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「どこを見ているんだ。目の前にいるだろうが」
「実は嘘でしたって感じで不意打ちされるかと思いました」
「あっそ。ま、慎重なのは良いことだ。今のはこれの使い方のうちの一つで、まあ、なんだ、瞬間移動みたいなものだ。まず鶴を広げて飛べるようにしてから、どの方向にどんな風に飛んでほしいかを伝える。そんで、投げる。あとは、理想の場所に自分が立っていることを想像しながら軽く飛んで終わりだ。それで気づけば鶴が飛んで行った場所に行けるぞ。やってみるか」
「えっ、あ、そ、あ、はい」
「……」
「……大丈夫です」
動揺したシュンに目を細めるクロは、そっと傍の石に腰かけた。シュンは恐る恐る巾着から一枚取り出してクロの様子をうかがうが、何の言葉も返ってこない。ぎこちない手つきで織り込まれた鶴の羽を広げて、クロの隣まで穏やかに飛んでいくのを想像しながら勢いをつけて手を離す。とくに何かしたわけでもない紙の鳥が、シュンの手から離れた途端に生きているかのように翼をはためかせて空気中を滑らかに飛んだ。
「わ……」
シュンは思わず声を上げる。白い小さな影が動いているのを見ることに夢中になってしまいそうになるのをこらえて、小さな白い鳥がクロの傍まで行きつくころに向けてそっとその場で跳ねた。パンプスが石を踏みつけた砂利の音とかすかにたった砂ぼこりがクロの目に留まる前に、シュンはクロが座っている大きな岩の隣に落ちる。クロが見せたような軽やかな着地にはならず、ふらついた勢いで片方の膝をつくがなんとか転ばずに移動することができた。顔を上げると先ほどまで自分が立っていた場所が視界に入る。隣を見上げると、クロがにやりと笑ってシュンを見下ろしていた。
「できるじゃないか」
クロの言葉と表情で、自分が達成したことをゆっくりと実感していく。口角が緩んでいくのが自分でもわかった。今、クロは確かにシュンをほめたのだ。
「あっ……ありがとうございます……!」
「これをうまく使えば、相手の近接も回避できるし他の修練中サマナーとくらべても見劣りしないだろ。せいぜい自分の武器になるよう使いこなせ」
「はい!」
嬉しそうなシュンに何度か軽く頷いて、クロは岩から下りる。ふっと息を吐くと左手に大きめの花を咲かせた。吹いている風にもみ消されることなく開花したそこからは、黒い大ぶりのフードがついたケープが現れる。高い襟に顔を埋めてフードをかぶると、クロの足元にケープの丈が余って折り重なっていた。
「お前は……まあ念には念をって言うしな」
シュンを一瞥してから同じものを咲かせてシュンに渡す。羽織ると、クロほど丈は余らないが膝まですっぽり収まり、フードを被ると顔は完全に隠れた。
「ついてこい。ちょっと話がある」
クロが杖を振ると、ケープの余っていた丈の分クロの身長が伸びる。ふわりとその場に浮かんだまま平行移動するクロを二度見して、シュンはその後を追った。河原を飛び越えて森の中にある小道に入っていく。川に沿って上にある山に行くか、その下の農場に行くかしか行ったことのなかったシュンは、心がうきうきしてくるのを感じていた。それも、クロに褒められた後というのもあって、率直に言えば調子に乗っていた。
軽い足取りで整備されてはいない森路を抜ける。整備されたというには荒いが、短く刈られた草がかき分けられており難なく歩くことができた。鼻に広がる、木が霧の水分を吸い込んで湿気た香ばしいにおいで肺をいっぱいにする。進める足が踏みしめる土と雑草の混じった爽やかな音をたてて、シュンを耳から癒していく。聞こえる足音が一人分であることで、ここに自分が一人でいるような錯覚をしてしまいそうになった。草木が風で揺れる音、鳥が羽ばたく音や生き物の鳴き声、そして自分の足音。目を閉じると、足を止めてゆっくりと深呼吸をした。
「おい、どうした」
立ち止まったシュンをクロが振り返る。フードを被って完全に顔を隠したクロは、身長を盛っているというのも相まって普段よりも迫力があるとシュンは思った。明るい日が射しこんでいる木々の隙間を見上げてから、脱げかけているフードを深くかぶりなおしてクロの元まで駆ける。
