第21話

「よし、これで最後だ!」


 ブチッと、最後の糸が切れる。


「やった!雫、もう動けるよ!よかった…本当に、よか……た……」

「海渡っ!」


 雫がワイヤーから解放され安心したのか海渡の意識はプツリと消え、体が湖の中へと沈んで行く。

 雫はワイヤーから抜け出ると慌てて湖の中に潜り、沈み続ける海渡を抱きしてる。


「しっかりして、海渡!」


 しかし、海渡の返事は返って来なかった。

 海渡は雫の腕の中でもたれるように倒れている。血を流し過ぎたせいで顔色も青白くなっていた。

 体温も下がり、体は冷たくなっていた。


「……沖に上げなきゃっ!」


 雫は海渡を腕に抱え泳ぐ。ワイヤーで切った傷があちこちあり、動く度に激痛が走った。


「うっ……っ……!」


 痛みに小さく呻く。自分より体が大きい海渡を抱えて泳ぐのは、雫にはキツかった。

 そして、海渡の服が水を吸い重量は更に重くなっていた。

 それでも、雫は諦めなかった。


「今度は、私が海渡を助ける……!」


 すると突然、海渡の体が軽くなったのを感じた。


「え?」


 雫は海渡を見る。てっきり意識が戻ったのかと思ったが、そうではなかった。

 雫を助ける手伝いをしてくれた魚達が、今度は海渡の体を浮かし助けようとしていたのだ。


「雫、頑張って!」

「俺達もついてるからなっ!」


 雫は、魚達の言葉が嬉しくて涙目になる。


「皆、本当に有り難う…」


 そして、雫は魚達の協力もあり海渡を沖に上げることに成功した。

 雫は海渡の名前を呼ぶ。


「海渡!海渡!!」


 しかし、海渡は瞳を閉じたままで返事が返ってくることはなかった。雫は海渡が茂に撃たれたことを思い出す。


「そうだわ……傷口!」


 雫は赤くなった海渡の服を破き、撃たれた傷口を見る。海渡の肩には丸い穴が空き血が垂れ流れていた。


「――っ!?海渡!ねぇ、海渡!!」


 破った服で自分なりに止血を試みるが血は止まらなかった。それでも雫は海渡の名前を呼び続けた。


「海渡、お願い…目を開けて。私を一人にしないで!」


 海渡の傷だらけの手に触れ、自分の頬にそっと当てる。血の気がないせいなのか、それとも湖の中に長時間入っていたせいなのか、海渡の手は氷のように冷たかった。


「海渡…私…貴方にまだ、この気持ちを伝えてないの…私は、貴方が好き…愛してる…だから、お願い。海渡、目を開けて…私の名前を、もう一度呼んで…?ねぇ、お願い……お願いよ、海渡」


 雫の瞳から一滴の涙が溢れる。溢れ落ちた涙は白い真珠になり、海渡の胸に転げ落ちた。

 そして、真珠はまるで染み込むように海渡の中へと消えていった。

 真珠が海渡の体の中に入っていたことを知らない雫は、海渡の名前を呼び続けていた。

 湖にいる魚達は、不安げな様子で雫と海渡のことを見ている。


 ――すると、奇跡が起きた。


 頬に当てている海渡の手が微かに動いたのだ。

 海渡はゆっくりと目を開く。青かった顔色も段々元の顔色へと戻っていた。


「ん……雫……?」

「――っ!!海渡……う、うわぁぁぁん!海渡ー!!」


 海渡が目を覚ますと雫は海渡に抱き着き、子供のように大きな声を上げて泣いた。


「い、いたたっ!し、雫、痛いよ!」

「うっ…うぅっ……!こ、このまま…目を覚まさないのかと思った!」

「雫……」


 雫は声を上げて泣く。海渡はそんな雫を抱き締め返し、ゆっくりと身体を起こした。

 そして、雫の泣いている顔を親指ですくうように拭った。


「声が聞こえたんだ。雫の声が…。雫、その…こんなこと言うの可笑しいかもしれないんだけど……」

「……?」


 海渡は気恥ずかしそうに頬を掻く。雫は濡れた瞳で海渡を見つめ首を傾げた。

 海渡は二・三度深呼吸すると、意を決したように涙で濡れた雫の大きな瞳を真っ直ぐに見つめる。


「僕は、雫のことが好きだ」

「え………」

「ずっと、この気持ちは何だろう?って考えてた。でも、やっと今わかったんだ。僕は雫が好き。一人の女性として、これからも…ずっと、僕の傍に居てほしい」


 雫はその言葉を聞くと、折角泣き止んだ涙が、またポロポロと溢れ落ちた。


「わ、私も、海渡が好き…!ずっと、ずっと前から好きなのっ…好きだったの…うっ…っ」

「あははっ、また泣いてる。もう、仕方がないなぁ」

「だ、だってっ……う、嬉しくて…っ……」


 海渡はクスリと笑い雫の頬に触れ、長い髪を梳くように指で撫でる。


「僕も雫が好きだって言ってくれて凄く嬉しい…」


 雫と海渡はお互い見つめ合い、微笑み合う。


「雫よ」


 二人はハッとなり湖を見る。そこには大鯰が雫と海渡のことを見ていた。

 海渡は、大鯰の大きさと人語を喋ったことに口が開き呆然となる。


「鯰が……喋った……」

「主様…」

「え?!」

「この方は、湖の主なの。主様、あの、私――」

「――わかっておる。言うでない」


 雫はその場でションボリと項垂れる。まるで、親に置いてけぼりにされた子供みたいだった。

 鯰は、そんな雫に聞き分けの聞かない子供に言い聞かせるように話す。


「雫よ。わかったじゃろう?所詮、人魚と人間は相容れぬものと。時には仲間も犠牲にする。ここにいる者達も怪我をした……」

「はい……」

「しかし。ここの者はみな、不思議とお前を好いておる。臆病なのに、ひたむきで純粋な心を持つお前のことを…」


 鯰は小さな溜め息を吐くと、例の小瓶を雫に見せた。


「雫。これを受け取りなさい」


 雫は鯰から小瓶を受け取る。


「これは……?」

「魔女が置いて行った物じゃ。……きっと、最後の願いを叶えてくれる物じゃろう」

「私の…最後の願い……」


 小さく呟くと、雫は隣を見る。隣には心配そうな顔をして雫を見つめている海渡が居た。


(私の願いは……)

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