汚濁聖人(改稿版)

「それじゃあまた今度、三人で飯にでも行こう」


 近所の踏切で出会った彼は、全く無邪気な顔と声音で言った。


 僕はそれに対しての拒否の言葉をついに喉から出せず、重力で自由落下させた。胃液の中にぽちゃんと音を立てて落ちて、湯に入れたラムネのように簡単に溶けていく。


 愛想笑いは仮面を変えるよりも簡単に、背を向けたときには崩れていた。いや、崩れたという表現はおかしい。引き攣っていた顔中の筋肉が、ばねのように元通りに戻っただけだ。無理矢理に作った顔でいるのは、疲れて仕方がない。


 知らないのだ、彼らは。僕がどれほど醜い人間なのかを。彼は僕のことを友達と思っているだろうけど(少なくともそう思っていなければ、食事に行こうなどとは言わないだろう)、僕は彼はもちろんのこと、僕に話しかけてくるほとんどの人間を友達として見ていない。こういった言い方をしてしまえば誤解を招きかねないから補足しておくと、決して彼らが嫌いなわけではない。むしろ嫌いなのは僕自身だ。


 なぜなら、彼らの中にはきっと、僕に対しての疑心があるはずと予測してまうから。マイナスの解釈をしておかないと、心が瓦解しそうになる。そんな風に妙な勘ぐりを入れてしまう僕が嫌いで、そんな心で関係にしてしまうのに気が引ける。

 だけど、僕は彼らの言葉をそのまま飲み込むしかない。いくら疑心を疑ったところで、拒否することができないのだ。仮に、本当に黒いものを言葉とともに遠慮もなく湑ませていたとしても、僕は聖人のように崇められているから。そう、聖人だ。話して、吐いて、仄暗い、汚物をぶちまけたような色を塗りたくり、聖人だと崇められる。偶像崇拝。優しいとか、頼れるとか言われて、ただ上手く遣われているだけだと知っていても、おかしいとは思わない。いや、思ってはいけないのだ。そういう風に生まれてきて巡り合わせただけだ。もしも嫌だと喚いても、何も変わることなんてないだろう。


 聖人は理想を崩してはならない。理想の姿を崩すということは、その存在の降格を意味している。それはそれで嫌だ。つまり僕は、聖人として生きることも、それから外されることも嫌な、我儘で幼稚な人間。どちらか一方を殺すことを渋って決断さえできないことに、反吐が出る。




 彼らとの出会いは、中学の時だった。地域の行事に家族の勧めで参加したときに、同年代ということで紹介されて知り合うことになった。当時は仲もよかったが、高校に進学してからバラバラになり、それがきっかけになって会う機会も少なくなった。それに、いい機会だったのだ。行事に参加していくうちに、どうしても空気が肌に合わないことを感じていたから。そうして自然に僕が消えていたことになっていたのなら、好都合程度に思っていた。


 高校に進学してからしばらく経ち行事の季節になると、今年は来るのかとわざわざバイト先にまで訪ねてきた。去年は連絡もなしに不参加だったからだろう。もしもそこで僕が、胸中を余すことなく言い表していたのなら、彼らも多少は憤慨するしながらも納得しただろう。

 だけど僕は、彼らに見捨てられて、目の届かないところで、悪口雑言を並べられることが怖くて怖くて仕方がなかった。だから僕は、来年は行くよなんて言ってしまった。心底嫌だとしても、全てを受け入れる聖人でありたかった。


 でも、それに反発するように僕の中で何かが蠢いているのが分かる。わかっている。もう面倒だからやめてしまいという気持ちが湧いているのが、わかっている。自分の内側で、もう一つの気持ちを持った僕と軋轢が起こっていた。はっきりとした形が、肚の中から押されて浮彫になっていて、それなのに隠してしまった。完全に自縄自縛したのだ。


