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「あまり考えない方がいいこともある。今はとにかく王宮にいってからのことだけを考えろ。お前がどれだけうまくやったとしても、日誌に記録されている情報にめぼしいものがないかもしれないという方が俺は心配だ。そうなればいよいよ打てる手がなくなってくる」
「そうですね……」
「あー、もうジメジメすんな。家の中の湿度まで上がってくる。農場までいってかぼちゃとレタスを選んでこい。道はそろそろ暗くなってくる頃だろうし、試しに火が召喚できるかランプを灯してから行け。頭ん中で想像すれば、指先なりなんなりに同じ規模の火がでるはずだ」
「やってみます」
「空のランプは出てすぐのところに並んでいるからそこからもってけ」
「はい」
シュンはもう一度タオが寝ている部屋のカーテンをちらりと見てから、小屋の外に出る。夕焼けは跡形もなく鎮火され、吐く息が仄かに白くなるほど空気はひんやりとしていた。冷えた空気に鼻がツンと痛み、思わずくしゃみがでる。扉の脇を見ると、ロウが溶けて固まってしまっている古びたランプがいくつも転がっていた。一つをつまみ上げて中を開く。そろりと指を入れて、頭の中に蝋燭を思い浮かべた。
「……あつい」
指先にほんのり熱が集まるのを感じていると、伸ばしている人差し指の腹の部分の上に小さな火がともる。ランプの大きさにしてはひどく小さいが、シュンの足元を照らすには十分な明るさだった。そっとさらに指を中へ入れ、火がつくのを待つ。中心に頼りなく立っている太く短い蝋燭に、小指の先ほどの微かな火がついた。シュンはランプから手を出して、その火が安定するのを待つ。ゆらゆらと不安定に揺れたそれは消えそうなほど小さくなったかと思えば勢いよく背を伸ばし、次第にランプの中で確かな灯りとなった。
「で、できた」
シュンは、手を横に動かして棚の中を確認する。クロが窯に投げ入れてできた小さな赤い石が、一つ減っていた。蝋燭の灯り一つ分で、小さな石一つ分ということなのだろう。口角が緩むのを唇をかんでこらえると、棚をしまって川辺に沿って農場に向かって歩いた。パンプスで踏みしめる砂利の音は、川の水音と相まってシュンの心に静かに響く。かすかに聞こえる虫の声、息を吸えば肺をみたす冷えた爽やかな空気。
ーー夜が、結構好きなのかもしれない。
少し馴染みある景色になってきた農場まで行きつくと、門のそばにある石垣の上にランプを置く。土っぽい音をたてて農場に入ると、かぼちゃがある場所を探した。見慣れたトマトのエリアを横切って、やわらかな土を踏みしめながら月の微かな光で農場の中を散策する。湿気を吸収してひやりとした土が香ばしい香りを漂わせている空気をめいっぱい吸収して、足元に注意しながらカボチャを探した。
パプリカやピーマンが並ぶ一角を通り過ぎて、背の低い植物がたくさん並んでいる場所まで行きつくとしゃがんで目を凝らす。ごつごつとした表面が月の光で影を作っている塊が目に入った。近付いて土まみれの表面を撫でると、乾いた土がはらわれて濃い緑色が姿を見せる。シュンの顔より大きなそれを両手でなんとか持ち上げると、あまりの重みに腰の位置よりも上で持つことができない。口から唸り声をもらしながらレタス畑までよちよちと進む。昼、クロに筋肉がないことを指摘されたことを思い出した。
ーー筋トレとか、した方がいいのかもしれない。これも、その一つのつもりなのかな。
ぼんやりと考えながらレタス畑について、かぼちゃを置いてレタスを品定めしていく。青白い光に透き通る葉が、とてもきれいだった。目に付いたうちの一つを収穫してカボチャの上に寝かせる。なんとか担いで農場を出るが、やはりランプを持って帰る余裕はなかった。石垣を横切って川に沿って山をのぼっていく。ふと視線を感じて首を動かし後ろを見た。石垣の傍にあるジャガイモ畑の中をかきわけて走っていく小さな影を見つけて、シュンはカボチャをその場に落とすように置いて素早く石垣まで駆け寄り飛び越えるが、人影らしきものはない。草が揺れる音に反応して目がそちらを向く。そこには、小さな生き物の影があった。農場を荒しに来たタヌキだろうか。
「は……」
