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「あ、ありがとうございます。大切に使います」


「ケチらずほどほどにな。さ、腹ごしらえしたら、案内係を紹介してやる。皿にブドウを盛ってくれ」


「はい!」


シュンは軽い足取りで台所へ向かう。食事の支度は、すっかり慣れてきていた。キッチン台の下の保管庫からブドウを取り出して水で洗う。クロが用意している皿の数が二枚であることを確認して、房から四粒ずつとって並べた。隣で卵を焼いているクロを横目で見てからカーテンに目をやる。蛇口をしめると、小さなため息がこぼれた。


「あいつは、朝に一回起きたぞ」


クロが卵から目を離さないまま言う。


「え?」


「なんか、のどが乾いたっつって水を飲んで、少しぼんやりしてからまた寝たな。ああ、包帯のまき直しと一緒に傷のようすも確認したが、進行しているって感じはなさそうだ。おそらく術が効いているんだろ。このまま大きな変化がなければ、治し方が分かるまで時間をいじる術でごまかしながらやっていくしかないな」


「……元国王から、直接話をきくことは出来ないんですか?」


シュンの言葉にクロは顔を上げてシュンを見る。その目は真ん丸になっていた。


「本来ならそりゃ名案になるんだがな、元国王は病で寝たきりになってるから会話もできるかどうか分からんな……ましてや禁術の話となると、正直歓迎される気が全くせん」


「それは、今国で流行っているという疫病ですか?」


「いや、別物だっていうのが今のところの噂だな。二人目を失った虚無感から精神を病んだって聞くが、ほんとのところはどうなんだか。専属の医師のチームに隔離されてから、何処にいるか誰も知らんし、今どうなっているのかも謎だ。もしかしたら、こっそり墓になってるかもな」


「……」


シュンは何も言えないまま、ブドウを保管庫にしまう。クロは皿に卵を盛ると、レタスとトマトをそえてテーブルまで運んだ。グラスに水を入れて、シュンも席につく。手を合わせたのちに、クロはフォークでトマトを刺した。


「いくら自分じゃないっつっても、二人目はほとんど自分と同一人物だ。毎日ともに暮らしているうちに愛着もわくだろう。そんなやつが、人とは思えない傷に苦しんでもがきながら目の前で死ぬんだ。まあ精神を病んでしまうというのもありえない話ではないんだろう」


トマトを口に放り込む。ゆっくり咀嚼して飲み込んだ。


「それに、元国王は禁術には反対派だ。人を召喚するのを禁忌にしたのが元国王だしな。禁術使ったっぽいんですけど困ったことになったので相談にのってくださ~い、とか言って話を聞いてくれるかは正直期待できない」


「そうですか……」


シュンはオムレツにフォークを入れる。フカフカの生地の中からとろけた卵がこぼれてきた。あふれるように上がってきた白い湯気が揺れている。二人のフォークと皿がぶつかる固い音だけが小さく鳴った。シュンは卵のまったりとした食感を味わいながら、右手の指輪を見る。ブドウの甘味に舌鼓を打っているクロを一瞥してから、水を一口飲んだ。


「がんばります」


「ま、そんな気負うな。兵に捕まらないのが一番だからな、逃げ道を意識しながら、どうやったって無理だって思ったときはここまで戻ってくりゃあいい。何も解決はしないがな」


「ですよね……ごちそうさまです」


食べ終えたシュンが食器を流し台までもっていく。クロが持ってきた分の食器も一緒に洗っていると、小屋の外に行ったクロがシュンに手招きした。濡れた手を拭いて開いたままの扉に近づく。クロの隣に小さな犬が姿勢よくお座りしていた。黒い毛をふわふわと風に揺らしているその犬は、クロに撫でられてうれしそうにしっぽを振る。シュンの足音に気付いてぱっとこちらを向くと、青い目がきらきらしながらシュンの足元から顔までをじっと見つめた。やわらかな巻き毛は、日光を吸収して白く光っている。


「あの……」


「ああ、こいつがお前の王宮までの案内係だ。実に利口な犬だからな、一緒に旅を楽しんでくれ」


「えっ、案内って犬ですか? てっきり人かと……」


「犬だ。ちなみにこいつは水に弱い。水辺に行くと消えるから水を避けて移動してやれ」


「は、はい」


シュンは犬に近づいてそっとしゃがむ。昨日の夜に収穫したカボチャよりはるかに小さなその犬は、シュンの服や手をしばらくにおった後にするりとすり寄ってきた。思わずそのまま慣れない手つきで背中を撫でる。日の光にあたためられた黒い毛は、ぽかぽかしておりとてもやわらかだった。


