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「……」
豪快に盛られた皿を前にして、シュンは訝し気な目を少女に向ける。これは、どう見ても夕食で、自分たちの労働の結果物は全てここに行き着いている。今日したことはすべて少女のおつかいだったのではという気持ち、ひいては、このまま少女と一緒にいると永遠に家事の手伝いを強いられて終わってしまうのではないかという不信感がむくむくとせりあがってきていた。座ったまま釈然としない顔のシュンを見て、少女はにやりと笑う。
「なんだその顔は。干し柿のほうがもっとマシな顔してんぞ。ほら食べろ。疲れた体に栄養を与えてやれって」
「いただきます」と手を合わせてナイフとフォークをつかむ少女を見て、タオも「いただきまあす」と声を張る。フォークでトマトを突き刺して口に放り込んで、目を輝かせた。乾いた喉と空腹にひどく効くほど美味だったんだろう。シュンも手を合わせてその流れに乗る。
「いただきます……」
そっとフォークでひしゃげたトマトをすくって口に入れる。じゅわっと口の中に染み渡る汁と引き締まった身の甘味と程よい酸味におもわず「おいしい」と言葉がこぼれる。少女は満足そうに頷きながらイモを一つ自分の皿に取ってほぐした。やわらかな曲線を描いて湯気が溢れ出る。ナイフで適当なサイズに切り分けて小皿の中のバターをつけて頬張ると、熱かったのか足をばたつかせてハフハフと唸りながら口の中の温度を下げる少女の口からも白い湯気がちらついている。なんとか飲み込んでため息を吐いた。
「うまいけど、思った以上に熱いな……」
険しい表情のまま、コップに入った水をあおって満足げに背もたれに背中を預ける。ちびちびと不満げに皿をつついているシュンのようすを横目で見て、少女は「はいはい」と呆れたように呟いて座りなおした。もう一口水を飲んで、二人の方を向く。
「マユリノ王国が正式に傭兵を認証する試験が、近いうちにある。試験を通過して、式典で傭兵の印章を手に入れることができればどこの国の所属の傭兵になってもいい。つまり、お前らは晴れてマユリノから脱出することができるわけだ」
少女はナイフで肉を切り分けて口に入れる。白い右頬を膨らませながら咀嚼して、満足そうに飲み込んだ。
「傭兵認定試験に向けて力をつけるやつらのことを、この国では修練者っつって国が基本的にはサポートしてくれる。修練者向けの訓練小屋もあるし、希望すれば指導者もつけてもらえる。今後、お前らと同じように修練中の人間にも何度も遭遇するだろうが、そのときはちゃんと修練者だって名乗るんだぞ」
「その、修練中かどうかの基準とかっていうのはあるんですか?」
「ない。自分で修練中だと思えば誰しも修練者だ。まあ、本当に修練者なのか、口先だけのぺらっぺら人間なのかは一目見りゃあ分かる世界なんだしそのへんは気にすんな」
「はあ……」
シュンの釈然としない返事を気にしないようすで、少女は切り分けた肉にレタスを巻いてかぶりつく。肉汁が染みでて口元がてらてらと光っているまま、フォークを置いて話し出した。
「国によって、傭兵認定を受けることができる技能には限定がある。例えば俺がおすすめの隣国、セネカアルフィーンは、伝統ある騎士の国を謳ってる。つまり騎士としての素質、実力があるかどうかとかを見られる。騎士つったらクソでかい盾を使ったはずだ。それを操る力で判定される。あそこで傭兵になるには騎士を目指す以外の道がないが、逆に言えば、騎士になりたいやつはセネカアルフィーンで修練を積めばセネカ出身じゃなくても騎士になれる。で、お前らが目指す、マユリノの公式傭兵種は、サマナーだ」
「さま?」
タオの丸い目にも少女は動揺しない。
「サマナーっていうのは召喚術師のことだ。歴史書で広く伝えられているサマナーは、魔術を使って何らかの生命体を異空間から召喚する術者のことを指すが、マユリノは少しわけが違う。魔術で呼び出すんじゃなくて、必要物をそろえて魔力を込めることによって実物に限りなく近い存在を複製する術者のことを、ここではサマナーと呼んで傭兵に認定する。別の場所からではなく、新たにこの世界に何かしらを呼び出す存在なんだよ」
「へえ……」
「あっこいつ分かってねえな。おら、ちょっと見てろ」
