2-3 銀灰


 昨日受け取ったばかりのラーメンの回数券がまた一枚、消えていく。右左義の隣のカウンター席には、相変わらずの不機嫌な面を浮かべた親友の姿がある。

 花凛が受け持っている『ばいお軒』の屋台には、昨日同様に右左義と姫人以外の姿はない。それをいいことに、右左義はことのあらましを捲し立てる。

「それでさ、帆蔵さんの家までコソコソ付けてったらば、なんと美人の奥さんが出てきてさ! 玄関先で上司のお帰りなさいのキッスを図らずも見てしまった僕はどうすりゃいいんだ……」

「大人しく自首しろ、そして俺と縁を切れ。親友がストーカーだなんて、死んでも御免だからな」

「だから違うって! あーもう! なんで毎回僕ばっかりこうなるのさ……」

 頭を抱えた右左義の前に、ラーメンの丼がゴトリと置かれる。まだまだ言いたいことは山ほどあったが、一旦ご馳走にありつくことにする。麺が伸びてしまっては勿体ない。

 合掌しながら律儀に「いただきます」と述べる右左義を一瞥して、前掛け姿の花凛は満足そうに微笑んだ。

 方や、姫人以外の機嫌はラーメンが運ばれた後も治る様子はない。

「まさか、二日連続ラーメンが本当になるとはな。分解屋が高脂血症予備軍だなんて、冗談でも笑えん」

「大丈夫だよ、まだ僕ら若いんだから。胃袋に正直になるのも大事だぜ?」

「……通院までお前と一緒はごめんだな」

 ぼやきながらも、箸を運ぶ手を止めないところが姫人らしい。満更でもなさそうな顔で、昨日とは違うトッピングのラーメンをすする。

 相変わらず美味い。連続で食べに来るのも納得の味である。

 麺とスープと諸々を一緒くたに夢中でかき込んでいると、ものの数分で食べ切ってしまった。時を同じくして、姫人も完食を果たす。

 それにしても、味が良くて、かつ店主が女子高生だというのに客が寄ってこないのはなぜなのか。右左義は不思議に思いながら、丼を片付ける花凛を無意識に目で追う。

 数秒もしないうちに、花凛と目があった。思わず仕事の手を止めた花凛と見つめ合う形になりながら、右左義が思い出すのは帆蔵との会話。

 確かに、花凛は綺麗な目をしているが……

「な、何よ。もしかしてアレかしら、今日の生体心理学の授業でも言ってたやつ。五秒間見つめ合うと人間の脳は恋の予兆だと錯覚して——」

「花凛。ちょっと僕に、鶏や豚肉に注ぐのと同じ目を向けてくれないか?」

「……変態」

 変わりに、救いようのないものを見る視線が刺さる。右左義の隣では、笑いを堪えるべく姫人が肩を震わせていた。

「コイツが変態なのは自明だからいいとして、わざわざ集まったのは何か理由があるんだろ?」

 そうだった、と右左義は弾かれたように思い出す。

 この三人が放課後に集まるとすれば、この屋台が一番都合がいい。姫人の放課後の日課

は、非常時に備えての身体トレーニングやコンドルのメンテナンスだ。時給制でなく月給制のため、比較的フレキシブルに働ける。右左義が暇な時は、姫人をここに呼び出せば必然的に三人揃う。

 そして、携帯電話を用いた通信よりもこの方法を選んだのには訳がある。

「頼む姫人! 一晩でいい、お前の部屋に泊めてくれないか? 今日のラーメンは俺の回数券から出すからさ」

 そう、交渉材料の用意。

 右左義たちは互いに親友だと認めつつも、残念ながら、全ての頼みを無償で聞き合えるような関係性ではない。

 むしろ、タダで何でも聞いてくれたら裏があるんじゃないか、と疑うほどだ。『信じ合えないから信頼できる』という間柄は便利なのか否か、本人たちも疑問に思うところであった。

 事情をしっかり伝え、カウンターに両手をついて上半身だけ土下座の体制を作る。果たして、決死の交渉の結果は——

「断る」

「なんでさ?!」

「その回数券、俺が買ったやつだろ……」

 抜け目ないと思われた交渉術は、あっけなく決裂となった。

「仮に泊めたとしても、バース高校の男子寮の寮監は意外と厳しい。家賃滞納と無断下宿はバレたら半殺しの末に追い出される。これは噂でも何でもなく、俺はそんな目にあった奴を一人知ってる」