「ふわふわ……」


思わず顔をほころばせるシュンのようすにニヤニヤしながら、クロはシュンの肩を励ますようにたたく。


「かわいいだろう、ああ、ああ、もちろんそうだろう。こいつはいくら愛でても幻術に狂わされたりしないから安心してなでていいぞ」


「う、は、はい……」


何かよく分からないものに負けてしまったような複雑な気持ちになるが、犬の背中を撫でる手は止められなかった。


「この子は、名前とかありますか?」


「クロだ」


「え?」


「そいつの名前が、クロなんだよ。俺の眷属だが、しばらく貸してやる。王宮までの道だけだがせいぜい癒されながら心穏やかに移動しろ」


「はい……えっ、うわっ」


クロと話をしていると、犬の方のクロがシュンに飛びつき、尻もちをついたシュンの膝に乗って丸くなる。柔らかくてあたたかくてモフモフのそれが、自分の膝でくつろいでいることが、シュンは純粋に幸せであった。人間の方のクロが拗ねたように眉をよせる。


「なんだ、思ったより簡単に打ち解けるな……」


「あの」


犬の方のクロに頬をなめられながら、シュンは服についた砂をはらった。小さな毛玉はご機嫌でシュンのまわりを跳ねて、とてもまだ立ち上がれそうにない。


「なんだ」


「眷属の数って、決まってないんですか?」


「決まってる、一人一体だ。一人一体なのは、実際に召喚したときにきちんと眷属に術や指示を出しながら自分も戦える限界が平均一人一体だからであって、二体以上眷属を連れていても平気で戦えるような人間はそれなりの試験を受けた後に許可がもらえて増やすことができる。眷属も生きているからな、無駄に術を組み込まれて使われないままじゃあかわいそうだろう」


「なるほど。じゃあ、クロはシロさんとクロ、さん、が眷属なんですね」


人間の方のクロが、めんどくさそうに頭をかく。唸るような声で「そうだ」と言った後、シュンに笛を渡す。それは、シュンが鳥を召喚するときに使うものより長く、銀色が綺麗だった。


「それを吹けば、クロに指示ができる。お前を乗せて走れるぐらいの大きさにもなれるから、しっかり使ってやれ。お前は王宮までの道で食料調達をするかもしれんが、クロには必要ない。丁度お前が食べるころになったら、笛を吹いて消してやってくれ。俺がその間に与える」


「わかりました、ありがとうございます」


「はいはいはいはい。分かったのなら安全隠密迅速に日誌を盗んできてください」


「……はい、えっと」


受け取った笛をもってシュンが立ち上がると、犬のクロがお座りをしてシュンを見上げる。シュンは「えっと」と言いながら丸い青い目を見た。


「王宮まで、案内してください」


「クン!」


犬のクロが鳴いた瞬間に、シュンの目の前に電子の文字でメッセージが表示される。驚いて手を伸ばすと、シュンの手にそのメッセージは透けて、触れることはできない。


「『以上でチュートリアルが終了です。この先はモンスター以外にも、敵意を持った傭兵や農民に攻撃される可能性があります。注意して進行してください』……?」


シュンは文字を一度読んでから、周囲を見回す。それからもう一度、目の前にある文字を見た。ゆっくりと現実世界のことを思い出していく。電気のついていない暗い部屋でサイダーをのむ友人と、何を話していたか。


ーーそうか、これ、洸平に勧められてはじめたゲームの中……。


ぼんやりとしていた頭の中がはっきりしてくる。この感覚は、朝の目覚めたばかりで朦朧としていた意識が覚醒していくものに近かった。これまで確かに感じていた風の冷たさや日光のぬくもり、犬のクロのあたたかさは次第に薄れていく。深呼吸をして、シュンは人間のクロを振り返った。その目は、先ほどまでの明るい碧眼ではなく、どこか影のある伏せがちなものだ。


「それでは、行ってきます」


「おう」


小さな足を懸命に動かしながら前を歩く犬のクロの後について川辺を下っていく。大きな石につまずくことなくスタスタ進むクロのようすに、シュンも置いて行かれないよう必死で歩いた。砂利を踏みしめながら拳におさまるほどの小さな石を見つけては拾って、棚の隅に貯めていく。昨夜狐と遭遇した農場まで行くが、立ち寄らずにさらに下を目指す。昼に見る無人の農場は、夜よりずっとさびれているように見えた。


