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「あんまり、痛くはないんだよ」
にこりと笑ってみせるが、今は何をやっても強がっているようにしか見えないのだとあきらめる。クロが引き出しから包帯を取り出してタオの手に巻き付けた。そこに、杖の先を当て、少し悩んで引き出しの一番下から小瓶を取り出し、その中の粉を指でつまんで包帯にふりかける。黄色い粉は、包帯にかかると色を失って消えた。タオが不思議がって息を吹きかけても粉が飛んでいるようには見えない。
「……?」
「なんで人が粉末をまぶした場所を平気でフッフするんだよ、スカポンタンが」
「ご、ごめんね。何だか不思議で、つい」
「まあいい。とりあえず応急処置としてその包帯の中の時間をゆっくり動くようにしてある。これで多少は進行が遅くなるだろうし、他にもおかしな場所が出てくるようならはやめに言え」
「ありがとう。なんだか、ごめんね」
「使いっぱしりが一人消えると不便だからな。それより、おい、眷属の報告でも聞かせてやれ」
クロが、黙って話を聞いていたシュンに顎で話をするよう促す。シュンは焦ったように目を見開くと、慌てるようにして首から提げているネックレスをたぐりよせた。先についている銀色の笛を緊張した面持ちでつまむと、そっと口に当てて息を吹きかける。澄んだ弱々しい音が小さく鳴ったかと思うと、シュンの腕の回りに白い靄がたちこめていった。タオは目を丸くして驚いたように声を上げる。
「わあ……」
笛を掴んでいない左手の肘を上げて、平行に保つと靄が左手に集中していく。クロは無表情でそのようすをじっと見ていた。ゆっくりと霧が溶けていくと、シュンの左腕を足で掴んでいる白い鳥が姿を現した。嘴をパクパクと何度か動かすと、丸い目で左右に首を回す。綺麗な白い羽は、シュンの黒い服と対照的で神々しいほどに映えていた。安心したようにため息をつくと、シュンは腕をタオに近づける。
「すごい、すごいよ! もうこの子に決めたの?」
「えっと、そうです。複製して眷属にする術は、クロがしてくれたんです」
「きれいな鳥さんだね。いいなあ」
「この色の感じが、ちょっとタオに似てませんか? 見つけたとき、似てるなあと思って」
「ほんと? なんだかうれしいなあ」
「おいおいやめろ、いちいちいちゃつくな。なんなんだお前らは」
顔をしかめたクロは疲れたように肩をすくめた。シュンの手元にいる鳥をじっと見て満足気に頷く。
「なんだ、大人しくしているじゃないか。その様子なら、認定試験までに懐くだろ。心配事が減ったな」
「そうですか、よかったです……ありがとうございます」
ほっとしたように鳥の背中をそっと撫でると、シュンは頭を下げた。
「名前はもう決めたの? 確かクロの眷属はシロ、なんだっけ?」
「あ、いや、名前はまだ……試験に受かってから決めようかなと。もし戦い方との相性があまりよくなかったら、試験の前後に他のパートナーを探そうと思っていて。一緒にいることをきめてから名前は考えます」
「へえ……いいなあ、僕もはやく眷属決めたいなあ、楽しそう」
「まずはゆっくり休むことだな。今からしばらく外にいるが、そこの笛を吹きゃあ俺にちゃんと伝わるようになってるから心配せずに寝てろ。ま、外っつっても出てすぐの場所だし急がん用事なら来ても構わん」
「うん、わかった」
「お大事にしてください」
クロとシュンが部屋を出て行こうとするのを見たタオは、ふとさっきの夢に出てきた二人を思い出した。カーテンの向こうに消えていく背中と、カーテンの向こうに消えていく背中が重なる。
「ねえ」
思い切ったように言葉を吐いた。それは、二人に言っているようで、自分に向けて確認しているような、そんな声だった。これまでのタオからは想像できないような声に驚いたシュンとクロが、カーテンをくぐる途中の姿勢で固まって振り返る。クロは首を傾げた。
「どうした」
タオは悩むように俯いて言葉を探す。
「二人は、外へ行ったあと、ここに戻ってくるよね」
とぎれとぎれに話すその言葉に、クロは眉をひそめた。タオは至って真面目に話している。クロが理解できないと言いたげにタオを見たまま黙ると、「えっと」とタオが左手を見た。もちろん、その手のひらは汚れていない。
「とても寂しい、夢を見たんだ。そこには、僕ととても仲の良い人が二人いて、女の子と男の人で、三人で一緒に戦争に参加したら無敵だねって言って笑ってた。知らない人だけど、とても楽しかった。でもだんだん二人は冷たくなって、最後は僕から離れていってしまうんだ」
