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苦い表情で斧と木の幹を交互に見ると、タオはにこにこしながら斧を両手で持つ。


「僕これを持ち上げるのも精一杯って感じだし、参ったなあ」


斧に勢いをつけて体ごと回すようにして幹に突き刺した。それでも木はぴくりとも動かない。困ったように笑うタオに笑みを返す。シュンも斧を握った。


「そうは言っても、靴ももらってしまったしできるところまでやってみましょう。やっぱりだめだーってなったら、その時は……戻って、交渉、してみます?」


「いいね、そうしよう。それじゃあ、まずはこの木だね!」


明るく意気込んで斧を構える。ゆらゆらと揺れた頼りない手による、伐採作業が始まった。




ーーーーーー





気が遠くなりそうなほど時間が経ち、服以上にぼろ雑巾になった二人に呼び出された少女は河原に転がる丸太五本分の薪を見て一度頷くと「よくやった」とだけ言った。


眩しいほどだった日射しは仄かなものに変わり、山から吹いてくるやや強い風には肌寒さを感じるほどになっていた。淡く赤らんだ空には大きな鳥が変わらず飛んでいる。昼間に聞こえていた鳥の鳴き声はなくなり、川の近くの草原のどこかで、虫の鳴く声がまばらに滲んで消えていく。ひんやりと澄んだ空気に、シュンはその場に座り込んだまま思わず深呼吸をした。草の青い香りと河原の苔のにおい、割りたての薪から漂う木のにおいが、それぞれ優しく鼻をつく。体はくたくたに疲れていたが、研ぎ澄まされた意識が心を癒していくのを感じた。


岩にもたれて座り込んでいるシュンとタオを見て、少女は目を細める。


「何を休憩してるんだ。ほら、次だ。ついて来い」


蝋燭を入れて灯したランタンを用意すると、少女は二人が立ち上がるのを待って川沿いに下っていく。大ぶりの砂利に足をとらわれていた二人だったが、進むにつれて石が小さくなり少女の歩くペースに追いついていった。次第にランタンの灯りがなければ足元が見えにくいほどにほの暗くなると、小さな農場の前で少女は足を止めた。川沿いにぽつんとある、人の気配がない農場だった。


入口のアーチ状になった、蔓植物が絡まった簡単な門にはランプがない。少女が手に持っているランタンを門の隣の塀に置いて、二人を振り返った。


「次は、トマトとレタス、あー、ついでにブドウも収穫してきてくれ。そうだな、それぞれ三つずつ頼む。……おい、まさか野菜の名前も分かんねえとか言うんじゃないだろうな」


「大丈夫です。勘違いじゃなければちゃんとわかります」


「ちょっと固めの赤くて丸いものを両手で挟んでつぶしたみたいなものと、緑から徐々に紫に変化している薄くて手のひらより大きめぐらいの葉が何枚も折り重なっている地面にあるやつ、人差し指と親指でつくった丸ぐらいの大きさの紫の玉が何個もついてる房の……」


「大丈夫ですって!」


「ちなみに赤いやつは木になってるぞ」


「ああそれはよかった、記憶違いはなさそうですよ。安心して収穫はお任せください。ほら、タオ行こう」


困ったような顔でシュンが返事をするも、少女は大げさなほどに心配そうな顔でシュンを見る。からかっているかのような調子で目を丸くしたり眉を下げたりしていたが、簡単な挑発には乗らないようにシュンは笑ってしまいそうになるのをこらえて近くの畑に向かう。タオが我慢できずに「めちゃくちゃ馬鹿にされてるみたいだね」と笑うのを緩く躱して石で囲まれた畑の中に連れ込んだ。これ以上少女にからかわれたら、残り少ない体力を余分に使ってしまいそうだったのだ。


「トマト、レタス、ブドウって、なんか、本格的に僕たち使いぱしられてないかな。薪割りはとにかくとして、これは何のためになるんだろう。体がぼろぼろになっても判断力と理性を失わないようにするための訓練?」


「そうじゃないことを祈るばかりです。あ、これトマトじゃないですか?」


シュンが、飛び込んだ先の畑の葉をいじっているとその中に赤い実があることに気付く。少女が門の傍にたてたランタンの灯りで艶やかに光る張りのある表面を見て、タオも目を輝かせた。