安心して引き返そうとしたシュンが門まで戻ろうとしたその時、小さな影が伸びをしてスポットライトを浴びる。尖った耳に長い鼻、ふっさりとした尾の先はこんがりと焼けたような濃い色をしていた。シュンが想像していたよりは小柄で足が短くまるまるしているが、それは確かに「狐」と呼ぶに値する生き物であった。
「……!」
驚きのあまり体が固まるが、ただの野生の狐の可能性もある。息をひそめて狐の動向に注目して、腰につけている巾着の中に指を忍ばせた。シュンの緊張など狐はまったく気づかないようすで心地よさそうに伸びをした後に、ふるふると体をふってあくびをする。ご機嫌でのんびりと毛づくろいをする狐は、小さな足で畑の中を散歩して周囲をきょろきょろと見回した。転がっているジャガイモと軽快に飛び越えて川の水をにおう。少しでも視線を上げれば視界にシュンが入る距離で、狐は水に映る自分に向かって手を伸ばして遊んでいる。
「……」
ーー悔しいけどかわいい……。
クロの忠告がなければ王宮に行って恥をかいて終わっていたことを痛感しながら、シュンは身動きせずに狐から目を離さない。空気はひやりとしているが、手にはじっとりと汗がにじんでいる。
「!」
水遊びをしていた狐が、急に何かに反応して背伸びをしながら耳をたてて周囲を警戒するように見た。シュンは肩を震わせてできるだけ身を低くする。
「キュー……」
狐は小さく鳴くと、そのまま川下の方へと二、三度跳ねて靄になって消えた。首についていた赤いリボンが川の上でひらりと舞って、白い粉に弾けて空気中に散る。。しばらく硬直したままシュンは呆然として一人きりになった農場を目だけで見まわした。穏やかな風に作物の葉が揺れて、川に映っている月は水の勢いにひしゃげている。ゆっくりと石垣から下りて河原に足をおろした。土を踏む自分の足音が、とても大きく聞こえる。
ーー消えた……。
風に流れてぼさつく髪を手ではらって、放置していたカボチャとレタスの元まで慌てて戻る。転がってやや傷がついてしまっているものの、ひどい損傷はないことを確認して早足で小屋まで歩いた。カボチャの重みで肩が悲鳴を上げるが、シュンの頭の中はそれどころではない。クロと初めて会ったとき、召喚したシロを消した光景を思い出す。マユリノの野生動物ならどんな生き物でも霧になるという特性がない限り、あの狐は誰かの眷属であったということだ。
「……はっ、クロ!」
カボチャを抱えたまま扉を肩で開いてクロを呼ぶ。シュンのようすが普通でないことに眉をひそめながら、クロは扉を押えてシュンが台所にカボチャを置くのを待った。扉を閉めたクロが、肩で息をしているシュンにタオルを差し出して傷のついたカボチャに目をやる。
「どうした。ちょっと遅くなかったか」
「狐、狐がいました。農場の、中、ジャガイモのところに。ただの野生動物かと思ったんですけど……途中で何かに反応して、跳ねて、消えたんです、あ、ちょうど、前にクロがシロさんを消したときみたいに、煙みたいになって……!」
「は?」
クロは目を見開いて顔をしかめる。
「その狐、首に何かついていたか?」
「赤いリボンがついていました」
「あー……」
クロは呻くようなため息を吐きながらキッチンの台に肘をついた。クロは小さく「クソが……」と呟いてシュンに向き直る。
「できるだけはやめの出発にしようとは思っていたが、かなり急いだほうがいいかもしれん。明日の朝、お前には町に出てもらう」
「……はい」
「ここから川にそって下に下りて行けば町なり村なり農場なりいろいろ広がってるから、お前のペースで王宮まで行け。とにかくこの小屋に俺以外の人間がいること、そいつが王宮に向かっていることは、見つからない方がいい」
「クロは、誰かに見張られているんですか?」
「……いや、そういうわけではない。はずだ」
濁すようにそう言うと、クロはカボチャを流し台に置いて洗いだす。乾いて白くなった泥が水に流されていくのをぼんやりと見ながら、シュンは開いたままだった巾着の紐をしめた。クロの向こうのカーテンからは物音一つしない。
「おい、これ切れるか?」
「やってみます」
クロにナイフを渡されてカボチャを切り込んでいく。部屋の灯りがカーテンの向こうの暗がりに染み込んでいくのが、どこか寂しかった。
ーーーーーー
