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「はっ」


釈然としない顔で兵たちが去っていくのを見て、床に放置されたシュンは呆然としながら何がおきたのかを思い出す。ゆっくり深呼吸をすると、息が落ち着いてきた。乱れた髪を手でくしけずって雑に整えると、遠慮がちに青年を見る。シュンより背の高いその人物は、確かにタオによく似た顔で面影はあるが、雰囲気が全く違っていた。トマトを掴んで笑ったり、見つけた石に目を輝かせたりするようには見えない。廊下を渡って歩いてくると、青年はシュンの隣にかがんだ。兵に一瞬向けた笑顔は嘘のように消えている。


「魔力を速攻で補給できるものは?」


「そっこう……」


シュンはぼんやりとする頭のままで棚を開く。青年は紐でくくられた細長いビンを二本つまんでシュンに渡した。


「たくさんあるじゃないですか。飲めばこうはならないものを」


「これが、補給の」


「知らなかったんですね。栓も抜いておきますよ」


淡々と話して、ビンの栓を引き抜くと、シュンの手にそれを握らせる。ゆっくり口をつけると、生臭いにおいで思わずむせた。


「っげほ……ぐっ、おえっ」


草を直接食べた方がいいのではと思う程のにおいが、鼻と腹の奥に強烈にアプローチしてくる。口の中に入れるのは絶望的だとシュンが息をのんでいると、青年がシュンの口にビンを押し込んだ。


「!?!??!」


「飲めば慣れます。飲みきったらもう一本も渡しますから」


平然と話す青年に、シュンは顔をしかめて視線で訴えるが、口の中にいる強烈な苦味でそれどころではなくなった。慌てて飲み込み息を吸うが、吐く息が薬草水と同じにおいで鼻がねじれそうになる。空になったビンをシュンからつまみ上げると、青年はそこに新しいもう一本を何でもないようにさしこんできた。今度は押し込まれる前に、ちびちびと喉に流す。ひどく臭く癖があるが、胃の奥からせりあがってくる感覚はない。空になった二本のビンを回収して青年がその場に放ると、その場で粉になって弾けて消える。


廊下にある柱にもたれていたシュンは首を回して関節を鳴らすと、大きく伸びをして息をついた。青臭いかと慎重にはいたが、特ににおいは残っていない。訝し気な目で隣にしゃがんでいる青年を睨んだ。憎らしいほどにタオそっくりである。


「激マズなものを覚悟なしにつっこむのやめてもらっていいですか」


「仮にも助けてもらった相手に、開口一番に悪口ですか?」


「……すみません。ありがとうございました」


「まあ憎まれ口を叩けるのも、元気な証拠です。ある程度は回復しましたね。歩けますか? こっちへ来てください。話があります」


「……はい」


ーー日誌……。


シュンはゆっくりと立ち上がって青年についていきながら空を横目で見る。暗い空は、一層深みが増してきており、遠目には星が瞬いているのも見えた。騒ぎを起こしてしまった手前、もう正面から北館を目指すことは難しい。


ーー……どうしよう。


頭を抱えたい気持ちのまま、シュンは大きな蔵の中に案内される。小さな蝋燭が点々と置いてあるだけのその部屋は、術式が書かれた紙が散乱しておりつま先立ちで歩かなければならないのではと思うほどに足の踏み場がない。大小さまざまなそれらの紙を踏まないように恐る恐る進んでいると、部屋の中心にあるクッションに腰かけた青年がシュンを近くに転がっている他のクッションに座るよう手で促した。胡坐をかく青年にあわせて胡坐をかくシュンが落ち着くのを待って、青年は話しだす。


「タオって誰のことですか?」


「……さあ」


特に隠す理由もないが、なぜか咄嗟に白を切った。シュンの返事に片方の眉をあげると、青年は俯く。薄いまぶたが蝋燭の朧げな灯りを吸い込み、いっそう儚さが増している。青年は話を変えた。


「はじめまして、僕はテオ。君はどこから来たんですか?」


「俺はシュン、山小屋からはるばる来ました」


「……」


シュンの妙にへそを曲げたような態度に、テオはやりにくそうに眉を寄せる。黙ってそばの木箱を引き寄せて中からすり鉢を取り出し草をすりはじめた。ゴリゴリという音だけが部屋の中に滲む。シュンは、困ったようにひたすら草をすりつぶすテオを見ながら、国一番のサマナーといる今の状況が少し楽しくなってきた。


