2-4 紫毒
バース高校は比較的大人しい生徒が多い。溢れる若い活気をあるがままに弾けさせているのは、それこそ右左義のクラスくらいだ。それゆえに、校舎全体もピリッとした緊張感を帯びている。
だが、夜の静けさは別物。息を潜めるような昼のそれとは異なり、森羅万象が死に絶えたような孤独や寒さを感じさせる。
普段は通らない、生徒会室に通じる廊下。窓から差し込む月明かりを浴びて輝く水仙の銀髪を目印に、右左義は静寂の中を歩く。
何か居そうというのではなく、何も居ないことがかえって不気味である。
「なあ。夜に忍び込むの、先輩たちは日常茶飯事なのか?」
あまりに悠然とした足取りの水仙に右左義は尋ねた。軍服や姿勢も相まって、一切の迷いがないように見える。
「ええ。生徒会は権限が強い分、仕事も多いですから。ですが、生徒会役員以外を招き入れるのは、バース高校創設以来初めてです」
「……働き方改革、やんなきゃダメです」
学校の闇を見た第一人者になってしまったため、複雑な心境である。
それでも一応、お礼を言っておく。忙しい中で差し伸べてくれた手のありがたさが心に染み渡る。
水仙が立ち止まり、振り向いた。さらさらと長い髪が揺れ、虚空に銀灰色の虹をかける。
足を止めた先の部屋からは、うっすらと灯りが漏れている。
「ここが生徒会室です。会長が作業しておりますが、好きに使って構いません。それではごゆっくり、お過ごし下さい」
「ありがとうございます……あれ、先輩はこの後寮に帰るのか?」
「いえ。校内にはおりますが、ちょっと別室で作業を行うので。それでは、おやすみなさい」
丁寧にお辞儀をし、水仙は廊下の奥の闇に消えた。その背中を見送り、右左義は生徒会室の扉に手をかけた。
生徒会は最高学年の成績上位者から成る、と聞いたことがある。水仙は副会長なので第二位であり、今から会う会長は校内で最も頭のキレる人ということになる。
そして、右左義は今まで生徒会に微塵も興味を示さなかった。目立つ水仙の存在すら知らなかったのだ、会長がどんな人なのか知る由もない。
緊張の面持ちで扉を開く。
……凄まじい、栄養ドリンクの香りが鼻を刺した。
「ん? ああ、おみゃーさんが水仙の言ってた家なき子猫ちゃんだね? 歓迎するよ、ようこそ我が生徒会本部へ」
広々とした、オフィスを思わせるような部屋。その中心で栄養ドリンク剤を呷っていた男が振り向いた。
長身痩躯、精悍な顔つき。金に染めた毛先を遊ばせ、目にはチェシャ猫のような不気味な笑みを湛えている。
こいつが、生徒会長。
「まあ、まずは座りや。何か飲むかい?」
「……いえ、お構いなく」
にへらと笑った会長は席を立つとシンクの方へとゆったり向かった。むわん、とドリンク剤の香りが同心円様に広がる。
言われた通りに適当な椅子に腰かけた右左義だったが、居心地の悪さでなかなかリラックスできなかった。
右左義の姿が生徒会室の中に消えたのを見届けて、水仙は身を翻す。先の見えぬ暗い廊下をぐっと睨んだ。
「……誰です?」
返事はない。辺りには物言わぬ闇が広がっているばかりである。
「
ラーメン屋の屋台を出たときから、背後にうっすらと何者かの気配を感じ取っていた。だが、自らの最優先事項は警戒されることなく右左義をかくまうことであるため、気づいた素振りを見せないようにしていた。
――ようやく、遠慮せずに対峙できる。
水仙は自ら背中に手を回すと、一瞥もせずに迫りくるそれを掴み取った。
「……無粋な真似はおよしなさい。何しに来たのです、『くノ一』」
手のひらの中で未だ熱を持つ物体——毒に侵された金属製のニードルを床に放る。ゴトリ、と鈍い音を立てて落ちたそれは忍者の用いる両刃の武具・
「あーあ、あと一歩だったのにヘマしちゃって。あとでお仕置きが必要だねェ、可愛い相棒サン?」
『そんなア! 今月モウ三度目ですヨ! 体が持たナイですヨ……』
鋼鉄の蜘蛛・アラクネーはニードルを器用に拾い上げ、前脚の先端にすぽりと収納した。
無法分解者『くノ一』こと
ちっ、と小さく舌打ちを漏らす。色々な意味で、水仙が相手取るにはおそらく最も不得意とする敵かもしない。
珍しく感情を露わにした水仙は、ある程度の距離を保ちながら黒装束の女に詰め寄る。
かつての上官だった、その女に。
「何しに来たのかと聞いているのです」
「そんな怖い顔しなさンな。可愛い後釜の授業参観に来ただけサ。ふーん、築三年というだけはある。綺麗な校舎だねェ」
「お生憎様、もう立派に放課後です。それに、不審者は昼夜を問わず立ち入り禁止なのですが——いえ。御託はほどほどに、単刀直入に伺います。あなたの目的は、佐倉君ですか?」
「ほう、それがあの坊やの名前かい? なら、そいつを聞けただけでも今日は収穫だねェ」
ニイッと不気味な笑みを浮かべる紫蘭。かつての勇ましいナンバーツーの面影はない。
敵から目を逸らさないようにしながら、ちらりと背後を伺う。相変わらず生徒会室の扉は閉じられたままで、こちらの様子は中には伝わっていない。
「彼をどうなさるおつもりですか」
「さあ? 可愛いから、小間使いにでもしてやろうかねェ——なんてのは冗談サ。坊やに関しては、アンタらの方がよく知ってるんじゃないかい?」
「そんなことは……」
口先だけの反論は、発する合間すら既に失っていた。
言葉尻とともに、紫蘭は再び闇に消えた。巨大な蜘蛛の姿も、付近には見えない。
水仙は瞬時に身構えた。非常時に備え、廊下の窓を開け放つ。初夏の夜特有の湿った空気が流れ込んでくる。
あわよくば、外へ誘導する。そうすれば、紫蘭を生徒会室から遠ざけることができると考えての行動だった。
が、それを許すような紫蘭ではない。
「——ッ!」
「甘ったるい考えは、見え透かれると思っときな!」
行く手を阻むは、アラクネーから放たれる俊敏な針。八本に及ぶ足の先端は自在に分離し、その全てが必中の軌道を辿る。
慌ててはいけない。一本一本、着実によけなければ、死が待っている。
銀髪を棚引かせて曲芸さながらの回避を繰り返す水仙は、反撃の隙を伺っていた。死線の寸前をかすめる針を、一つ二つと数えてタイミングを図る。
八本全てが放たれた瞬間。全ての足の先端が失われたその時こそ、間合いを詰めるチャンス!