「いえ、何でもないです。自然っていいなって思って」
「そうだな」
ぶっきらぼうに返事をすると、クロはそのまま滑るように進み先を急いだ。途中大きな木が倒れて道をふさいでいる場所に行き当たると、クロはその木に沿ってさらに森の奥へと進む。小道の先は続いているようだが、そこからそれて草が生い茂った場所をかき分けて歩いた。シュンの胸ほどの高さのあるツタをなんとかよけて歩いていくうちに、にぎやかだった森の中が急に静まりかえったように感じて周囲を見渡す。
足元を走る小動物も、木から木へ移っていた鳥も、一切の生き物の気配が消えていた。ただ、木々が茂らせている葉を風になびかせる音だけが騒がしく空間を占める。妙に不安になりシュンは肩を見るが、眷属の鳥は変わらずそこに止まってキョロキョロと景色を見ていた。草をかきわけるシュンの後ろにいたクロは、シュンの肩の位置まで姿勢を落とすと小さな声で囁く。
「何も言うな。前を見たまま俺の誘導に従って進め」
「……」
何も、というのは、シュンが森に感じた妙な雰囲気に関係する話を、ということであって、一切話をするなというわけではない。もちろんわかっているが、シュンが黙ったまま頷いて足を動かした。気持ちこれまでよりやや早歩きで進んでいく。何かに追われているようなずっと見られているようなそんな錯覚から、焦る気持ちが止まらない。草を踏みしめ足でもかき分けながら夢中でただ前に進んでいると、クロがシュンの肩を掴んだ。
「ヒッ」
「こっちだ」
肩をすぼめて立ち止まるシュンに気をかけることなく、クロはそのまま鳥の止まっていない方の肩を掴んで左に誘導する。左にあるのはシュンの体三人分以上の太さがあるほどの大樹の幹だけだ。クロの力が弱まらないまま大樹が視界いっぱいに迫ってくる。「えっ」とシュンが何度も呟くのも無視してクロは大樹に杖を突き立て、そのままシュンを投げるように押し出した。
「ええっ」
状況を理解できずされるがままのシュンは、大樹に頭から衝突する衝撃に備えて思い切り目を瞑る。側頭部に来るはずだった衝撃はいつまでたっても来ず、むしろ勢いよく飛ばされた先に何もなかったことで体のバランスを崩してその場に倒れこんだ。その感覚が草木のものではないことを確信して目を開く。河原に転がっていた石よりさらに大ぶりの石がびっしり詰まったそこは、どうやら洞窟のようだった。どこかで滴が落ちる音が響いている。クロが杖の先に小さな花を咲かせると、その仄かな灯りで視界が安定した。石に生えている苔が腕についていることに気付いたシュンは、慌てて払うと手まで汚れてしまい、非難の目をクロに向ける。
「お前、さっきのはなんだ。すさまじいびびりっぷりだったな」
声を抑えて話しているが、大きく反響し余韻まで耳に入った。シュンを投げ飛ばしすっころばせたクロは、涼しい顔で足元にかけていた術を解き地面に足をつける。苔が生えた石の上を歩く音が拡張されて、耳に心地いい。
「あれは誰でも驚くでしょう。タオだったら叫んでましたよ。何も言わなかっただけ優秀です」
「開きなおりかたが厚かましいな」
「クロこそ、何も言わずにこれはあまりに乱暴すぎませんか。俺がドジだったら大けがをしていました。これは、さっきの木の中ですか?」
「いや、木についてる術式を読み込んで、その先の座標までワープした。ここは木の中でもさっきの森の近くでもない」
シュンは口を尖らせた。
「つまり、木のところまで行ったら術でどうこうすることはわかってたんじゃないですか。言ってくれてもよかったのに……」
拗ねたようにぼそりとこぼすシュンにクロは肩をすくめる。フードを脱いでケープも脱ぎ捨てた。クロの手から離れたケープは、すくいあげてこぼす砂のようにさらさらと消えていく。その様子を見てシュンもケープを脱ぎその場に離すと、ふわっと黒っぽい砂ぼこりが上がって消えた。見届けるとクロは歩きだし、シュンについてくるよう促す。
「あいつ、夢に出てきた人間の名前を「ジン」っつっただろ」
静かな岩肌に、クロの声と靴音が反響する。シュンは頷いた。
「はい。でもクロは知らないって……」
