1-5 径庭


 最先端をゆく島・バースアイランドにも、ラーメン屋の屋台という絶滅危惧種が存在する。カウンターの隣席に腰を下ろした姫人が終始無言を貫いているため、右左義は代わりにラーメンを二つ注文した。

 アマルガム鎮圧を終えた日の放課後。日はすっかり暮れ、辺りには夜の闇が差し迫っている。

 分解屋という職業は基本給に加えてアマルガム鎮圧の際の手当が入る。が、法令に反して鎮圧を手助けした右左義に賃金は入らない。そのため、姫人が夕飯を奢ることで手を打っている。

 当初右左義は『いいよ、無賃労働で』と断っていたが、姫人がこればかりは譲れないと強情なため、譲歩した結果のラーメンだった。ここ最近、協働でアマルガムを鎮圧した際の恒例行事である。

 食欲を誘う香ばしいスープの香りが店内に漂う反面、姫人の表情は芳しくない。

「どうしたのさ、姫人。さっきからずっと難しい顔して」

「やっぱりお前のやり方は間違ってる」

 右左義の心配を遮るように、姫人は吐き捨てた。鳩が豆鉄砲を食らったような表情の右左義に姫人は矢継ぎ早に続けた。

「お前は苦しくないのか? 昨日まであんなに大事にしてたアマルガムをあっさり手にかけて、お前にとってあの象は大切な――」

「家族だよ」

 今度は右左義が言葉を遮る番だった。

「あいつら、ああ見えて表情豊かだったんだ。撫でたり餌のリンゴあげたりするとすごく嬉しそうにするし、しばらくぶりに会った時は子犬のようにはしゃぐし。仕事終わりは毎回今生の別れかのように惜しんでくれた。僕は何も間違っちゃいない。アレックスもジョンも、僕の大切な家族だ」

 通常、バースアイランドに務めるバイトの飼育員になって最初に教わることは、『情を注がないこと』だ。アマルガムが暴走せず死なないための最低限の栄養を与え、最低限の世話をする。それが飼育員の仕事であり、現存動物の飼育員とは大きく異なる。

 理由は単純明快、『すぐに死んでしまうから』である。研究の過程で解剖や致死性の実験を行い、あるいは暴走し無残に殺される。大往生の果てに満足する形で死を迎えるアマルガムは数えるほどもいない。

 そんな飼育対象にいちいち情を注いでいたら、絶対に別離の痛みに耐えられない。だから、情を注がないのである。昼間、御堂が『辛くないのか?』と尋ねた真意はそこにあった。

 だが、担任や親友の心配をよそにそのやり方にただ一人異を唱えたのが右左義であった。人間の手によって造られた命。ならば、死ぬその瞬間まで人間が責任を持って世話をするべきではないか。右左義の倫理観の柱となっているのは、そんな考え方だ。

 アマルガムに名前をつけて可愛がっているのも、右左義ただ一人だけ。

「家族が苦しみながら死ぬ姿なんて見たくない。最後の時は穏やかに見送ってやりたい。ほら、間違ってないだろ?」

「だからって、全部お前がやる必要はないはずだ」

 科学者の手によって生まれ、飼育員の手によって育てられ、分解屋によって鎮圧されるアマルガム。システム的に分業された工程の中で、人間の責任を背負うには、高校一年生の右左義ひとりでは到底無理だ。自分の命すら重いと感じる姫人には、白衣の友人が背負おうとするものの重さは計り知れない。

 右左義はもう一度姫人に向き直った。

「僕はね、時々夢を見るんだ。目指すべき理想郷の夢をね」

「理想郷……?」

「ああ。地球という舞台の上で、生存競争という理の中で。様々な命が『生きる』ために生まれ、役目を終えて新たな命へ生まれ変わる。生きとし生けるものが誇り高く、各々の居場所で輝くんだ。サバンナの大地で、市街の片隅で、あるいは、ヒトの手のひらの上で――それを実現させるのが僕の夢さ。だから、今は僕のやり方で理想を叶える。今できるのは、狂った家族を安らかに見送ることくらいだけど、いつか絶対に成し遂げる。死んでいった家族たちの誇りにかけて。だから、止めないでくれよ、親友」

 遠く優しい目をしながら言葉を紡ぐ右左義の表情は慈愛に満ちている。

 右左義が語る理想郷のビジョン。それが姫人の脳裏にも浮かんだ。

 草木は茂り、清流は流れ、辺りは平穏かつ温かさに満ちている。その中に暮らす動物たちもヒトも皆、晴れやかな表情を湛えており――この島の現状からは遠くかけ離れた光景だった。

 姫人だって、行けるものならたどり着きたい。だが一方で、今日の討伐を終えた後、何も言わずに俯く右左義の姿を見過ごせるわけがなかった。

 姫人は店のカウンターに拳を叩きつけた。そこに込めらえたのは怒りか、心配か、それともおいそれと協力できないが故の無力感か。

「これだけ言っても分かんないのか!? 俺はてめえが傷つくのをこれ以上見てらんねえんだよ!」

「あら、お熱いセリフご馳走さま。街はずれの屋台で聞くには勿体ないくらいね」

 聴き慣れた声。続けて、ラーメンのどんぶりがカウンターに置かれる。こっちのほうがよほどご馳走だ。

 屋台の奥から出てきたのは、花凛だった。茶髪を包むのは赤いバンダナ、それと対照的に、まとっている大き目のTシャツや前掛けは黒いシックなデザインだ。高校の制服姿しか知らない右左義と姫人は呆気にとられたような表情で花凛とラーメンとを交互に見やる。

