ー 9





「見ての通りだ。お前は白系の術に強いサマナーらしいな」


「白系……」


「空気に関係あるものだな、ざっくり言うなら。たとえば温度をいじるものとか。あと重力関係もいけるはずだ」


「それ以外のものはつかえないんですか?」


「普通に使える。ただ、術を色分けして白の射程範囲に該当するものは、他よりさらに向いてるし強い。術式を細かく組まなくても簡単に術をつかえるようになるのは、だいたい適正のある系統のものだ」


「へえ……。あなたは何色なんですか?」


シュンの言葉に、少女は目を丸くして黙る。口を閉じれば少女はただの可愛らしい女の子だ。黒くて大きな瞳でシュンをぼうぜんと見つめた後、少しして、眉をひそめて渋い顔つきに戻る。

「……なんだその気色悪い呼び方は」


「えっ」


「俺のことを、「あなた」とかいう妙に相手を上にみたようで自分を上げているだけの胸糞悪い言葉で指すな。次からは、そうだな……クロとかでいいか。クロって呼べ。敬称もいらないからな、吐き気がする」


「そ、そんなに……」


「返事は?」


「っはい」


姿勢を正して返事をするシュンと、明らかに本名ではないクロという名前を自称する少女を交互に見ながらタオはにんまりと笑った。


「やったね、なんか友達みたいじゃん! わくわくするね」


「誰が友達か」


「照れないでよ、クロ!」


ご機嫌のタオの勢いに気圧されて、クロはめんどくさそうにゆっくりと瞬きをする。


「で、だ。俺の適正系統は黒と赤の範囲。色で言ってもピンとこないだろうが、別に今はいい。そのうち慣れたらいろいろ分かってくるはずだ」


「二色ある人もいるんですね」


「いるいる。ほら、お前、手を出してみろ」


クロに手を出すよう促されて、タオはきょとんとしたまま左腕を差し出した。シュンのときと同じように杖で文字を書いて、手のひらに石を乗せる。くすぐったくてヒイヒイ笑うタオを横目で見つつ、少女はそこにふっと息を吹いた。黒い靄のようなものがもくもくと広がり、タオの手のひらよりもはるかに大きく膨らんで浮かんでいく。それ自体が生きているかのような滑らかな動きでタオの手のひらの上の空気を黒く変色させてむしばんでいく様子は、どこか不気味ですらあった。


「ええ……」


自分の手の上に広がる大きな靄の塊に顔をしかめるタオの言葉に耳を傾けず、クロは真剣な眼差しで靄から目を逸らさない。次第にタオの顔と同じぐらいの大きさまで膨張すると、それは大きな二つのつぼみになって開花した。大きな花びらは中心から先にかけてじわじわと色づいていく。紫色と黄色の花が空中でふわりと揺れて回ると、弾けるように霧散して、キラキラと光る粉のようなものが室内をふわふわと旋回した。黄色と紫色の仄かな灯りをまとったそれらが光を失うまで時間が止まったような幻想的な雰囲気になる。楽しそうにきょろきょろと周囲を見回すタオの瞳も、光を吸収してチカチカとまたたいた。


「やっぱりな……」


何が起きているのが分からず夢中でクロの様子を見ていたシュンは、その小さなひとり言の意味がさっぱり分からなかった。靄が消えた後も、呆然としたままシュンはタオを見た後クロを見る。自分の手のひらの上で開花したものとは、全くべつものであるように見えた。


「な、二色あるやつもいるだろ。ぶっちゃけ色ごとに射程範囲がかぶってる術も結構あるし、二色じゃないから不便だとかってことはないとは思うが、さすがに三色と一色なら三色の方が得ではあるな。まあ、自分の色だけ覚えてろ。生き方とか戦い方にかかわってくるから」


「戦い方……?」


「傭兵訓練だっつったろ。戦わない兵士がいるかよ。じゃ、石は全部預かるぞ。色も分かったことだし、術式に使えるように鍛えておいてやる。あー、そうだな。武器は杖でもいいか? 俺と同じ形のものなら知り合いに頼めばすぐに作ってもらえるんだが」


