けものフレンズ2 12話αパート ビースト

とがめ山(てまり)

α


そのけもの――ビーストに、理性はなかった。

心の中はいつも嵐が吹きすさび、目の前にあるテキをただ殺すことしか考えられなかった。

暴走する感情は肉体を振り切り、ビーストをどこまでも突き動かすのだった。


「大好きなんだぁーーーッ!」


海の向こうで、あの子の声がする。

悲痛な気持ちがビーストの心に入り込む。


その感情に反応するように、ビーストは海へと飛び出していた。

制御できない憎悪が、風になって船へと飛んでいく。


「来たな」 とビーストの耳元で黒い鳥が言う。

「やはりきたな」 ともう一人の黒い鳥が言う。


「しかし、どうするというのだ」

「あの子を引き裂いたところで、お前にかけられた呪いが消えることはない」

「むしろもっとひどいことになるかもしれんぞ」


ビーストは頭を振って、声を追い出そうとする。


「無駄だ、我々はいつでもお前のそばにいるのだからな」

「あの子と向き合えば、もしかしたら何か変わるかもしれない」

「何も変わらないかもしれない」


ビーストは実体化すると、勢いのままに船の屋根に飛びついた。

衝撃で船が大きく揺れる。


ビーストを見た二人のヒトが、大きく動揺しているのが分かる。


<<テキの前で震えるけものなど、自然界ではたちまちに殺されてしまうに違いない。殺す。>>


ビーストは低い声で唸った。


赤い方のヒトは、何やら袋をごそごそ引っ掻き回している。


<<この前は小細工に気を取られたが、今回は外さない>>


ビーストは、青い方のヒトを睨んだ。


こいつだ、このけものなのだ。

このけものが現れてから、ビーストの心は、むやみやたらにかき乱されるのだった。

感情が壊れ、ビーストに堕してもなお、このけものが現れるまでは心に一応の秩序があり、ビーストなりの安寧があった。


<<それをなくしたのは、この新参の、いかにも不出来で弱そうなけものなのだ。こいつはテキだ。殺すことができる。殺す>>


海から二匹のフレンズが飛び出してきて、何やら叫んでいる。


<<また他のフレンズに邪魔されるのか。すべてがテキだ。もう殺す。テキは殺す>>


ビーストは、青いヒトに飛びかかるために腰を低くした。

青いヒトは、赤いヒトに何か話しかけている。


「かばんさん、もう一度ホテルに向かってください!」

「ええ、でも……」

「お願い」


青いヒトは、何かを決意した表情でビーストに向き直った。


<<何を張り切ったところで、よわいけものだ。その喉笛を噛み千切って、この手でその腹をかき乱せばいい。殺すのだ。殺す>>


「ビーストさん」


青いヒトが何か話しかけた。

ビーストは足に力をかけた。


<<今とびかかれば、難なく殺せる。これでいい>>


「それでいいのか?」 と後ろで黒い鳥がささやいた。

「今あの子はお前の名を呼んだぞ」 ともう一人の黒い鳥がささやいた。


「お前が今あの子の話を聞けば、或いはお前の呪いが解けるかもしれんぞ」

「これからも、ただケダモノのように荒野をさまよい続けたいのか」

「フレンズにもなれず、けものにも戻れないお前が救われるチャンスだぞ」

「本当は安らぎたいのだろう?」


黒い鳥の問答に耐えられなくなって、ビーストは絶叫した。

黒い鳥が見えない他のフレンズはただ恐れおののいている。

青い人だけが、身もだえするビーストをじっと見つめていた。


「知っているぞ、お前がどれだけ孤独で、心を引き裂かれてきたか」

「誰にも理解されず、誰とも打ち解けられないことでお前がどれだけ歪んでいったか」

「あの子は初めてお前の心に手を伸ばしてくれる存在かもしれんぞ」

「あの子を引き裂けば最後、お前もどうなるか分からんぞ」


ビーストは頭を抱えて唸った。



「ビーストの様子が……おかしい?」 赤いヒトが怪訝そうに言った。


「ビーストさん」 青いヒトがもう一度言った。


ビーストはもう威嚇しなかった。

頭を抱えたまま、不機嫌そうに唸っている。


「やれやれ、言葉をなくしたか」 黒い鳥が言う。

「ならば我々が言葉を与えてやろう」

「だが気を付けろ、言葉は力だ」

「フレンズに与えられたヒトの力だ」

「もう一度フレンズになれるか、お前がお前を試してみろ」


黒い鳥は消え、ビーストの頭がスッと晴れていった。


「ビーストさん」 青いヒトがもう一度呼び掛けた。


「アムール……トラ」 ビーストがぼそりと言った。


「アムールトラ……まさかそんな、ビーストが言葉をしゃべるなんて」

赤いヒトが驚いている。


「アムールトラさん。助けて欲しいんだ」 青いヒトがアムールトラに話しかけた。

その声、文字の意味、口調の必死さが、今のアムールトラにははっきりと分かった。


<<――ああ、何故こんなにも、このヒトの声は心をかき乱すのだろう>>


「お前は……誰だ」

「僕はキュルル。たぶんヒトです」

「お前は……嫌いだ」

「えっ」

「お前は嫌いだ。お前は嫌いだ。お前は嫌いだ!!」


アムールトラは大声で叫ぶと、船の甲板に飛び降りた。

ゆっくりと、キュルルに近づいていく。

キュルルの喉ぼとけが、ゆっくり上下するのが見えた。


<<あの喉に食らいつけば、一瞬で終わる>>


「キュルルちゃんやめて! 君が危ないんだよ! 怪我じゃすまないかもしれないよ!」 赤いヒトが大声で叫んでいる。


「もうちょっと、もうちょっとお話をさせてください!」 キュルルが言った。



