2-2 決意


 授業があっさり終わってしまったので、今日は早めに出勤して麺を仕込もう。

 花凛がそう思い立った帰り際。ふいに誰かに呼び止められた。

「ちょっといいか、富良野ふらの

「……何かしら、尾上おがみ君。注文は店に着いてからにしてほしいわ」

「勘弁してくれ。ラーメン二日連続は健康に響く」

 あの夜から、ラーメン屋台でバイトしてることや将来の夢を隠さないことにした。むしろ積極的に宣伝していくまである。何はともあれ、周囲を気にせずラーメンジョークを言える環境は過ごしやすい。

 教室に既に右左義の姿はない。臨時講師であり右左義の上司・帆蔵に呼ばれたとかで、そそくさと教室を出てしまっている。

 いま教室に残っているのは、相変わらず涙ぐむ水尾、それをとりまく男女の親衛隊。あとは数人だけである。

「冗談よ。どうせさっきの授業についてでしょ? 尾上君はあれ、どう思う?」

「帆蔵という男の真意は分からないが、ひとまず三通りの解釈ができる。ひとつは、『研究者には動物を躊躇いなく殺す無情さが必要』という考え。二つ目は逆に、『命を頂いて研究してることに感謝せよ』。そしてもう一つが——」

「『研究目的で殺すために、人の手で人工生物を生み出すのはおかしい』でしょ? あなたもかなり佐倉君に染め上げられたわね」

「ああ。アイツと出会わなければ、こんなの思いつきもしなかったな」

 前者二つのどちらかを伝えるなら、通常のマウス一匹の命を奪えば十分だ。でも、帆蔵が持ってきたのは二種類。

 単に、アマルガムと触れ合わせる機会を設けたかったのか、はたまた——。

「株式会社サークルライフは、アマルガムを有効利用する企業の最大手だ。きっと、数多くの命を生み出しては殺している。だが、あの帆蔵という男は飼育員、しかも右左義の直属の上司だ」

「だから余計に読めないのよね。どの立場から、私たちに何を伝えたかったのか」

 こくり、と姫人はうなずいた。

 ——この街のやり方に、僕は合わない。

 昨日の屋台で右左義の溢した言葉が、彼らの中でようやく意味を帯び始めた。




「ちょっとやりすぎたか?」

「……それ聞くの、五回目くらいです。あと、学校で酒飲むのはいくら何でもちょっと教育上よろしくないかと」

「バカを言え、飲まないとやってられん。お前もじきに分かるようになるさ」

 バース高校職員室に併設された、外部講師室という部屋にて。教師の体面がすっかり剥げた帆蔵が缶ビールを呷る。昨日のような威勢はなく、ちびちび口に含むのを繰り返す程度だった。

 教室では終始冷酷に努めた帆蔵だったが、さすがに水尾の号泣には胸が詰まるものがあったのだろう。

 最初は上司のフォローに徹していた右左義も、さすがに埒が明かなくなったので攻勢に回ることにした。なだめても仕方がないので、逆に釘でも挿しておけばいつかはきっと立ち直る。

「あの子、割とクラスのアイドル的な存在だったんですよ。帆蔵さんのアンチが増えたせいで、会社の株が下がらないといいですね」

「会社の話なんて、飲みながら聞きたかねえよ。まあ、俺がクビになったらお前も退去だから、二人で農業でもして暮らそうぜ」

「死んでも嫌です」

 冬の枯れ枝みたいにヒョロっちい先輩に、死ぬまでアゴでこき使われるビジョンが右左義の脳裏に浮かぶ。軽く身震いがした。

 それに、と帆蔵は付け加えた。

「水尾ってガキよりも、右左義の隣の席の子の方がよっぽど可愛いだろ。なんだっけ、富良野ふらのだっけか?」

「正気ですか。あんな強引と理不尽の塊、どうやったら可愛く見えるんですか?」

 授業中の一幕を思い出して、右左義は顔をしかめる。

 花凛と仲良くなったのは、比較的早い。

 高校入試の成績順を上から右左義、花凛、姫人と三人で独占したことがきっかけで、入学当初からよくつるむようになった。それから二ヶ月余り。席が近いことや花凛のさっぱりした性格の甲斐もあり、その関係は未だに続いている。

 花凛は周囲から一目置かれるほどには美人だ。水尾のような年相応の可愛さはないが、目を引くような大人びた美しさがある。本人はそれが嫌なようで、髪を染めたりメイクを工夫したりと若くに見せるために努力しているが、かえって逆効果だったりする。

 右左義が学友から紹介を頼まれたことも、妙な噂を立てられたことも一度や二度ではない。

 これが、よく話すようになると印象が変わってくる。会話の主導権は常に握られ、始終振り回されてばかりの日々。周囲からは羨まれる一方で、いざその立場になってみれば凄まじく疲れる。

 結論、花凛は『喋らなければ美人』の典型的な例なのだろう。

「……帆蔵さん、もしかしてただの面食いとか?」

「おいおい、そういう話じゃねぇよ。俺が見てたのはあの子の目だ。生き物の死際に向けたあの眼差しこそ、本来なら研究者が持ってなくちゃならないもんだ」

「花凛の、目……?」

「ああ。同情でもなく悦楽でもなく、当然無情でもない。肉体が死んだあとの命の、魂に語りかけるような目。それを持ってるやつはなかなかいない」

 右左義はその時の花凛の目を見ていない。だけど、なんとなく分かる気がした。

 先日、屋台で夢を語った目。その後ろで煮え立っていたのは、人間が食すラーメンとなるべく命を落とした生物たち。出汁になった鶏も、肉になった豚も、麺の粉を作って死んだ小麦も。きっと最後は、あの瞳に見送られて糧となったのだろう。

