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肌に当たってとろけていくような穏やかな風が頬を掠めていく。やわらかで薄手の羽織ものを肩にかけた少女は、白い綺麗な肌の足を水に浮かばせていた。少女の足にさらりさらりと混ぜられる水も大きく波打つことなく揺れる。微かに聞こえる水音と、風に揺すられる笹の静かな葉音が少女の心を落ち着けていた。ため池にかかっている石橋に腰かけている少女の後ろに立っている小柄な狐が、痺れを切らしたようにそっぽを向いて橋の先にある通路へと歩いていく。通路の柱にもたれて立っている足まで行くと、狐は頭をなでられた。白い手袋に包まれたその手の主は首のうしろをぽりぽりとかいて「ん~」とためいきをつく。


「そろそろ行かないとですよお、姫様~。体を変に冷やしてしまったら、ま~た先生が怒るんじゃないんですか~? それ怒られるの雀蘭(じゃくらん)なんですよお、堪忍してほしいもんです」


「あ~あ~」と大げさすぎるため息をつくと、肩まである長い耳飾りを揺らして首を傾げた。しっかりと左側にまとめられた亜麻色の前髪はみだれない。橋に腰かけていた少女はゆっくり顔を上げて少女を見た。綺麗な黒髪が射し込む日光に照らされて艶やかに光る。


「もう時間か」


「ですねえ。今日は何分遅刻しちゃいます~?」


「間に合うように支度する。雀蘭、タオルは?」


「こちらに」


にやりと笑った雀蘭が左手の中指につけている指輪に右手をかざすと、ほのかな光とともに白いタオルが現れた。分厚くてふかふかのそれを受け取り、「姫様」は濡れた足を拭く。傍に置いていたブーツに足をいれると雀蘭がそのリボンを結んだ。タイトな黒いワンピースを着た少女が立ち上がって、背中に通した羽織りを両肘にかけると歩きだす。大きくて長い袖にしまった両手を合わせた雀蘭が、楽しそうにその後に続いた。


「検診、何事もないといいですねえ」


「ああ」


二人の後を追いかけっこをしながら小柄な狐三匹がついて廊下を駆ける。少女が使い終わったタオルを無造作に捨てると、水に溶ける氷、紅茶に溶ける砂糖のように、じゅわりととろけて地面につくことなく消えていった。






「……はっ」


少女は寒気と冷や汗で目を覚ました。先ほどまで本当に眠っていたのか疑ってしまう程に意識ははっきりとしている。ゆっくりと回りを見た。木で張られた屋根がずらりとひろがり、窓からは朝の優しい光が漂っている。布団からはみ出ていた手は酷く冷えており、布団の中のに入れるとあたたかさにしびれる。足元には、一人の青年が立っていた。ほのかにピンク色の混じった金髪がやわらかに光を吸収している。


「いたのか」


「はい。悪い夢を見たんですか」


「夢……夢だったら良かったんだがな」


ぼそりと呟くと、少女はゆっくりと布団から出てあくびをする。ゆったりとした柔らかい生地の黒い服のまま窓を開くと、思い出したようにシュンを振り返った。


「あいつはどうした。ほら、あのちまっこいくせして顔の整った……」


「タオですか。まだ寝てます」


少女は頭をかいて軽く数回頷く。


「ま、だろうなとは思ったよ。起こして下に連れてきてくれ。朝食を摂ったら外に行くぞ」


「外?」


「お? 言わなかったか? サマナーの試験まで日があまりないんだよ。必死になって叩き込まないとお前らはあっさり認定試験に落ちる」


朝日を背に、少女は悪そうな笑みを浮かべる。シュンは肩をすくめながら首の後ろに手をやって、小さくお辞儀をするとゆっくり扉に近づいた。


「ああ、そうだ」


ふと少女は思い立ち部屋のクローゼットを開いてシュンを手でこまねく。シュンは恐る恐る足を進めて少女のもとまで行くと、綺麗な服を手渡され慌てて受け取った。広げてみると、しっかりとした黒い生地の裾や袖口などに金色の糸で刺繍が施してある上等そうな服だ。首元は立った丸い襟が太いリボンのような編みこまれた糸のようなもので留められている。シュンの親指の長さほどの間隔をあけてその糸は服に付いており、刺繍糸と同じ金色のそれからは、妙な威厳さえ感じた。シュンは服と少女を交互に見る。


「これは……」


「マユリノには伝統的な服装がある。いつまでもそんなごろつき以下みたいな服装で視界をちらつかれては困るんでな、夜の間につくっておいた。感謝して受け取れ」


「っは、はい。ありがとうございます」


「サマナー認定試験は、誰が師なのかを明らかにして受ける必要があってな。まさか俺のもとから汚れネズミが出るなんて恥にもほどがあるってだけだ。ただ、大事にしないと承知しないぞ」