クロは表情を変えずにタオから目を逸らさない。タオは緊張しているのか定まらない視線をふとんの上で泳がせながら、ゆっくりと息を吸う。
「途中でね、僕の手がひどく汚れていたときがあって。左手の上に、それはついてた。赤っぽくて黒っぽい、べたべたした液体みたいなもの。僕の足元にはたくさんの人が倒れていて、僕の手についていたのは、多分血なんじゃないかなって思うんだ。誰のものかは分からないけど」
「ほーん」
クロが相槌を打った。構わずタオの話は続く。
「ほら、僕、記憶というか、昔の思い出? これまで、どうやって生きてきたのかの記憶がないでしょ。それでね、ふと思うんだ。僕は何か、昔にとんでもないことをしてしまった人なんじゃないかって。許されないようなことをした人なら、二人と一緒にいるわけにはいかないし、ここからもすぐに出て行かないといけないって思う。けど、夢の中でさえあんなに寂しかったのに、また一人になったら嫌だなって、そう思ってしまって」
タオはそこまで話すとうつむいた。白い髪がさらさらと流れて顔を隠した。シュンはとにかく励まそうと言葉をさがすが、いい言葉が見つからない。考えている間にクロが軽く頷いた。
「自分が化け物に思えるって話だな。夢で何か言われたか」
「えっと、才能が羨ましいって。でも、なんだか話していても動いていても、いつも僕ではないような不思議な感じだったんだ。知らない名前を普通に呼んでいたし……。この言葉も、僕に向けてではないのかも」
「ほーう。じゃ、その血がついた手の持ち主もお前じゃないかもしれないということだな」
「うん……」
「その、仲良しだと思っていたヤツの名前は、なんて言ってたか覚えてるのか?」
「ジンだよ。女の子の方は分からなかったけど、男の人はそうやって呼んでた」
「ジン、ねえ。知らん名前だな。ひとまず、お前が化け物だったとして、とんでもないクソッタレなことをした人間だったとする。記憶がなくなって、俺から見ればお前は能天気お花畑頭のヘナヘナおぼっちゃまなわけだが、そうなった今でもなにかしらの悪行に身を投じたいと思うのか? いや、クソッタレは、悪いことだと思って犯罪に手を染めるんじゃないのか。じゃあなんだ、お前、今一番やりたいって思うことは何だ」
クロの言葉に、タオは目を丸くする。「ええっと」と目線を上にして少し考えてから、にこにこしながらクロに向き直った。
「眷属、決めたいかな。あと、シュンと一緒に農場いって、ごはんにいるものを選んで収穫するとか、あとは何だろ、楽しいことはたくさんしたいし、何かすごいことをやって、クロにすごいって言ってもらいたい」
「なんだそれ、俺は母親かっての。そんな平和な人間がやる悪事なんてしれてるだろ、あんまり自分を買い被るな。まだ術式も組んだことがないのによくまあそんなに怖がれるもんだ。術が組めるまで回復したときにその才能とやらで俺を驚かせてくれ。それまではゆっくり寝てろ」
クロの言葉にタオは肩をすくめて笑う。そのまま、ボフンと大きな音をたてて枕に勢いよく倒れこんだ。
「たしかにそうだね。何かあったら笛を吹くよ。ありがとう」
「わかればよろしい」
クロはそう言ってすぐにカーテンをくぐって部屋を出ていった。シュンはその後に続こうとクロをちらりと見てから、タオに笑いかける。
「たくさん寝たら、また一緒に訓練しましょう」
「うん! がんばってね!」
カーテンの向こうからシュンを呼ぶクロの声に肩を揺らして、シュンは軽く手を振り部屋を出た。二人の足音と話し声がかすかに聞こえる部屋で、タオはゆっくり目を閉じる。ランプの優しい灯りとふとんのあたたかさに溶け込んでいく感覚は、とても心地よかった。不思議とこみ上げる眠気に任せて意識を手放す。遠くで聞こえる扉が閉まる音が次聞こえたときに「おかえり」を言うために、深い眠りについた。
川の水が石に当たる涼しい音を聞きながら、シュンは半裸で冷えた風にあおられていた。うちわで優しく仰いだ時のような小さな風が頬を掠め髪を撫でていく度に心に虚無が広がる。脱いだシュンの服を膝に乗せた状態で、クロはシュンの正面にある石に座ってそれをガン見していた。幼い少女に、それも色のない無表情な目で見られる状態に、シュンの中の何かが少しづつすり減っていく。召喚されたままの鳥の足が肩に食い込むのも地味に痛むが、時々ピイピイと可愛らしく鳴きシュンの乾いていく心を癒してくれるため我慢することができた。うっすら浮かんだままなぜか消えない笑みを浮かべたままシュンは恐る恐る話しかける。
「あの……今、俺、どうして半裸なんでしょう……」
