ー 6



「でも急に家に戻ってきたけど大丈夫なのか? 変なとこ打って痛いし」


『ああ、まだチュートリアル中だったら強制的にログアウトされるんだよ。チュートリアル抜けたら、近くのクルーがそろそろ寝る時間だって教えてくれるから適当なタイミングでログアウトするんだ』

「へえ……」


『お前はどうすんだ? 夜の時間が終わったらすぐインすんの?』


「朝って何時からだっけ……」


部屋の壁にもたれてつかれたようにため息交じりで話す。ゲーム内で見た世界の眩しさと部屋の薄暗さで目がちかちかした。ベランダに繋がる大きな窓には薄いカーテンのみひかれており、月の光が部屋の中を淡い白色に滲ませる。穏やかに舞っている埃が星のように弱々しくまたたいた。


『こっちの時計で見るなら八時半から朝がはじまる。あっちの時間で言うなら五時半。ついでに今はこっちが二時半で、あっちは十一時半。三時間ずれてんだよ』


「朝まであと五時間も起きてられる気がしないな……洸平は? 起きてるつもり?」


『いんや、明日に備えていつもなら仮眠する。ただ、お前がチュートリアル爆速で終わらせるために起きておきたいっつーようだったら、夜更かしに付き合ってやろうと思って』


洸平がそこまで話したところで、テーブルの今光っている場所とは違うところが赤く点滅する。指で触ると映像に切り替わった。青年がこちらを向いてピースしている。前髪と後ろ髪の長さが変わらないきのこのような髪型と刈り上げ、足首が見える程の裾が短めのズボンからのぞく白い靴下と黒いスニーカーは、目に馴染んだスタイルだった。錠前のようなアイコンを押すとしばらくして廊下の向こうで扉が開く音がした。


「俺の意見聞く気あった?」


廊下から顔を出した黒い縁の眼鏡をかけた顔は、にやりと笑って駿汰の隣にどっかりと座り込む。


「あるある。駿汰が強制ログアウトさせられる前に部屋に行こうと思ったけど間に合わなくってさー」


「ないじゃん……」


「まあまあまあまあ。ところでどこまで行った? 結構進んだ?」


洸平は、まるでだて眼鏡のような大きなレンズの眼鏡をくいっと上げてあぐらをかく。駿汰はゆったりとした白いトレーナーのそでをたくし上げて、気だるげに立ち上がった。転がっているカバンと半分ほど余っている飲みかけのペットボトル、積み上げられた本だけがある無機質な部屋の中をゆったりと歩いて冷蔵庫から缶サイダーを取り出し洸平に渡す。


「今、晩ごはん食べたとこ。また明日も働けって言われた」


「なにそれ。お前どこで目を覚ましたんだよ、働けって何? パシられた?」


「フツーにパシられてる。どこだっけ、なんか、サマナー? って言われた。ステータスの感じとか攻撃がかっこよくて」


「マユリノかい。できればセネカがいいなあって俺言ったじゃあん……」


「騎士はなんか地味だった。好みじゃない……王道すぎ? かな、みたいな」


「まあ、確かに王道ではある。サマナーって遠距離だっけ。俺他職の勝手あんま知らないんだよなあ」


洸平は、受け取った缶のプルタブを引いた。プシュッと爽やかな音が聞こえて、缶の中で小さく反響する泡のはじける音が暗い部屋の中に滲む。


「多分遠距離。まだ戦ったことないから分からんけども」


洸平は口に含んだサイダーを吹きかけてむせた。口元を抑えてせき込んでいるものの、駿汰の眼差しは冷たい。テーブルの上にあったティッシュを一枚差し出す。


「吐くなよ……」


「セーフセーフ。まって、じゃあお前チュートリアルまだまだ導入なんじゃ?」


駿汰からティッシュを受け取って口を拭うと、洸平は顔をしかめた。テーブルから微かに漏れる光で眼鏡がほんのり光る。駿汰は隣に転がっていたペットボトルを引き寄せて、中の水を飲んで首を傾げた。


「分からんよ。でも試験まで鍛えてやるって言われてるし、クルーが勝手にパシってきてるって感じじゃない……と思う」


「クルーが勝手にパシってたらさすがに面白すぎんだろ。でも、へえ、マユリノで起きたらそういう感じで始まるんだな。俺もサブでサマナー作りたくなったわ」


「騎士は?」


「セネカはまず、目を覚ましたら牢獄に突っ込まれる」


「は……? ハードだな。そんでどうなんの?」


「セネカで目覚めなかった駿汰君には教えてあーげない」


「ケチ……」


口をとがらせる駿汰に洸平は肩をすくめた。


「とにかく、チュートリアルが終わったら俺から会いにいけるし、傭兵になるまで多分すぐだからそれからなら合流できるし、早いうち合流しよう。傭兵になった後の所属国家はセネカにしてくれないかなあ駿汰君」


