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「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。ちょっといじめてやろうと思ったんだが、今日はやけに静かだな……」
クロのひとり言にシュンは首をかしげる。自分に対して話をしているわけでもなさそうだが、ここにはシュンとクロしかいない。クロは「仕方ないか」と呟いて水に向かって足を向け、水の中に踏み入ろうとした。その瞬間に洞窟内の尖った岩の一つの先端が砕け、クロに向かって突撃する。頭を攻撃されたクロは衝撃で飛ばされ派手に転んだ。まとめた前髪から覗いている額がかすかに赤くなっている。
「だめーーー!」
大きな声が洞窟内に響いたかと思えば、水の上に現れた魔法陣から少女が飛び出した。大きく膨らんだリュックを背負い、オーバーサイズのケープに身を包んだ状態で、よろけながら水の上を走る。少女の足が水面に触れると穏やかな波紋を描くだけで、少女は沈まずにひっくり返ったクロの元まで駆けてきた。おでこをさすりながら少女がリュックを下ろすのを見ていたクロは、小さく舌打ちをする。傍で自分を見下ろしているシュンを睨んだ。
「ちょっとざまあみろと思っているだろ」
「……少し」
「はいはい素直素直」
クロは大きなため息をつくと立ちあがって、苔で汚れた服をはたいた。少女に向かって肩をすくめる。
「随分とファンタスティックなお出迎えだなチャマちゃま。歓迎してくれているようで嬉しいぞ」
「お水の中に足を入れようとするからよ! その程度で怒るなんて器が小さいわ。むしろ感謝してほしいぐらいなんだから」
フン、と頬を膨らませてフードから顔を覗かせてシュンの方を見る。綺麗な亜麻色の髪は、蛍の光を吸収してやわらかに艶めいた。シュンが慌ててお辞儀をすると、クロより小柄なその少女は丸い碧眼をぱちぱちをしばたかせた。
「あら、見ない顔ね。もしかして杖ってこの人のものかしら?」
「そうだ。白い方を渡してやってくれ」
「さっきあんな適当にメッセージを入れてきておいて、それでよくまあもう完成していると思ったものね。こっちよ、白いサマナーなんて珍しいから気合入れてしまったわ」
ウキウキと跳ねるように、はちきれそうなほどに膨張したリュックまでかけよると小さな手を振ってシュンに来るようこまねく。クロが小声で「できてんじゃねえか」とこぼしたのを聞きつつ、シュンは恐る恐る少女のもとまで寄った。
「これよ、大事に使ってね」
「ありがとうございます」
細長い革袋を受け取ったシュンは、そっとそれを開いて中の杖を抜き取る。人差し指ほどの太さの黒い柄は滑らかに艶めいており、その先には水晶のような透明な石が一つ、ツチボタルのまばゆさを吸収して瞬いていた。星屑のような白いあぶくが石の中でちらつく。クロの杖の両端についている石は二つとも丸いものだが、シュンのそれは先の尖った鋭利なつくりになっていた。そっと石を指先でなぞって、右手でいろんな持ち方を試す。夢中で杖を見ているシュンに少女は顔をほころばせた。緩んだ口角と緊張した面持ちで再び少女に向きなおる。
「あ、ありがとうございます! ……えっと」
少女とクロを交互に見る。クロが察して「あー」と呟いた。
「まずはお前から名乗っとけ。まけるだけ愛嬌はまいとくんだな」
「はい……。あの、はじめまして、シュンです」
頭を下げたシュンに、少女が何かを言う前にクロが少女を手で指す。
「こいつはチャマ。チャマちゃまって呼んでやればいい」
「ちょっと! そんな子どもみたいな呼び方やめてほしいって何度も言ってるじゃないのよ!」
「かわいいんだからいいだろ」
「えっ、かわいい? ほんとね?」
「そうそうほんと、かわいいかわいい」
クロの言葉で満面の笑みになった少女は、シュンを見てにこにこしながら名乗った。
「チャマちゃまよ、よろしくね」
「えっと、はい、よろしくお願いします……」
それでいいのか、と思いながらも、チャマに笑顔を向ける。
「普段はサマナーの杖とか笛を作ったり売ったりしているの。もし買い替えるってなったら遠慮なくわたしのところに来てね」
「こいつの店は他の鍛冶屋とかと比べると洒落にならんほど高いからな、財布が遠慮するようならやめておけよ。貯金が消えるぞ」
