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「会って眷属を化け物呼びされただけの俺が、そんな話をあっさりと受け入れて信じると思えるなんざ幸せな人間だな。そうなんですか~! かわいそうに~お話聞きますよ~とか言うのは、頭がおかしいやつか能天気な世間知らずのぱっぱらぱー、あとはお前のこと遊んでるやつだけだぞ」


「じゃあ……」


「俺は別。お前の状態を信じて受け入れようとしている俺に一生感謝し続けても足りないことをまず理解しろ。いや、理解できるようになるために今からありがたい話を聞かせてやるんだよ。まず、お前の言っていることが全部本当であるならだけどな。嘘なら嘘だと分かった瞬間に命はないと思えよ」


「……はい」


物騒な言葉に肩をすぼめる。目を合わせづらいと視線を下げた。少女が足を組んで息を吸う。


「まず」


話を切り出した瞬間、扉が小さくノックされた。それは、小動物がぶつかったのではと思うほどに、かなりよわよわしい音だった。少女は険しいまなざしを扉に向けて、シュンに黙るように手で制した。慎重にソファから下りると、差し足で扉まで近づく。左手を、腰にある笛が入った袋にかけてそっと扉を押した。来客にそこまで警戒する必要がある国なのかとシュンは不安になるが、扉の向こうに見えた端正な容姿に見覚えがあり安心する。


「タオ!」


酷く疲れたように暗い表情で立っていたタオは、シュンの言葉に目を輝かせた。びしょ濡れの髪は大粒のしずくを垂らし、その水滴は顎からしたたり落ちていく。シュンとタオが知り合いであることを察すると、少女は「いい加減にしてくれ」とでもいうかのように顔をしかめた。さきほどまでの緊張した面持ちはかけらもない。聞きたくないという顔でシュンを見る。


「……知り合いか?」


「はい。崖を下りる途中ではぐれてしまってたんですけど、会えてよかったです」


少女の表情を一切気にすることなく安心したように話すシュンの言葉に、少女の顔はさらに疲弊していく。


「お前、なんでそんなに濡れてんだ」


少女に話しかけられたタオは、驚いたように顔を上げて少女を見る。しかし、返事をする前に目を見開いた少女に言葉を次がれた。


「お、お前……」


「え、えっと、なにかな」


おどおどしつつも口元に笑みを含んでタオは答える。少女は眉間にしわを寄せると、考え込むようにタオをじっと見た。


「名前は?」


「タオ、だと思うよ。名前以外のことは何も分からないけど、これは確かだと思う」


タオの言葉に小さく舌打ちをすると、少女は慌ててタオに家の中に入るよう促した。


「水は気にしなくていいからさっさと入れ。中で話を聞いてやる」


「あ、ありがとう、お邪魔します……」


服の裾を絞ってある程度の水を落とすと、タオは家の中に入る。シュンと同じように、汚してはいけないような雰囲気の家具におののき、自分が汚してしまったのを目にして謝る一通りの儀式を終えて、大きなソファにシュンと腰かけた。ぽたぽたと垂れる水がタオの歩いた跡としてカーペットに染みているのを何度もみてから、少女は「で」と話しだす。


「なんで濡れてんだ?」


「えっと、これはさっき崖から下りるときに乗っていた石が落ちたのと一緒に川に落ちてしまって、それで溺れて……」


「泳いでなんとか岸まで来たってか?」


「ううん、分からないままもがいていたら途中から足が着く場所に行けて、それで、誰かいるかもって思って歩いてここに来たんだ」


「カナヅチなのか?」


「分からないけど、水は得意ではないかも……」


悩むように少し黙ってから、少女はシュンに目を向けた。黒い瞳は真剣だった。


「悪いことは言わん。早くこの国から出ろ」


「ど、どうしてですか?」


シュンは慌てて聞き返す。少女は垂れてもいない髪を耳にかけるしぐさをして唇をなめた。


「ここがどこか知りたいっつったな。それを知ってどうするつもりだった? こいつとゆったり過ごすつもりか? たしかにこの国は他の国より空気も水もきれいだし、快適に生きていける場所ではある。ただ、お前らが平穏に暮らすことはできない。確実に」