「羨ましいぜ、あんなコと授業中もイチャコラしやがって。お前ずっとあの子のまつ毛見てたろ。長くて綺麗だよな」

「……やっぱり面食いじゃねえか」

「それはさておき、いよいよ本題だ。俺が君たちに伝えたかったこと、聞きに来たんじゃないのか?」

 グイッと缶ビールを呷った帆蔵。だが、その顔つきは真剣そのものだ。

 右左義としては不本意に連れ込まれただけなのだが、帆蔵の話が気にならなかったといえば嘘になる。右左義は少し悩んだ末に頷いた。

「授業の後の教室でも様々な考察で盛り上がったけど、結局皆んな真意までは辿り着けてないと思います」

「だろうな。第一、お前らガキどもは色々深く考えすぎなんだよ。本当は、考えたり教えたりするまでもないような、すげえ簡単なことなんだけどな」

 簡単なことなのにな、と帆蔵は頭を抱えてため息を漏らす。

「命は脆い。だから、生きるってのはこうも難しいんだ」

 しばらくの沈黙。

 その言葉は実験動物への手向けか、はたまたバースアイランドに住む人々へ向けたものか——

 右左義の脳裏に、今日の授業で扱ったネズミの姿が浮かぶ。

 人の手によって生み出され、全てが管理された暗い部屋の中で育ち、そこを抜けて光が差した先の高校で無残に殺される。生きづらい一生だったに互いない。

 それでも、その目には血潮が爛々と輝いていた。

 ヒトもネズミも変わらない、命を持つ者の矜恃。脆くて、生きづらくて。それでも、生きたいと願う。

 ——たとえ、生まれ落ちた場所に向かい風が吹いていたとしても。

 もしかしたら、僕だけじゃなくて帆蔵さんも、言葉にしがたい生きづらさを感じているのだろうか?

「帆蔵さんは、この島を生きづらい場所だと思ったことがありますか?」

「別に、住まいはあるし酒は飲めるから不自由じゃねえよ。だが、お前がそう思うならもう一個アドバイスをくれてやろう」

 二缶目のビールが空になる。ゴクリと喉を潤わせ、帆蔵はもう一度こちらへ向き直った。

「生きづらい世の中ならテメェの力で変えてやりゃいい、ってことだ。新しい常識を、時代を、世界を、お前の手で作り変えろ」

「かつて、バースデイがしたように?」

「まあ、そんな感じだ。お前なら出来るだろ、その『実験』が上手くいけば」

 帆蔵は一枚の書類を見せる。株式会社サークルライフから拝借した器具の名前がずらりと並んだ借用書は、ひとつひとつに出任せの借用理由が付随されている。それら全て、右左義の部屋で見覚えのあるものだった。

「……学校の課題じゃないこと、バレてましたか」

「それくらい分かる。元研究者ナメんな。内容までは聞かないが、バースデイ級の実験なんだろ? 成功の暁には、お前が塗り替えた世界で一杯やれるのを楽しみにしてる」

 帆蔵はいそいそとビールの缶を片付け、引き上げる準備を始めた。素直に「頑張れ」だの何だのを言えないその姿に、クールぶった親友の姿を重ねると思わず笑えてきた。

 生きづらい世界なら、変えればいい。

 その言葉が、白衣の少年の小さな背中を押す。握りしめる拳に、力が入る。

「帆蔵さん。僕、やります。人も動物もアマルガムも全員が笑って共存できる世界。それが僕の理想郷です」

「そうか。頑張れよ」

 帆蔵から突き出された拳に、右拳を当てて応える。なんだ、素直に頑張れって言えるじゃないか。

 志は決まった。困難な道であることは重々承知。だが諦めていては道は閉ざされる。ならば、突き進むまで。

「まず、一緒に争ってくれる仲間を探すとこから始めようと思います」

「ふーん、そうかい。でもその前に、今夜の寝床から探さねぇとな」

 ……へ?

 右左義あっけにとられたような顔を浮かべているので、帆蔵は嘆息した。

「お前知らなかったのか。昨日、本社で原因不明のデカい爆発があって、調査と修復のために今日は立ち入り禁止だそうだ……ってか、ビルの階層によっちゃ半壊ってくらい凄い爆発だったのに、お前一切気付かなかったのか?」

 ……バッチリ夢の中であった。

 今朝も、何事もなかったかのように早く起きて動物たちの世話にあたっていた。動物たちの様子がどこかおかしかったのは気のせいじゃなかったのか、と右左義はひとり合点する。

「マジかよ、さすがの俺でも心配するぜ。お前、何かに巻き込まれてコロッと死んじまったりするなよ? 俺の首が飛ぶから」

「大丈夫ですよ、とりあえず今はピンピンしてるんで。それより帆蔵さん、今日だけでもいいから泊めてくれません?」

「やなこった。臨時講師やったその日に生徒一人泊めてみろ、世間様はなんて言うか?」

「……まず誘拐を疑いますね」

「だろ? だからダメだ。頑張って自力で見つけるんだな」

 そう言って帆蔵は家路についた。

 ……どうしよう。とりあえず、花凛のとこに夕飯食いに行くか。

 屋台に足が向いた矢先、去りゆく帆蔵の背中が見えた。そういえば、右左義は帆蔵の家の在り処を知らない。

 どうせなら。

 さして興味はなかったが、右左義は足跡を殺して帆蔵の後を追った。

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