「はい!」


勢いよく返事をすると勢いあまって声が裏返る。シュンはなんどか咳ばらいをしながらゆっくりと下がった。少女はハッと片方の口角を上げて笑う。


「それを着て、下りてこい。朝食の支度をしておいてやる」


「す、すみません……」


「はいはい、すみません人形さんは今日も調子がよろしいようで。あいつを起こすぐらいなら支度の方がマシなだけだ。その中にあいつの分の服もいれてっから着せてきてくれ」


「わかりました……」


小さく頷いてシュンは部屋を出る。受け取った服の重みが心を浮足立たせた。ならず者のような格好のまま、何も教えず捨てられてもおかしくないにも関わらず二人の面倒をみる少女は、口が悪いだけで懐が厚いと唇を噛む。隣の、自分とタオが寝ていた部屋に戻るとふと、なぜ自分が少女の部屋に入っていたのかを思い出した。


ーーひどくうなされていた、と、思うんだけど……。


振り返って、入ってきた廊下を一瞥する。もちろん、今は何も聞こえなかった。


「シュン……?」


タオの声で我に返る。眠そうに目をこするタオの髪は、寝ぐせでぼさぼさになっていた。


「おはようタオ。ほら、あの人が服を作ってくれました」


シュンが、持っていた服を自分の布団の上に広げてタオに見せる。眠そうに深いまばたきを何度もして、タオは布団にくるまったままのそりのそりと近づいてきた。ひんやりとした朝の空気を吸って、鼻の頭がほんのり赤くなっている。まじまじと服を見てから、徐々に意識がはっきりしてきたのか目を見開いて満面の笑みを浮かべた。シュンが見てもうれしくなれるような、タオの顔に浮かんでいるのはそんな幸せなものだった。


「わー! すごいね! かぁっこいい……! これ、僕とシュンとでお揃いなのかな。シュンのはどんなのなの。見せて見せて!」


寝起きとは思えないほどの楽しそうな声に急かされて、大きめのサイズの方も布団の上に広げる。シュンの服は黒い生地に金色の糸だが、タオの服は白い生地に深い黄色の糸で作られていた。同じデザインだが、色合いが異なるだけで随分とイメージが違う。タオの服は、首元から肩までは重い紫色の生地で作られており、締める黄色の糸が映える。


「これも昨日みたいな力をつかって作ったのかなあ。僕も早く使いたいなあ」


「今日は、いろいろ教えてくれるみたいですよ。着替えて朝食を摂ったら外に出るよう言われました」


「ほんと!? 楽しみだなあ」


タオは自分の体格に合った方の服を体に当てて目を輝かせた。シュンも着ているボロ着を脱いで、肌着の上から服を着る。冷えた空気にすっかり冷たくなった袖に腕を通すと、急に立派な人物になったような感覚になった。同じ気持ちなのか、シャン、と背筋を伸ばしたタオが気恥ずかしそうな顔をしている。ズボンに足と通すと、タオのものはふくらはぎまででシュンは足首が見える程までの長さのところからも、少女のちょっとしたこだわりを感じられた。慣れない綺麗な格好にどきどきしながら二人ははしごを下りて、昨夜夕飯を食べた部屋まで向かう。


「着替えるだけに妙に時間がかかるな。女子か」


テーブルの上に朝食を並べて二人が来るのを待っていた少女が、顔をしかめて二人をまじまじと見た。ふと何かを思ったか片方の眉をぴくりと動かす。



「あー……」


「な、何かおかしいですか?


シュンが恐る恐る聞くと、少女は指で顎を撫でて「いや……」と呟いた。さりげなく腰の革筒から杖を取り出して、先にある黒い石で手の甲をトントンと叩く。何度か左手の甲を叩いた後にその手をそっと開きながら手のひらを上に向けた。黒い靄で出来た花のつぼみが、手のひらからふんわりと浮かぶ。浮遊して開花すると同時にそれは霧散し、中からパンプスのような靴が現れてバタバタと床に転がった。黒い刺繍のような装飾がついているものが一足と、黄色の装飾がついているものが一足。大きさからして、誰のものかは一目瞭然だった。呆然としている二人を前に、少女はきまり悪そうに杖をしまう。


「靴、ないなら言えっつの……」


「えっ、あっ、ありがとうございます!」


「ありがとう! わーい!」


靴ももらえるとは思っていなかったシュンと、靴をはくということ自体を忘れていたタオは、何と反応するのが正解なのか分からず必死にお礼を言ってそれに足を入れた。見事にぴったり足にはまったのを確認すると、食卓につく。スープとパンとフルーツが並んだテーブルを囲んで朝食をとった後、シュンは大きなあくびをする少女に聞いた。