「……」


農場を超えて下へ行くのははじめてである。抑えきれない高揚感とともに、徐々に草が混じってきた砂利の上をかみしめるように進んだ。ビルとビルの間の通路、マンションの中の廊下、自分の部屋の中、作られた歩きやすくて固い道に囲まれて生きてきた足の裏が、肺が、目が、耳が、今呼吸をしている世界こそが現実世界だとでも言うかのように自然に馴染んでいる。ゲームの中だと理解しても、妙な違和感がなかった。この先に見える世界にはどんな暮らしがあるのか、全身が知りたいとうずいていた。


ーー洸平も、こういう気持ちで俺にこれを勧めてきたのかな。


足元を歩くクロに目をやる。毛むくじゃらの足の先を砂ぼこりで白くしながら楽しそうに歩く姿は、とても可愛らしい。石しかなかった狭い川辺が、進めば進むほど広くなって草原のようになっていく。まだあたたかい季節ではないからか、生えている草はまばらだが、鼻には確かに青くさいにおいがした。強い勢いで流れていた川の水がなだらかになり、木々の間で右に曲がっていくのをきっかけに、一人と一匹は川に沿って歩くのをやめ草の上を進む。道の両脇に並んで植えられている木々の向こうに目を凝らすと、遠くの家の煙突から煙が上がっているのが見えた。石でできた大きな煙突の回りには、屋根の赤い平たい家がたくさん並んでいるのが遠目に分かる。


「村だ……」


シュンが呟いたのを聞いたのか、クロがススンと鼻を鳴らした。くしゃみをしたのかとシュンは慌てて見るが、そういうわけではないらしい。シュンは、クロに「ねえ」と話しかける。


「悪いけど、あまり人がいない場所を案内してくれる?」


「クン」


クロは木の向こうに見える村を二度見してシュンを見上げる。控えめに鳴くクロに、シュンも思わずとまどった。


「えっと、人目を避けて王宮まで行きたいし、ほら、人間の方のクロも、今はわりと国の人みんなが神経質になってるって言ってたし」


「クン……」


「……まあ、立ち寄るだけなら」


「ワン!」


しっぽを振って楽しそうにする小型犬の姿を見ると許してしまうあたり、人間の方のクロの狐についての助言のありがたさを痛感する。道路を抜けて木の間の先にある原っぱを横切った先にその村はあった。跳ねるように進むクロの後について原っぱに足を踏み入れると、ぬかるみのようなものに足をとらわれてシュンはその場に転ぶ。転んだ先の土は乾燥しており頬をちいさくすりむくが、大した怪我ではない。先を進もうと起き上がったが、足がなぜか抜けない。


「は……?」


そもそも雨も降っていないのに部分的に深くぬかるんでいることなど考えられない。シュンは慌てて足元を見た。そこには、腐ってどろどろになった人間の死体が転がっていた。慌てて無事だった方の足で蹴り飛ばして後ろに下がる。クロはシュンの後ろで黙って立っていた。


「え、なんでこんなところに腐乱死体? なんで?」


動揺して、シュンはクロに話しかけるが、クロは困ったように後ずさりするだけである。シュンはクロが話していたことを思い出す。


『人間にもうつるのはもちろん、動物、植物にもうつるし、まだ報告は上がってないが無機物にもうつるって話もある。これにかかると、理性が崩壊して分別なく周囲を攻撃するクソッタレになる。もとに戻す手段は今のところ皆無だ。暴れる相手を力ずくでも止めるしかない』


『すでに立ち入り禁止になっている場所とか、暴走している生き物たちに陥落してしまったエリアがあるらしいから、外を出歩くことになったら気をつけろよ』


「うわ……疫病エリア来ちゃったんじゃない……?」


シュンは人の形をぎりぎり保っているそれからゆっくり離れて周囲を見回した。死体が転がっていなさそうな場所からすばやく離脱したい一心なのだ。


ーーここから川にそって続いている道に向かって左に大きくカーブしながらいけば、障害物はなさそう。


「よし、クロ! ……クロ?」


クロが転ばないよう抱きかかえようと振り返るが、そこに黒い毛玉の姿はない。焦って左右も見るが、視界にもこもこしたものが入らない。シュンはクロと目指す予定だった村の方へ目を向ける。村の門の近くに向かう、クロの姿があった。


「ええ……」


シュンは思わずため息をつきつつ、 意気揚々と村の中に消えていく黒い犬を追い駆ける。黒っぽい塊をいくつか飛び越えて夢中で走った。草や土で足元が砂だらけになったが、今は気にしている場合ではない。門のそばまで行き着くと、滑るようにして立ち止まりできるだけ自然に村の中に入る。


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