野営地へと戻る。天幕すらない野営地の中心で、連れの少年が熱心にパンを焼いていた。


「戻りました!」

「ありがとう。早いね」


 処理を済ませた獲物を手にして駆け戻ってきたルーを、イゼットは笑顔で出迎える。声に少し驚嘆の色が含まれてしまうのは、無理からぬことだった。ルーが「お肉探してきます」と言って飛び出してから、四半刻ほどしか経っていない。イゼットは立派な鳥を受け取ると、さっそく調理にかかる。その隣では、平べったいパンが焼けてほんのり甘い香りを漂わせていた。


「あ、ルー。パン回収しておいてもらっていいかな」

「がってんです!」


 身軽な少女は、イゼットの指示を受けると、すぐさま火に近寄った。


 イーラムを出てから、今日ですでに四日目だ。順調に行けば昼にもキールスバードに着くだろう。町にさえ入れれば、後はそこを拠点に修行場攻略にかかればよい。次のクルク族の修行場がどのような場所か――前例が前例だけに不安は尽きないが、ルーなら無事試練を乗り越えられるだろう、というふしぎな安心感があった。


「キールスバードはどんなところですかね」


 そのルーは、パンを二つ折りにして焼けた肉を挟むと、豪快にほおばった。ほおばって、味わって、飲みこんでからそんなことを呟く。意外とのんきだ、とイゼットは呆れもしたが、変に緊張しているよりはいいだろう。


 二人はのんびりと遅めの朝食を終えて、のんびりと歩きだす。それから二刻ほどで、町の影を道のむこうに見いだした。



 木と石とを組み合わせた住宅がおもちゃのように立ち並ぶキールスバードは、イーラムほど活気づいているわけではないが、明るく穏やかな空気が流れていた。北の町外れには畑があるらしく、ひと仕事終えた人々が談笑しながら戻ってくる。彼らは旅人の姿に気づくと、手を振って「ようこそ」「いらっしゃい」というようなことを口々に叫んだ。

 イゼットとルーは、キールスバードに入って間もなく、入口付近の小さな喫茶店チャイハネから顔をのぞかす青年にひっぱりこまれた。ちょうど、町の人々が仕事の合間の休憩に集まる時間帯のようで、中は体の大きな人々でごった返していた。戸口をくぐったその瞬間、人いきれにひるんだルーが、半歩後ずさる。


「おびえなくても大丈夫だよ、お嬢さん。怖い奴は一人もいない」


 二人を喫茶店チャイハネにひっぱりこんだ青年が、快活に笑う。曖昧に笑って返したルーはこのとき、淡い黄色のマグナエを身に着けていた。


 町民たちは春の太陽のような声で語りあい、外からの客人に気づくと一気に盛り上がる。服の裾に草と土をつけた女がいたり、埃まみれの上着と筒袴ズボンを身に着けたままなにか食べている男がいたりする。おもしろいことに、格好を見るだけで、誰がどういう仕事をしているのか、おおよその見当をつけることができた。


 誘われるまま輪の中心に来たイゼットたちは、ちょうどいい、と思って、修行場について尋ねてみることにした。


「あの、この近くに林か――大きな森ってありますか?」


 イゼットがそう訊いたのは、『木々と幻想の修行場』、その名から木の集まる場所なのではと想像したからだ。イゼットの問いかけに、町民たちは顔を見合わせる。彼らは恐ろしげに肩をすくめた。予想外の反応に外の人間がぽかんとしていると、喫茶店チャイハネの主人である男が、「やめときな」と荒々しい声をかけた。


「町の北西――畑のむこうに森はある。だが、あそこには近づかん方がいい」

「なぜですか?……なにか、あったんですか」

「察しがいいじゃないか」


 聡明な若者に、主人は皮肉っぽい笑みを見せる。それから、長く息を吐きだした。


「人がなあ、いなくなるんだよ」


 語る口調は、さながら吟遊詩人のようで。しかし彼らが奏でる詩歌にしては、重苦しく悲痛に過ぎる。イゼットもルーも、誰に言われるでもなく、口もとを引き結んだ。


「森に近づいた町の人間が、これまでに何十人と、帰ってこないままだ。みんな、注意はしているが、畑仕事をする奴や野草を摘みにいく奴は、どうしても森に近づかざるを得なくなる。そうやって、最近も一人、若い娘が姿を消した」


