第2話 不良はブシドーに目覚める⑥
「さて」
コマの配置が終わると、オレは卓上の日本列島をじっくり眺めた。
厳正なるじゃんけんの結果、最初のプレイヤーはオレということになった。まだ勝手はよくわからないが、この手のゲームは初手が肝心と聞く。いい加減な手は指したくなかった。
幸い手元のチップは悪くなかった。『侍』と書かれたチップこそ一枚もないが、大きい数字のチップが揃っているのだ。
「篠原」
オレは考え抜いた末にクラスメートの名を呼んだ。
「どうしたの、マコトさん?」
「この間はペア戦だったが、今回は個人戦だ。遠慮なくやらせてもらうぜ?」
言うが早いか何故か内陸にある江戸と妙にちっさい房州の間に仏像の4を置いた。
江戸には仏像、兜、水田の三種のコマがあり、房州には仏像のコマがある。しかも房州の城は隣接する陸地のマスがあと1マスしかないのだ!
房州の城を半ば手中に収めつつ江戸の仏像にも影響力を及ぼす一手は、侍というタイトルにふさわしい正々堂々の全力勝負をするぞという強い気持ちを込めた一手でもあった!
「さぁ篠原、お前の番だ」
「うんっ」
対するクラスメートも、臆した様子はなくむしろうきうきした声でうなずくと、衝立の中からチップを取り出して、若狭湾の辺りに置いた。船の1。海にしかおけないチップだ。
「続けるよ」
さらにもう1枚、船のチップを取り出して、房総半島沖に置く。数字は2! 待て、それはつまり――。
「マコトさんの言う通りだよ。友達だもん。全力で遊ばないとね!」
「なっ!!」
篠原は三枚目のチップ――仏像の3をオレの仏像の4の隣に置いた! 5対4。オレの負けだ。
「仏像、もらうね」
「くっそー、やられた!」
「ふふ、ユウちゃんは相変わらず引きが強いな。わたしは怖いから様子見の手を打たさせてもらうよ」
ウタゲは余裕たっぷりにそう言って、西国に甲冑武者のチップを置いた。2つの城に隣接したマスだからこそワイルドの甲冑武者を選んだのだろうが、数字は1。ちょっと消極的にも見える手だ。
「さあ、一巡して春川君の番だ」
「早いな。もうかよ」
応じながら、列島各地に視線を向ける。まだこのゲームの勘所は見えていないのだが、あと一枚で城の周りの陸地マスがすべて埋まってしまう状況を作るのがリスキーだということは身にしみてわかった。
とは言えウタゲの手を真似て消極的な策に出るというのも性に合わん。ここはやはり――。
オレは江戸城(何故か内陸にある)の周りにまたひとつ自分のチップを置いた。三個ものコマが置かれたゲーム上もっとも重要な拠点に対する影響力を高める一手だ。……ダメだ。これはこれで消極的な気がする。
そこからしばらくは無言のやりとりが続いた。ただ、トン、トンというタイルをボード上に置く小さな音だけが鼓膜を震わせる。淡々と遊んでいるわけではない。むしろ考え抜いた末の沈黙だった。
「オレか」
何度目かの手番が来たところで、オレは息苦しさに耐えかねてそう言った。
「あっちにこのタイルを置くだろ。篠原に兜の3以上を置かれると死ぬよな……けどそっちに置くと今度は確実にウタゲに殺されるよな……」
ぶつぶつと呟きながらオレはある一つの結論に達した。
「どこに置いてもオレ以外のヤツが喜ぶじゃねーか!」
思わず両手で頭を抱えて叫んでしまう。
「あはは。その感想が出てくるってことは、春川君はこのゲームを楽しんでいるってことだね」
「そうかあ?」
手を頭に当てたまま、ジト目でウタゲを見る。
「間違いないよ。サムライは自分の手番が回ってきて欲しくないゲームとして一部マニアの間では有名なんだ」
「……ゲームとしてどうなんだ?」
「それだけ一手一手が悩ましいってことだよね。やー、楽しい。しんどい。たのしんどい!」
うまいこと言った気になってんじゃねーよ。オレは心の中で呟きつつ、タイルを置く。少し目先を変えてまだほとんど開拓されていない東北地方にだ。
続いて篠原がタイルを置いたのは京都と越前の中間のマスだ。どちらにも仏像が置いてある。まずは予選を確実に勝ち抜くための手を打ったというわけか。
「そう来たか。なら、わたしはどう指そうかな」
その何気ない一言に、オレははっと息をのんだ。
「どうしたの、マコトさん?」
篠原の問いを無視して、オレはウタゲの次の一手に注目する。これまでずっと消極的な手ばかり打っていたかに見えた彼女だが、オレの予想が正しければ――。
案の定ウタゲは京都の南西に、篠原がついさっき置いたタイルと相対するように配置した! これで京都の周囲の空きマスは残り2。紀州に至っては残り1だ。おまけに紀州の城にあるのは水田なのに、ウタゲが置いたのは兜だった。
もちろんオレは残りの1マスに水田の2を置いて紀州のコマを獲得する。それがウタゲの思惑通りだったとしても、次手番の篠原に取られるよりはましだ。