「そんなに……」
「ま、その分、物は確かだ。かみしめて使え」
「っはい!」
クロの言葉に顔をしかめていたチャマも笑顔でシュンに頷きかけていた。シュンが杖をしまって、革袋についたベルトを腰に巻くのを見ながらクロが声をひそめてチャマに話しかける。
「資料の方はどうなった?」
クロの言葉に少し考えるように目を伏せると、チャマは言いにくそうに髪を耳にかけるしぐさをする。何の話か分からないまま、シュンも真面目な顔で返事を待った。ややためらいながら、チャマは手を首元へとやる。フードに隠れていてよく見えなかったそこには、四角い青色の石がついたチョーカーがあった。石に手の甲を当てると仄かな光が溢れて青白い靄でできた花が咲き、中から大きな封筒が現れる。白かったであろうその表面は茶色に変色し、ところどころにできた染みがまだら模様を作っている。色のはげた赤いリボンで閉じられている封を解いて、チャマがその中を二人に見えるように開いてみせた。紙が擦れる音が大きく反響し、シュンはごくりを息をのむ。封筒の中には、何も入っていなかった。
「あ?」
クロが不満げな声でチャマを見る。チャマは封筒をたたんでリボンを締めた。
「見たいってクロちゃんが言うから確認したの。そのときにはもう空っぽだったわ」
「え? なんだそれ、そんな簡単になくなっちまうものなのか? ちょっとまて、わけが分からない。誰かが借りていることになっているのか?」
混乱したようすのクロを心配そうに見上げながら、チャマは首をふった。
「最後に借りたのはずっと前の宗善国王よ。でも、これだって個人的に借りたものじゃなくて、国の方針で必要だったからだから目的は明確だったし、返って来たのも確認したもの。今無いのとは関係ないはずよ……」
「でも、その後チャマちゃまは誰にも貸してないんだろ」
「もちろん。それに最近は奥には誰も案内していないから……多分なんだけど……」
「盗まれてんな、こりゃ」
苦い顔で重いため息をつくクロに、シュンは小さく話しかける。
「あの、その中って、何が入ってたんですか……?」
クロがチャマを一瞥してから、首を回して関節を鳴らした。
「トマトを召喚したときに、俺が紙に陣を書いていたのを覚えてるか。あれは、簡単な術ならその場で書いてもいいが、高等術式になればなるほどあれを書くのにもこだわる必要が出てくるんだよ。何の紙を使うのか、何をインクにしてどんなペンで、どんな陣を、誰が、書くのか。さっきの封筒に入っていたのは、国内で一番かもしれんレベルの高等術式の陣が書かれた紙だ。これがないとなると、いよいよ怪しくなってくるわけだが……」
考え込むように呟くと、クロはチャマに向き直る。
「宗玄元国王の日誌は、今どこが保管してんだ?」
「……王宮の、図書館の中よ。棲龍館の、管理棟のところの」
「あー……」
クロは疲れたように息を吐いてシュンを横目で見た。話が全く読めないシュンは、首を傾げて反応するしかできない。クロが深く息を吸って、シュンを見上げる。
「あいつの手の怪我、見たんだっけか。タオだ。椅子からひっくり返ったときの、右手首」
「はい」
右手首がひび割れたガラス陶器のようになっていたこと、そこから乾いた紙粘土のように白い粉が吹いていたことを思い出す。見たことのない状態に、どのような痛みなのか想像することができなかった。クロは頷く。
「あれが、なんでできたのか。どうやったら治るのかを、調べようと思ったんだ。幸い、あの傷口は一回だけ見たことがあるんでな。こいつは表向きは杖を主とした武器屋をしているが、王宮の内外に散在している地下神殿で王宮から頼まれたものを守り、隠し、管理している。気になったものをこっそり借りて調べようと思っていたんだが、何者かに盗まれている」
「それが、さっきの封筒の中身ですね」
「そうだ。あれは……」
言いかけたクロは口をつぐんで黙る。シュンはクロが話し出すまで静かに待った。おろおろしながら見守るチャマも、クロとシュンを交互に見るだけで何かを口だしするわけではないらしい。
「あれは、人を召喚する術式を組むための、陣だ」
囁くような声で話しているクロの声も、洞窟の中ではシュンにしっかりと聞こえる。聞こえたからこそ、シュンは耳を疑った。
「それって、禁止されているんじゃないんですか……?」