「ああ、知らん。ただ、そいつの本名がジンカイなら、知らんこともない」
「本名? どういうことですか」
小さな水たまりを飛び越えた拍子にシュンが足を滑らせる。肝が冷えた顔のシュンを見て悪そうに笑うと、クロは話を続けた。
「例えば、お前は俺たちに、シュン、と名乗っているな」
「えと、はい」
「だから俺やあいつは、お前のことを「シュン」として認識する。でも、実はお前の名前がシュンヤとかシュンキチだったとしたら? 本名でお前を認識している人間でも簡単な呼び名で呼んだりするだろ。で、あいつが夢で見た友人らしきジンのことも簡単に呼んでるだけで、実の名前はジンカイなら、まあまあ分かるかもしれんなってことだ」
「どういう人なんですか」
「優秀なサマナーだ。過去に戦争で功績を上げ、王に賞されたのが数度と、確か疫病で化け物らに陥落しかけの町や農場で生存者のサポートをしているのも勲章ものとして称賛されている。これでもまだかなり若いぞ、見た感じお前より少し上かそんぐらいだったはずだ」
シュンは思わず「へえ」と声をもらす。年が近いのに一から魔術などを教わっている自分と、極めて優秀な兵として活躍しているだけでなく人道的な貢献もしている人がいると思うと、どう比較しても素晴らしくしか映らない。
「俺の記憶が正しければ、マユリノ出身じゃなかったはずだ。マユリノは大陸の東にあるがな、そこよりさらに左にいくと大洋が広がってて、ちっこい島がわんさか浮かんでる。その中の一つの出だった気がするが……どうだったかな……」
「海があるんですね」
「ある。あんまりにでかいから下手すると迷ってどこかに行き着く前にしぬやつもいるぐらいだ。で、その海洋地域の島々の中でも一つ奇怪な島があってな。外から島の内部への入り口は一部の人間にしか共有してないとかなんとかで、島の外から来る人を排除しているって話だ。そこそこの大きさの島でな、中はきちんと町や都市が整備されていて国として栄えているらしい。ヨルカ帝国って聞いたことないか? 呪術師の国だよ。周辺の小島に生まれて傭兵になりたいと思たやつは、まずこの島で修練を積んで認定を受ける。なんせ大陸まで途方もなく遠い上に上陸できても不法入国扱いになるからな。他に就きたい傭兵職があってもひとまず資格だけとるんだよ」
「呪術師が、傭兵職なんですね」
「そうだ。確か、ジンカイも呪術師として傭兵になってから、マユリノまで来てサマナーになったはずだ」
「マユリノの傭兵に、呪術師としてなるんじゃなくて、サマナーになったってことですか?」
「ああ。どこの国の所属の傭兵かは知らんが、サマナーの認定試験を受けなおしてサマナーになったはずだ。それはそれは適正が強くてな、研究者たちは喜んでジンカイに高等術式やらなんやらをやってみるよう勧めていたな」
「へえ、結構詳しく知ってるんじゃないですか。でも、そんなにすごい人がタオに向かって「才能が羨ましい」って言うって、どういうことなんでしょう……」
「さあな。そもそも、その夢に出てきたジンとやらが、ジンカイじゃないかもしれないし。ただ、もしジンカイだったとしたら、あいつが夢で見るのはどういうことなのやら」
そこまで話すと、クロは杖の先に咲かせて灯り代わりにしていた花を消す。杖を腰の革袋にしまって、足元の石を一つ蹴った。固い音がカランコロンと遠くまで響いて、トプンと鳴って水に落ちる音がした。その音をきっかけに周囲に青白い光がぽつぽつと広がっていく。小さな点集まりが仄かな明るさで広い空間を照らしていった。気づけば、二人が歩き始めた場所よりもはるかに天井が高い大きな空間に出ており、少し先には湖のような大きな水たまりができている。あちこちでおぼろげに光るそれらは、透き通った水に反射し水面の滑らかさに拍車をかけた。シュンは思わずため息をつく。
「わあ……これも何かの術ですか?」
「ツチボタルっていう虫だ。一切の魔術を使わない、自然の力だよ」
目の前に広がる幻想的な空間に息をのんでいると、クロは広がる水たまりの方へと近づいて何かを探すようにあたりを見回した。
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