その篠原はちょっと考え込んだ後で、心なしか悔しそうに京都に隣接する最後の空きマスを甲冑武者の2で埋めた。
ウタゲ――兜3、甲冑武者1――兜獲得。
篠原――甲冑武者1、仏像3――仏像獲得。
オレ――水田2――獲得なし。
篠原は仏像の3を打たされたのだ。そうしなければ次のウタゲの手番で仏像すらも失う危険があった。兜と仏像を分け合う結果になったとはいえ、仏像の3を使わざるを得なかったのは痛い。しかもそのタイルに隣接するもうひとつの城に置いてあるのは水田なのだ。
「とりあえず片方だけでももらっておこう」
少しも残念そうに聞こえない声でそう言って、ウタゲは次の手を打った。今度はほとんどタイルが置かれていない四国だ。
「少し考えさせてくれ」
オレはそう断って、ゲーム中にウタゲが言ったことを思い返した。
――ふふ、ユウちゃんは相変わらず引きが強いな。わたしは怖いから様子見の手を打たさせてもらうよ。
――そう来たか。なら、わたしはどう指そうかな。
碁打ち、将棋指しという言葉のとおり、打つのが碁で、指すのが将棋だ。
意識して言葉を使い分けたわけではないのだろうが、ウタゲの手にはそれぞれ別の意思が込められていた。すなわち――。
序盤の消極的に見えた手は、実は盤面全体にじわりと影響力を及ぼすためのもの。おそらくウタゲは陣取り的な発想で布石となる手を打っていた。
一方で、ある程度城の周りが埋まり始めると、ウタゲは狙っているコマを取るための策を巡らせ始める。その過程で篠原やオレにコマを取られるとしても構わない。むしろオレたちがコマを取らざるを得ない状況に追い込むことで自分の目的を達成する――さながら詰め将棋のような指し手だ。
「なるほど。その二刀がウタゲの差し料ってわけか」
呟きながら次の手を考える。残念ながらオレには布石となる手を打つ戦略眼はないし、他の二人を追い詰める手を指す戦術眼もない。しかし、そんなオレにだってやれることはある。手は、残されているのだ。
「ほらよっ、これならどうだ!」
オレは越後(仏像)と常陸(水田)に隣接するマスに仏像の4を置いた。常陸にはなんの影響力もなく、むしろ篠原にアシストしてしまうような手だが、そこにはオレなりの狙いがあった。
「これって――」
篠原がオレの意図を理解したことは、その最大限開かれた糸目を見れば明らかだった。
「いいよ。仏像は揃ってきたし、水田をもらうことにするね」
そう言って、篠原は常陸に隣接するコマを埋めた。これで水田は篠原のものだが、おかげで江戸に隣接するマスがまたひとつ埋まった。たとえ水田をもう一つ篠原に明け渡すことになっても、他の二つが取れるならイーブンだし、越後の兜も狙いやすくなるというメリットもある。決して損な手にはならないはずだ!
「悪くない手だ」
ウタゲはそう言って微かな笑みをこぼすと、北陸方面にタイルを置いた。江戸には手を出さないが、江戸攻略のために使用されるタイルは利用するつもりなのだろう。
「なら、こっちが先だな」
オレは江戸を後回しにしてウタゲと同じに北陸方面に
「今度はあたしの番だね」
篠原がそう言ったのは自分の手番が回ってきたことを確認するためではなかった。彼女の手は、自身の東北進出の足掛かりを築くとともに越後の仏像獲得を目指すオレをアシストし、ウタゲを牽制するものだった。
思うにサムライは自分の利だけを追求していても勝てないゲームなのだろう。
わかりやすいのが江戸だ。兜、水田、仏像と3つのコマが置いてある反面、それらを獲得するためには周囲6マスにタイルを置かなければならない。一人ですべてのマスを埋めていたのでは割が合わないのだ。
だからこそ、競争相手にとってもタイルを置くメリットを用意する必要がある。そうして局面局面で一時的な協力関係を築きながら、効率よくコマを獲得していく――それがこのゲームの勘所のひとつなのだろう。
「どうかな」「やらせん」「ってことは」
「むぅ」「よしゃ」「それっ」
気づけばオレたちは再びサムライというゲームに没頭していた。交わす言葉は少なく、断片的だった。その代わりに、一つ一つの手を通じて言葉よりも雄弁に語り合った。
タイルを置く、ただそれだけの行為に思いを、言葉を込めていく。伝わることもあれば、伝わらないこともあった。伝わった上で騎馬武者の逆襲を受けることもあったし、誤って伝わったことが波乱の展開に繋がることもあった。
女子同士の腹の探り合いみたいなコミュニケーションはどうしても好きになれないオレだが、盤上で口数少なく行われるこのやり取りには不思議と好感を抱いた。
少しでも長く遊んでいたい。もちろん勝負にも勝ちたい――そんなことを考え始めた矢先、ウタゲが九州にタイルを置いた。
「これで最後の仏像が春川君のところにいって、ゲーム終了だね」
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