肘をスライドさせイモの乗った皿を動かして、少女は乾いた紙を取り出した。皿よりも少し大きなその紙をテーブルの空いた場所に広げると、ごわごわとしたその表面を撫でる。椅子から立って部屋の隅にある棚からペンとインクを持ってくると、インクの入った瓶をシュンに持たせてペンについたインクをきった。ペン先を滑らせて黒く細い線でさらさらと線のようなものを書きつけていく。シュンとタオが黙って見守る中、少女は表情を変えることなく淡々と円や曲線、記号などを正確に書いていった。何度かインクを付け直したころ、少女はペンをテーブルに置く。
「はー……どっこい……」
肩を回して関節を鳴らすと、自分の皿に乗っているトマトを一切れ紙の上に乗せた。白さにむらのある紙に、トマトについている水分がにじむ。まな板からシュンが切り落としたヘタを取り出してトマトの隣に並べて、ペンと同じ棚から小さな石を二粒持ってきた。深い緑色をしたものと透明なもの。二つとも小指の爪ほどしかないが宝石のように透き通っていた。少女は指先でつまんでいるそれらを紙の上に並べる。文字の上に決まった法則で置かれているのかどうかは、シュンたちには判断できない。
少女とシュンが初めて会ったときに笛を取り出した革袋から、ペンよりも細い棒状のものを取り出す。少女の手首から中指の先までの距離と同じぐらいの長さのそれは、両端に黒い石がついている。
「それよっと」
杖の先についた石で、紙に書いてある文字をなぞって魔法陣に似た図の中にある小さな円の中を順につついていく。ただ杖の先の石で紙に触れているだけなのに、石が触れた場所から紙がじわりと滲んで黒く変色していくのが見えた。シュンは息をのむが、タオは楽しそうに目を輝かせる。
滲んだ紙の黒い箇所から煙のように薄黒い靄が上がり、それらは徐々にテーブルの上でくすぶり塊になっていく。黒い霧の塊のようなものが浮かんで漂っているのを、二人は黙って見守っていた。形を保ったまま生きているかのように揺れていたそれは、空気の色を変えていくかのようにじわじわと形を変えていく。それはまるで、開花する前のつぼみのようだった。
「わあ……」
タオが声をもらす。黒い靄でできたつぼみはゆっくりと開花し、つぼみの中心から花びらが黒に染まっていく。シュンの手のひらほどの大きさに開花した靄の花は、机の上でゆらりと漂った後に音もなく霧散した。深い紫色のような粉が蝋燭の光でキラキラと光りながらテーブルの上に降り注ぐ。ふとシュンが視線を紙に向けると、そこには収穫したてのときと変わらない姿のトマトが一つ転がっていた。不審げな顔をしているシュンを見て少女はフフンと笑う。
「触ってみるか?」
「は、はい……」
何が起きたのか理解できないまま、シュンはテーブルの上にあるトマトを掴む。引き締まった張りのつやつやした表面をそっと撫でてにおいを嗅いだ。鼻を刺激するのは青いにおいで、これが野菜であるのは間違いないようだった。シュンからトマトを受け取ると、少女はそのトマトを包丁で六つに切り分けてそれぞれの皿に二つずつ乗せる。みずみずしい切り口は、シュンがよく知っているトマトそのものだった。
「と、まあこんなもんだ。術式を組んで、召喚したいものの一部分を用意して魔力をこめる。そのうちお前らにも教えてやる」
「やったー! 楽しみだね、シュン!」
「はい。あれ、でも……」
タオに笑いかけつつ、シュンは何かを言いかけて口をつぐむ。少女は椅子にどっかりと座りなおして「なんだ」とシュンに先を促した。
「シロ……さん、を、呼ぶとき、笛を吹いただけに見えたんですけど、術式とかはいらないんですか?」
「あー、あれな。なれれば誰でもできるぞ。省略したものを笛の音で代わりがきくように術式をいくつか組みこんでんだよ。まず俺が笛を吹く。そんなら笛の音で展開される術が開くと、それをトリガーに開くものを複数作る、んで、全部の術式が開いたのを条件に展開される大きめの術を張っとく、んで、それが……」
「まってまって、つまり、順番に開いて結果的にシロさんを呼ぶ術が作られるようになってるってことだね?」
「そういうことだ。複雑であればあるほどパクられないし悪用されなくていい。お前らも励め」
