2-5 妙技


 生徒会室の居心地悪さは、右左義の前に冷たいほうじ茶が置かれた後も一向に変わらない。

 その部屋の主たる生徒会長は、男にしてはいささか長めの金髪を揺らしながら、応接用テーブルの向かいにどかっと腰を下ろした。

「いやー、おみゃーさんも災難だったねぇ。住んでたビルが壊されて、寮にも頼れなくて挙句流れ着いたのがこの部屋とは。可哀想に……」

 そう言いながら、ズズッとコップの中身をすする。辺りに漂う栄養剤の刺激臭が強くなり、次第に軽い偏頭痛を覚えた。

 もしや、僕のコップの中身もドリンク剤なのでは、と右左義は一口呷ってみたが、色のよく似た普通の茶であった。薬のような味わいはなく、水出しにしてはよく味が出ている。

 会長はといえば、ふふふと笑いながらメトロノームのように上半身をゆらゆら揺らしている。大丈夫なのか? 一体どれだけのドリンク剤を摂取したらこうなってしまうのか。作業机の上の缶の量を一瞥し、右左義は思考するのを諦めた。

「んで、帰れる目処はいつぐらいに立つのかい?」

「まだ不明です。何せ、建物の破損の原因が不明だそうですから」

 さしもの右左義も、会長には敬語を使う。敬意を抱いてということではなく、会長の得体の知れなを目の当たりにして無意識に心理的距離を取っていたからだ。

「ふーん、原因不明、ねぇ」

 何か考え込むような素振りを見せたのち、会長は作業机の方へ「こっちこっち」と右左義を手招いた。

 えー、臭いから行きたくないです……

 視線だけで放った本音のメッセージは微塵も汲まれることなく、右左義は重い腰を無理やり浮かせる羽目になった。

 会長の机の上には、異様な光景が広がっている。

 多量の栄養剤に囲まれて、現れたのは複数のモニター画面。そこに映し出される映像は全て、見覚えのある風景だった。

「これは……バース高校の教室、ですか?」

「んにゃ。教室だけじゃなくて、ほぼ全ての部屋の様子が手に取るようにわかる」

 ここが第一生物実験室、ここが郷土資料室……と得意げに会長が指をさす。いずれの部屋も夜間故に暗く、何かが動く様子はない。

 右左義は、その中にひとつだけブラックアウトして全く何も映らないモニターに目が止まった。

「あれ、ここは点かないんですか?」

「この世の極楽・女子更衣室を映す予定だったんだけどね」

「……はい?」

「まったくうちの水仙ときたら、カメラを何回設置しても一時間以内に全部輪切りにしちゃうんだからさ。あのカタブツも何だかんだ恥じらいの心があると思うと、可愛く見えてくるよね〜」

「……」

 ハッハッハと高らかに笑う会長。

 先程学友二人から変態呼ばわりされた右左義でさえ、二の句が継げなくなった。こんなのがバース高校のトップでいいのだろうか、と一抹の不安が頭をよぎる。

 でも、大事なのはそこではない。

「……そもそも、なぜ学校中を監視してるんですか?」

「これも立派な生徒会の仕事なんだよ。この島じゃ、警備員は引く手数多だからなかなか高校に配備できなくてさ。仕方ないから全部生徒が務めることにしたってワケ」

 この会長、真面目な話題になると若干ではあるが顔つきが精悍さを帯びる。表情や仕草がコロコロ変わるため、道化のショーを見せられているような感覚を覚える。

 右左義は会長を無視し、モニターを注視した。

 いずれの画面も、暗がりに少し机などが見える程度で、何ら動きはない。これを夜通し見続けてる会長は大変だなぁ、と右左義はカフェイン中毒の男に哀れみを覚えた。

「そう退屈でもないんだ、これが」

「……なんで僕の考えてることが分かったんですか?」

「バッチリ顔に書いてあったからね。水仙の仏頂面に比べりゃ、おみゃーさんは分かりやすくていい」

 またもや会長はドリンク剤を補給し、満足そうに笑う。

「生徒が軒並みいないから、夜間の監視は任意って決まってるんだ。仕事が立て込んでるワケでもないから、来たい時にしかボクも基本来ない」

「そうなんですね。なら、今日ここに来たってことは……?」

 右左義の問いを受け、会長は一層口角を吊り上げる。プルプルと震える手で、モニターをひとつ指差した。本当にこの人、カフェインの過剰摂取で倒れるんじゃないかと心配したのも束の間、右左義は目を見開いた。

「ちょっと、面白いモノが見れそうだったからだよ」 

 太陽光の差し込まない不明瞭なカメラの視界で、何かが忙しなく動いている。

 人工芝のグラウンドに吹き荒れる風は、存在し得ない砂塵を巻き上げて画面を覆う。宙を漂う塵と塵の合間に、右左義が辛うじて見えたのは人影。麗しい銀灰色の髪を靡かせ軍刀を振るうその姿には見覚えがあった。

「水仙、先輩?」

「んにゃ。面白いモノ、見えただろい?」

 目を離した隙に、水仙の姿は別のモニターに移動している。なんと俊敏なことか。

 水仙と対峙する者は全く見えず、さながら虚空と戦っているようにしか見えない。それでも、彼女の表情は必死のそれだった。

 やがて、グラウンドを映し出すカメラも爆風に晒され、ついにブラックアウトを果たす。

 何が、起きているんだ……?