シュンとタオは頷く。


「至れり尽くせりですね……ありがとうございます」


「サマナーを育成するってなったらこの程度は普通なんだよ。後はなんだ、眷属だけか?」


めんどくさそうに頭の後ろをかくと、クロは杖を指にからめて回しながらぼそぼそと呟いた。シュンは少しずつ、クロの表情は感情が分かってきたように感じる。


ーー今のは、少し照れている……気がする。


口にしたら最後、シロの餌になってしまうのではと思うととても言うことはできないが、口調の強さとは裏腹にクロも見かけ通りの少女らしい一面もあるのかもしれない。


「すごいね! 今のって僕の手から出たよね!」


目を輝かせながら話すタオは、興奮が冷めない様子ではしゃぎながら自分の手の平をじっと見る。クロが石を回収してタオの手を離すと、ぴょんと跳ねて椅子から下りた。その拍子に足をからませて椅子とともに転ぶ。派手な音をたてながら床にひっくり返るタオに、シュンは驚いて椅子から飛び降りた。


「大丈夫ですか?」


シュンの腕に抱き起こされるタオの顔は、ひどく暗い。先ほどまで嬉しげに眺めていた左手ではなく右手を抱えて蹲っている。


「おい、どうした、大丈夫か?」


クロは椅子から立ち上がって、テーブルの下ごしに様子を窺う。震える声で、タオは小さく言った。


「痛い……」


「どこが?」


「右手……手首かな、ヒリヒリするんだ」


クロに向けてタオが右手をそろりと出す。クロが今朝渡した服の袖から覗く細い手首が、作りもののようにほころんでいた。ヒビのような傷が入り、肌荒れが悪化したような白い粉がふいている。その傷口を見た途端、クロの顔色が変わった。すばやく飛躍しテーブルを乗り越えてタオの傍に着地する。


「いつからこうなった?」


「え、と、分からないなあ。痛いと思ったのはついさっきだよ。なんでだろ、疲れちゃったかな……?」


あはは、とタオが弱気に笑うことも気にせず、クロはタオの左手をつかんで台所の奥の部屋に連れて行った。シュンも慌てて後を追う。そこは窓も通気口もない空気がたまった暗い部屋だった。壁についているランプに火をつけても、ぼんやりとした橙色が照らす範囲は狭くあちこちが影になる。今はまだ昼だが、まるで深夜と錯覚してしまいそうだとシュンは思った。丸い形の小さなテーブルと一人がやっと眠れるほどの大きさのベッド、同じ大きさの引き出しが三つ縦に並んだ小物入れだけしかないシンプルな部屋を前にタオがぽかんとしていると、クロはふとんとまくってベッドに寝るよう促した。


「とりあえず寝ろ。またどこか傷んだりおかしなことが起きたら、すぐに引き出しの一番上に入ってる笛を吹け」


「まだお昼だよ?」


「部屋は暗いぞ。夜だと思えば夜なんだよ」


「ええ……」


不満げに笑うと、タオはベッドに横になって大きな枕に頭をうずめた。クロがふとんをかける。


「うわあ、ふわふわだね……」


嬉しそうに話しているかと思えば、そのままタオは静かに寝息を立て始めた。シュンは何が起きているのかわからずクロを二度見する。タオの睡眠を邪魔しないよう杖でランプの上に靄の花をかぶせると、クロはそのまま忍び足で部屋を出てシュンを手招いた。部屋の扉の代わりにつるされている分厚いカーテンをくぐって、テーブルまで戻る。倒れた椅子を起こして、シュンはクロの向かいに座った。


「あの……」


「言っておくが、あれは椅子からすっころんでできた怪我じゃない。しばらく俺がようすを見るから心配するな」


「はい……」


「あの調子じゃサマナーの試験どころじゃないし、回復するまではお前一人でやってもらうぞ。その前に、腹ごしらえのために昨日の農場でパプリカ一つとタマネギを二玉選んできてくれ。食べたら眷属選びもかねて森に出る」


「っはい」


シュンが頭を下げて小屋を出ていくのを、手をひらひらさせて適当に見送ったクロは、悩ましい表情でテーブルをじっと見つめる。ついたため息は顔の幼さに似合わない重いものだった。杖をくるりと回すと、両方の先についている黒い石が軌跡で丸い陣を描く。ほのかに光る陣に向かって、クロは小さな声で話しかけた。