『この国所属のサマナーの中で、一番優秀な人物だ。特に適正色の術であいつの右に出るやつはいないともっぱらの噂だな。王宮の専属技師として推薦を受けてからは、王宮で暮らしている。ま、人によってはそいつのことを「天才」とかって言ったりはするわな。名前はテオ、無口な男だ。確かジンカイと同じでヨルカ出身で、呪術適正も爆裂に高かったはずだ』


クロが言っていたテオの話の通り、口下手なのか何も話さずに俯いてすり鉢に向かったまま変化がない。シュンは思い切って「あの」と話し出した。禁忌を犯して二人目を作ったのが本当に目の前の人物なら、元国王の日誌よりも大きな収穫があるかもしれない。顔を上げたテオに、シュンは口を開く。


「呪術って、まだ使えるんですか」


「……使うなって言われてるので、どうしても使わなければいけない状況以外は使いません。使えることは使えますけど」


「それは、国に?」


「そうです。どっちの国もそうですけど、強いて言うならヨルカの方が秘密主義なので圧力は強いですね」


「ふうん」


テオは、シュンの意図が分からないと言いたげに手を止めてシュンを見た。左腕についている太い二本のブレスレットがぶつかり合って、軽い音が鳴る。シュンは唇をなめてからタオを見返す。


「呪術は使わないようにちゃんと禁止されたのを守ってるのに、なんで二人目を作ってしまったんですか」


テオはゆっくりと頷いた。


「……知っているんですね。じゃあ、タオというのは」


「多分そうですよ。顔が同じなんで」


シュンの言葉に、テオはどこか安堵したような表情を浮かべる。すり鉢を脇に置いて、まっすぐシュンを見た。


「今は、どうしてますか?」


「寝込んでます。二人目あるあるらしいんですけど、何か知りませんか」


「あるある……? 体調に異変があったんですか?」


「ひびが入って、とてもよく寝るようになりました。今は、進行を遅らせる術とかいうのでひび割れの速度を抑えてるらしいんですけど、今後どうなるのか分かんないので対処法を探してます」


シュンの言葉に、テオは大きく目を見開いてシュンの方へ乗り出す。風で蝋燭の火が揺れた。予想以上の大きな反応に、シュンも驚いて背筋を伸ばす。ひび割れ現象のことは、やはり知っているらしい。


「北館へ向かう道で捕まったということは、棲龍館へ? ……元国王の日誌ですか」


「そうです。知ってるんですね」


「もちろんです。元国王は人の召喚の第一人者なので。関係書類は一通り目を通していますが、二人目が亡くなってしまったのは残念ですね。君こそ、なぜ王宮の図書館に管理されている禁書のことを知っているんです。まさか、最近噂の反乱軍の生き残りではないでしょうね」


「反乱軍? 何のですか」


「いえ、知らないのならいいです」


「それってなんかスパイとかなんとかってやつですか?」


「……そう、呼んでいる人も、いますね」


マイペースに会話をすすめるシュンに、テオはたじたじになりながら片方の足を立てそこに肘を乗せた。すり鉢の中で粉々になった乾燥した草を小さな白い皿の中に移して、人差し指の先でそこに火をつける。皿を持ち上げて、赤くなりじわじわと熱されていた粉にふっと優しく息を吹きかけた。火が消えて、ただ煙だけが広い部屋の中を縫うように泳いだ。


「匂いが気になったら言ってください。ただの香りものなので、害はないと思いますが」


「大丈夫です。薬草の水は、世界が終わるかと思いましたし、あれに比べれば何でも平気です」


「そうですか」


白い煙と戯れるテオは、シュンよりもはるかに大人びていた。顔は同じだが、タオの面影を感じない。テオは、膝に乗せた方の手で髪をいじる。川の水が太陽の光を反射してできる光の筋のようなそれは、ふれると消えてしまいそうだった。


「元国王の日誌は、手に入れるだけ無駄足ですよ」


呟くテオに、シュンは首を傾げる。


「なぜですか」


「二人目の崩壊は、防ぐことができないからです。いわば、召喚術の穴というものです。サマナーが使う術式は、はじめからすべて存在していたわけではありません。過去の多くの召喚術師が、失敗と研究を重ねた努力の結果生まれた歴史的遺物なんです。虫や動物たちの術式を完成させるのにも多くの命が犠牲になってきました。小さな生き物ですら幾度となく試行錯誤され、その上で出来上がっているのに、人間が一度組まれた術で完全に召喚できるはずがないんですよ」