「ほんとだ。畑探しもしなきゃいけないのかと思ったけど、そうならなくてよかったよ!」


生き生きとした表情で手元のトマトを掴むと、タオは思いついてふともう片手で違うトマトをつかむ。収穫せずにそれらを見比べて困ったようにシュンを見た。空の藍とランタンの橙に照らされたタオの髪は、穏やかな風にあおられて流れ星のようにはらはらと光る。シュンは手元のトマトから目を離しタオに首を傾げた。


「どうしたんですか?」


「これ、こっちはちょっと凸凹しているけど、こっちはまだ葉っぱに近いところが青っぽいんだよ。どうやって選べばいいんだろうと思ってしまって。あの人、選び方とかは何も言ってなかったから」


「そういえばそうですね……」


ああ、と呟いて少し考えると、シュンはへらりと笑う。深い青色の目が糸のように細められてまつげの奥に隠れた。


「何も言われていないし、自分が食べるとしたらこれがいいなってやつを選んじゃいましょう。何に使うかは分からないですけど、食卓で出てきたときに嬉しいやつでいいかなって」


「そっか、そうだよ、何も言われてないもんね。ええ、それじゃあ、僕だったらこれかなあ」


掴んでいたものとは別のトマトを手でちぎると、楽しそうにタオは隣の畑にかけていった。トマトだけではない多くの野菜の間をかきわけて進んでいくタオの背中を追って、シュンは隣の川の直ぐ近くの場所に足を踏み入れる。少女がくれたブーツは底が固いもので、土やそこに生えている雑草を踏むとさくさくと爽やかな音がした。


穏やかな水音とともに、ランタンの微かな明かりで水面がてらてらと光る。川の傍には、レタスの玉がいくつも見つかった。タオがさっそくめぼしい一つ目を抱えてにんまりと笑っている。レタスを掴んでいる手は、ふるふると震えていた。


「すごいよ、これ。筋肉痛に直接来る重み!」


「え……?」


手頃なレタスを取ってシュンも持ち上げる。腕や肩の筋肉が痺れているかのように感覚が消えて、痙攣と似たような震えがレタスを揺らした。斧をふるっていたときの手のひらの痛みもまだ消えていない。


「おわぁ……」


シュンが二つ、タオが一つ、なんとか抱えてレタス畑を移動する。川で安らぐ心の余裕は悲しいかな芽生えなかった。その後、川の近くの坂を上ったところにある木にブドウがなっているのを見つけて、各々の目を付けた房から一粒ずつつまんで味見しながら選んでいく。少女に言われたとおりに収穫を終えて二人が農場の門のもとへ戻る頃には、少女は小屋に戻ってしまったようでランタンだけ残して姿が消えていた。ランタンの回りには小さな虫がちらちら飛んでいる。


レタスの上にトマト、ブドウを乗せて、両手がいっぱいにふさがっている二人はランタンをつかむことができず、川の水が月光を反射してきらめくのを頼りになんとか小屋まで戻っていった。橙色の優しい光が扉の隙間からこぼれていて、空の紺が際立って見える。あっという間に、夜になってしまった。


抱えている量がひかえめのタオが小屋の扉を開こうと肘を伸ばすがうまくいかず、肘で数回ノックするとやっと少女が扉から顔をのぞかせた。


「おう、ごくろうごくろう。こっちに運んでくれ」


畑の土で汚れた靴で入ることは構わないのか、少女は二人を家の奥にある台所へ連れて行く。二人は少女の指示通り、流し台の中に野菜を置き、ブドウはカゴの中に入れた。黒いワンピースの上から白いエプロンを着た少女に、シュンは「あの……」と声を掛けた。かねてから気になっていた話だ。


「ちなみに、なんですけど、これは一体何のためになるんですか……?」


木を切り倒して大量に薪を作ったり、畑で作物を収穫してくることが、ほんとうに傭兵の訓練になるのだろうか。シュンの訝し気な目、タオの拗ねたような顔を順に見て、少女はにやりと笑う。台所の足元にある引き戸を開いてほの暗いその中へと入っていったかと思うと、細い紐で縛りあげた生き物の肉塊を抱えて出てくる。呆然としている二人に、自分の頭より大きなサイズの肉を見せ付けるとフフンと鼻を鳴らして笑った。


「決まってんだろ。夕飯のためになるんだよ。なんだよ、目の前でご飯を取り上げられた大人しめの飼い犬みたいな顔しやがって。俺が誰かに料理するなんざ、朝弱い人間が爽快に早起きしてジョギングするぐらい珍しいんだから、とくと享受しろってーの。おら、お前はそっちで野菜を切れ」