「お前は……震えている」 アムールトラはキュルルに言った。


「うん……アムールトラさんは、怖い」 キュルルは震える声で言った。


「私は……怖い」

「怖いよ。怖いけど……すっごく強そう」

「私は、強いぞ」


アムールトラは、キュルルの目の前に立った。

キュルルは腰が抜けて、その場にしゃがみこんだ。


「お前は、私に勝てない」

「絶対勝てない……よ……」


キュルルは俯いた。


「絶対勝てないよ……僕なんか全然強くなくて、何もできなくて、代わりにみんなに何か楽しいことをしてあげようと思って、絵を……絵を描いていたのに」


キュルルは泣き出した。

その悲しみは鮮烈で、ビーストは動揺した。

感情を持て余して、少したじろぐ。


「そしたら、僕が描いた絵が原因でセルリアンがたくさん出てきちゃうなんて、僕は、僕はなにもうまくできないんだって、ずっと、ずっと喜んでもらえると思っていたのに。なんで……僕は、みんなが大好きな、それだけなのに……」



アムールトラは、キュルルの悲しみの中にいた。

その感情の中に、たくさんのフレンズとの思い出があるのが見えた。

泣いているフレンズ、喧嘩しているフレンズ、競争しているフレンズ、そしてずっと隣にいて、絆を深め合った二人のフレンズ。

その親愛に、誰かを大切に思う気持ちに辿り着いたアムールトラは、キュルルを殺すことを考えなくなった。

それはビーストが手に入れられなかったすべてであった。



「絵を……描いたのか」

「うん……でも、セルリアンになるって」

「見せろ」

「えっ」

「私を、描いたか?」

「これに……リョコウバトさんに渡そうと思ってた絵だよ」


キュルルは、旅で出会った全員が描かれた絵を取り出すと、アムールトラに渡した。


「これに……これが、私か」

「うん。この、木の陰にいるのがアムールトラさんだよ」


絵に描かれているアムールトラは、誰も襲っていなかった。

一人で木の陰に立っていたが、誰からも怖がられず、誰からも疎まれず、絵の中に入っていた。

絵の中でアムールトラは、ビーストではなかった。


「小さいな」

「だって、あんまりじっくり見れなかったんだもん」

「……ありがとう」

「え?」

「ありがとう。描いてくれて」


それはキュルルにとって、意外な感謝だった。

フレンズ型セルリアンの元凶と知って打ちのめされてしまった絵の価値を、目の前のアムールトラが認めてくれた。


「え、でもこれは、セルリアンの発生源になるんだって」

「でも、お前はセルリアンを出したくて描いたのではないだろう?」

「うん、だけど……」

「出会ったフレンズに喜んでほしくて、描いたのだろう?」

「そうだよ。そうだけど……」 キュルルの声が震える。

「ならいいではないか。私は嬉しいぞ」


キュルルはまた泣き出した。

今度は悲しみではなく、自分の絵が認められたことのうれし泣きだということが、アムールトラにも伝わった。


「良かった……」

「この絵は私の宝物だ。絶対にセルリアンにはさせない。もしこの絵からセルリアンが出るのだとしたら、私がそのことごとくを倒してみせる」

「アムールトラさん! それってもしかして」

「ホテルとやらに向かうがよい。私を連れていけ」

「ありがとう……!」


船はホテルに向けて動き出した。



「ありがとうございます、アムールトラさん」 と赤いヒトが言った。

「勘違いするなよ。これはキュルルがこの絵を描いてくれた恩を返すだけのことだ。私をこんな姿にした者たちを、許す日は永遠に来ない」


アムールトラの手錠が、夕日に照らされて輝いている。


「……」 赤いヒトは何も言い返さなかった。



「潮時だな」 と後ろで黒い鳥が言った。

「もう言い残した言葉はないな」 ともう一方の黒い鳥が言った。

「これはお前の気まぐれか?」

「それともけものの本能か」

「もしや”気持ち”というものか」

「お前は再び嵐の中だ」

「今回だけが特別だ」


「五月蠅い」 アムールトラは唸ったが、黒い鳥の声はほかのフレンズには聞こえていない。


アムールトラの頭がまたどろどろと澱んでいく。



「赤いヒトよ。最後に一つだけ聞くが」

「最後に?」 と赤いヒトは振り向いて、アムールトラがまた理性を失いつつあるのに気付いた。

「けものとヒトは、分かり合えるのだろうか。フレンズという、自然を外れたおぞましい姿になってまで」

「……僕は、フレンズになったことがあります。それはヒトでもけものでもない、中途半端な姿だったけれど、フレンズになって経験したことを、後悔したことは一度もありません。ヒトは自然では無力だし、かえって迷惑をかけることの方が多いかもしれません。ですが、お互いに歩み寄って、分かり合おうとすることはできるんです。そして、こうやって手を取り合って、一緒に生きていくんです」

「……ふふ、ふふふふふ」



ビーストは少し笑うと、俊敏に船の屋根に上がった。


船の上に、野生の力に満ちた雄たけびを轟かせる一匹の獣がいる。


やがてホテルが山蔭から見えた時、船を突風が襲い、黒い霧になったビーストが一直線にホテルに飛んで行った。


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けものフレンズ2 12話αパート ビースト とがめ山(てまり) @zohgen

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