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「……」
すっきりしない表情のまま、テオはクロのような少女に手を差し出し、手のひらを見る。そこには、大きなひび割れができているのが見えた。それこそ、少しの衝撃で手のひらが粉砕してしまうのではないかと不安になるほどのものである。シュンが息をのむのが分かったのか、テオは黄色い花を少女の手の平で咲かせてからシュンを横目で見た。
「彼女は、現国王である宗善国王の娘、宗琳姫君の、二人目の二人目です。はじめてうまれた二人目は、僕の力不足で早くに亡くしてしまいました。実にふがいない。彼女も全身にひび割れがきているので、こうして検診をしながら余命を計算し、出来る限りの対処をしているんです」
「……でも、治せないんですよね?」
「そうです。なので、残り生存可能な時間が終わるまでにより精度の高い新たな二人目を召喚します」
「……」
シュンは唖然としたまま言葉が出なかった。なにも言わないシュンを確認して、テオは宗琳の二人目の状態を確認していく。膝、腕、足先、首。あらゆるところが使い古された陶器の食器のようなヒビが染み出ていた。あちこちがあかく腫れており、痛いなり痒いなりしそうだとシュンは背中に寒気のような違和感を察する。クロが王宮を嫌がった理由が、シュンにははっきり理解できた。ヒビに植え込むように黄色い花を咲かせていたテオが、首の後ろに手をやった。
「そろそろ厳しいですね。できるだけ移動を避けて、穏やかに過ごすようにしてください」
「はあーい」
元気に返事をした亜麻色の髪の少女が、黒い髪の二人目を連れて蔵を出ていく。おぼつかない足取りで歩いていた二人目は、幕をくぐる直前にシュンを一瞥して出ていった。幕の揺れが収まってからテオは深く息をついて胡坐をかきなおす。状況についていけないシュンが、混乱気味な眼差しをテオに向けた。テオは指を組む。
「僕が王宮の専属サマナーなのは、知っているんでしたっけ」
「軽く聞いたことがある程度なら」
「十分です。こうなるきっかけは、傭兵認定試験を受けた僕の潜在能力が前例にないほど高いという噂を聞きつけた、宗善国王様に呼び出されたことにあります。そこから、ある人物の二人目を作り続けてほしいと頼まれました。それが、彼女だったんです。
当時マユリノは、元国王が二人目の研究をしていることが明らかになって国中が揺れていました。デマも多く出回っていましたね。実は王族は全員偽物で、王宮、そして国全体を、元国王がつくった人形が乗っ取ろうとしているのだという話が何故か強い支持を受けてしまい、元国王は弁明の余地なく王位を下りたんです。不穏な空気はそれで一旦おさまったのですが、今度は元国王を指示する派閥が現れて、二人目の術の良さをあちこちにあることないこと吹き込みました。ただ、元国王は研究の末に術に手を出したのであって、決して術の良さに惹かれていたわけではないので本当に元国王を支持しているから声を上げた、というよりは、術に惹かれてしまった人たちが、禁術にされた術を解放してほしいという声明の信憑性をかさましするために元国王の名前を勝手に使っているってだけなんでしょうけど。他にもまあいろいろな考えの人たちがマユリノを分断して、国のあちこちで動乱が起きるようになって、それこそ今も警戒状態ですが、王宮深部に侵入して暗殺を企てる人が少なくありませんでした。過激な思考は判断を鈍らせるだけで愚かですが、いくら愚かだからと言ってもそういう人々に狙われている側は警戒せざるを得ません。国王が僕に姫君の二人目を作るよう依頼したのには、そういう背景があります」
テオは自分の棚を開いて拳程の大きさの平たい長方形をした緑色の固体を掴み取ると、それを手で一口サイズに割って口の中に放り込む。ぱきぱきと薄い氷を割るような音を聞いて、シュンが不思議そうな顔をしていたのかテオはさらに小さく割った欠片をシュンに渡した。黄色い亀裂の模様が、透き通った薄緑の中にいくつも見える。テオと石のように固く冷たいそれを交互に見て、シュンは恐る恐る口の中に入れた。しゅわりと泡が弾けるような感覚とともに、そっと歯を立てるとしゃりしゃりと簡単に砕けていく。そしてその奥から迫ってくる、むせかえるような青臭さ。
「オッエ!」
「それは、君が飲んだ水をより凝縮して固めたものですよ。あんな小さな水を、術を使う度にがぶがぶ飲んでいたらお腹の中が水でタプタプになってしまうので食べる形に変えたんです」