「な、なんで……」


「教えてやる。この国は宗善国王が治めるマユリノ王国、大陸の東にある小さな国だ。これまでは穏やかな気候と平和主義的な国民性、王への信頼の高さからもう満足度がえぐいほど高い、びっくりして崖から落っこちてしまうぐらい「良い国」だった。お前らが来るのがそれぐらいだったら受け入れられてかもしれないな。ただ、ちょうどふた月前に、王宮に他国のスパイがいることが分かった。それも、王族を殺す任務を受けていたんでもう王宮は大混乱。それが国民にも波及しちまって、国全体が警戒ムードなわけ。そんなところに、名前以外記憶がありませえんとかいうジャガイモ人間が二人も来たらどうなると思う? 少なくとも、簡単には受け入れられんだろうよ」


「そのスパイの人は捕まったの?」


タオが聞く。


「いんや、暗殺任務を遂行途中に王宮の人間に気付かれて逆にやられて死んじまったらしい。ま、だから得体のしれない人間を受け入れる余裕のないマユリノじゃなく、別の国に早いとこ行っちまった方が身のためだっつー話だ。別にマユリノに思い入れとかないんだろ? 記憶ないんだし。それだったら、ちょっと国境超えさえすりゃ行ける隣のセネカアルフィーンっつー大国をおすすめしてやろう。自称慈悲深い教会もあるし、手厚く迎えられんじゃねえの」


少女の鋭いまなざしに耐えられなくなったシュンが、目線を自身の膝に落とした。少女の話をじっくりと咀嚼できるほどの間を置いて、ゆっくりと顔を上げる。


「その、俺たち、他の国に行くことはできるんですか? スパイが逃げようとしているとかって勘違いされませんか? 審査とかで身元確認されたら、俺どうしたらいいんでしょうか」


「はいはいはいはい一つずつどうぞ」


噛み締めるように話すシュンの言葉をしかめっつらで制止する。


「あ、えと、本当に他の国に簡単に行けるんですか……? 国境超えるのとか、大変なんじゃないのかなって思うんですけど」


「そりゃあもちろん大変ですとも、決まってんだろうが。そもそも、国境を越えて大陸を好き放題自由気ままにうろつきまわれんのは傭兵と商人だけっつー決まりがあるから、各国で発行されている、傭兵に与えられる印章か商人が持ってる証明書かどっちかをもってないと関所は通れないようになってんだよ」


「傭兵と、商人だけ……」


「そ。だから、スパイかどうかも確認されず、身元確認されても平気で合法に堂々と関所を超える方法を教えてやる。ちなみに、俺が提案することに従わなかったらもれなく、王宮で飼われている猛獣の餌だ。獣のフォアグラになりたくなかったら、俺に大人しく従うことだな」


淡々と、でも確実に二人を脅すと少女はソファの上で足を組んだ。白くて細い足は器用に小さくたたまれている。


「ううん、内容によるよね。何をすればいいのかな」


何を言っても相手を苛立ててしまいそうでシュンが言葉にためらっているうちに、タオがにこにこしたまま少女にたずねる。度胸の塊は、獣の栄養になることへの恐怖はあまり感じていないらしい。少女は「ああ」とけだるげに頷いた。


「この国の傭兵になってもらう。訓練は俺が見てやろう。泡吹いて喜べ、俺はこの国でも結構優秀な人間だぞ」


「なのにこんなに人気のない場所で隠れて暮らしているのはどうして?」


「知るか! 世界がまだ俺について来てないんだよ。奪還戦争にも、俺を出してくれりゃあリンなんて……」


ぼそぼそと拗ねるように何かを独り言ちる。タオが笑顔を浮かべたまま何も言わないことに気付いて我に返ると、少女はきまずそうに小さくせき込んだ。威圧感のある物言いにはとても似つかわしくない可愛らしい咳だった。


「とにかくだ、お前、たしか眷属のことを知らないっつったな。お前は? お前も何も知らないのか?」


「けん、ぞく?」


「ああそう、はいはいはいはい、そういうことね。いいよいいよ別に。一人に言おうと二人に言おうと大差ないし。むしろこんなに記憶がないことに一切危機を感じてないお前らが怖い」


「なんか、すみません……」


シュンの言葉に、少女の眉間に深い皺が入る。


「お前はほんとうに「すみません」しか言わねえな。病気なのか、すみませんと言って相手の調子を適宜トリミングしないと気が済まないのか? ただな、その言葉一つでトリミングされた気になられる俺の身にもなれよ。不完全燃焼の感情を仕方なしに抑え込んで会話しなきゃいけねえんだぞ、やりにくいことこの上ねえわ」


