現実
眩しすぎる光は、暗闇と変わらない。愛する人も、友人も、盲目の内に閉じ込めてしまう。あるのは自分の肉体に通る神経の動きだけ。肌を徐々に削ぎ落していく寒さ、味蕾を包む人工甘味料の甘さとニコチンの苦味、忙しなく回るパソコンの起動音と燃えるような雨音、締め付ける無臭、残り火から伸びる煙の向こう側にあるディスプレイ。
恐怖とは常に隣で首を刈る機会を待ちわびていることを、視界が横向けに落ちていく最中で思い出した。夢現という感覚。本当に僕のすぐ傍に死神がいてくれたら、喜んでその頭を差し出していただろう。
疲れ果ててがらんどうの頭蓋が、僕の心音を聞いている。キーボードを叩いている指の動きが、独立した別の生物みたいだが、まだ生きているらしい。いっそのこと、解してくれればいいのに。本心なんてとっくの昔に捨ててしまった。僕は僕として生きることをやめていたのに、いつの間にか誰かを求めてしまい、輝く太陽に手を伸ばしていた。
僕はその中へ飛び込んだ。彼女は鏡のようで、見つめれば見つめるほど、僕のハッキリとした輪郭を浮き彫りにしてくれた。他人を穢し、蔑み、妬み、壊しつくした咎を背負う自分でも、人の形を残している。でも、鏡に映る姿は結局のところ、虚像でしかない。偽物。棄てられた僕の心が、後ろで睨んでいることを、光の中では気付けなかった。否、気付いていたのだろう。つまらない記憶を抱えて、肩に手を掛けてくる、そいつを。
だから、必死に拒絶した。鏡を穢したくない。そこに存在する姿のまま、僕はいたいと願っていた。でも、結局、僕は人ではなかった。人ではなかった。人ではなかった。人ではなかった。人ではなかった。人ではなかった。
光に手を伸ばしてもいい存在ではなかったのだ。家族を殺し、他人を壊し、友を陰で貶し、それを罪として背負う覚悟をしたところで、根源となる心を捨てた時点から、人間をやめていた。自分の醜さが、消え失せたという錯覚だ。僕を人間たらしめるものは、その汚くて、狡猾で、吐き気を催す心だった。
秋の気配が身体を噛む。冷たくなったつま先は、死人のように固くなっている。そろそろ死を受け入れるべきなのだろう。そんな言葉が、異臭を放つゴミみたいに、食道を通って訴えかけてきた。でも、僕はそれを飲み込み、胃液の中へと落とす。
人ではないから、僕は鏡を傷つけた。そこに映る偽物は、僕の姿ではなく、妄想だったのだ。傷付けまいとしたことで、傷付けた。背後に迫る過去の亡霊を、振り切りたいがために、汚してしまった。
罪はいつか滅びるだろうか。答えは分からない。澱みきった都会の川を綺麗のすることと違うのだから。だけど、罰は必要だろう。暗い牢獄で一生を過ごしてもいい、腐った食事を毎日してもかまわない。僕は罰を受けるべきだ。悪人だと罵られるべきだ。また手にしてしまった罪を濯いでいくことが、僕の生涯となるだろう。
現実が、赤く歪んでいく。知覚している世界は正常なのに、膜一枚、下の現実が、焦点を基準にして吸い込まれた。誘惑だ。また、簡単な終わりが僕の耳元で囁いている。綺麗な花の形をしているのはどうしてだろう。死の美しさを、僕の棄てた心は引きずっていた。
それでも、生きなければ。振り切って生きなければ。鰐に噛みつかれた水牛のように、その心だけに抵抗をしなければならない。
何をするべきなのか分かっている。穢汚で狂気的な本心を認めなければ、僕は次へ進めない。なのに、どうしても膝をつきそうになってしまう。空っぽのまま生きてきた僕の脚で、その重さを支えきることが、どうしても困難に思える。
雨は止んだ。風の音が外を揺らす。雲の灰色のない、真に黒い空が僕を嘲笑うかのように凝視してくる。
僕の夜が、始まった。
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