 右左義の中に、違和感が芽生えた。

 おかしい。分解屋が動いているのに、一切アマルガム暴走の警報が発令されない。

「会長、これは一体——?」

「これが、おそらく昨晩おみゃーさんの住まいをぶっ壊した正体。分解屋同士による戦闘さ」

 ますますもって、意味が分からない。

 なぜ目的を同じくする分解屋同士が潰し合うのか。事情を知らぬ右左義からすれば、奇妙極まりなかった。

 そして、理解不能な事態が起きているにも関わらず、会長は平然ともう一つのモニターを指差す。

「して、か弱い子猫ちゃんよ。この二人、おみゃーさんの知り合いだったりするのかい?」

 慌ててそちらを振り向く。

 映像が映し出していたのは校門。昔ながらの公立高校と似た簡素なフェンスを背に、茫然と校庭を見つめる二つの影。ひとりは黒い背広を模した季節外れの学生服の上着、もう一人は腰巻のエプロンと茶髪を覆う頭布が特徴的だ。

 右左義は反射的に駆け出していた。状況を確認する余裕などない。この無秩序な戦いに、せめて二人を巻き込みたくなかったがために、ひた走る。

「姫人! 花凛!」

 叫ぶその名は、校舎の外で立ち尽くす学友たちには聞こえない。



 戦いは苛烈を極めていた。

 片方が倒れない限り互いに目的は果たせないと踏んだが故に、『通す/通さぬ』ではなく『潰し合う』ことを二人は必然的に選んでいた。

 開けたグラウンドの中心。普段野球に明け暮れる一年男子たちの球場は、幾重にも死線が張り巡らされた本物の戦場へと姿を変えていた。

 この場所においては、比喩でも何でもなく一瞬の油断が命取りとなる。

「外に出れば少しは楽になると思っていたのですが、思い違いだったようです」

 水仙は虚空を見据えて愛刀を構える。

 間もなく。漆桶の闇から迫るのは、シルクのように艶めく無数の糸。無造作に放たれたようなそれらは、一本の例外なく水仙の喉元を目掛けて突っ走った。同じ太さの鋼鉄の数倍の強度を誇るとされる蜘蛛の糸を、大振りの刃が迎え撃つ。

「かァッ!」

 残心。細切れになったであろう断片の行方を確認する間もなく、次弾に備える。

 開けた場所ならば分があると踏んだのが水仙にとっての誤算だった。校舎から校舎へ、グラウンドのネットへと自在に跳び回る蜘蛛の三百六十度の猛攻は、反撃の隙すら与えない。むしろ一方的な防戦を強いられるのみであった。

 前方から迫る糸を間一髪避けた瞬間には、背後に刀を回して切り込む。命の続く限り、回避を繰り返す。さながら、自分以外が全員敵に回った神速のドッジボール。アウトは当然、絶命と同義。

「くッ……」

 糸に交じって、苦無クナイの投擲が頬を掠める。頭半分でも位置が違えば、頭蓋が砕けていただろう。

 意識すべきは、水仙の周囲を俊敏に蠢くアラクネーだけではない。

 冥暗に潜むくノ一は文字通り曲者。機械仕掛けの蜘蛛とは比にならないほどに、その攻撃は狡猾にして巧妙。糸による斬撃が全てフェイクに思えるほど、突如飛び出す苦無は意表を突いて確実に命に迫る。

 が、それとは異なる恐怖を水仙の肌が感じていた。

 攻撃を何度食らっても、その速度に慣れない。今までの戦闘経験上、素早いアマルガムを相手取れば徐々にスピードに追い付けるようになる。

 だが、ことこの戦いにおいてはその感覚が微塵も備わらない。アキレスと亀の逸話の如く、いくら追随しようとも際限が見当たらないのだ。

 もしや、敵の方が劇的に加速している……?

 そう思った矢先、水仙の視界がぼんやりと何かを捉えたのは——頭の遥か上だった。

「そんじゃ、お遊びは終わりにしようかねェ」

 猛攻が、凪いだ。

 水仙の目に飛び込んできたのは、グラウンドを覆うようにして頭上に張られた巨大な蜘蛛の巣。その中心に立つようにして、紫蘭はニタリと笑う。傍らに、あの機械仕掛けの蜘蛛を従えて。

 水仙は絶句した。あの激戦の中で、アラクネーは私を追い詰めるのみならず、飛び移るための土台を、更にはを放つための拠点を築いていたというの!?