「お待たせしました、ラーメン二つ。どうぞごゆっくり、と言いたいところだけど、ラーメン屋は客の回転率が命だから食べたらさっさと立ち去ってちょうだい」

「回転も何も、俺たち以外に誰も客がいないのだが……」

 すっかり激情の冷めた姫人は、おとなしくラーメンをすすり始めた。毒気に当てられていた右左義も、一息ついた後に箸を手にする。一口目から絶品と分かるそのスープに舌鼓を打ち、がむしゃらに頬張った。

 花凛のバイト先は、バースアイランドが誇るラーメンの名店『ばいお軒』である。勤続二か月強、ラーメンの製造において免許皆伝を受けた花凛は初となる支店を任されていた。『まだまだ味は本店に遠く及ばないようね、この客足の遠さがまさにそれを物語っているわ』とは花凛の談である。学業のみならず、彼女の根の真面目さが仕事においても遺憾なく発揮されている。

「そういえば、アマルガムの鎮圧お疲れ様。大型が二体だったそうね、大変だったでしょう?」

「いや、大したことなかったぜ、楽勝楽勝!」

「……なんであなたが答えるのかしら? こっちの災難も知らないで、どっかでひとりふらふらしてたくせに」

「なぜってそりゃ——痛ッ!」

「さっき俺がそう言ったんだ。コイツは適当なシェルターに隠れてただけで誓って何もしていない」

 冷静を装って隠蔽に務めた姫人にスネをつねられ、右左義は痛みに顔を歪めた。

 アマルガム鎮圧に右左義が関与していることは、たとえクラスメイトにも知られては大ごとになる。再びうっかり漏らすことがないように、右左義はラーメンをすすることに専念した。

 それにしても、美味としか言いようがない。本店に足繫く通っていた右左義でも、この味は本店に引けを取らないと豪語できるほどに花凛のラーメンは絶品だった。

 うまいうまいとうなりながらラーメンをすする満足そうな右左義を一瞥し、カウンター越しに花凛は頬を緩ませた。

「さっきの理想郷の話で思い出したのだけどね」

「……え、花凛も聞いてたのか?」

「ふつーに聞こえるわよ、狭い店だから」

 一息ついて、花凛は優しい目を浮かべる。その奥に宿る光に、右左義と似たものを感じる、と姫人はひとり思った。

「私はね、食品に携わる仕事に就きたいの。生物学の観点から、食品業界に革命が起きるような新しいものを作りたい」

 その独白は、いつも飄々と過ごしている花凛の本音が珍しく表れた。

「私だけじゃない、うちの高校には夢に向かって努力している人たちが集まってる。研究者はもちろん、文科省や科捜研で働きたいって言ってる子たちもいる。その夢を叶えられるように、みんな危険と隣り合わせで頑張ってる。だから――」

 ふっ、と花凛は優しい目をして微笑んだ。

「だから、その夢を生きて叶えられるように、私たちの命を守り続けて欲しい。もちろん、あなたたち二人の夢も追い続けながら。そして、またこうやって顔を見せに来て欲しい」

 はい、と二枚の紙が手渡される。ばいお軒の回数券だった。ラーメン十杯分の料金で十一杯食べられるという列車の切符と同じ制度のものだ。

「アマルガムを育て導く佐倉君も、暴走アマルガムを駆逐する尾上君も、みんなと同じく苦労してるし、私が想像できないくらいの責任や危険を背負ってると思う。だから、これは私との約束。またのお越しをお待ちしております」

 傍から見ればただの回数券。そこに込められた『生きて帰ってこい』という約束は当事者でなければ分からない。

 仕方ないな、と右左義は嘆息した。生きる理由がラーメンというのも考え物だが、反面悪くないと思う自分もいる。

「わかった、これは受け取っておく」

 どうやら姫人も右左義と同じ考えのようだった。花凛が安堵の表情を浮かべる。

「ありがとう。ひとり六千五百円、二人合わせて一万三千円です。今日の分は回数券から引いておくわね」

「この流れで金取るのかよ」

「当たり前でしょ、商売を舐めないでほしいわ」

 ぶつくさ言いながらも、会計は全て姫人が済ませた。姫人自身、右左義への礼がラーメン一杯では釣り合わないと思っていたところだ。何の躊躇いもなく財布から二人分の高額な代金を払う姫人と、美味しかったと連呼する右左義を見比べて花凛は目をしばたいた。

「……それにしても、あなたたちって一体どういう関係なのかしら。佐倉君って、もしかして尾上君のヒモなの?」

「誤解するな、取引の結果だ」

「取引って、今日の野球ごっこ?」

「……まあ、そんなところだ」

 なんだ、面白くないわねとつぶやきながら、花凛は代金を受け取った。

「気をつけなさい、最近あなたたちが親友を越えた関係にあるんじゃないかと推測する一派が現れたらしいわ。もしそうなのだとしたら早めに報告してちょうだい」

「やかましいわ」

「僕と姫人は親友を越えた大親友だぜ……zzz」

「おい起きろ、帰るぞ」

 腹を満たした右左義はいつの間にかカウンターに突っ伏して熟睡を始めていた。馬鹿馬鹿しい寝言を抜かす親友を乱暴に叩き起こし、二人は店をあとにした。

 

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