「へ、へえ……すごいですね」
なんとか飲み込んで頷き返す。テオが食べているよりもずっと小さな欠片だが、ビン二本分の薬草水を正確にフラッシュバックさせるほどの強烈な風味だった。棚からアメを取り出して一つをテオに渡す。包みの中の丸い石ようなそれが持つ甘い味で、口の中をごまかした。テオは不思議そうにアメを見た後、「ありがとうございます」と手元に転がす。シュンは気を取り直してテオに向き直った。
「今も、作っているんですか?」
「姫君の二人目ですか? 作っています。姫が作りものであることが広まればまた人々は揺れてしまうので、できるだけ姫が全くいない期間を作らないようにしなければいけないんです」
「タオは、じゃあどういういきさつだったんですか」
「彼は……」
テオは目を伏せて少し考える。悩むような顔からは、人間味のようなものを感じるとシュンはなんとなく思いながらテオが話すのを待った。蝋燭うちのひとつが、蝋が溶けきり燃え尽きてしまう。部屋の隅に暗がりが増したのを横目で見てから、テオは苦いものを食べた子どものように顔を歪めて小さな声で話し出す。薬草水でも薬草石でも眉一つ動かさなかったテオが、形容し難い表情でシュンを見て、手元を見た。
「……話ができるかと思ったんです。友人として」
「は……え?」
「仲のいい友人がいました。ともにヨルカから渡ってきた仲間で、幼い頃からの付き合いだったんです。二人ともとても優秀で、僕ははっきり言って取り残されていました。いくら努力しても、天賦の才にはかなわないことというのはたくさんあるし、磨いても才能として実にならないものはたくさんあるということを理解しながら、僕は必死で召喚術を学びました。マユリノに渡ってきてすぐに二人は試験を受けましたが、僕だけ時期をずらして受けたんです。手に馴染ませるのに、時間がかかると思ったので」
「……」
『事情を知らない人間も、天才のテオ、秀才のジンカイとか言ってジンカイをもてはやしてんだ。天才っつーのは、褒め言葉で使われてるって感じじゃあないわな』
クロの言葉を思い出して、シュンは違和感を抱きながらも黙って話の続きを聞く。
「晴れて僕が試験に受かり、サマナーを傭兵職をする兵士になれた矢先に、さっきも言った通り引き抜きがありました。王宮専属の術師になった場合、奪還戦争参加も勿論、国中に派遣されて救助活動や疫病にかんする調査を行うこともできません。友人たちと奪還戦争に参加することが一つの目的ではありましたが、所属国の申請を受けたうえで傭兵職を変えたいという希望にも応えてくれた国の王に逆らうという不義理な行為をとることも出来ず、王宮に入ったんです。その後の暴動で、僕は元国王の陰謀の片棒を担ぐ怪しげな極東の島人として囁かれて、結果彼らとは絶縁といいますか、互いに交友関係をなかったことにしたんです」
「んな、小さい子どものゼッコウみたいな……」
テオは薄く笑う。
「幼稚でしょう。自分でもわかります。でも、互いに確執を作ることで、今やるべきことに余念がなくなると思ったんです」
「思った、って……」
「信頼し苦楽を共にした友に、売国奴などと噂され白い目で見られることが、こんなに苦痛であるとは思いませんでした。彼らとは距離を置き見かけることもなくなりましたが、頭の中からは離れないんです。夢にも苦しめられ、「先生」であるはずの僕にも医師がついていたこともありました。もちろん彼らが本心で言っているのか、噂をすべて信じているのかはわかりません。人々の心をつかむために仕方なくかもしれない。ただ、どうであろうと僕のこれまでの記憶にいる楽しげな彼らを消し去らなければと必死になっていました」
香の煙が、テオのつくため息でふっと消えて、またふわりと天井を目指した。
「思いつめてしまっているという自覚も、かすかにですがあったんです。もともと優柔不断な性分なので、誰かに相談しなければ判断できないとも思っていましたし。まあ、数少ない友人と縁を切ったことで悩んでいるので話せる人などいないのですが……。それでぼんやりと生きている中で姫君の二人目の研究の片手間、魔が差して、必要物を集めて術式を組みなおして記憶を共有しないよう手を加えたもので、自分の二人目の召喚に手を出しました。どれだけ僕が膨大な魔力を持っていようと、どれだけ適正値が高かろうと、そして、二人目という異形の存在を生み出し続けていようとも、僕自身なら、受け止めてくれるのではないかと、期待してしまったんです」