六、七、八と数えて身を翻し、リノリウムの床を蹴り出す。神経を極限まで研ぎ澄ませた刹那、水仙と敵との距離は縮まることは叶わなかった。
視界の隅から、九本目の苦無が振り下ろされる。
「くっ!」
間一髪、軍服の陰から抜いた軍刀をがちりと宛がい、自らの命の無事を繋ぐ。奇襲を放ったのはアラクネーではなく、紫蘭自身だった。
白き副指令、黒き忍者。
噛み合う刃は互角。そう判断し、間合いを再び取る。
「もう一度お伺いします。あなたが佐倉君をつけ狙う目的は何ですか」
「うーん、困ったねェ。アンタをそんな頭カチコチのお馬鹿さんに育てた覚えはなのにサ。アタシがどうして、管理局を去ったのか覚えていないのかい?」
警戒を怠らないようにしながら、水仙は記憶の糸を手繰り寄せる。
それは二か月半ほど前、年度の境。身に覚えもなく突然副指令室に呼ばれた水仙は、誰よりも慕っていた上官にして師・紫蘭に辞表を突き付けられる。
『アタシの後釜はアンタに任せる。大丈夫、アタシが教えたことが身についてりゃ、きっと大役だろうと務まるようになるサ』
あまりに唐突すぎて、言葉の意味を飲み込む事さえかなりの時間を要した。
『どうして、去られるのですか……?』
目を丸くしてそう尋ねた水仙に、確か紫蘭はこう告げたのだった。
『このままここにいたら、アタシはこの島が抱える真実を掴み取る前に力尽きちまう。分解管理局での日々は近道だったけど、その先は行き止まりサ。アタシはその先に行く。そして、ヤツに辿り着く。すべてが終わったら帰ってくるから、そン時までアタシの席はアンタに預けておくよ』
階級も、役職も、白い軍服も。ほとんどすべてを水仙に託して行方知れずとなった紫蘭。だが、核心の見えぬ志だけは水仙の手に渡ることはなかった。
真理の探究。
科学者としての側面を持つ、実に紫蘭らしい目的。だが、それの意味することは、水仙さえも慄然に追い込んだ。
「彼が、バースデイに繋がる手がかりだと、そう仰いたいのですか?」
「確信はないけど、どこかキナ臭いンだよねェ。だからアンタらも匿ってるンだろう?」
曖昧に頷いたのち、水仙は思考を巡らせる。
正直に言ってしまえば、右左義に手を差し伸べたのは善意ゆえにではない。だが、彼については水仙ら・分解管理局も不明瞭なところが多い。
反面、紫蘭は確実に、分解管理局の知りえない情報を握っている。もしかすれば、島を創設して消えた科学者・バースデイのしっぽを掴んでいるかもしれない。
となれば、取る行動はひとつ。
自身の髪色よりも煌々と月光を反射する軍刀を鞘に納め、水仙は敵を再び睨む。
「紫蘭。もう一度、分解管理局に戻るお考えはありませんか?」
間髪入れず、考える間もなく紫蘭は答えた。
「絶対にないね。アタシはアタシの手で真実を掴みに行くよ」
決裂。紫蘭の断固たる不退転の決意を改めるには及ばなかった。
致し方なし、と嘆息したのち、水仙は今一度愛刀の柄を握る。
「そうですか。ならば、容赦致しません。仇為すものには制裁を、たとえそれが、貴女だとしても」
「ふーん」
ずるりと刀身が現れる。白鉄色の三日月模様を描いて、それは水仙の右手と敵の頭とを光の糸で結んだ。
「校内での抜刀は極力避けていたのですが、相手が無法者とあれば禁忌など無用。この水仙、分解管理局の名にかけて、一歩たりとも貴女を佐倉君に触れさせません」
対して紫蘭は、ぎらりと光る切っ尖から目を離すことないまま、温かい視線を水仙へと流した。
「その服、似合ってるよ。アタシが着るより、よっぽどね」
「なッ……」
「アンタで良かったよ、アタシの後釜。頼んだよ、これからの分解管理局を引っ張ってくのはアンタなんだから」
「……ええ、そう致します——ッ!」
奇襲、第二波。アラクネーによって生み出された無数の糸は、互いに絡むことなく水仙目掛けて走った。
——私は、一体どうすべきなのでしょう?
与えられた責務、最愛の師。その板挟みは、全ての糸を切り落とした水仙を悩ませ続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます