第5話 同居生活が始まった!

朝、6時半に目覚ましが鳴った。いつもより30分長く寝ていられた。職住接近になったのでそれでも十分な時間の余裕がある。


すぐにベッド脇に置いたメガネをかける。私はかなりの近視だ。高校時代の受験勉強でひどくなった。いつものように歯磨き、洗顔、髪を整えて、お化粧をする。相変わらずお化粧は簡単に済ます。


それからいつもの黒いスーツに着替える。これでも黒いスーツは3着持っている。すこしずつデザインが違う。でも見た目にはほとんど変わらない。


エプロンをつけて朝食の準備と私のお弁当を作る。ご飯は電気釜のタイマーをセットしておいたから、もう炊けているだろう。


お弁当のおかずは、昨日のうちに冷凍食品を何品かコンビニで買ってきておいたから、とりあえず今日はこれを詰める。お弁当はすぐに出来た。


朝食の用意もすぐに出来た。食パンをトーストして、牛乳をレンジでチンして、バナナとリンゴをカットした簡単なもの。篠原さんはこれくらいと言っていたからとりあえず言われたとおりにした。


7時になっても篠原さんが起きてこないので、私は先に朝食を食べた。すぐに後片付けをする。まだ、篠原さんは起きてこない。昨日のうちに、何時に起きてくるのか聞いておけばよかった。


職住接近なので、ぎりぎりまで寝ているのかもしれない。中学生のころ、学校のすぐ近くに住んでいた友達がよく遅刻していた。7時半になったら声をかけてみよう。


7時半になった。やっぱり篠原さんは起きてこない。ドアをノックしてみる。


「篠原さん、起きなくてもいいんですか? 今日はお休みですか?」


すこし間をおいて返事があった。


「今起きた、少し寝過ごした。すぐに行くから」


すぐに篠原さんはスーツ姿でリビングダイニングに姿を現した。私の朝の身繕いは早い方だと思っていたが、もっと早かった。男性は化粧をしないからかもしれない。私を上から下までじっと見てからテーブルに用意した朝食を見ている。


「白石さんは、もう食べたのか?」


「はい、お先にいただきました」


「篠原さんが何時に起床するのか聞いておくのを忘れていました」


「7時には起きるようにしているけど、今日は寝過ごした。起こしてくれてありがとう」


「私は6時に起きるようにしています。通勤時間が1時間以上かかったので7時30分には出かけなければなりませんでしたから」


「ここなら、会社まで歩いて15分くらいだから8時半過ぎに出かければ十分だ」


「それじゃあ7時に起きれば十分ですね」


「そうだ、それでも少し早いかもしれないけどね」


「明日からは7時に起床、7時30分に朝食、8時30分に出勤でいいですか」


「それでいいよ、十分ゆとりもあるから」


「私はもう少し早く起きて自分のお弁当を作ります」


「へー、昼はお弁当か?」


「外食は高くつきますから、夕食も自炊します」


「好きにしたらいいよ」


「朝食を準備しましたが、それでいいですか。私もいつもはそれくらいですが」


「準備してくれてありがとう。あとチーズとかプレーンのヨーグルトがあればいいけど」


「分かりました。明日はそれも準備します」


「あとで費用を払っておく。とりあえず1万円払っておくから、足りなくなったら言ってください」


「私も1万円だして、そこから朝食の材料を買います」


「まかせた」


篠原さんは黙って朝食を食べている。私はそばの椅子に座ってそれを見ていた。


「8時30分になったら出かけるけど、一緒には出勤しない方が良いと思うので、少し前に出てくれ、俺は君の後にする」


「分かりました」


「会社への道順は分かるのか?」


「私は方向音痴なのでちょっと不安です」


「初日だから一緒に行こうか、道順を教えるから覚えてくれ」


「すみません。少し離れて歩きます。誰かに見られるかもしれませんから」


「好きにしてくれ」


「そうします」


8時30分になったので二人はエレベーターで降りた。1階のコンシェルジェに挨拶をしてマンションを出る。私は篠原さんから5mほど離れて後ろをついて行く。いつものようにリュックを肩に担いでいる。帰りに買い物をするのに便利だ。


会社のある大通りに出ると私は誰かに見られると良くないと思い、彼との距離をもっとあけた。


いつもとほぼ同じ時間に職場に着いた。いつものような通勤の疲れが全くない。いつもだと会社に着くと自分の席で一息つかなければならなかった。


こんな安易な生活が続くと、もうあの混んだ通勤電車には乗れなくなってしまいそうだ。徒歩15分では運動不足にもなりそうだ。


いつものような雑多な仕事が続いて一日が終わった。ここへきて半年ほどになるけど、その仕事にも慣れて、周りの人とも意思疎通が図れるようになった。


既婚の女子社員に近くにスーパーがないか聞いてみた。すこし遠回りになるが、スーパーのある場所を教えてくれた。


今日は定時に帰れた。退社するとすぐに教えてもらったスーパーに行ってみた。大型ではないが食品専用スーパーで何でもそろっている。ただ、商品の価格が高め。まあ、それなりに品質も良さそうだ。