「元国王の術式には、何らかの欠陥があったってことですか」


「そういうことです。これも、能力不足や計算を間違えているということではなく、新しい術には不可欠な工程であっただけのこと。ただ、二人目を召喚する術を完成させるためにこれから先いったい何人の自分、何人の二人目が死ぬことになるのかということを考えて、元国王は三人目の二人目が死んだとき、術自体を禁忌としました。犠牲と、それによって得られる術の需要がかみ合っていないというお考えです」


「その考え方に反対だから、二人目を作ったということですか?」


「いえ、僕は元国王の考え方に賛成派です。行動が伴っていませんが……」


シュンは首を傾げる。


「なんでタオを作ったんですか。自分であれば術式を完成させられると思ったとか、そういう感じなんですか」


「ただの過信で仮にも人を殺してしまうことになるものに手など出しません」


「ならどういう理由で人を殺すことに手を出したんですか?」


「……」


「……」


テオは黙る。シュンはテオに顔をしかめた。


「タオは、目が覚めたら一人だった、って言ってました。召喚したのに、すぐに捨てたんですか。それって、ひどすぎません?」


「それは……」


「あれえ? 話し声が聞こえるなんて珍しいじゃあないですか~。先生、入ってもよろしいですかね~」


テオが俯いたまま何かを言おうとしたとき、蔵の入口の布から一人の少女が顔を覗かせる。亜麻色の透き通った髪が、耳よりやや上の位置で左右に団子結びされているのを見て、シュンは「あれ」と呟いた。テオが入っていいと言うかどうかは関係ないのか、少女は「お邪魔しますよ~」と言いながら部屋の中に入って来る。シュンが身構える間もなく、よく知っている顔がゆっくりと歩いて蔵の中に入ってきた。シュンは硬直したまま思わずつぶやく。


「クロ……?」


シュンの声に反応して、黒髪を左右で団子に結んだ、黒いタイトなワンピースを身にまとった少女は虚ろな目でシュンを見る。その表情の乏しさは、シュンの知っているクロではない。


「誰?」


「えっ、と……」


戸惑ってテオに目をやるシュンに、亜麻色の少女が「おやおや?」と言いながらシュンに近づいた。尖った口先をほころばせてにやりと笑うと、テオの方を見る。


「先生、この人には目隠しした方がいいですかね~?」


「結構です。全く、話し声が聞こえて客がいることが分かっても気にせず入って来るその図太さは、逆に尊敬しますよ」


「ウハハ、尊敬ですって姫さま。照れちゃいますねえ」


喜んでいるのかテオのことをからかっているのか分からない返事で楽しそうに笑う少女は、クロらしき人物にテオのもとまで行くよう手で促している。シュンは焦る気落ちをなんとか落ち着けて、クロの話を振り返った。


『淡い髪をだんごに結んだ半目の女を見たら、できるだけ近づくな。いいことはないぞ』


目の前でシュンをまじまじと見ている少女を見る。


ーー淡い髪、団子、半目……。


「アウトじゃん……」


つい口を滑らせて怪訝な顔を向けられる。眠たげに開かれたとろけるようなエメラルドグリーンの瞳は、全てを見抜くような鋭さをまとい吸い込まれてしまいそうだとシュンは思った。尖った口先は滑らかに弧を描く。その目は、笑っているようで笑っていない。


「なあにがアウトなんです~?」


「いや……」


長い袖から手を覗かせると、少女はそっとシュンの肩に手を置いて耳元に口を近づける。白い指先がシュンの黒い服に映える。


「ここまで来れたのは、誰のおかげだと思ってるんです?」


囁くようにそう言うと、きょとんとしたままのシュンを見てぺろりと舌なめずりをした。王宮に来る前に寄った村での老爺の言葉を思い出す。


『昨夜、あまりに月が綺麗でな、庭に出ておったんじゃ。そしたら、可愛らしいお嬢さんが庭先に立っておって、近いうち弟がこの村を通るかもしれんから困っているようならどうか助けてやってくれって言ってきたんだよ。儂が何か言う前に幻のように消えてな、そう、それで、王宮を目指しているからと言っておったよ。お前さん、いいお姉さんがおるんじゃな』


ーーま、まさか……。


シュンはゆっくり少女を指さす。


「お、お姉さん……?」


目の前にいる少女はどちらかといえば「妹」だが、満足気に笑ってテオの近くへ歩いていく。テオが不審げな顔でシュンと少女を交互に見る。


「は……?」


訳が分からないのはこっちもおなじだという気持ちでシュンは首を振って「こっちの話です」と適当にごまかした。




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