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「すべて徒歩で行った場合、甘く見積もっても三日はかかる場所ですよ。いったいここまで何で来たんですか」


「ああ、確かに、鳥のカゴに乗ってきました。よく考えればあんまり歩いてないかも」


「鳥のカゴ?」


「なんちゃら関門まで荷物を受け取りに行くとても大きい鳥が、足で大きなカゴを掴んでいて、その中に乗ってきました」


シュンの話を聞いていたタオが、「ああ」と頷いた。


「カーサフロリア関門行きの空上貿易便のことでしょう。ハスカロニアの名物ですよ、乗ったんですか? すごいですね」


「マユリノを一望しながら撫でる犬は最高でした」


「しかし、ハスキア村からしか出ていないはずですが、村に寄ったんですか?」


「一緒にいた犬が、村まで行ってしまったので、まあ、流れで」


「犬は今は?」


「消えましたね」


「……?」


シュンの言葉を聞きながら、テオは「わけがわからない」という顔をするが、これ以上触れるのはやめようと頷いて会話を終わらせた。ケープを羽織って、先ほどまで肩にかけていた黄色い羽織ものを放って消す。部屋の中の蝋燭の灯りを全て消して蔵の外に出た。暗がりに目が慣れないシュンはテオに誘導されながら廊下まで出る。夜の王宮の廊下は、間隔をあけて足元に並べられた小さな提灯の仄かな灯りが優しい光で冷えた空気の中に滲み、あちこちで浮かんでいるように見えた。テオは大きな廊下に繋がる方向とは逆向きに続く廊下に行き、さらに東に行く。足音を立てないように慎重に歩くテオに合わせて、シュンも足音に気をつけて進んだ。夕方と変わらず、人の気配が全くない。


「とても静かですね。いつもこうですか?」


「もう少し声をひそめて。だいたいいつもこうです。南館で働いている人たちは、今日受理した案件の整理や明日の準備。王宮本館の人たちは西で会議。兵士たちも交代して、さっきまでいた人たちは帰路についているころでしょう。ただ、何かしらの宴があると一周回って地獄のように騒がしくなります。その数日間は、頭痛で寝付けません」


「結構神経質なんですね」


「それは、次の宴のときに実際に体験してから言ってください。招待状出しておきます」


「ええ……」


シュンが脱力した返事をしていると、テオが足を止めて廊下から飛び降りた。タオ一人分ほどはありそうな高さではあるが、提灯灯りで目を凝らす限り下には草が生い茂っている。シュンも奮起して飛び降りた。草の音がしないと思い足元をみると、そこには小さな木の船があるのが見えた。テオが黄色い花を五つほど散らして船の中に咲かせる。地面だと思っていた廊下の下は、水が流れていた。シュンは動揺して、後ろに立っているタオを見る。


「幻覚ですよ。わ~きれいなお庭~って言ってくれる人もいますし、何より不審者対策にはもってこいなので」


廊下から飛び降りて逃走しようとしていただけに、シュンは心が痛い。


「どのぐらい深いんですか?」


「さあ、分かりません。僕が王宮に来た時にはもうあったので。ただ、この下には地下室が王宮と同じほどの規模で存在するって聞きますし、そんなに深くはないのではないかと思いますよ」


船の淵に腰かけて、テオは水の中に手を入れて水をかき交ぜる。その手が描いてできた渦を掬い取るように手を水から出すと、手のひらに水晶玉のような丸い石が転がっていた。それをシュンに渡す。


「この場所を覚えて、明日の朝、ここで待っていてください。他の人に船は見えませんし、船に乗ると同じ効果で君も他の人の目につかなくなるので落ち着いてここに集合です。僕はこれから少し準備をして、明日の検診の後にここにくるので、それから出発しましょう。確か、山小屋の近くに川が通っていましたね。付近までこれで向かいます」


「……と、言いながらもどっちかが来なかったときは?」


テオが、シュンの手のひらに転がしたさっきの水晶に人差し指を向けると、乾いた音をたてながら徐々に亀裂が入り、水晶が二つに割れた。テオがそのうちの片方をつまみ上げる。


「これで呼びかけをします。君のは、僕に一度、僕のは君に一度、それぞれメッセージを送ることができるものなので、来ないなと思ったりもし場所を変えたら何かこれに向かって話しかけてください。何らかの事情でここに集合できない場合の対策はこれでできます。それに応答がなく来なかったということは、そういうことだと判断しましょう」


「分かりました。呼びに来いってことですね。朝が弱いんですか」


「……得意ではないです」


シュンのペースに流されたテオは、あきらめたように息を吐いて返事をした。半分に割った石を棚の中にしまって、手のひらについた小さな欠片を水の上ではらって落とす。割られたときにできた石の欠片が、提灯と月の光に輝きながら水の中に消えていった。シュンも石を棚にしまう。テオは立ち上がって廊下の上に紫色の花を送り、軽くその場で跳ねた。テオがいた場所に紫色の花が浮かび、見上げれば、廊下にテオが立っている。揺れる船に座り込んで落ちないように姿勢を低くしていたシュンは、目の前まで落ちてきた紫色の花をそっとつついた。小さな花火のようにはじけて、それは夜の暗がりに溶け込んでいく。