紙を小さく折りたたんで杖と一緒に机の隅に追いやると、少女は食事を再開した。小さな口は、一体どこにそんな空間があるのか目を疑うほど大きな肉をどんどん吸い込んでいく。パンパンに膨らんだ大きな頬が、目いっぱい動かす顎によって生きているかのように動いた。「そうだね……」と困った顔で返事をすると、タオも残していた夕食を頬張る。シュンはフォークで、召喚されたトマトをゆっくり突き刺した。恐る恐るかじると、先に食べたトマトと変わらない甘味と酸味が口の中に広がって、柔らかいのにハリのある身が噛んでいて歯に心地いい。飲み込むとジュースを煽ったような潤いに乾きが癒される。疑う余地なくそれは野菜のトマトであった。
ーー不思議だ……。
がつがつと皿の上のものを平らげていく少女を見る。小さな口を思いきり開いておいしそうに食事をしていた少女はシュンの視線に気づいて水を煽った。片方の眉を上げて怪訝な顔をする。
「術式についていろいろはじめるまえに忠告しておいてやる。サマナーのタブーについてだ」
シュンはそっとフォークを置いた。
「人間だよ。サマナーとしての能力を使う者は、それを人間作りに使ってはならない。どこの国に属そうと関係なくな」
「人間作り……」
シュンは視線を落とす。さっきトマトを召喚した少女の紙に乗っていたのは何だったか。
ーートマトのヘタ、よくわからない石、石……。
それを人間に置き換えれば、実在する人を二人にすることができてしまうレシピになりうるということなのだろうか。シュンはテーブルの上の燭台に目をやる。シュンの親指ほどの大きさの火がゆらゆらと揺れて家の中を橙に照らしていた。禁止されているのが人間だけなのだとすると、今シュンたちがいるこの家は、目に映っているテーブルは、食べ物は、全て本物じゃない可能性もある。釜の中の薪がぱちぱちと鳴って小さな木が転がり落ちた勢いで残り微かな火が震えた。
「他に何か聞きたいことは?」
「今のところは、思いつきません……」
「僕もないかなあ」
タオの明るい声に、少女は耳の後ろの髪の生え際をかりかりとかきむしると薄目で頷く。
「そりゃあどうも理解が早くて助かりますねえ。それじゃあ満足いくまで腹ごしらえしてがっつり寝ろ。明日もしっかり働いてもらうぞ」
「はっ働くって、働くって言った! やっぱりわかっててパシリにしたの!?」
タオの慌てたような声に少女は目を閉じたまま口いっぱいに含んだイモを咀嚼する。肩をすくめているあたり、確信犯なのは間違いない。口が空っぽになるとふくれっ面のタオを鼻で笑った。
「顔がうるさいな。明日ぶっ倒れないように休んだ方がいいんじゃねえの? じゃないと疲れて、サマナーになる前に顔が変わっちまうぞ」
片方の口の端を上げてにやりと笑うと後ろを指さして「寝室はあっちだぞー」と小さい子どもに言い聞かせるような声色で話す。
「ふん。いいやい、明日になったら白黒はっきりさせてやるんだから」
すっかり拗ねたように頬を空気で膨らませるタオに、シュンは思わず笑いがこぼれた。水に恐る恐る触れて驚く猫や、追いかけっこで親に追いつくことができないで泣いてしまう幼児に向けるそれと同じものだった。「そうですね」となだめるように優しく言おうと口を開いた瞬間、ベッドに倒れこんだ衝撃で目を覚ます。首の関節を妙に痛む角度で打ち付けたらしく肩や背中がじんじんと痛んだ。
「……は」
視界に入ったのは暗い天井だった。
「いった……」
誰に言うでもない文句を呟いて、そこがひどく静かであることに気付く。先ほどまで聞こえていた、薪の乾いた燃える音もタオや少女の話す声や気配がしない。そばにあるテーブルの一角の表面がチカチカと点滅しているのを見てゆっくりと起き上がりそこに触れる。光っていた丸いアイコンのようなそれは、指が触れた瞬間しぼんで「通話中」の文字に変わった。テーブルの足元にある小さなスピーカーから、明るい声が聞こえてきた。
『おーい、駿汰(しゅんた)! どうよどうよ! いい感じ?』
「え? あー……」
駿汰は、急に視界がクリアになっていくような錯覚に陥った。頭をがしがしとかいてそばに転がっていたペットボトルの水で喉を潤す。
「まだ何とも言えないって感じ。洸平もさっきまで行ってた?」
暗い部屋に二人の話す声だけが浮かんでいる。
『行ってた行ってた。そのうちなんとも言えないとか言えなくなるぞー、俺がおすすめしてやってんだからなあ。間違いなく今年一番のゲームだよこれ』
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