 繰り返して中身の濁ったことを言っているうちに、耐え切れずに逃げ出した。連絡先も切った。無視した。聖人であることからも、悪口を浴びることからも、逃げ出した。他人から見ればどうということもないことだが、一世一代の逃げだった。でもそれが清々しい気持ちだったことは間違いない。本当に楽な終わり方だった。曇り空がいきなり晴れたような爽快感。明らかに身体は軽くなって日々に彩りが戻った。でもそれはほんの束の間だった。彼らは不躾で察しが悪いことに、憂わしい気持ちで見ていたのだ。


 また、バイト先に彼らが押し掛けてきた。どうして連絡先を切ったのかと。僕は少しだけ言い澱みそうになった。真実を告白しようと、できるだけ酷薄に告白しようとした。


 無論、できなかった。恥で死にたいと思えたならまだマシだ。僕には何も起こらなかった。やっと手に入れた日々が振り出しに戻った程度にしか思わなかったのだ。先に続く未来なんかよりも、今に突き付けられる刃物に畏怖して嘘を吐き、罪を重ねた。聖人であろうとする為に自分を偽って殺した。胸が早鐘を打っていたのを今でも憶えている。いつでも簡単に、思い出すだけで身体の状態が反映される。あの張り裂けんばかりの厭な高鳴りを。


 適当についた嘘だとしても彼らは信じた。僕が聖人だから、彼らは信じた。汚れ切って、痰壺のように扱われてきた聖人だから、彼らは信じた。僕が嘘を吐いていることなんて考えてもいない。嘘を吐いていて苦しんでいることなんて、何も知らない。嘘を吐くことが苦しいことだなんて、捨てられたくないからという虚栄によってできるものだなんて、彼らは知らないし、想像もできないはずだ。息をするように嘘を吐く人間にしかわからない。

 

 嘘を吐くことは悪い事ですとか、最低なことですなんて言う人間は、その苦しみが分からないから責めるのだ。自分には責められるところがないと信じ切っているから、そうやって嘘つきを責めるのだ。その裏の苦しみも知らないで、ずかずかと踏み込んでくるのだ。勝手に土足で上がって拠り所を壊していくのだ。生きていればお前にも責められることはあるだろうにと、声を大にして言いたい。


 そして、このときほど僕なんて生まれてくるべきではなかったと思う瞬間はない。簡単に息をするように嘘を吐く瞬間、また、相当長い間言い訳を考えて、上手く騙せそうな要素をいくつか見繕って、何度もシミュレーションしているあの時間。それらが心の中で募り、後悔として存在している。


 つまらない。僕は手を染めまいと決めていたところに、手を突っ込んで、染めてしまった。もう何も言いたくない。厭離の感情が無尽蔵に湧いてくる。お前たちにわかるわけがないし、僕もお前たちが分からない。優しさに包まれた言葉なんて、驕慢な人間が自分の感性を妖麗なものに見せるためのメッキのようなものでしかないのに。そこには藍色の感情が含まれていることにどうして気が付かない。




 ああ、いっそのこと、何もかも終わらせてしまおうか。彼と別れたあとの踏切に響いた警鐘が耳に届いてくる。終わらせよう。この警鐘は、死んだらどちらに行くのかを決める審判の音だ。矢印が左なら大阪、右なら神戸だ。天国も地獄も用意などされていない。全ての人間関係の重みを取り払って、ありのままの顔をしたまま、死んでしまおう。来世こそは、そちら側に回るんだ。聖人に全てを押し付けてやる。僕の皮の下で蠢いている動物そのものの、凶悪な心を、聖人として生まれてきた人間に押し付けてやる。そして、そいつは、今の僕と同じような気持ちを腹の底いっぱいに抱えて、死ねばいい。縊死か、溺死か、焼死か、薬物死か、どうなってしまうのか、わからないが、どれでもいいからそれで死ねばいい。死んで逝き、淘汰されろ。そうして連綿と続いていけ。


 いつか聖人がこの世からいなくなることを心から願う。


 彼らとの約束は果たさない。


 これからの全てを、この警鐘に授ける。


 後のことなど知らない。


 警鐘————


 警鐘————


 ————継承


 そこには少しだけ、聖人の視線があった。

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