テオは指を組んで、もう一度組みなおす。
「術紙の上で眠る彼は、想像以上に幼くて、自分がやってしまったことをようやくそこで理解しました。二人目の召喚術は、完成していないというのもあって、眷属たちのように契約を解除したりその場で棚におさめたりすることはできません。王宮に連れて帰るわけにもいかず、大きな木の傍に寝かせてセラピー効果のある術をかけた後に王宮に帰還しました。監視として眷属を控えさせていましたが、ある日から誰かと一緒に眠っていたのでそれからは……」
テオはふとシュンを見た。
「木の根元で、寝ていましたか?」
「まあ、なりゆきで」
「君でしたか」
話をしながら暗い表情になっていくテオの顔がやや安心したようにほころぶ。本当ならテオも、タオのように表情が豊かだったのかもしれないとシュンは何となく思った。ここでテオを責めるのもおかしな話だと、シュンは首を回す。くるりと天井を仰ぎ見てからテオに目を戻した。
「トマトって好きですか?」
「え?」
テオは目を丸くしたまま頷く。
「ブドウは?」
「好きです……あの」
シュンは勢いよく立ち上がった。驚いてシュンを見上げるテオの顔は、タオによく似ていた。
「会いに行きませんか」
「と、いうのは……」
「タオです。起きてるかは分からないけど、話していたいとは思いません? あわよくば、傷口を解析して対策を見つけてくれたらいいなあとか、別に思っていないので」
「欲望が筒抜けですよ。話をしたいかどうかはさておき、会いに行くわけにはいきません」
「会いたくないんですか?」
「そういうわけではありませんが……」
シュンは勢いだけで立ち上がったため、座ろうにも座れずやり場のない姿勢のまま「じゃあいいじゃん」と呟く。
「何がだめなんですか? 夜出歩くのが怖いとかですか? それとも俺が拉致の実行犯に思えて心配とか?」
「本気で言ってます?」
「半分ぐらいは」
「……そうですか。僕が気にしているのは、二人目本人の気持ちです。言ってしまえば他人の勝手で生み出されて痛い思いをすることになっているのに、その原因の張本人がいまさらのこのこ会いに来たっていい気はしませんよ」
シュンは、クロに使いパシリにされて頬を膨らませたり、こき使われて口をへの字にまげて拗ねたりするタオを思い浮かべて首を傾げる。
「まあ、多少はプンプンするかもしれないけど、そんなややこしい人間じゃないと思います」
「プンプン……?」とシュンの言葉を復唱してからテオは、顔をしかめた。
「僕はややこしいですか」
「ややこしめですね。どう思うかなんてタオにしか分からないんだし、行ってから考えましょう。そこで、クソッタレとか言われたら、まあ、ここに戻ってくればいいんだし」
表情を変えずに話すシュンを見て、テオは訝しげなまなざしを向ける。
「僕のことを考えて言ってくれているように話していますが、実際はそうでもなさそうですね。よく分からない人です。君もマユリノ所属の傭兵ですか?」
「認定試験を受けて傭兵になりたいだけの一般人です。それじゃ、行きましょう。友人の家にちょっとお泊りしに行くだけなんてよくある話ですから。さ、書き置きを残して」
「妙に行動的になりましたね……書き置きだと少し失礼ですし誰かを呼んで……」
「書き置きでいいんですよ。いろいろ聞かれたらめんどくさいし、誰かに後をつけられたら俺が困るんです」
「困る? なぜ?」
「なぜでしょう」
「……」
面倒くさそうに眉を寄せて、テオは棚を開く。採集器具や皿に入った薬、大量の木箱に山積みの薬草など、クロの棚の中とは違った雰囲気のもので詰まっていた。その中に、部屋中に散らばった術紙を詰め込んで片付けていく。近くの白い紙の山から一枚引っぱりだしてペンを手に取った。
「悩んでます? 旅に出ます、とかどうですか」
「友人の家にお泊りするのとはまた随分与える衝撃のジャンルが変わってきますよ。すぐ戻ります、とかでいいですかね。ちなみに山小屋というのはどのあたりにあるんですか」
「テオさんがタオを置いた場所の近くの崖を下りたところです。すぐそこですよ」
「へえ?」
シュンの言葉に、テオが棚をしまう。右手の親指につけている指輪を撫でて手を離すと、そこから大きなケープが現れた。黒いそれは、テオの着ている服と雰囲気が異なる。
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