第3話武蔵の国造り
――明石・赤松山
小高い丘陵の赤松山の山頂に立ち眼下に広がる瀬戸内海と水路を挟んでほどない淡路島を望むザンバラ頭を紐で括った日に焼けた武蔵と、襟を正した羽織袴の明石藩主・小笠原忠真。
「武蔵殿、ワシは今の船上城から居を移して、ここ明石に新しく居を構えようと思うのだがどうだろうか?」
「ようございますな、ここ赤松山の北面に自然の池、剛の池を配し南面に瀬戸内海と天然の要害。山の足下には京から毛利の国、下関まで山陽路が走り中国へ目を光らせ、その南へ港町を開けば海の道も流れ、淡路島、その先の四国まで睨めますな」
「左様にあるな、しかも、ここは船上と違って隠れキリシタンがおらんで頭を悩ます事もない」
「隠れキリシタン?!……キリシタン大名の高山右近が支配されたのはわずかに2年ばかり、太閤殿下のキリシタン禁止令で池田輝政殿が播磨を収められて20数余年。今だ高山右近殿の治世は民草の心を掴んでおりますのか」
「そうだ、キリシタンはなかなかに厄介なのだ。キリシタンの民草の心には、ワシがどんな良政を敷いてもすべて主デウスの加護へ帰する信心がある。手柄はすべてキリシタンが神、主デウスとやらに持っていかれるのだ」
「心の主でござるか……」
「しかもじゃ、キリシタンは額に汗してよう働きおる。怠け者や反抗する者が居れば裁きもできるが、信仰があるからと言ってキリシタンを裁く理由がない。信心を理由にキリシタンを裁けばワシは暴君も同じ、そんなことをすればキリシタンでない民の心もはなれてしまう。どうしたものか……ワシは頭を悩ます日々じゃ……いっそ、キリシタンが反乱でも起こしてくれれば……」
武蔵は、顔を赤くして、今にも小笠原忠真を殴りつけんばかりに烈火の如くたしなめた。
「滅相も無いことを仰有いますな! 天下はようやく徳川と定まって民草も心安寧に稲作に励むのでございます。民草あっての領主でありますぞ」
藩主といってもまだ若く農民の生活も視察で上っ面しかわかっていない忠真は、兄のような、いや、父の厳しさで藩主である忠真へ遠慮なしに諌める武蔵の男気が嬉しかった。藩主と食客の垣根を越えて素直に詫びた。
「すまぬ武蔵、ワシが愚かであったよう叱ってくれた。藩政を思うが余り不安の種のキリシタンがどうしても拭いきれぬのじゃ」
「民草の心を掴む難題でござるな……」
武蔵は、背中に
「小笠原殿、民草との心の戦の前に腹ごしらえをいたしませぬか?」
と握り飯を渡して、「つまんで下され」とサビた釘のような物を差し出した。
「これは佃煮にござるな?ワシは余り佃煮は好まぬ」
「明石は海の民にござる。明石の民草の心を知るには瀬戸内の海で獲れた"イカナゴのくぎ煮"しかござらぬ。ささっ、まずはご賞味くだされよ」
小笠原忠真は、武蔵のすすめに応じて嫌々、いかなごのくぎ煮を口に入れる。ハッと花が咲いたように顔をほころばせ会心の笑みを浮かべた。
「武蔵殿、これは旨い。信州松本へ居ったころのゲテモノのハチノコやイナゴとちごうてこれは稚魚か。フム、旨い。旨いぞ」
「イカナゴを醤油とザラメと生姜で煮詰めた物にござる。これがあれば飯がいくらでも喰えますぞ!」
武蔵は、忠真へもうひとつ握り飯を渡して二カっと笑った。
イカナゴのくぎ煮と握り飯を喰らう小笠原忠真はまだ若い青年君主である。いかに聡明とは言え領内の隠れキリシタン問題を裁くにはまだ子供である。武蔵は、この問題は自分が命をかけてつとめを果たそうと子供のように握り飯を喰らう小笠原忠真を見て決心を固めるのであった。
つづく
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