「それではまた明日、ここで落ち合いましょう」


「はい」


シュンが返事をすると、テオは軽くお辞儀をして黄色い粉に変わり消えた。


「え?」


何が起きたのかを理解することができないまま、シュンは棚を開いて時間を確認する。棚の端に転がっている半分に割れた透明な玉を見て、勢いよく寝転がった。船に当たる水のかすかな涼しい音と穏やかに揺れる船が、絶妙に心地いい。


「はー……ずっとこんな世界ならなあ……」


白い電灯が規則的に並んだ、ビルとビルの間に縫うように通るコンクリートの道に、間取りや部屋数が同じマンションがいくつも隣に乱立する世界。自分の社会的機能を監視、計測、評価されるばかりの世界。与えられるものは義務、得るものは必要不可欠なもの、持ちうるすべての情報を開示して社会が能力の有無を計測するのをただ待つことしか許されない社会。コマンド一つでそんな世界に戻ってしまうのだ。窓から小さく見えていた空がここまで大きく、自分を吸い込んでしまいそうに感じるものとはシュンは思ってもみなかった。「あーあ」と軽くため息をついて、視界に入る星々を数える。作り物であっても誰かの心を動かすものは、すばらしいものだと思った。


うたた寝をしそうになったシュンの視界に、狼の顔がうつりこむ。星を見ていたはずの目は、灰色の瞳と視線を交わしていた。


「こんな世界ってどんな世界?」


なまった日本語が頭上から降ってくる。シュンは体を起こして、廊下にしゃがんでいる相手を見た。狼のかぶりものを被っているだけで、首から下は人間だった。狼のいかつい顔のインパクトに比べると、体はかなり華奢である。急に話しかけられた衝撃はあるが、シュンはひとまず返事をした。


「きれいな景色が見える世界。きれいな景色をきれいと言ったり、ぼんやりしてても……それに意味を考えたりすることができる……ええと、余裕がある世界かな。うまく言えないけど。君は?」


狼が左右に首をゆらゆらと動かして「くふふ」と笑う。何度も首を傾げているような姿に、シュンは漠然とした焦燥感を覚えた。例えようのない違和感がこみ上げてくるのが分かる。


「行動次第で立場が変動する社会やな、多様性を認めてくれる世界って言ったら、通じるんやろか!」


「……!」


シュンが驚いて目を見開く。狼顔の後ろに青いつぼみがいくつも浮かび上がってきたのだ。鎖のようなブレスレットをつけた両手を、体の横で手のひらを上にして開くと、後ろの花が一斉に咲く。背後から射し込む青白い光を後ろに、狼頭は立ち上がった。


「ごめんやでえ、お兄さん」


楽しそうにそう言うと、狼頭は棚から棒を取り出し手首をしならせて回転させつつ何度か持ち直してシュンを見下ろす。両端を金属で留めているシュンのものと違って、狼頭の手にしている棒は少し長さが短い。おまけに、片方の先端には大きめの石がついていた。青色の透き通った石の中には星のようなきらめく屑が入っており、花の灯りでチカチカと瞬く。はじめて会う相手に武器と術式を向けるなど、攻撃する意識がないほうがおかしい。シュンは立ち上がり巾着に手を入れる。


ーーこれ多分、洸平が言ってたピーケーってやつだ。


「この船は他の人から見えないんじゃ?」


「そりゃあ、クルーに見えんだけや。プレイヤーが見えんかったら船に乗らなクエスト進められん人みんな詰むやんか」


「そっか……」


シュンは鶴を飛ばして廊下に移動した。狼頭は楽しそうに揺れる。指にはめている三つの指輪が、細い鎖でつながれていて手を動かす度に金属のぶつかる音がした。


「お兄さんがノリ良い人でよかったわ。最近よくここ来るねんけど、めっちゃクルーとかに警戒されとるらしくてめっちゃやりにくいねん」


「場所変えたらいいじゃん」


「ちゃうねんちゃうねん、初心者が傭兵になる前にちょっと覚えたスキルで工夫して応戦してくんのを見るんが楽しいねん。お兄さん知らんかな、これな、最初に覚える術、色に寄ってちゃうのももちろんやけど、人によっても違うこと習てんねんで。お兄さんがさっきやった移動のやつはじめてみたわ。おもろいなあ」


楽しくてたまらないと言いたげな声色でウキウキと話をする狼顔を見て、シュンは目を細める。明らかに手練れのプレイヤーである狼顔は、余裕でいっぱいのようすで棒をくるくると回した。洸平から話を聞いた時に感じたものよりはるかに手軽な娯楽として相手を襲う行為が浸透しており、そして実行にうつす人間がいることを実感する。相手の様子を見ながら慎重に棚から棒を取り出す。戦うことに前向きであるというわけではないが、持っていないよりはましだと判断したのだ。狼顔は含むように笑う。