クロは顔を上げて「ああ」と言って顔をしかめた。
「お前なんで微妙に笑ってるんだ? さすがに気色悪いぞ。見られると笑みが止まらないタイプの人間なのか。意外だったな」
「すみません。虚無になると、つい」
「ああ、虚無の微笑みな。そんなことより、お前細すぎないか。疲れやすいですって体がしゃべってんぞ」
半裸よりも薄ら笑みに強く反応するタイプの少女クロは、皮肉るというよりはやや引き気味にシュンの腹を指さして言った。風にさらされているのはほっそりとした腹部である。
「そうですね、疲れやすいかは分からないですけど、あんまり太ったりしないです。その分筋肉もないのでただただ痩せるのみですね……」
「もし俺がお前と戦うことになったとしたらという話をする」
「はい」
「もし、俺がお前と戦うことになったとしたら、まず殴る。気絶したら術を使って捕縛するだろうが、術を使うまでもなく倒せる雑魚だと一目でわかる相手に、わざわざ術式組む必要もいろいろ考えて術を置く必要もないからな」
「殴っ……」
シュンは肩をすぼめてクロを見た。シュンよりはるかに小さな体で、殴って気絶させると言うのだ。シュンも確かに適度な不健康そうな細さであるが、クロも華奢である。パワーでどうこうする前に、魔法で戦った方が早いのではと思ったシュンの考えが伝わったのか、クロはハンと鼻で笑った。
「筋肉をばかにするやつは筋肉に泣くぞ」
にやりと笑ってそう言うと、座ったまま服を投げ返す。シュンは慌てて受け取ると、肩に乗っていた鳥が振り落とされてギャアギャア言いながらその場を旋回した。
「鍛えた方が、サマナー的にも良いんですか」
「良い。むしろ、サマナーは近接攻撃を主軸に戦闘スタイルを確立する兵が多いからな。体術を使って眷属と連携組むのがサマナーの基本姿勢だし、今は一番筋肉が必要って言っても過言じゃないかもしれん。ま、お前がどういうスタイルでいくのか次第ではそこまで近接じゃないかもしれないが、相手の近接攻撃が強いとお前は抵抗する間もなくしずかに死ぬからな」
「がんばります……」
「そうした方がいいだろうな。ほら、はじめはこれをもっていろ」
シュンが服を着終わるのを待って、クロは小さな巾着を差し出す。クリーム色のそれはオレンジ色の紐で絞られており、紐をゆるめると中には小さな折り鶴がびっしり詰まっていた。どれも白い紙でおられている。
「これは……」
「サマナーの術っていうのは、簡単なやつでも術式がとてつもなくめんどくさい。昨日のトマトを思い出してみろ。紙に陣書いて、石置いて、素材を置いて、花を咲かせてってせっせこせっせこしている間に騎士にぶん殴られて即死で終了、マユリノは他の追随を許さないクソザコ大国として歴史に名前を刻むことになる」
「たしかに、そうですね」
「そこで、それぞれサマナーがいろいろ工夫して、戦場でも快適に術を組んで戦えるように対策するわけだ。その鶴は、俺が考えた簡易召喚状。はじめはそういう簡単な術に慣れつつ、力の使い方をコントロールできるように鍛えるぞ。当分は火力よりコントロール重視だ」
「術式を組めなくても使うことはできるんですか? どういう風に何をするのか、あんまり想像がつかないというかピンとこなくて……」
シュンの不安げな目もクロは想定内だったらしく、「一つよこせ」と手を伸ばした。巾着から折り鶴を一つつまんでクロに差し出す。コンパクトに折りたたまれたそれを鳥の形に広げると、クロはさっとシュンの方へと投げやった。
「えっ」
シュンは慌てて受け取ろうとするが、伸ばした手をすり抜けて鶴はシュンの脇を掠めて後ろに飛んで回る。折り鶴が羽ばたいてすばやく消える姿にあっけに取られてクロを見ると、そこにクロはいない。
「えっ……?」
わけがわからず呆然としていると、真後ろで砂利を踏む音がした。振り返る間もなく背中の衝撃が走ってシュンはその場で膝をつく。
「ぐっ」
傷みより驚きの強さで腰が抜けてしまった自分にあっけにとられていると、いつの間にか後ろにいるクロがハハハと豪快に笑った。
「油断するな、俺が敵だったらお前は死んでるぞ」
「すみません……今のは?」
クロが、シュンの巾着からもう一羽抜き取ってふわりと飛ばす。乾いた音をたてながらシュンの目の前まで来たかと思うと、白い霧になり消えた跡にクロが現れた。その顔は、どこか自慢げである。シュンは頭を整理するために振り返るが、もちろん後ろにはクロの姿はない。
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