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ーー俺は出稼ぎから帰ってきた村民、俺は出稼ぎから帰ってきただけの村民……。


猫背を正してすたすたと歩きながらクロを探す。家々の中から灯りはもれているものの、誰一人として外を歩いていない。そろそろ太陽がのぼりきる時間だ。さすがのシュンも異様な雰囲気を感じとる。巾着の中の鶴を三羽ほど左の指に挟んで、恐る恐る村の中を進んだ。綺麗に管理された花壇の花は咲き、玄関の扉に花を逆さにつるしている家、誰かが飼っているであろうヤギが道で足を折って日向ぼっこをしているようす、繊細な装飾が施されたランプの外灯。どこを見ても、理性を失って周囲を攻撃する者がいるような村とは思えない。シュンは警戒しすぎたのかもしれないと思い、のんびり村内を散策した。


「クロー、クロ―」


呼びかける気があるのか怪しいレベルの緩い声を上げながら、ゆっくり家々の間を散歩する。赤い屋根の平たい家の群れを抜けると、無人の店や大きな広場がある場所に出た。果物が並んでいる棚が二段あるカウンターと、上には貧相なテントが張られているだけでそこにも人はいない。


「……」


村には確かに人がいる。しかし、全員家の中で息をひそめているのだ。シュンは手を下から上にスライドさせて窯を取り出し、その中に道中拾った石を全て投げ込みながらぼんやりと考える。


ーー確かに近くの広場に結構昔の死体はあったけど、村の中はきれいだから襲われてますって感じはしないから変な感じだ……。何かから隠れているにしても、その何かがいる感じがしないし。疫病になった人とか動物から隠れているわけじゃなかったら、何におびえているのか全然分からない……。


自分の棚を開いて、窯が生成する石がころころと転がっていくのをじっと見つめていた。王宮に行かなければならないことも、クロを探さなければいけないことも、忘れたわけではない。緑、赤、赤、黄色、紫、白、黄色、白……。


ーーこうやってのんびり自堕落に生きているから、なりゆきで「大卒」になっちゃうんだろうなあ。ゲームの世界でも一緒か……。


はあ、とため息をつく。そこにはとくに悩んでいるような色は含まれていない。棚に石が転がって来なくなったのを見て窯をしまう。村の真ん中にある大きな煙突からはいまだに煙が上がっているのを見て、ゆっくりと足を進めた。煙の臭いにまじって、かすかに甘い、焦げたようなにおいが鼻をかすめる。左手に握っている鶴の数を確認して、シュンは慎重に建物に近づく。大きな煙突がついたそこは、誰かの家というわけではなく集会場のようなものらしく門が解放されていた。石畳を進むと、木でできた扉に犬が引掻いたような跡が小さくついているのが目に入る。クロのものだとしたら、誰かがこの扉をクロのために開いたということになる。ごくりと息をのんでシュンは扉に耳を近づけた。鶴を持つ手に汗がにじむ。


「……」


中からは人のうめき声のようなものと、必死になにかを読み上げる声、すすり泣く音が聞こえてきた。ただならぬ空気にシュンはノックをしないでゆっくりと扉を開く。鍵はついていたがかかっていなかった。


「うっ……」


扉を開けた途端、たちこめる甘いような苦いような悪臭にめまいがする。しかしその目の前に広がる光景は、悪臭すら忘れるほどの強いインパクトを持っていた。シュンは黙って立ちすくみ、後ろ手に扉をしめる。建物の中は、高い天井の大広間が一つあるだけの開けた場所で、一番奥の煙突に繋がる暖炉らしき空間には、シュンの身長の二倍ほどもある長い槍らしきものが刺さっていた。熱されているのかオレンジ色に変色しているように見える。そこに、人が刺さっていた。可愛らしいワンピースをきた少女だった。


「なっ、なんで……」


信じられない気持ちで、シュンは思わずつぶやく。建物の中にいた人たちはシュンの声に気付いて振り向くが、全員理性を失ったようには見えない。むしろ、ただ茫然と泣きはらした顔でシュンを見ている。


「村の外の人か」


空気そのものを揺るがすような強い声が、建物の中に響き渡った。シュンは思わず肩をすくめる。この場で部外者は、シュンだけだ。シュンは声が聞こえた暖炉の方を見ると、シュンのことを振り返っていた人々が横にはけて道をつくり、一人の白い服を着た小柄な老爺がゆっくりと歩いてくる。その手には分厚い一冊の本と、なぜかクロがいた。