 そして、その名は高らかに叫ばれる。



分解妙技ぶんかいみょうぎ——水簾如露雨すいれんじょろう!」



 静岡は伊豆の地に、『女郎蜘蛛は水神の使者』とされる伝説が残っている。近づく人々を美女に化けて誘惑し、糸で絡め取ることでその蜘蛛が守るのは、じょうろをひっくり返したかのような瀑布だという――。

 アラクネーの巨大な腹に、青い蜘蛛の紋が浮かぶ。それはまるで、深く刻み込まれた刺青のようにギラリと鈍く光っていた。

 分解屋に与えられた、最後の切り札。

 アマルガムを確実に鎮圧すべく個々の分解屋とファミリアが至った科学の限界こそ、誰が呼んだか『分解妙技』。

 間もなく。天を覆い尽くす蜘蛛の巣より、至る箇所から糸・それに交じって蟲毒に侵された苦無が滝の如く降り注いだ。

 これこそが、紫蘭とアラクネーの辿り着いた境地。標的を空間に封じ込め、四方八方からの幾重にも及ぶ斬撃の雨を叩き込む。糸の原料となる膨大な量のタンパク質を、一機械にすぎないアラクネーの体内で高速で行うことができるからこそ成せる技だった。

 人工芝の破片を巻き上げて、風塵が荒れ狂う。

 その中心では、きっと見るも無残な血だまりが広がっていることだろう。そう考えると、紫蘭は急に居たたまれなくなった。

「うーん、せっかく育てた可愛い後輩を手にかけるのは、気分のいい仕事じゃないねェ」

『オ屋形様、攻撃の手ヲちょっと緩めますカ?』

「問題ないサ。続けて」

 容赦なく、最大出力を放ち続ける。

 そうでもしない限り、水仙を下すことなどできない。自らの技を彼女に授けた師は、誰よりもその強さに用心を敷いた。

 ほどなく、アラクネーに浮かんでいた紋の色が鈍くなり、放っていた光は次第に収束していく。

 分解妙技、展開終了。

 これ以上は、アラクネーが持たない。オーバーヒートを目前に控えていたその体が、糸の生産を止める。

「さよなら、水仙。その軍服に見合う、良い仕事っぷりだったよ。貴女の死を絶対に無駄にしない。きっと真実を暴いてみせるから」

『オ屋方様……?』

 弔いの言葉を紡ぐ紫蘭の目には、愛弟子に向ける慈愛で満ちている。

 互いが信じた正義こそ違えど、最後まで信念を貫き通す姿勢は師として誇らしかった。

 普段と様子が違う紫蘭に、かける言葉が見つからない。そう困惑するアラクネーに対し、紫蘭は空元気で応じる。

「なァに、心配すんなって。確かにアイツに軍服は似合うけど、胸元だけはスッカスカで余裕たっぷりだったからアタシにゃ敵わなかったのサ」

 戦いじゃ一切余裕なかったけどな、と冗談を吐いてカラカラ笑う自らの相棒を前に、アラクネーはまだ押し黙っている。言動こそ元通りだが、威勢の良さにいまいち欠けていたのが見て取れたからだ。

 否、それだけではない。虫の知らせというべき不安を、第六感的に感じ取っていた。



「誰の余裕がないと仰いまして?」


 

 渦巻いていた砂塵が晴れる。元の静かさを取り戻したグラウンドの中心に立っていたのは、肉塊と果てた亡霊ではなく五体満足の銀髪の少女。

 多少なり疲弊の色は見て取れるものの、その手は軍刀の柄を掴んで離さなかった。

『オ屋方様、これハ……?』

「ようやく頭角を現したねェ。アンタのファミリア、良い仕事するじゃない」

 強がる紫蘭だが、その額を汗が伝う。

 全てをかけた一撃を以てしても、この少女は屈しなかった。嫌でも悟る。この戦いの勝ち目を見失った、と。

 水仙の周囲には、が幾重にも展開されている。自らの分解妙技を凌いだその正体がファミリアであることは自明だが、何の動物がモチーフなのかは一切見当がつかない。

 第一、半球状の生物など見たことがない。

『何ですカ何ですカ! あんなの反則じゃナイですカ!』

「そうねェ。アレが何なのかまだ分からないけど、とりあえず——」

 アラクネーが憤るのも無理はない。最大火力を弾かれたのだ、戸惑いもするだろう。

 でも、今はそんな暇はない。

「——とりあえず全力で回避するよ!」

 水仙を取り巻いていた盾は、一瞬で銀の砂と化して瓦解した。さながら淡雪のように、細く儚い光が戦場に降り注ぐ。その中に佇む少女の姿は、紫蘭さえ息を飲むほど美しかった。

 見惚れる間もなく、攻守が反転する——。

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バースデイ叙事詩 杏也じょばんに @kyo-ya-ume

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