「えっ、あ、はい! どう切れば……」


「一口で難なく食べられる大きさなら何でもいいぞ、任せる。おい、お前はイモ洗いだ」


「それって川でやるの?」


「なんで流し台の目の前に立っているのにそう思ったんだ? お前にはこれが見えないのか? ……ああ、待て、すまん。お前は流し台のことが分からないのか。捻ると水が出るんだよ」


少女が流し台にあるパイプのネジをゆるめると、細いパイプの間からさらさらと水が流れてくる。タオは台に張り付いて、うっとりと水が排水溝に吸い込まれていくのを見ていた。大きく見開いた目は、本当に水が出てくるパイプがあることを知らなかったらしい。


「すっごく綺麗だね」


「気に入っていただけたようで流し台も幸せですねえ。それじゃ、そこでお前は俺が渡すイモの泥を洗ってくれ」


「うん、分かったよ」


タオはカゴに入ったいくつものイモを受け取ると、蛇口から流れる水で白い泥を洗い流していく。一つ一つを指で撫でるようにこすっている隣で、シュンは大振りな包丁でいくつもの野菜を切っていた。はじめに指示したレタスだけでは物足りなかったのか、レタスを切っていたシュンのまな板にそっとトマトや菜っ葉が並べられていくので、手あたり次第一口サイズに切っていく。みずみずしい音が耳に優しい。


「あ……」


斧を使ったときにできたタコが痛んで、思うように切ることができずトマトがひしゃげる。やや歪んだトマトを見て、少女は顔をしかめつつ皿にサラダを盛っていった。少女は野菜を切り終えたシュンに、別の細めの包丁を渡してまな板をふきんで拭う。


「ぼさっとしてんな、次は洗い終わったイモに切りこみを入れてくれ。バッテンにするんだぞ。深めに頼む、そっちの方がおいしいからな」


「……はい」


包丁の柄をもつ手の感覚が分からなくなってきたシュンは、タオが洗ったイモを一つ手に取って手に刺激にならないようそっと切り込みを入れていく。流し台の下の棚から底の深い鍋を取り出すと、少女は切り込みの入ったイモを掴んで鍋の中に並べていった。二人の手の動きをじっと見ていたタオは、水道の蛇口をしめて水をとめる。少女はすかさず声をかけた。


「おい、イモ洗いはすんだか! 次はこっちを手伝ってくれ」


「何をするの?」


「薪だよ薪。火はゆっくり育ててあるから、薪を足したりして火のようすを見ておいてくれ。俺は鍋から目が離せないからな」


「よおし、任せて」


タオはかがんで、竈に似た形のストーブの中に目を凝らす。揺らめきながら燃える炎はタオの宝石のような目を溶かしてしまいそうなほどに滑らかに、でも力強く漂っていた。


鍋の中に水を入れて、シュンが切り込みを入れ終えたイモを全て詰め込むと少女はその隣にフライパンを置く。肉の油で表面を滑らかにしてしばらくあたためた後、脇に担いでいた肉の塊にナイフを当てて指ほどの厚さに薄く裂いていき、それをフライパンに寝かせた。


「おい、そこの棚にある塩と胡椒を取ってくれ」


「これですか?」


「はいどうも」


シュンから塩と胡椒の小瓶を受け取り肉にざっくりと振りかける。小さな引き出しが幾つもついている棚のうちの一つを人差し指で引きだして中からハーブを取り出し、それもまたフライパンの中に落としこんだ。油のはじける音が響いて途端に白い煙が上がる。タオは初めて見る光景なのか炎を見ながら交互にフライパンを何度も見上げていた。紐に縛られた肉を抱えたままフライパン返しで肉の加減を確認する少女は、においをかいで満足そうに笑う。


「皿を用意しろ」と言われて疲労を訴える体に鞭を打って慌ただしく走り回っているうちに、肉とサラダの乗った大皿が三人分と、イモの山でできた皿がテーブルの上に並んだ。テーブルの上に立っている、すっかり短くなった蝋燭をナイフで削り取り新しいものと取り換えると、少女は二人に座るように促した。家の中には、煙突から外へ行きそびれた煙のにおいと、肉やハーブ、イモのいい香りが漂っている。



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