「は、い。あの、すみません、邪魔するつもりじゃなくて。その犬を、探してたんですけど……」


威圧感に負け、たどたどしく話すシュンの言葉に老爺は表情を変えずにフムフムと頷く。


「なぜ、と言ったな」


シュンの言葉を聞いていなかったかのように、老爺は話を続けた。シュンはもう一度暖炉に目をやって、うめく少女の痛々しさにうつむく。


「……はい。あの女の子を、どうするんですか」


「おぬしには、まだ人間に見えるのか? 熱された串に刺されてもなお、大暴れしているアレを見て、女の子と言えるのか」


老爺の言葉にハッとする。思わず顔をあげて老爺を見たシュンの表情に、ゆっくりと老爺は頷いた。


「優しい人よ、彼女の魂が温かな場所に還れるよう、ともに祈っておやり」


優しい声色でそう言って、老爺はそのまま暖炉のもとまで歩いて戻る。開いた本の文字を歌うように読み上げて、それに続いて他の人々も声を嗚咽まじりの声を上げて祈りをささげる。シュンはただ、黙って俯くことしかできなかった。野生動物が威嚇しているかのような少女の苦しむ声は次第に静かになっていき、黒く赤黒く変色した小さな体が槍に刺さったままぐたりと揺れて息絶えた。


老爺が読み上げるのをやめたと同時に、一人の女性が悲鳴を上げながら暖炉までかけより、血が滴る槍にすがりついて大きな声で泣き叫んだ。ともに祈っていた人々はそれに連鎖して泣き崩れる。シュンはただただ呆然としていると、老爺が建物の脇にある扉のそばでシュンに向かって手招きをしていた。操られているかのような頼りない足取りで老爺のもとまで歩く。響く泣き声に背を向けると、酷い罪悪感でまた胸が痛んだ。


古びた木の扉の中に入ると、そこはちいさな机と椅子が二脚あるだけの小さな部屋だった。椅子に腰かけると、老爺はシュンに向かいに座るよう促した。皺が寄った痩せた手をくるりと回して、あたたかい茶をシュンに渡す。淡い緑色に反射的に驚くが、香りは緑茶に似ていた。シュンが湯呑を両手で掴んでフーッと息を吐くと、湯気が緊張した顔をあたためる。老爺はぽつりと話し出した。


「びっくりしたろうな」


先ほどの大きな声とは打ってかわって穏やかな声色がシュンの鼓膜を癒す。茶をすすって口の中を潤すと、ほろ苦いどこか懐かしい味がした。


「……あの子は」


「世界の魔力バランスが崩れて起きた、ひずみの結果じゃ。お偉いさんたちはみんな疫病と呼んどるらしいが、治せん病は病じゃなかろうて、ここではそう呼ばんことになったんじゃ」


「魔力って、石が持っている力のことですか?」


「そうさな、それも魔力だ。お前さんがここまで歩いてくるまで、体力を使っただろう? それも、魔力の一つなんじゃよ。世界に存在するエネルギーの全て、生きとし生けるものは皆魔力によって支えられとる。木々も、水も、虫も、鳥も、我々人間も、所有している魔力を調節して使いながら日々の生活を営んでいるんだよ。呼び方に違いはあれど、世界中の国々が魔力によって進歩してきた。それに頼りすぎた結果、北の国で大きな事件が起きてな、空気中の魔力のバランスが酷く不安定になった。ひずみが知られるようになったのはそれからじゃ。人がかかれば、持っている魔力を全て消費しきるまで際限なく暴走し周囲を襲う。先の短いおいぼれがかかるならまだしも、幼い子どもがあんな目にあい苦しまなければならない。手を下す以外に策がないというのは、なんとも哀れなことじゃ」


「じゃあ、今さっきそこでしていたのは、葬儀のようなものでしょうか」


「そうさな、平穏な未来を祈って別れを告げることで、魂は新しい魔力として循環し世界をつくっていく。前向きな気持ちで執り行いたいものだが、やはり身内はそうもいかんだろうな……」


