第2話播州姫路藩道場の朝稽古

 ――元和3年(1617)、豊臣と徳川で争った天下を定める最後の戦、大坂夏の陣から2年の歳月がたった。


 前年御罷みまかった徳川家康はこの年、東照大権現の神号をうけ、日光に東照宮ができ徳川の天下を脅かす勢力はもはや無くなった。




 ――播磨・姫路藩剣術道場。


 藩主、本多忠政と、客人の仮面の男が見守るなか、日に焼けたざんばら髪の中年の6尺(180cm)はあろうかという大男が、五人の木刀を持った剣士たちに囲まれている。


 日に焼けた男は、虎のような眼光を放ち竹刀を構える。


 長太刀の青木粂右衛門が、日に焼けた男に対峙する。


「師匠、参りますぞ! 」


 師匠と呼ばれた日に焼けた男は静かに頷いた。


 転瞬、粂右衛門は、腰に構えた木刀を抜刀し、真横に切り払う。


「甘い! 」


 日に焼けた男は、粂右衛門の木刀をかわして、ぐっ、ぐっと間合いを詰めて「えいっ!」と面をたたく。


「粂よ、長太刀は接近戦に不向き、こちらから一歩、間合いを詰めてしまえばこちらのものよ。次、左京参れ! 」



 短太刀の石川左京が、木刀を不動の構え。


「待ちの剣か、ならば、こちらから行くまでよ! 」


 日に焼けた男は、石川左京へ竹刀を烈火のごとく打ち込む。


 じりっ、じりっと、道場の壁際へ追い詰められる右京。


「どうした、左京! 剣を放たぬのか? ならば……」


「参りました! 」日に焼けた男が、石川左京の面打ちを放つと同時に負けを悟った。


「左京の短太刀は、粂右衛門の長太刀とは逆に常に後手を踏む。先手をこちらがとってしまえば他愛もない。その剣は、多勢には通ぜず! 次、与右衛門!」



 構えた槍の頭を布で被った竹村与右衛門。弟子の中では、日に焼けた男より年長である。


「ヤーッ! 」


 鋭い突きが日に焼けた男に打ち込まれる。


「武蔵殿、刀ではなく槍の攻撃ならばどうさばかれるかな? 」


「まだまだ! 槍の切っ先を、竹刀でさばいた武蔵。力を込めた剛の剣では一打放てば体勢が崩れる。ようは、崩れた腹を狙うまでよ!」


 と、武蔵は竹村与右衛門の槍を払って腹をたたく。


「次、伊織! 」



 まだ顔に幼さを残す青年剣士、伊織は、左右にステップを踏み武蔵を撹乱する戦法に出た。


「ほう、宍戸梅軒の戦法か、面白い。だが……」


 武蔵、伊織へ見せの面うちを放つ。それを防いだ伊織へ抜き胴を放つ。


 武蔵の足元へ崩れる伊織。


「妙な足使いは、確かに一度目には相手の意表をついて有効だ。だが、左右、前後へ動くのに体勢を整えねばならず、出足が遅れて先手がとられてしまう。場所の制限がある道場では不自由だ。次、三木之助参れ! 」




 武蔵と全く瓜二つの構えの三木之助。


「さすがワシが見込んだ宮本三木之助だ一分の隙もないわ」


 宮本三木之助が、じりっ、じりっと武蔵を追い込む。武蔵、ニヤリと、突然、先程の伊織よろしくトトンと真横へ跳ぶ。


 キリッと構えを合わせる三木之助。


 武蔵、接近し、はたまた離れて、一撃、また、一撃と三木之助へくれる。


 見事に受けきる三木之助。


 武蔵、じわじわと連続攻撃が早くなる。防ぐのがやっとの三木之助の構えが崩れる。間髪入れず一撃を放つ。


「構えに固執すれば、それを崩して突くまで、我が円明流に死角なし! 」


 武蔵が竹刀を下ろしつた刹那。


 背面から仮面の剣士が真剣を武蔵へ振り下ろす。


 武蔵、背面のままひらりかわして、仮面へ面の一撃!


「奥義、秘伝の必殺の一撃も、当人の剣技が未熟なれば、秘剣に値せず! 」


 武蔵、仮面の男へ止めを刺そうとにじり寄る。


「待たれよ!宮本武蔵殿、座興にござる」


 主座で、稽古を見守っていた本多忠政が、武蔵へ待ったをかける。


 武蔵、


「たとえ座興とはいえ、真剣でこの宮本武蔵へ向かった者はタダではおきませぬ!えい!」


 と、竹刀で仮面を割ると若い青年武士が現れた。


 直ぐ様、若い武士ひれ伏すように、身をただした。


「感服致しました、宮本武蔵殿。力量を試すためとはいえ、真剣での一太刀失礼致しました。それがし、明石藩主、小笠原忠真にござる」


「して明石藩主の小笠原殿が、宮本武蔵になんのご用か」


 上座で見守っていた姫路藩主、本多忠政が、


「武蔵! 若い我家の婿殿が萎縮しておるではないか、それぐらいにしておいてはくれまいか、居並ぶ面前で忠真も恥をかくと腹を召さねばならまいてな」


 武蔵、小笠原忠真へ向き直って、


「失礼いたした小笠原殿。この武蔵が未熟で御座った許されよ」


 平伏せんばかりの小笠原忠真、


「宮本武蔵殿、いや、武蔵師匠と呼ばせて下され。是非ともそれがしの明石領内にて国造りの一助にお知恵を拝借いたしたい」


「小笠原殿、この武蔵に家来になれと? 」


「忠真、武蔵殿の剣風に惚れ申した。是非とも我藩の剣術指南へお迎えいたしたい」


「ありがたきお言葉なれど、武蔵、いまだ剣術の極みを目指す流浪の身お断り致す」


 主座の本多忠政が助け船を出す。


「そう申すな武蔵よ、大名が浪人へ頭を下げる忠真の心を汲んでくれ。なにもお主の剣術の邪魔をいたそうと言うのではない。稽古の合間に忠真へ知恵を貸して欲しいのだ。どうだ、武蔵。明石へ行ってくれんか?」


 天下に聞こえた徳川四天王、徳川家康の陣中にこの人ありと謡われた本多平八郎忠勝の血を受け継ぐ徳川きっての譜代大名、本多忠政が武蔵へ頭を下げた。


 二人の大名が一介の浪人、武蔵に頭をたれた。


「この武蔵にいかほどの価値があるかは知れぬれど、小笠原殿、本多殿の誠意にこの武蔵の力を存分につこうて下され。武蔵、存分に命をかけましょうぞ」

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