第8話 鏡の先

 イゼットは、石の番人の攻撃を器用にかわし続けていた。体の向きを変えるときや、腕を振り上げるまでの動作が遅いのが幸いだった。左から降ってきた巨大な腕を横っ跳びに避けたイゼットは、ななめ右に向けていた槍をそのまま後ろへ突く。勢いよく迫った石突にひるんだわけではなかろうが、番人の動きは少し鈍った。イゼットはすぐさま体をひねり、もう一体の一撃を避けた。


 足もとに拳大の石を見つけた彼は、それを勢いよく放り投げる。石はまっすぐに飛んで、番人の目もとに命中した。石の番人は少し動きを止めて体を揺らしたが、さしてこたえた様子もなく、動きだす。


 この手の目くらましは、効果がないらしい。


 イゼットは、われ知らず舌打ちをした。振り下ろされる拳を二度かわし、大きく跳んで番人たちとの距離を稼ぐ。牽制のつもりで、槍をまっすぐ相手の方へ向けた。石の番人たちが、立ち止まった。


 戦場が停滞する。イゼットは深く息を吐きながら、石の番人たちの動向をうかがっていた。彼らも、どういうつもりなのか、止まったきり動かない。ただ、目のような光だけは、不気味に瞬き続けていた。


 イゼットは視線だけで鏡を探す。「月光」をもたらす鏡の光はまだ見えた。しかし、壁を登る少女の姿もとらえることができる。

 順調だ。イゼットは口の端を持ち上げた。


 彼の目的は石の番人を倒すことではない。ルーが鏡をふさぐか割るかするまでの間、場をもたせることだ。だから決してこれ以上攻勢には出ない。攻勢に出たとしても、勝ち目は薄い。


 背後で、なにかが動く気配がした。イゼットが振り返るとほぼ同時、すぐそばを太い腕が通りすぎる。かろうじて避けたが、左肩に激しい痛みが走った。少しばかりかすったらしい。


「おいおい、そうくるか……」


 思わず顔をひきつらせる若者の視線の先には、石の番人が一体。それは、先刻彼が頭と胴体を分離したはずの一体だった。頭を落としただけでは完全に倒したことにはならないらしい。かといって、どこを壊せば完全に倒せるのかなど、見当もつかなかった。


 じりじりと後退する。石の番人たちの囲いに隙間を見つけると、イゼットはそちらへ走り抜けた。番人たちは鈍重に体の向きを変える。その間に、イゼットは、威嚇するように身構えた。

 肩が痛む。けれどその痛みは、いつもよりも生々しいものだった。

 石の番人たちの目が瞬いた。彼らは再び、眼前の獲物を排除しようと動きだす。


 その、瞬間。

 不自然に動きが止まった。


 イゼットははっとして、槍を持つ両腕を少しゆるめた。背後、そして遠くの壁を振り返る。壁を登り、鏡に外套をかぶせた少女がこちらを見ていた。


 鈍い音。それに誘われ視線を戻す。石の番人たちの、茶色とも灰色ともとれる体が、ゆっくりと崩れてゆく。彼らの姿は時間をかけて地面と同化し、後にはなにも残らなかった。



     ※



「止まった」


『彼』は再び呟いた。そのそばで、書物を広げていた青年が顔を上げる。


「そうか。止まったか」

「うん」

「で、どうだった?」


 問われ、『彼』は瞑目めいもくする。つかのまの空白の後、瞼を上げた。色のない瞳に青年の姿が映る。


「かすかだけれど、『月』を捕捉した」


 情感のない声が、虚空こくうに溶ける。

 青年は不敵な笑みを浮かべ、書物を置いた。


「ようやくか」



     ※



 石の番人たちが地にかえったあと、広い空間には静寂が落ちた。イゼットが構えをとき、深く安堵の息を吐いていると、元気よく彼の名前を呼ぶ声がする。するすると壁を下りたルーが、汚れた外套を嬉しげに抱えて駆けよってきた。