「俺だ。杖を二本頼みたい。型は、問題がなければ俺と同じ型で頼む。それから」


言葉を切って少し考える。


「調査資料を見せてほしい。気になることがある。気づいたら連絡してくれ」


一人で話しきると、横向きに保っていた杖をしまう。消えた魔法陣は光る粉になって空気中を浮遊し消えた。





------




紫色と黄色の大きな花が、手の上で開花した。その手は自分のものであるようで、でも他人の手だと言われると納得してしまうような不思議な違和感があった。


花が霧になって漂うのをじっと目で見ていると、真っ白だったその空間は徐々に色が変わり、気付けば視界いっぱいに野原が広がっている。青い髪を後ろに結んだ青年と、灰色の髪を無造作に流している少女が、こちらを見て目を輝かせていた。頬を紅潮させて目を大きく見開いたようすは、言葉にしなくても興奮していることが伝わる。


「すごいじゃないか! お前はやっぱすっごいな!」


「これで三人合わせて八色のうち五色あるし、もうわたしたち無敵だね。次の奪還戦争が楽しみだわ」


「あはは、二人とも気が早いよ。僕まだ傭兵認定試験も済んでないし、受かるか分からないよ」


「白々しいな、受かるに決まってんだろ。誰が召喚術教えたと思ってんだよ、自信持てって」


「ありがとう、ジン。がんばるよ」


自分の口から自然となじみのない名前が出てくる。なぜ笑っているのかも分からないが、確かに心があたたかくなるのを感じていた。自分の手のひらに目を移す。じわじわと痺れているような感覚が指先まで広がっていた。次第に景色は荒廃した山の中に変わっていく。足元には多くの人が泥まみれになって倒れている。状況が呑み込めずに周りを見回すと、自分のすぐ後ろに先ほどの二人が立っていた。


「あ……」


目が合うと、少女が気まずそうにうつむく。自分の左手を見ると、なぜか赤黒く汚れていた。思えば口の中が苦く、金属の食器と同じ味がする。左手にはめている大きな二本のブレスレットと親指の指輪についている石が、ちかちかときらめいていた。


青年は何も言わずに目を逸らしたまま表情はかたい。一体何をしてしまったのかと思って何かを言おうとするが、口を開くとまた景色が変わる。


三人で立っている場所が、山ではなくもとの野原に戻った。深い緑色の葉をたくさんつけた木の下で、顔を頭から垂らした布で隠した人物がそばに立っている。二人に向き合うようにして立っている状況、そして二人の暗い顔が胸をざわつかせた。ジン、と自分が呼んだ人物が伏せていた目を向けてきたかと思うと、突き放すような乾いた笑みを浮かべて肩をすくめる。口を開くその動作が、とてもゆっくりであるように見えた。聞きたくない、と反射的に感じる。


「才能が、羨ましいよ」


まるで他人のようなよそよそしい笑みでそう言うと、ジンは少女とともに背を向けてどこかへ歩いていく。少女が何度かこちらを振り返るが、足を止める気はないようでどんどんとその背中が遠ざかっていった。正体不明の喪失感と虚無感から足の力が抜けてその場に膝をつく。白い服に草の青色がうつることも気にせず崩れるように座り込むと、景色が何もない黒い空間に変化した。足元にあった草原も暗闇に飲み込まれて行く。隣にいた人物を振り返ろうと足を少し後ろに引くと、体のバランスを崩してそのまま足場を失い落下する。何かを掴もうと手足を必死に動かしてもがくが意味はなく、次第に疲れていった。ぼんやりとした意識の中で、重力に身を委ねる。


ーーこのまま、死んでしまうのも……


「タオ!」


聞こえてきた大きな声で、思わず肩を震わせた。開いても何を見ているのか分からなかった目はゆっくりと焦点が合っていき、優しい橙色が浮かんだ部屋の天井が見えてくる。隣には、綺麗な碧眼が心配そうに覗き込んでいた。タオが徐々に意識がはっきりしてくるのを感じたころ、クロがため息をついて話しだす。


「大丈夫か」


「えっ、と……」


タオはゆっくりとさっき目にしたものを思い出していく。どんどん変わる景色に、二人の遠ざかっていく背中。タオがベッドから起き上がって何かを考えているのを見て、少女はその足元に腰かけ足を組んだ。シュンが木でできた小さな椅子に腰かけると、心配そうに説明する。


「何か、嫌な夢でも見ましたか? うなされていて、苦しそうでした」


「ゆめ……」


タオはシュンの言葉を復唱してそのまままた黙る。


「手はどうだ。まだ痛むか?」


クロに聞かれて、タオは右手首に目をやった。薄いガラスにひびがはいったようになっていたそこは、肌が紫に変色してよりいっそう深刻化している。シュンとクロが息をのむのを見たタオが、傷口を手で払う。それですら、シュンの目にはひどく痛々しく映った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る