1-2 暴走



 バース高校・進路指導室。

 担任教師、御堂みどうに連れられて右左義うさぎはその扉を開ける。

 授業中だからなのか、部屋は静まり返っている。部屋の至る所にインターンシップや企業説明会の案内が無造作に置かれている。高校卒業後はバースアイランド内の企業に就職する生徒が多いためだ。その分、島外への進学に向けた赤本や参考書の類は少ない。

 まだ一年生の右左義がこの部屋を訪れるのは稀であり、見慣れない光景に周囲をきょろきょろと見渡しながら部屋の奥へ進む。

 衝立で仕切られた面談用のブースに案内され、右左義は腰掛けた。目の前にどんと積まれた資料には、『個人面談票』とある。

「わざわざ授業中に生徒を連れ出してやるほど、重要な面談なんですか?」

「バカ野郎、お前がこの時間しか空いてないって希望したからだろうが。しかも、よりにもよって授業中だろ、ちっとも空いてないじゃねえか」

 だって授業がつまらないから、という不平は言わないことにした。

 バース高校のカリキュラムは理系科目に特化している。反面、日本史などの文系科目は単位を取りやすいように郷土史などの簡単な科目にすげ替えられていたりする。

 郷土史の授業の内容が薄っぺらすぎることは担任はおろか、郷土史の先生ですら重々承知しており、どうしようもないのだ。

「……そこは次から気をつけます。で、先生は僕の何を聞きたいんですか?」

 今回は自分のスケジューリングミスなので、右左義は素直に自らの非を認めた。その上で、授業を抜け出していることもあり本題を催促する。

 普通の教師なら授業を優先させる。だが、御堂はそうしなかった。何が大事な話があるにちがいない、と右左義は踏んでいた。

「これといって重要なことでもないんだが、佐倉のアルバイトは最近順調かな、と思ってだな」

「いやいや順調も順調! 天職に就かせてもらったのを四六時中神様に感謝してますよ!」

 身を乗り出して捲し立てる右左義に、御堂は嘆息する。

「……この前授業中に突然『科学的に証明できないから神なんて存在しない!』って言ってたのはどこのどいつだ?」

「そんなどうでもいいことさえ吹っ飛んじゃうくらい、楽しく働かせてもらってます! 昨日なんか——」

 こうなってしまうと右左義の話はアンストッパブルだ。

 バース高校の生徒は親元を離れて島に下宿しており、その生計を立てるために多くの学生が放課後のアルバイトに励んでいる。キャリア教育の一環ということで、新入生のバイト探しを高校が支援するシステムがあり、入学前の適性検査によって向いている職に高校側から掛け合ってもらうことができる。

 右左義の職は、『飼育員』だ。

 島の企業が研究に用いる実験動物や完全人工生命体の飼育を担当する職で、各企業が十名ほど雇っている。右左義は島の中でも最大手、『株式会社サークルライフ』のエース飼育員だ。

「昨日なんか、アフリカゾウ型のアレックスとエディの機嫌が良くて、上に乗せてもらいました。いやー眺めの良いこと! 他にもリクガメ型のジョージの食欲が回復したり、ニシキヘビ型のオロチマルが血色良かったり、雄羊型のショーンのブラッシングが上手くいったりといいこと尽くめで——」

「そ、そうか……」

 目を輝かせながら止めどなく語る右左義に半ば圧倒されながらも、御堂は腕時計にちらりと目をやる。いかん、そろそろ終業の鐘が鳴る時刻だ。それまでには終わらせなければならない。

「さ、佐倉にとって、飼育動物は家族同然なんだな」

「そうとも! 先生は分かってらっしゃる」

 嬉しい時はともに笑い、悲しい時も涙を共にする、具合が悪ければ身内のように手厚く看病する。大変だと感じることもあれど、大切な家族のためなら何でもできる。なぜと聞かれれば理由は単純、右左義いわく『どの生物もかけがえのない命だから』だ。

 楽しそうで何より、と思う反面、それは御堂が右左義のアルバイトを気に掛ける最大の理由でもあった。

「そうか。それで、なんだ、その……辛くなったりはしないのか?」

 御堂はその言葉に多くの意味を込め、慎重に言葉を選んで問うたつもりだった。だが、突然のシリアスなトーンでの質問に、右左義はきょとんとするばかりだった。ここまでの自分の話と『辛い』というワードが結びつかない、というような表情を浮かべている。

「え、何が?」

 御堂は悩む。これ以上の詮索をするかどうか……。

 もし、右左義が飼育員として迎える『辛さ』を知ったうえでのこのリアクションなら言うことはない。だが、いずれ右左義を襲うであろう感傷の大きさに耐えられなければ、非常に危険だ。生徒を守るのも教師の務め、ならば、生徒の心まで守らなければ務めを果たしたとは言えない。

 長いこと悩んだ末、御堂は踏みとどまった。手助けをしすぎてはいけない。この先は、右左義が一人で乗り越えるべき試練なのだ。彼自身が痛みと向き合い、結論を出さなければ意味がない。

「いや、いいんだ。佐倉が楽しいならそれでいい。今後もよろしく頼むぞ。さあ、早いとこ授業に戻って——」

 御堂の声を遮ったのは、耳を劈くようなけたたましいアラームだった。地鳴りのように響く不快な音が、人間の逃走本能を刺激する。

「緊急事態発生、緊急事態発生。北地区エリア五にて暴走個体出現。地上にいる各位は直ちに地下シェルターへ避難せよ。繰り返す。緊急事態発生、緊急事態発生——」

 無機質だが穏やかではない口調のアナウンスが校舎全体に響き渡る。北地区エリア五はバース高校のあるエリア四に隣接しているエリアだ。

 緊張が御堂の体を駆け巡る。まずは、目の前の生徒を何としてでも助けなければ。

「おい佐倉! さっさと地下に……佐倉? おい、佐倉!」

 だが、既に進路指導室に右左義の姿はない。彼のいた場所には大きく開け放たれた窓があるばかりで、吹き込んできたビル風にカーテンがたなびいている。

 御堂が呆然と突っ立っていると、部屋の奥に無造作に積まれていた資料の束が風に舞い、崩れ始めた。金縛りが解けたように御堂は急いで窓を閉め、窓越しに外を覗く。右左義の姿はどこにも見えない。

 御堂を置き去りにして自分だけ先に地下シェルターに避難したのか? いや、情に厚いアイツがそんな真似するわけがない。でも、他の可能性は考えられない。

 とりあえず、御堂自らも避難経路を急いだ。その後に、避難先の地下シェルターで右左義の安否を確認すればいい。

「ったく、なんでこうもうちの生徒は手がかかるんだか……頼むから、生きててくれよ」

 誰もいなくなった廊下を走りながら御堂は教え子の無事を祈った。

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