このあたりに住んでいて買い物をする人は富裕層で品質の高いものを求めるのだろう。食費は今までよりもかかりそうだけど、なんとか工夫しよう。


私は材料が無駄にならないように1週間分の献立を考えて購入することにしている。そして1品の料理を作ったら、小分けして冷凍保存しておく。


そして何品か作ると、1週間は毎日違った夕食と昼食が食べられるようになる。ここの冷凍冷蔵庫は大きいので冷凍保存にはとても便利だ。


引越ししてきて、冷凍保存の在庫がないので、たくさんの材料を買わなければならなかった。リュックに入りきらないので、手提げのレジ袋が2つになった。ゆっくり歩いて帰る。まあ、丁度良い運動だと思えばいい。


マンション着くと6時半だった。一休みして、ジャージに着替えて夕食作りに取りかかる。ここのキッチンは狭いけど、かえって使い勝手がよい。


今日は酢豚を作った。いつものように小分けして、凍結保存する。あと野菜サラダを作った。それからお昼のお弁当用に買ってきてあった冷凍食品を1品添えて夕食の出来上がり。


大型テレビを見ながら食事を始める。窓の外はもうすっかり暗くなって夜景がきれいだ。まるで高層のホテルの最上階のレストランで食べている気分になる。お世話になった亜紀を招待して夕食を一緒に食べよう。


食べ終わって後片付けをすませてソファーでテレビを見ていると、篠原さんが帰ってきた。


「おかえりなさい」


「ただいま」


玄関を入ってきて、私をジッと見て微笑んでいるから、機嫌は良さそうだ。


「私の恰好がおかしいですか? いままでこうでしたからそのままですけど」


「女子はみんな家ではそうなのか?」


「私の友人はそうですが」


「少し興ざめかな。でも気を使わなくていいから、その方がいいな。俺も適当な恰好をさせてもらうから」


「その方がいいです。私にお気遣いなく。でも裸で歩き回ることはやめてくださいね」


「当たり前だ、自分の部屋だけにする。君もそうしてくれ」


「もちろんです」


「夕食は済んだのかい?」


「食べ終わって後片付けをしたところです」


「コーヒーでも飲むか? 淹れてあげる」


「コーヒーが好きなんですね。この前も入れてくれましたね」


「一人でも飲むのもなんだから、付き合ってくれ。ブラックでよかったよね」


「はい、喜んでいただきます」


篠原さんは部屋着に着替えてきた。部屋着といっても私よりもずっとお洒落な格好だ。でもユニクロ?


篠原さんはキッチンでコーヒー豆を挽いている。ソファーでテレビを見ながら待っているとテレビのリモコンのそばにもう一つリモコンが置いてある。触っていると、篠原さんがコーヒーカップを持ってきてくれた。


その時、テレビの画面が突然Hシーンに切り替わった。私はあわててリモコンを持ったままソファーから落ちそうになった。


「それ触っちゃだめだ」


「恥ずかしい。驚きました。突然、大きなHシーンが映ったので」


「ごめん、AVを入れたままだった。見たことなかった?」


「はい、すごいですね」


「あとで片付けておくから、ごめんね」


「そのままでいいですよ、ひとりでじっくり見せてください」


「ええ、そうか、じゃあ、好きにするといい。ビデオデッキの入っているテレビ台の下段に同じようなAVが入っているから自由に見てもいいよ」


「はい、ありがとうございます」


Hシーンにも驚いたけど、まだあるから他のも見ても良いといった。まあ、私がじっくり見せてくださいと言ったのも悪かったのかもしれないが、私をうら若き女性とは見てくれていないことが明確に分かった。


まるで、男友達に言うような言い方だった。まあ、私も経験がない訳ではないからAVにはそれほど驚かないと思うけど、言い方にも程がある。


「このテレビは大型で迫力があっていいですね。テレビは自由に見てもいいですか?」


「好きに見てくれていい。テレビは俺の部屋にもあるから」


「カラオケも練習してもいいですか? 歌が下手なので」


「ああ、ここは防音がしっかりしているから、ほどほどの音量でなら練習してくれていい。新しい曲もそろえてあるから、俺も時々新曲を練習しているんだ」


「使い方を教えてください」


リモコンの入力装置を持ってきて使用法を教えてくれる。


「ここで選曲する、一曲歌ってみるからやり方を覚えておくと言い。リクエストは?」


「じゃあ『レモン』をお願いします」


「あるけど難しいよ、俺も練習している」


「いい曲だから練習してみたいんです」


すぐに曲のイントロが始まった。歌詞が大型テレビに映し出されて、篠原さんが軽く歌い始める。なかなか音程がしっかりしていて上手だ。私は何回も練習しないとあれだけ歌えない。


終わったので拍手すると篠原さんは上機嫌だった。案外、単純で素直な性格かもしれない。


「すごく上手いですね! その曲は大好きなのでパソコンで何回も聞いていましたが、実際にカラオケで歌ったのを聞いたのは初めてです」


「歌ってみる?」


「もう何回も聞いていますから歌えるとは思いますが、今はやめておきます。少しひとりで練習してからにします」


「せいぜいここで練習するといいよ」


「誰もいない時に練習させてください」


「じゃあ、自分の部屋に引き上げるとするか?」


「おやすみなさい」


私は部屋に戻ってきた。篠原さんは会社では取っ付きにくそうな感じがするけれども、こうして話をすると、誠実で飾り気がなくて信頼のおける人だと思える。同居生活の不安が少しずつ薄らいでいく。

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