「それは大丈夫、多分そうする」


「やったぜ。そしたら奪還戦争も味方だし、いろいろ都合がいい」


「奪還戦争? なんかあの人もそんなことぼやいてたな……」


「え、誰?」


「パシってくる人。なんか、威張ってて妙に偉そうな……女の子?」


「なんで疑問なんだよ」


「俺って言ってるから……もしかしたらついてるかも」


「うわ、マユリノしょっぱなからクルーの個性エグいな。で、奪還戦争ってーのは、ゲーム内のメインストーリーに出てくる国宝の所有権を奪い合う戦争。定期的に、どことどこが戦うっていうのが発表されて、各国に所属している傭兵たちが所有権求めて戦うんだよ。それに勝ったら、ゲームの中でいろいろ優遇されんの。噂によれば、その国所属のクルーの給料も上がるって話」


「え、いいな。俺もクルーになろうかな」


駿汰のつぶやきに洸平は笑った。ゲームの中で、まるでその世界で生活しているかのようにふるまう人々は、「クルー」と呼ばれる仕事に従事している人たちだ。劇団員や前職が役者などの人が多く、学生としてのんびりと春休みを浪費している駿汰には遠い世界である。


「クルーはシフトが地獄だからな……学校と両立させてる人とかいるらしいし尊敬するわ。駿汰がクルーするならどこがいい?」


「平和な島国かな」


「ええ……」


洸平はサイダーを含んで頬で弾ける炭酸を感じつつ傍に転がっている本をつまみ上げる。教科書のようなそれはあまり読まれていないのかその表紙や紙のきれいさからは年季を感じない。


「レポートやった?」


洸平がポツリと聞く。駿汰は首筋を鳴らして深く首を傾げた。やわらかな黒髪がさらりと揺れる。


「やったように見える?」


視線は洸平の手元の本に注がれる。洸平は肩をすくめた。


「ま、そうだわな」


二人は、専門的な高等知識を圧縮した機関「大学校」に通う学生だ。


一般に教養とされる知識を学ぶために全ての国民が通う必要のある「学校」を卒業した後、人の進路は大きく二つに分けられる。企業に就職する人と、専門技術や専門知識を得るために大学校や学舎に進学する人。大学校や学舎も分野によってカラーはさまざまで、クルーのような演者になりたい人は芝居が学べる学舎、プログラムのシステムに携わりたい人は工学技術が学べる学舎、学問的分野の学者になりたい人は高等研究機関である大学校へと進学し、自身の将来への経験を念入りに積んでいくのだ。


「人生の選択を間違えすぎたよなあ」


開き直ったかのようにあっけらかんと呟く洸平の言葉に、駿汰は軽く頷き返す。二人は、学者になるつもりがない。学者にならずに大学校を卒業し外部企業に就職する人のことを、社会は「大卒」と呼び笑った。大学校の人は就職者をどこか下に見ている空気があるというのもあって、「自分の実力以上に気取って大学校に入ったところ、現実を思い知った残念な人」と鼻で笑われる傾向にある。そしてそこに、何らかの個人的な理由があることを考慮されるのは際立って名高い大学校を卒業した人だけで、「その他」は哀れなプライドエベレストとして笑われるよりほかない。


教授になるつもりがない駿汰たちもゆくゆくは「大卒」者になる。知識を得ながら穏やかに過ごすモラトリアム的な暮らしを良しとしない環境は、どこか息苦しかった


「小さな店の店員になって、少ししたら休職か転職して、他の店行って、とかってすればよかった」


「アクティブだなあ……」


洸平が口を歪めておどけたように話し、駿汰は緩く笑う。自分が何を考えているのかを理解して満足感を得るには、もっと時間がかかると駿汰は感じていた。そういう意味では、洸平の言葉にも共感できる。電気をつけないままの部屋で、やや重い話をしながら時計の針が進んでいくのを見守っていた。今は深夜の三時を過ぎたところである。

「洸平、眠くない?」


ペットボトルのキャップを開いたままボトルを回し、水をかきまぜながら駿汰は言う。洸平はかけていた眼鏡をあげると本を置いてうなった。



「今の話で目がさめた


「わかる」


ぽつぽつと淡泊な言葉を交わすと、洸平は大きく息を吐いて姿勢を崩す。


「あー! これで駿汰がチュートリアル終わってたらなあ」


「あれ、なんか俺が悪いみたいになってない?」


「そういう話をしてんのよ。これ、チュートリアル終わってたら今ちょうどクルーがいない世界を堪能できたのになあ」


「クルーがいない……? チュートリアル終わったら、この時間ログインできんの?」


「できるできる。家の灯りとかが消えてるしクルーだけじゃなくてインしてるプレイヤーも少ないから、めっちゃ静かで暗くて、結構雰囲気が変わんだよ。結構いいぞー、人気のない丘で寝っ転がって星みながらのんびりすんのも」


