第4話 賃貸雇用契約を結んだ!

同居生活をすることになったが、私は篠原さんのことを所属と名前くらいしか知らなかった。総務部の仲の良くなった独身女子社員に評判を聞いてみた。


その女子社員によると、企画部の前は広告宣伝部、その前は広報部にいたとのことで、企画部で重要な仕事を任されているので、エリートだと言っていた。


人当たりも良く女子なら誰でも好きになるタイプとも言っていた。ただ、隙が無くて、社内で付き合っている人はいないと思うと言っていた。でも合コンに良く参加しているみたいで、社外の女子と食事をしている目撃情報があると言っていた。


噂が立ちやすい社内の女子との交際はしないようにしているのだろう。変な噂が立つと出世に差しさわるからだと思う。私の元彼もそういう噂を気にかけていた。


帰りかけに携帯に電話が入った。篠原さんからだった。


「この前、話していた賃貸雇用契約書ができた。それで、第3者に立会人になってもらおうと思っているがどうだろう?」


「そうですね。その方が何か問題があったときに相談にのってもらえますね」


「それなら、信用のおける友人に頼んでみる。金曜日の6時にC会議室へ来てもらえないだろうか? 契約書を読んでもらって、正式に契約したい」


「承知しました。 6時に伺います」


◆ ◆ ◆

6時丁度に会議室にノックして入ると篠原さんともうひとり立会人とおぼしき人がいた。廊下でも時々見かける人だった。


「親友の山本やまもと隆一りゅういち君だ」


「ときどき廊下でお目にかかりますね。確か商品企画部ですね」


「よく知っているね」


「男子の独身者は時々噂になりますので」


「悪い噂はないと思うけど」


「大丈夫です」


「それで立合人になってもらうことにした。第3者がいるとお互いに安心だろうと思ったからだ。もちろん秘密は守ってくれる」


「私もその方が良いと思います。よろしくお願いします」


「それじゃあ、契約書を見てくれ。隆一もチェックしてくれ」


渡された契約書を読み始める。山本さんも読んでいる。土曜日に相談したことがほとんど網羅されていた。さすが企画部のエリートだけあって、隙のない契約書になっている。


篠原さんの誠実な人柄が出ている契約書で申し分ない。これだけ明確に規定されていると問題なく生活できそうな気がしてきた。篠原さんが補足説明をしてくれた。


「先週の土曜日にマンションで白石さんと相談したことをまとめた。念のために条項を加えてみた。『甲と乙は恋愛関係になってはならない』としたけど、どうかな?」


「私はそれでいいです」


「読ませてもらったがよくできている。妥当なところじゃないか?」


「それじゃあ、3通に立会人も含めて、それぞれ署名、押印して、各1通ずつ保管する。何か問題があれば協議する。これも書いておいたから」


「分かりました。不都合があれば、まず山本さんに相談します」


「そのための立会人だ。隆一も頼む」


「ああ引き受けた」


私は契約書3通に署名、押印をした。これで契約が成立した。


「それから来週の日曜日の午後に荷物を搬入しますから、よろしくお願いします。もう引越し屋さんに頼みました。荷物は多くありませんから、お手伝いは不要です。立ち会っていただくだけで結構です。それでは失礼します」


私は契約書をリュックにしまって会議室を出た。


◆ ◆ ◆

引越しの日は直ぐに来た。毎日、帰宅してから、荷物の整理をした。相談したところによると、ベッド、机と椅子、洗濯乾燥機、冷凍冷蔵庫、電子レンジ、電気釜、掃除機も見せてもらったので、必要ない。食器棚もあった。


サブルームにはソファーと座卓がなかったので持って行こう。小型のテレビも部屋にほしい。そのほかの家具や家電は必要ないので処分することにした。


あとは衣類、食器などの小物ばかりだ。これを機会に持ち物はできるだけ少なくして、不要なものは処分した。これで引っ越し費用も抑えられる。それでもダンボールで20個くらいにすべて収まった。


日曜日の午前10時にアパートから搬出してもらったが、あっという間に終わった。引越屋さんと別れて地下鉄で最寄り駅まで向かう。1時にマンションの前で待っているとトラックが到着した。


コンシェルジェが私の引越しを聞いていたからか、入口の扉を開けてくれた。そして篠原さんに連絡を入れてくれた。


引越し屋さんを案内してエレベーターに乗って32階へ向かう。引越し屋さんが「凄いところへ引っ越すんですね」と驚いている。


まあ、あの安アパートからこの億ションへ引っ越すんだから、驚くのも無理はない。この地味な私が玉の輿に乗ったとも思えないだろうし、極く当然な疑問だろう。


ドアチャイムを押すと、すぐに篠原さんがドアを開けてくれた。引越し屋さんが指示したサブルームへ荷物を運び入れる。すぐに搬入は終わった。


篠原さんはソファーに坐ってどんな荷物を運び込むのか関心があったのか、私の荷物が運び込まれるのをずっと見ていた。搬入が終わったので、篠原さんに挨拶に行った。


「今日からお世話になります。よろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしく。これがマンションのキーだ」


「ありがとうございます」


「君の部屋には内鍵がついているから確認しておいて」


「分かりました。それでは後片付けをしますので」


私はサブルームに入って、ダンボール箱を開けて、まずジャージを出して着替えた。それから荷物を収納棚に片付けていく。クローゼットは広いのですべて洋服が収まった。元々衣服は多くない。


会社勤めを始めたころに買った派手な服は処分したが、シックな落ち着いた服はすべて持ってきた。ここのところは着る気も着る機会もなかったが、捨てるには忍びなかった。


あと制服代わりに来ている黒のスーツとスラックスが3着ずつ、本当はこれだけあれば十分で他の服はいらないくらいだ。会社も冠婚葬祭もこれで問題なし。


それからキッチンへ行って、鍋など調理器具を備え付けの棚にしまった。中は空っぽだったのですべて収まった。それに多くない食器も棚に片付いた。


篠原さんはずっと自分の部屋にいたみたいだった。私も自分の部屋を出たり入ったりしていたが、篠原さんとは会わなかった。意外とプライバシーは守られるのかもしれない。


夕刻には篠原さんは食事のために外出したみたい。部屋で片付けをしていたので、いつ帰ったかも分からなかった。


私も買いものに出かけたけど、このまわりには大きなスーパーがないことが分かった。それでもコンビニを見付けて、明日の朝食用にパンと、牛乳、フルーツなどを買った。会社に行ったら、社員の人にこの近くにあるスーパーなどを教えてもらおう。

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