「さっき、靴を作ったときは、何も用意をしないで作っていたと思うんですけど、あれも何かの簡易術式なんですか?」


少女は目じりに浮かんだ涙を手の甲で拭って「あ?」と返事する。


「あー……。ま、そんなもんだよ。やってりゃそのうちできるようになる」


「ええ……」


「基本動作を微塵も知らないでいろいろ聞いたって後で混乱するに決まってんだから、まずは術式組めるようになるところからやれ。んな慌てんな。おーい、まだ終わらないのかあ?」


少女はソファの背もたれに体重を沈めて台所に向かって声を張る。じゃんけんで負けたタオが一人で皿洗いをしているのだ。


「もうすぐだよ!」


「なんかさっきもンなこと言ってただろうが。さっさと済ませて外に来い!」


「ええっ! 待ってよ!」


タオの言葉を背中で聞きながら少女は扉に向かう。背伸びをしてからシュンを手招いて、玄関の壁にかけられているツルハシを一つ掴んで渡した。昨日、薪作りで酷使した手の傷は、一晩ですっかり跡形もなく消えている。


「これは?」


「普通のツルハシ」


少女は適当に返事をすると、慌てて駆けてきたタオにも小ぶりのツルハシを渡して外へでる。冬の朝は静かで、ゆらゆらと朝靄があたりを漂い白い日光に照らされて神秘的な雰囲気を纏っていた。小屋の前にある川の上から湯気のように浮かんで揺れている。タオがはっと息をはくとそれが煙のように白くなってそのまま消えた。


「今日は、それで石を集めてきてもらう。石ならなんでもいいってわけじゃない。術式を組むのに必要な相性のいい石を見極めるためにできるだけ多くの種類集めてこい。だいたいこの辺でとれるのは四種類か五種類程度ぽっちだからいい感じにそんぐらい集まったらいったん戻ってきて俺まで見せてくれ。いいな?」


「昨日トマト作るときに使っていたみたいな石?」


「そうそう、それだ。鍛えればいい色になるけど、あれもはじめはただの石っころだったから宝石みたいなのを探す必要はないぞ。むしろくすんだクッソ固いやつをみつけてもってこい。ま、分かんなければ手あたり次第なんでも持ってくりゃあいい。俺が判別してやる」


「手厚いですね」」


「当然だろ。今さら何言ってんだ。ほら、行った行った」


少女に手で払われて、足元に置いてある二人分の麻袋を掴んで川辺に向かう。河原にある、水に削られた丸いきれいな石を見ながらタオは首を傾げた。勢い良く流れる川の水は朝日を吸い込んで魚のようにてらてらと光っている。つやつやの水の中に手を入れて小石をつまみ上げてまじまじと見た。苔がちらついているそれは、ツルハシで砕くには小さすぎるように見える。


「もっと大きな石をがつがつ削るイメージだったんだけど、あんまり大きい石はないね。あの人が言っている場所は河原じゃないのかな」


「昨日森に行くまでの道に結構岩があった気がしますし、川にそって上に行ってみます?」


「確かにそうだね! そうしよう!」


シュンはまだ朝の眠気を引きずっているが、タオからはその気配を感じない。楽しげに跳ねながら坂を上っていく小さな背中の後について、冷える足を動かした。パンプスの底に砂利の感覚が確かにあるのが分かる。大きめの袖をひらひらさせて走るタオは、シュンが追いかけてきていることを見るとそばの岩にツルハシを突き立てた。両手でつかんだそれが乾いた音をたてると同時に、タオは楽しそうに顔をしかめる。腕に響く衝撃が予想通りだったらしい。小さな石が弾けるように飛び散ると、タオは屈んでツルハシで砕いた場所を撫でた。白い砂や爪の先ほどの石がパラパラと流れて、岩の断面が垣間見える。


「おお……」


楽しそうに岩を見つめながらタオはツルハシの先でカリカリと削っていく。何かを掘り出そうとしているのかしばらく同じ場所をつついていたタオが、親指ほどの大きさの石を手に取ってシュンに見せた。


「これ見て、この辺だけちょっと色がついてるみたいに見えない?」


シュンは、タオの指につままれている石をまじまじと見た。青っぽいグレーの石の中に、緑色に変色している箇所があるのがわかる。


「見えますね……」


タオが跳ねる。


「だよね! あの人が、磨けば綺麗になるけどもとは宝石じゃないみたいな感じのこと言ってたし、きっと集める石の一種類目はこれだよ!」


「一発目で見つかるのは幸先がいいですね」


「ね! この調子でさっさと見つけてびっくりさせちゃお! 昨日みたいに一日中やってくたくたになるのはもうたくさんだし!」


「ですね!」


笑顔で話しているが、やや少女への恨み節がきいているのかタオの目は真剣だ。シュンも頑張ろうとツルハシを構え別の岩に向かって振り下ろす。固い音とともに砂ぼこりが舞って白い煙が足元を滑っていった。タオはシュンが砕いた石の断面が気になるのか、手を止めてじっと見ている。




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