「あー、皆まで言うな。その件は忘れようぜ、胃の中からラーメンが上がってきそうだ」

 暴走個体鎮圧の比にならないくらい、恐ろしい悪夢が蘇る。

 幸い、右左義は将来有望な学年主席であり、かつ職場が部屋を貸してくれたから辛うじて生き長らえている。下手すれば退学、帰る場所のない人工島の中で露頭に迷う羽目になっていたかもしれない。

 普通にアルバイトをしていれば家賃が払えないことは決してない。自身の極秘研究に投資しすぎた右左義だからこそ、第一の滞納者として見せしめにあったというわけだ。

 さて、いよいよ困った。

 ほかのクラスメイトも皆んな寮暮らしであるため、姫人の後には頼みづらい。最後の希望を失って頭を抱えた右左義に助け舟を出したのは、花凛だった。

「ねぇ佐倉君。女子寮の寮監はそんな厳しくないから、ちょっと工夫すれば一晩くらいなら忍び込めるこめるかもしれないわ」

 耳を、疑った。

 女子寮潜入、だと?! 寝床が手に入るうえ、全国男子諸君の夢という膨大な付加価値まで付いてくるのか!

 ——右左義が飛びつかない手はなかった。

「本当か!? よし、今夜の宿はそこに決まり! それで、どうすりゃいいんだ?」

「女装」

「……やめておくよ」

 半ば分かっていたことではあるが、夢が砕け散るまで一瞬であった。道が潰えたわけではないが、変態遍歴に新たな一ページを刻むことに成り兼ねない。

 右左義は今度こそ途方に暮れた。

「あーあ、どっかにないかなぁ、一晩だけ泊まれる場所」



「でしたら、学校で一泊というのはいかがでしょう?」



 鈴を転がすような声が、隣の席から響く。

 屋台に別の客が入るのは当然。だが、右左義は声を聞くなり身を硬らせた。

 ——何だろう、この背筋の凍るような感覚は。

 先程まで誰もいなかったカウンター席に突如現れた第三の客。気配すら悟られずに、まるでずっとそこに居たかのような佇まいで座しており、慣れた口調で「ラーメン、大盛りで」と注文を入れる。

「なあ姫人。あれ、姫人の知り合い——」

「お疲れ様です、副司令!」

 姫人が頭を下げる。雷霆の如き速さで、黒い『直角』が出来上がった。

 普段見慣れぬ親友の一面を見て、右左義は第三の客の正体にひとつの仮説を抱く。

「あのー、質問なんだけどさ、ひょっとしてアンタ、姫人を尻に敷いていると噂の彼女さんだったりする?」

「アホか!」

 ……叩かれた。親友の拳は硬い。

「あのお方こそ、分解管理局のナンバーツー、水仙隠すいせん・なばり副司令だ。態度を改めろ」

 へえ、この人が姫人の上司。

 改めて、右左義は珍客に目を向ける。

 青みがかった双眸は色素が薄く、小ぶりで整った顔形の中で大きく輝く。次に目を引くのは夜風にたなびく銀の長髪。その一本一本が月光を浴びてシルクの如き上品な光を浴びている。

 すらりとした五体は白き軍服に包まれ、ぴんと伸びた背筋が軍服の見せる高貴な印象を際立たせる。

 頭の先から徐々に視線を落としていくと、彼女のフレアスカートに見覚えがあった。

「アンタ、うちの先輩なのか?」

「ええ。バース高校三年、生徒会副会長を務めております。以後どうぞ、お見知り置きを」

 未だ警戒を解かない右左義に対し、水仙は首部を垂れる。先ほどの姫人に負けず劣らず綺麗なお辞儀であった。慌てて右左義も頭を下げる。

 横でプルプル震えている黒い物体が、視界の端に映った。

「……なんでさっきからタメ口なんだ? 怒るとか通り越して、もう尊敬の域だ。凄いな、お前」

「別に、僕の上司じゃないし?」

「それはそうだが……すみません副司令、友人が飛んだ無礼を」

「構いませんよ。それで話は戻りますが、佐倉君は今夜の寝床を探しているご様子でしたが、目処は立ったのですか?」

「立ってはいないけど、そもそも学校への不法侵入だって軽い罰じゃ済まないんじゃないのか?」

 その点はご心配なく、と水仙は柔らかく、かつ自信に満ちた様子で微笑を浮かべる。

「生徒会各位にはマスターキーが渡されております。私の許可さえあれば問題ありません。おまけに、生徒会室には非常時に備えて寝袋もあります。さあ、どうするのか、私が食べ終わるまでに考えをまとめておいてください」