「す、すみません……」


「すみません人形め」


呆れたように呟くと、少女はソファから立ち上がって玄関の扉のもとまで歩く。


「ついて来い。傭兵訓練をはじめるぞ。眷属の話はその後だ」


軋む木製の扉を開いて再び外に出る。シュンとタオも小さな背中を追って小屋から出た。耳に飛び込んでくる川の水が流れる音と鳥の鳴き声が心地いい。なにも言わないまま、もくもくと川の上流に向かって砂利道を進んでいく。踏みしめる石が足の裏を刺激するなかなかの痛みにシュンは思わず唸った。足を止めた少女は、シュンの足元を振り返って顔を引きつらせる。


「随分と自然派な格好だな。なんで靴もはいてないんだ」


「起きたら、この格好だったので……」


「お前もか」


タオは笑顔で頷く。何度目か分からないため息をつくと、少女は頬をかいた。


「盗賊の方がよっぽどぜいたくに暮らしてんぞ。ちょっと待ってろ。俺がありがたーいものを恵んでやる」


軽い足取りでさっきまで歩いてきた道を引き返す。シュンとタオが目を合わせて呆然と待っている間に、大きな麻袋を抱えて少女が戻ってきた。勢いよくそれを地面に置くと、白い砂ぼこりが波のように円を描いて石の間に染み込んで消える。袋の中に手を突っ込むと、古びた黒いブーツを二人分取り出した。足首までを緩く覆う型のそれは、タオにとってはサイズがやや大きいものの、足元がさみしい二人にとってはありがたい物だ。「とっととはけ」と少女に急かされながら二人は足についた砂を軽く払ってそれに足を入れ、足の安定感を確認する。そっと石を踏みしめると、守られている実感と歩きやすさに安心した。


「あ、ありがとうございます」


「はいはい、お代は出世払いで頼みますよー」


適当に返事をして、少女はまた足を進める。大きな岩や洞窟のような石でできたトンネルを抜けると、森の中に出た。大きく仰ぎ見なければ木の上が見えないほど背の高い木々が茂ったそこは、太陽の光で葉が照らされて明るい緑色の天井ができていた。下草をかきわけて歩くうち、やや開けた場所にでる。そんなに長い距離を歩いたわけではないが、シュンとタオは息が上がってくたくたになっていた。


少女は麻袋から斧を取り出すと、どこにそんな力があるのか片手でひょいと掴んでシュンに差し出した。大きな分厚い歯がついた斧は、シュンが両手で持ってもふらついてしまう程しっかりとした重みがある。同じものを渡されたタオも両手で必死に持ってなんとか落とさないように必死だった。少女は空になった麻袋を傍の切り株に置いてふっと息をつく。


「薪に使うための丸太を集めろ。心配するな、五本でいい。それを薪のために細切れにするのは、小屋の近くでもいいしこっちで小さくしてから運んでもいい、好きなようにしてくれ。斧持ったぐらいでヘロヘロしてるようじゃ望みが薄すぎるんだが大丈夫なのか? ま、怪我のないように気をつけろよ、小屋にはろくな治療薬はないから期待してくれるな。終わったら俺は小屋にいるから呼んでくれ。そんじゃ、よろしく」


「えっあ、はっはい……」


「ええ?」


話し終えると返事を聞かずに素早く山を下っていった少女の背中を見ながら、タオが緩やかに抵抗の表情を見せる。歯の方を地面につけて斧を立てると、不満げに近くの木にもたれた。


「思いっきり薪のためって言ってたけど、本当にあの人のこと信じて大丈夫かな」


シュンは迷いながらも斧を幹に当ててみる。手には確かな重みと痛みがあるものの、肝心の木の幹には浅いかすり傷のようなものが一筋入っているだけでとても切り倒せそうには見えない。もう一度斧を振る。先ほどよりも深く傷が入ったが、斧の刃先が幹に食い込んだだけで木へのダメージは大したものではなかった。斧をいったん置いて、タオを見る。口をとがらせているタオは、シュンの入れた切り込みを楽しそうに見ていた。


「傭兵って言ってるぐらいだし、やっぱり力がないと話にならないのかもしれません。どうせなら意味のある労働で力をつけろってことなのかも……」


「そうかなあ。僕にはただいいように使われているとしか思えないけど。ところでシュン、五本ってこのでっかい木まるごと五つ分ってことだと思う?」


タオの言葉で上を見る。途方もない高さの木々が風で穏やかに笑っているようすは、荘厳でありながらも二人には絶望的だった。


「丸太五本、の意味だったらそうなりますけど、さすがにそれは……」


「厳しいよねえ」



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