「ありがとうございます、イゼットさん!」

「いや、礼を言うのは俺の方だよ。うまくいってよかった」

「はい。イゼットさんも、いろいろすごかったですね」

「え?」


 言われたことの意味がわからず、イゼットは目を瞬く。しかし、自分の槍を見おろして、察した。苦々しい笑みを顔じゅうに広げた彼は、さてなんと言おうか、と考える。

 しかし、彼が口を開く前に、再び地面が鳴動した。二人とも驚いて、あたりを見回す。


「今度はなんだ?」

「あっ――イゼットさん、あれ!」


 ルーが、背後――鏡のある壁の方を指さした。壁の方を見、イゼットも「あっ」と声を上げる。


 奥の壁、鏡のはるか下に、それまではなかった穴が開いていた。穴の先にはまだ少し、道が続いているように思われた。イゼットとルーは顔を見合わせ、うなずきあう。


「行ってみよう」



 次の空間は狭かった。天井は相変わらず高いが、面積は二人がどうにか入れる程度である。その空間には物がなく、からくりらしきなにかも見当たらない。ただ、最奥の壁に短い詩文のようなものが刻まれているだけだった。

 見慣れない文字だが、なんとなく見覚えはある。


「これ、クルク族の……」

「です」


 ルーが力強くうなずいた。表情をおさえてはいるが、喜びの空気がにじみ出ている。


「ってことは、ここが修行場の一番奥か」

「そうです。この詩の内容を記録すれば、『石と月光の修行場』での修行を終えたことになります」


 ルーが、慎重に壁へ近づく。彼女は、衣装の途中に帯でくくりつけられているを取り外す。よく見るとそれは、小さな石板と短剣だった。彼女は小声で文章を読み上げながら、石板に文字を彫っていく。あの石板に詩の内容を書きつけているのだ。


 その動きが、途中で止まる。ルーはなにかを悩むようなそぶりを見せた。


「ルー? どうかした?」


 イゼットがそっと声をかけると、少女の肩が震えた。

 振り返った彼女は、不器用な笑みを浮かべている。


「あ、いえ。なんでもありません」


 まごつきながらそれだけ言うと、再び詩文しぶんの記録を始めた。ごまかしているのは明らかだったが、イゼットは詳しいことを追及するつもりはない。ただ静かに、ルーの作業が終わるのを待った。


 ルーの作業は、さほど長くはかからなかった。「よし」と呟いた彼女は、再び帯で石板と短剣をくくりつけて、外套を羽織はおる。すがすがしい表情でイゼットを振り返り、「お待たせしました」と笑う。イゼットも微笑を返した。


「終わったなら戻ろうか。また、この長い道を行かなきゃいけないけど……」

「あ、その必要はないですよ。多分、この部屋のどこかに抜け道があります」


 ルーは軽やかに壁へとびつくと、何やら観察を始めた。しばらくして、彼女が壁の一角を両手で押すと、そこにまた狭い道らしきものが現れる。驚いて固まっている若者を振り返った少女は「行きましょう」と元気いっぱいに彼をうながした。


「抜け道」は恐ろしく狭い。しかし、二人とも、文句のひとつも言わずに進んだ。ルーは修行を一つ終えてかなりご機嫌であったし、イゼットもそんなルーに相槌を打っていると、憂鬱な気分を忘れることができる。


 四半刻ほど進み続けると、行く手に細い光が見えた。ルーが歓声を上げる。イゼットは、彼女に「いきなり外に出ないようにね」と釘を刺した。長いこと暗い場所にいたので、いきなり外へ出ると光で目をやられる恐れがあるのだ。


 そして二人は、細く長い通路から体を外に押し出す。幸い、が傾きはじめていて、太陽の光はそれほど強くなかった。広々とした外へ出たイゼットは、体を伸ばしながらあたりをうかがう。見覚えのある洞窟を見つけて驚いた。狭苦しい通路を抜けた先は、洞窟の入り口のすぐそばだったのだ。


「わあ。日が沈む前に帰ってこられてよかったです」


 ルーの様子をうかがうと、驚いた様子もなくあかね色の空をながめている。どうも、修行ではふつうのことらしい。イゼットは肩をすくめ、彼女の方へ歩み寄る。足音で気づいたルーが、顔を輝かせた。


「これでまたひとつ修行達成、かな」

「はい。イゼットさんのおかげです。本当にありがとうございます」

「どういたしまして。役に立てたならよかった」


 頬を赤くしてうなずいたルーが、手を掲げる。その意味に気づいたイゼットも右手をあげた。どちらからともなく、手を打ちあわせる。


 ひとつの終わりを喜びあう音が、夕空の下、爽やかに響き渡った。

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