「そうだ、禁止されている。だが、悲しいことに存在してはいるんだ。人間を作る術っていうのがな」
クロは気まずそうに垂れてもいない髪を耳にかけるそぶりをして話を続ける。どこかで聞こえる水が石を打つ音が、シュンにはとても大きく聞こえた。
「陣が書かれた紙は、チャマちゃまが管理している書庫のうちの一つにあったから、こいつを通さず持っていくことはありえない。盗んで行ったやつは、確実に陣に用事があったということになる。俺があの陣を借りて確認したいと思ったのは、最近であれを使った人がいるのかどうかと何をしたのかについてだ。手元にないから何をしたのかは分からんが、使った人がいるのかどうかは言わずもがなということになった。ここまで大丈夫か」
「はい。誰かが、その術を使った可能性が高いということですよね」
「かなり高い。で、次に俺が調べたいのは「宗玄元国王の日誌」だ。元国王ではあるが、極めて優秀な博士として召喚術を研究していた人物で、人の召喚に初めて成功したのも宗玄元国王。日誌ってついているんだが、今日はいつにも増して付き人が超ウザかったとか、息子の新しい恋人が付き人と二股かけている現場に遭遇してしまってとても困ったとか、そういう日常的なマジモンの日記に混じって、時々ガチの研究日誌のページがある。普通の研究日誌はきちんと冊子をわけて細かに経過観察をしているんだが、それだけなぜか日常の合間合間にこっそり記録されている」
「人を召喚する術についてですか?」
「どっちかというと、召喚された人についての記録だな。召喚された方の人間のことを「二人目」と呼ぶとすると、二人目の食べたもの、過ごし方、人への接し方、歩き方とかいろいろ、宗玄元国王の日常の記録に混じって書かれてある。俺の記憶が正しければ、手厚く見守られていたそいつは、多くの優秀な研究者がいたにもかかわらず長生きせずにあっさり死んでいる。その前後の記録に、俺がほしい情報があるかもしれない」
クロがシュンの服を掴む。
「そこで、お前に一つ頼みがある」
「な、んですか」
「王宮へ行って最奥部の棲龍館に侵入し、何食わぬ顔で宗玄元国王の日誌を借りてきてくれ」
「は……?」
思わずクロの目を見返すが、そこにはふざけている気配がない。シュンは「えっと」と言葉を挟んでから、慎重に息を吸う。
「一つ、分からないんですけど、その、禁忌の術が使われていることと、タオの様子がおかしいことが、関係あるってことなんですか?」
クロは黙ったまま唇を噛んだ。何と答えるか悩んでいるようにも見えるようすに、シュンは返事を待たずに言葉を続ける。
「二人目について書かれた日誌を探すっていうのは、そこに、タオと同じ状態の記録があるかもしれないと予想しているということですか? 俺は、いくらタオのためになるからと言われても今のままでは動くことはできません。クロがどういうことを考えているのか、聞かせてくれませんか」
シュンは、静かに話してクロを見た。ここまで世話をしてくれているクロのことを疑うわけではないが、リスクを冒して王宮深部に侵入し日誌を手に入れた後でクロが豹変しタオを苦しめない可能性が全くないとも言い切れないとシュンは思っていた。そう感じていることはなんとなくクロにも伝わったのか、小さくため息を吐いた後にクロは口を開く。
「俺は、あいつは二人目なんじゃないかと思っている」
シュンは目を見開いて反応するが、何も言わずにクロに先を促す。水滴が水たまりに落ちる音がひどくゆっくりに聞こえた。
「最近禁忌で召喚された何者かの二人目。俺はあいつのそっくりさん、つまり、暫定あいつの本体とおそらく面識がある。あまりに似ているもんだから、まさかと思ったんだがな……」
「その人も、紫色と黄色のサマナーなんですか?」
シュンは、クロがタオの適正色を鑑定している時、部屋中に光る粉が舞っていたときのクロのひとり言を思い出した。黄色と紫色の花が咲くのを見たクロが言った「やっぱりな」という言葉、そして何より、二色適正がある人もいると言って当然のようにタオに手を出すように言っていたのだ。クロははじめから、タオが二人目であることに気付いていたのかもしれない。
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