 タイミングを見計らったように、水仙の席に丼が置かれた。片手を使って長い髪を邪魔にならないように背中に送り、もう片方の手と唇で割り箸を器用に割ると、その小さい口に少しずつ麺を運び始める。

 ズルズルと音も立たず、スープが跳ね飛ぶこともない。それでいて、大盛りの麺がみるみる減っていく。

 なんというか、完成されたひとつの作品のような食べっぷりだ、と右左義は思った。一連の動きが流動的かつ無駄がない。そして何より、いたって自然かつどこか食欲に訴えかけるテレビコマーシャルのようだ。

 ふいにかけられた誰かの声で、我に返る。

「佐倉君。あまりほかのお客様が召し上がってるのをジロジロ見るのは営業妨害よ」

「え? 僕そんなにガン見してた?」

「……無自覚だったのね」

「お構いなく。あまりに美味だったもので、少しも気になりせんでしたから。ご馳走様でした」

 むすりとした花凛に窘められなければ、完食まで見届けてしまっていただろう。慌てて右左義は目を逸らしたが、暫くもしないうちに水仙の丼は既にスープのみとなっていた。

「それで、お気持ちは整いましたか?」

 青い目右左義に向けられる。少し迷った末、右左義は首肯する。

 その様子を見て、水仙の揺れる瞳が和らいだ。

「サンキュー、助かった。今回はお言葉に甘えるとするよ。お礼は今日の飯代でいいかな? 僕の回数券から出すよ」

「いえ、お気になさらず。自分で言うのもなんですが、そこそこ稼いでますので」

「……俺が買った回数券なんだがな」

「……尾上君もだけど、私の店を貸し借りの精算所にしないでもらえるかしら」

 不満げな同級生二人を残し、右左義は水仙を連れ立ってバース高校へと向かった。

 ただ道中、時折背中に不思議と視線が突き刺さるを感じるのであった。



 近頃は街の景観整備のために、電柱を地下に置く街が多くなってきている。京都や横浜などは最たる例だ。

 だが、ここバースは地下に避難施設を敷いているため、未だに電柱が地上に存在する。

 近未来都市にそびえ立つ昔ながらの電柱。その物陰から、四つの目が覗いている。

「……俺、同行する必要あるのか?」

「別に来なくてもいいけど、私の身に何かあったら尾上君の責任になるからね」

「理不尽が過ぎる……で、良かったのか? 早々に店を畳んじまって」

「来るか分からないお客より、佐倉君の方が大事。そうでしょう、親友さん?」

「そりゃそうだが、富良野は何が心配で右左義を尾行してるんだ? 最強の分解屋が付いているというのに」

「あの女? うーん、イマイチ信用が出来ないのよね。なんというか、女の勘? とにかく、嫌な予感がするの。何より、生徒会副会長とはいえ初対面の女に右左義がのこのこ付いていくのが気に食わないわ」

 はぁ、と姫人は嘆息する。

 水仙との関わりは浅く、あくまで業務上のものでしかない。だから姫人自身、なぜ水仙が右左義に救いの手を差し伸べたのかは不可解だ。

 もしかしたら、困っている隣人を助ける心優しい人なのかもしれない。だが、あるいは……

 もう一度、ため息が出る。公安組織の幹部、しかも直属の上司を根拠もなく疑った経験は初めてであった。

「……分かった。俺も付いていく。別に大したことはないと思うが、それで富良野の気が済むならな」

「あら? 親友がストーカーなのをあんなに拒んでた尾上君の発言とは思えないわね。ストーカー同士、余計に絆が深まるかしら」

「……理不尽が過ぎる」

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