老爺は暗い表情で視線を落とすと、抱いていたクロをふと撫でる。人懐こいのか抵抗せず気持ちよさそうに目を細めるクロに、老爺は「ふふ」と笑った。


「深く愛されてきたんだろう。得体の知れない爺にも優しいのう」


よしよし、と撫でると、老爺はシュンに向き直る。



「そういえばお前さんは、この子を追ってここまで来たんだったか」


「はい」


「この先は、どこへ行くかもう決まっとるんかね」


「王宮の方に用があるので、できれば今日中にいけたらと」


「王宮……?」


老爺がゆっくりと聞き返す。シュンは思わず唇を噛み締めた。怪しまれても仕方ない存在であることを、忘れてはならない。老爺はクロを撫でながら小さく呟いた。


「そうか、お前さんか……」


「え?」


「昨夜、あまりに月が綺麗でな、庭に出ておったんじゃ。そしたら、可愛らしいお嬢さんが庭先に立っておって、近いうち弟がこの村を通るかもしれんから困っているようならどうか助けてやってくれって言ってきたんだよ。儂が何か言う前に幻のように消えてな、そう、それで、王宮を目指しているからと言っておったよ。お前さん、いいお姉さんがおるんじゃな。綺麗な服を着ていたし、儂ぁ女神さまかと思うたわ……はは」


「……」


シュンは笑う老爺に「いやいや」と微笑み返しながら、内心ではひどく動揺していた。クロには怒られるかもしれないが、「可愛らしいお嬢さん」「いいお姉さん」とクロを言う人がいるとは考えられないと直感で思ってしまう。また、こんな小細工をクロがするとも思えない。直後に起こる空間転移による衝撃すら知らせてくれないような人間だ。シュンは理解できないまま、老爺に誘われて外に出る。飲み残された茶は、ほのかな湯気を纏ってシュンを見送った。


「ほれ、見えるか青年よ」


老爺に連れられて、シュンは建物の外に広がる丘から見える崖下の街並みを一望する。整頓された家具のように均一な大きさの平屋がずらりと並び、その間を細い道が迷路のように伸びていた。それぞれの家の庭や花壇から垣間見える緑と、屋根の赤が調和し、塗り絵のように町の空間を彩っている。中央にあるきわめて太い道だけがまっすぐに伸びており、その先には鮮やか朱色の大きな橋がかけられ、赤色と黒色でそめられた屋敷に繋がっていた。つくりもののように綺麗なその建物は、手前にある大きな平たい建物の両脇に、窓がたくさんついた蔵のような建物が並び、置くには細い塔が遠目に見える。シュンは息をのんだ。


ーーたぶん、あれが、棲龍館……。


目を凝らしているシュンに、老爺はハッハと笑う。クロを地面におろすと、クロはまばらに生えている芝の臭いを嗅いだ。


「そう構えなくてもええじゃろて。マユリノは温和が売りの小国じゃ、誰もお前さんをとって食ったりはせんよ」


「ありがとうございます」


ーー禁書を盗みに行くっていったら、おじいさんは怒るのかな。


優しさに泥を塗るような複雑な気持ちのままシュンははにかんで視線を落とす。そんなシュンの気持ちはいざしらず、老爺は服の中から先ほど読み上げていた本を取り出した。動揺していて気付かなかったが、本には大きな白い石がついている。シュンが驚いているのが分かったのか、老爺はやや自慢げに笑んだ。


「これでも、爺も昔は優秀なサマナーだったんじゃ。村の少女のために祈ってくれたお礼に、久しぶりに一肌脱ごうかの」


「えっ」


にこやかに笑んだまま、老爺は本から大きな白い花を咲かせる。じわりと滲んで花が消えた場所には、眩しいほどの白さが美しい大きな鳥が現れた。足先には人が二人乗れる程度の大きなカゴがあり、吊るされている紐の先の金具を、鋭いかぎづめで掴んでいる。クロが驚いてシュンの足元まで駆けよった。老爺を平気で丸のみできるほどの大き鷲のようなその鳥は、シュンとクロ、そして老爺を見てクルル、と唸る。


「王宮まで、とはいかんが、こいつに近くまで送ってもらうと良い。丁度セネカアルフィーンへの関門に用があったんでな、荷物を受け取りに行くついでじゃ。遠慮せず揺られてくれ」


「あっ、ありがとうございます……」


「なんのなんの。上から見るマユリノを楽しんで行け。それに、今日中に行くにはこいつを使っても結構ぎりぎりじゃぞ。暗くならんうちに着けると良いな」


「はい、ありがとうございます」


シュンは頭を下げて老爺にお礼をすると、四角いカゴによじ登って乗り込み、老爺からクロを受け取る。カゴの中は案外深く、シュンが立っても胸元まで横壁があった。本をたたんだ老爺が、ゆっくり歩いてカゴまで近づく。


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