 店内から陽気さが消えうせる。消えたものを取り戻そうとするかのように、店主はイゼットへ小さな茶器を突きだした。中身はからだった。


「繰り返すが、やめときな。森に骨埋めたくなきゃな」


 イゼットとルーは顔を見合わせる。返答にきゅうした。その森が修行場である可能性はかなり高い。となれば、行くしかない。しかし、彼らも思いやりから二人を止めているのだ。どうしていいか、わからない。

 ひとまずイゼットは、茶器を突きだした店主に向けて、銅貨をきっちり二十枚差し出した。人の悪そうな笑みと「ちょいと待ってな」という声が返る。


 店主がチャイの用意を始めてから、少し。にわかに店の外が騒がしくなった。二、三人ほどの人の声がする。


「なんでしょう?」


 ルーが首をかしげたとき、町民たちはさまざまな表情をしていた。苦々しく笑っているかと思えば、眉をひそめてかぶりを振っていたり、むっつり目を閉じていたりもする。

 戸口に一番近かった女が、扉をぎこぎこ言わせながら開け、外に顔を突きだした。


「何してんの。お客さん来てるんだから、あんまり騒がないでよ」

「あーいや、悪い。カマルがまた駄々こねるもんだからさ」

「またか。まあ、気持ちはわからんでもないけど」


 女が肩をすくめた。軽薄そうな態度とは裏腹に、声音は少し暗い。奥で聞いていたイゼットたちがなにかを言う前に、怒声が割りこんだ。声変わり前の少年のものだ。


「気持ちがわかるってんなら、こいつら止めといてくれよ!」

「残念だけどそれは無理。私だってカマルに死んでほしくないからさ」

「死ぬって決まったわけじゃないだろ! 姉ちゃんだって」

「サミーラだって、もう半月も帰ってきてない」


 言いあいは、まだ続いていた。しかしイゼットたちはそこで大方の事情を察して、喫茶店チャイハネの客たちを顧みる。彼らはなんだか投げやりな説明をしてくれた。


「最近いなくなった娘の弟だよ。姉さんを探しにいくって言って、聞かないんだ」


 内容は、予想していたとおりのものだった。



 チャイを頂いた後、二人は町に三軒しかないという宿のひとつに腰を落ちつけた。少ない荷の整理が終わると、どちらもが難しい顔になる。


「……どうしようか」


 先に口を開いたのは、イゼットだった。それに対し、ルーは首をかしげる。ただし、言葉の意味がわからないわけではなかった。


「どうしましょうかね」


 イゼットとさして変わらない呟きが、古びた床板を転がる。


「あの様子だと、修行場に行くところを見られただけで止められそうだ」

「そうですね。でも、行かないわけにはいかないんです」

「だよな」


 イゼットは腕を組んでから、ふと、目を瞬いた。


「昔から、ルーの先輩たちが修行の旅をしてたんだよね。彼らからなにか聞いてなかったの?」

「大人たちはなにも言っていなかったです。……キールスバードの人と関わらずに、勝手に行ったのかもしれません」


 ああそうか、とぼやいて、イゼットは頭を抱える。自分たちは馬鹿正直すぎたのかもしれない。しかし、事前情報もなしにこんな事態を予測できるわけがないのだ。今さら悔やんだところで、しかたない。


「黙って、見つからないように行くしかないですかね」

「理想的なのは、きちんと事情を説明して理解と了解を得ることだけど、難しいよなあ」

「じゃあ、修行場の名前だけでも確かめにいきましょうか」


 おぼつかない手つきでマグナエを直しながら、ルーがそんな提案をする。イゼットはきょとんとした後、指を鳴らした。


「そうか、それがあった。修行場の前のどこかに、クルク族の文字が書かれてるはずだ」

「です。本当に修行場かどうか、それだけでも確認しましょう」

「修行場なら行く。違うなら、変なことになる前に帰る。――ってことで」


 二人はどちらからともなくうなずくと、立ちあがった。

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