「ちょっとでええねん、遊んでくれや」


囁くようにそう言って、狼顔は床を蹴った。素早く動き棒を回すと、シュンの背中を叩く。


「いっ……」


後ろに下がろうとしていたシュンは勢いよく前向きにバランスを崩して左足で踏ん張りそのままターンすると、狼顔と向き合うように飛躍して距離をとった。木の廊下が軋む。棒で体重を支えながらなんとか姿勢を保つ。鶴を四羽いっせいに放った。狼顔は笑いながら今度は走って殴りかかってくる。両手で棒を持つと狼顔の拳がそこに当たるようにしてなんとか避けていく。殴られた振動で手がじわじわと痛い。


ーー痺れる感じって聞いてたのに、なんか思ったより痛いぞ……。


ジンジンと熱い背中を気にしながらゆっくりと後ずさる。狼顔は楽しそうに跳ねながら後ろに下がり、腕を回して関節を鳴らした。狼顔が動くたびに青い花がぱちぱちと弾けて二人の間を花びらや粉が飛び交う。シュンは長く息を吐く。ここで負けて死んでしまった場合、自分がどうなるのかを考えるのが嫌だった。


ーーリスポーンされる場所が、小屋の近くとかだったらほんとうにほんとうにめんどくさい。


「……あのさあ」


うんざりした声色で、シュンは話しだす。狼顔は首を傾げて「どうした?」と言った。


「なんやもう疲れたんか? もうちょっと遊んでや」


「そうじゃなくてさ、なんていうのかな。タイミングを考えてくれない? 俺眠たいし、君結構やりこんでるでしょ、必死に戦う意味を感じないんだけど」


「なんでやなんでや、負けるん悔しくないん? 頑張れば勝てるかもしれんやん」


慌ててシュンをなだめだす狼顔。そこにはどこか馬鹿にしたような気配があり、シュンを勝たせる気など毛頭ないことが分かる。シュンは大きくため息を吐いた。棚から薬草水を取り出して啜る。相変わらずの悪臭に顔を歪ませた。


「勝たせる気ないでしょ。そもそも初心者狙う時点で絶対勝ちたいんじゃん」


空になったビンを狼顔の方に投げやる。霧散した粉が狼に降り注いでキラキラと光った。シュンは鶴を入れていた巾着を絞って棒に体重を預ける。


「で、なんで顔隠してんの? もしかしてキャラメイクミスった?」


大きなローブを着ており服装が全く分からないうえに顔まで隠されているとなると、いざシュンがある程度戦えるようになったときに報復することができない。挑発するようににやにやしながらそう言うと、狼頭が舌打ちをするのが聞こえた。青い花が弾けて飛んできた液体が矢のように鋭くなってシュンの頬を掠める。左ほほが擦りむいたときのようにひりひりと痛むのを感じて、シュンは棒を握りなおした。頬に手をやるとそこがしっとり濡れている。狼頭が左手の上に黄色い花を咲かせた。


「ほんま、遊びたかっただけやのになあ」


シュンを笑うように棒を掲げると、それを振り下ろす。棒の先についている石が目を焼く勢いで発光してどこからともなく柱のような水が降り注ぎ、シュンと狼頭の間に立ち並ぶ。それに向かって狼頭が右手を横にし空を切ると、柱がぐにゃりと歪んでシュンの周りを囲み檻のように変形した。シュンは水で出来た鳥かごの中で呆然と立ったまま狼頭と檻を交互に見る。上のあたりでとどまっている水がときどきぽたぽたと垂れてシュンの髪を濡らしていく。


「すご……」


思わずつぶやいたシュンの声が聞こえたのか、狼頭は自慢げに鼻を鳴らすとそのまま指輪だらけの手をシュンに向ける。黄色い石がついたそれは、バチバチと音をたてながら火花をあげているのが見えた。シュンに見せびらかすように電気をちらつかせて、狼頭は檻に手を近付ける。シュンは慌てて地面を蹴った。空気中を走る黄色い光が水の檻を勢いよく駆けめぐって空気が弾ける音ともに視界をちらつくまぶしさに目を細める。シュンは狼頭の頭上にいた鶴を狙って移動し、さらに天井を蹴り狼頭の後ろに飛んでいたもう一羽の場所までワープした。シュンが消えたのを見ていた狼頭は棒で迎撃し棒で殴り合う。石がついていない方の先で腹を突かれたシュンは後ろに飛ばされバランスを崩し片膝をつくが、そのまま勢いをつけて棒を振り回し狼頭を狙う。重くせわしない靴音と廊下の木が軋む音、金属どうしがぶつかる鈍い音と、二人の激しい吐息が王宮の廊下に充満していく。シュンは棒を振って後ろに体の重心を倒すと、浮いた方の足で狼頭の足をすくう。


「オワ!?」


裏返った声でそう叫んだ狼頭はふらついて体のバランスを崩す。足が地面から離れる瞬間を狙って、シュンは棒を投げ捨てそのまま狼頭の懐に飛び込み指輪に力をこめる。狼頭が吹き飛んでいくのを頭の中で思い浮かべながら、腹部を狙って思いきり殴った。



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