目を覚ますことが爽やかな気持ちになれるという感覚は、シュンにとって不思議と新鮮だった。朝目覚めると心がわくわくしている感覚が、懐かしいようなこれまで経験したことのないような、形容し難い前向きな焦りに似た何かであった。ふとんから体を起こして、窓から射しこむ眩しい光に目を焼く。隣に並んでいるもう一つのベッドの中は、昨日と違って誰もいない。深呼吸をして冷えた空気を吸うと、靴を履いて部屋を出た。はしごを下りると、クロがテーブルに大きな箱を用意しているのが見える。
「おはようございます。それは?」
「ああ、おはよう。昨日見たお前の棚の中があんまりに貧相だったからな、物資不足で露頭に迷わないように恵んでやろうと思ってまとめてみたんだよ。怪我をしたり攻撃を受けたら、ビンに入っている緑色の水を飲め。トマトジュースでも構わんが、死にたくないなら水の方がいい。ただしクッソまずいから気をつけろ。慣れるまでは臭いだけでこの世の終わりを察して余りある」
「そんなに……」
シュンは箱の中から見えている細長いビンを横目で見た。薄い緑色からは、クロが言う程の毒々しさはない。
「水がきれたら、いや、きれそうになったら、薬草を擦りつぶして水で薄めて作っておけ。薬草なら何でもいい。好みの味のやつでつくれ。薬草は……まあ、そこらへんの道にも探せば植わってるし、それを摘んで集めておくのもいいが、花屋とかが売っているのを買ってもいい。花屋のはちゃんと衛生管理されてるから信用できるが、自分で摘んだやつだとごく稀に痺れたり気分が悪くなったりすることがあるから覚悟して使うんだな。まあ、行って帰ってくるまでに使い果たすこともないだろうし心配はいらんだろうが」
クロは箱の中から小さな紙の包みをいくつかつまんでシュンに見せる。丸いものを包んでいるらしきそれは、両端が絞られているその姿に既視感がある。クロが一つを開いて中を見せた。水晶玉のような丸いピンク色の玉だ。
「これはアメだ。なめると甘くて幸せになる」
「……はい」
「いろんな味を用意しておいたから気分に合わせて舐め分けるんだな。これは小粒だが、大きめのもある。道中口寂しさを感じたらなめればいい」
「……、……はい」
「なんだその顔は。アメをなめるやつはアメに泣くぞ」
「すみません」
「あとは、術の元になる石だな。念のため赤と白を多めに入れてある。ツルハシもあるから、掘りたくなりゃ時々何かしらを掘ってみればいい。あとは……」
クロは話しながら箱の中を見て、そのまま扉のもとまで行く。ツルハシや斧に並んで壁に立てかけられている、長い棒を掴んで戻ってきた。クロの身長よりはるかに長いそれは、両端を金属で装飾されている。
「これは、使わなければ使わないほどいいが……まあ、念のためだな。武器だ。相手を突いて叩いて流してどうこうできるし、逃げるときにも飛び跳ねたりできるしなかなか便利なものだよ。先に火を乗せて振り回すことも出来る。もし兵なりなんなりに囲まれて捕まりそうになったら使え」
「ありがとうございます」
クロから受け取ると、それは思ったよりずっしりと重く、安易に振り回すことは難しそうにシュンには思えた。手を横に動かして棚を開くと、その中に棒を置く。入るかどうか心配になったが、棚に置いた瞬間に棒のある段だけ縦に伸びてぴったり収まった。クロがテーブルから箱を持ち上げ、それも棚の中に入れる。みすぼらしい木の箱だったものが、棚に入った瞬間に艶やかな表面の鍛えられた木でできた金属の鍵がついた閉じた箱に変わり、宝箱のような雰囲気を醸し出した。シュンが驚いてクロを見る。
「ノックしてみろ」
「……はい」
クロに言われた通りに、その箱を何度かノックする。木が優しくたたかれるこもった音が聞こえた後、箱がゆっくりと開いて中身が棚の中に自動的に陳列されていく。細長いビンはまとめて赤いリボンに縛られて、アメは果物を乗せるようなカゴにのせられて、布袋いっぱいに入った石は色別に袋ごとにどんどん棚に並んでいった。なぜかとトマトがたくさん転がっている棚もある。すべてが整頓されるころには、シュンの棚は資源ですっかり潤っていた。
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