「うわ、楽しそう」


駿汰は唇をかんで口元を緩ませる。同じ構造の部屋が詰め込まれた高層マンションが無数に立ち並んだ光景ばかりの世界と、その一室で送る生活につまらなさを感じていた駿汰からすれば、洸平の話は魅力的で仕方なかった。


「まあでも、普段積極的にアカネ狩りやってくれてるクルーがいなくなるから、昼と比べるとPKは多いから気をつけないと死にまくることになるけどな」


「誰?」


「あー、アカネっていうのは名前じゃないのよ駿汰君。チュートリアル終わったら、他のプレイヤーがたくさんいる町とか道とかを動き回ることになるんだけど、そこで他の人を攻撃したらね、それが当たっちゃうのよ」


「えっ、痛い?」


「痛くはない。なんか痺れたような感じはあるかも? ちょっとこれは人による。んで、例えば俺がお前を倒したとするだろ。そしたら俺は、一人のプレイヤーを殺した、つまりキルしたことになる。プレイヤーキル、これを略してPKっつーんだよ。で、善良な他プレイヤーを殺めたので俺の積み上げた徳は下がる。徳を下げきってマイナスになったら、殺人者としての目印で傭兵の印章が赤く変色するんだ。一人殺しただけじゃ殺人者にはならない。更生の余地ありってことでなんとか徳を積みなおせば印章の色は正常を保てる。マユリノの傭兵認証式がどんな感じなのかわかんないけど、認証式で印章に名前が刻まれるから、それが赤いってことでアカネ。ネームが赤いからな。


アカネのやつは、戦闘狂とかプレイヤーを倒す楽しさにとりこになってるやつとかがほとんどで、なるべくしてなってる血気盛んなやつばっかだから警戒した方がいいぞ。昼間は、プレイ環境の保全のためにクルーがそれぞれ担当区画を持ってて、そこに立ち入ったアカネと戦って倒してくれてるからまだ安全だけど、夜はクルーがいないから無法地帯になってるとこもあるってことだ」


「物騒じゃん……」


「まあそれも醍醐味なんだよ。吹っかけられた喧嘩を買って戦ってたらお互い楽しくなって仲良くなるとかもあるし」


「ええ……」


「マジで脳筋な感じの人がまあまあの割合でいるから、中には強い人と戦いたい欲が高まりすぎてクルーに戦闘を持ちかけるやつもいるんだって聞いたことあるぞ。まあ、クルーはステ―タス結構チートになってるしそう簡単には勝てないけど、プレイヤーの力量次第では勝てることもできるようになってるらしい。勝ったら勝ったで何かしらの特典は用意されてるらしいけど、滅多に聞かんな。サービス始まってそんな経ってないっていうのもあるけど」


「洸平もそういうことするの?」


「PK?」


「とか」


洸平は唸りながら天井を見上げる。月光が射し込んだそこは、白いライトで照らされたようにはっきりと輝いていた。


「ま、多少は?」


「ええ……」


「普通に歩いてるだけで襲われたりするし、そうなったときはやられっぱなしになるわけにもいかないだろ? だから、反撃をするために戦ったりはするかな。そういうのは、PKしようとしたやつをキルするから、PKKって言うんだけど」


「もうわけがわからないや」


「言うと思った」


あはは、と緩く笑いあうと、互いにふう、とため息をつく。外はまだ暗い。


「洸平、今何時?」


「んー、もうすぐ三時半」


「全然まだだ……むり、眠い」


「俺も」


駿汰が大きくあくびをした後に洸平もあくびをする。今寝たとしても、あと五時間が眠ることができる。睡眠時間としては十分だ。


「洸平は枕ないと寝れない派だっけ」


「いや、あってもなくてもいける」


洸平の返事を聞いて、駿汰はのっそり立ち上がるとダイニングから出ていく。少しして、クッションのようなものを二つ抱えて戻ってきた。四角い形のそれのひとつを洸平に向かって投げやる。


「えっ、なに?」


「枕。朝時間になるまで仮眠していこ。どうせやることないし」


そう言うと、駿汰は自分のぶんのクッションを抱えてカーペットの上で蹲った。ころりと転がってあくびをする様子は、まるでペットとして飼われている小動物のようだ。「やることない」の言葉に洸平はにやりと笑う。クッションを受け取ってその場に転がった。


「そうだな。アラームつけて、近い時間になったら起きるか」


「うん。おやすみ」


「おやすみ」


テーブルの上を軽くタッチしてアラームを設定した駿汰はそのままクッションに頭を沈める。洸平も横になって目を閉じると、穏やかな寝息をたてはじめた。窓に目を向ける。寝転がった視界には、白い砂をまばらに振りまいた深い海のような空が広がっていた。


「逆さだ……」


ぽつりと呟いてゆっくりと目を閉じる。まばたきのつもりが、閉じた瞼は持ち上がることなく駿汰は静かに眠りについた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る