令和のはじめの雨の日のこと

 昨日、ふとしたことで私はまた自分のことがよくわからなくなりよくわからない行動をとってしまった。

 雨が、降っていた。令和のはじめ。めでたい雨だったが、しかし、私はその雨にただ冷たく濡れたりもした昨日だった。



 比較的近所のショッピングモールに自転車で出かけて、映画を観る予定だった。夕方から。

 私は夫のこととはまったく別件でちょっとしんどいことがあった。だがほんとうに別件なので、今日は今日でふつうに楽しもうと思い、いつも通りいっしょに整体を受けて喫茶店でパフェを食べるまではふつうに振る舞っていたつもり、だったのだが、――映画館に入った途端、人の多さと売店に人が並びすぎている事実もあったのだろう、ぐわっといろんなものがやられ、椅子に座り込んでしまった。

 夫が目線を合わせてしゃがみ込んで訊いてくれた。

「今日は(映画)やめとくかい」

 こくこくとうなずくことしかできない私だった。


 そして帰ろうとしたのだが。

 細かいことはここでは省くが、とにかく私はいろんなことで頭がまっしろになってしまって、駐輪場でもほとんどフリーズしてしまった。

「事故が起こるとまずいから自転車置いてタクシーで帰ろう」という夫の言うことに、しかし、素直に従うこともできず。だって、映画は映画で楽しみだったのだ。それなのに、簡単なことで簡単に頭がまっしろになって、映画さえ楽しめなくなりそうで映画館から逃げ出してきてしまう自分が、ふがいなかった。


 そこのショッピングモールではふつうに私は教え子と出会う可能性がある。ふらふらな自分を見せたくないし、もしいま出会ってしまったら仕事中みたいな対応をできる自信がない。しかし、自転車に乗るのもちょっとまだ危うい。タクシーに乗るという選択肢にもどうにもうなずききれない。

 思考がいっぱいいっぱいになった私が、ふらっと選んだのは――その場から歩き去る、という、なんとも稚拙でどうしようもない選択肢だった。



 雨が、降っていた。

 ふらふらとひとり歩いていた、つもりだったのだけど。



「歩いて帰るってかい」



 すぐ、隣には、夫がいた。

 私は八つ当たりモードだったので、素直にあらわせなかったが――こんな態度をとっても、ついてきてくれる夫が、やっぱりほんとうは嬉しくて、偉大だと、思った。それなのに私はやっぱり素直にそう言えず、うつむいただけだった。



 夫は早歩きになって、コンビニに消えていった。

 私がぼんやりと信号待ちをしていると、ふっと傘が差しだされた。



 夫は、即座に傘を買って、差し出してくれたのだ。

 私が濡れないように、さしてくれたのだ――。





 ……しばらく、信号の手前の柵にふたりで無言でよりかかって、夫のさす傘のなかに、私はいた。

 若者たちが自転車をこいではしゃいだりする声や、車の通る音を聞いたりするあいまに、雨の音だけが聞こえて、夫は逃げもせず私を責めるでもなくずっと傘さし続けてくれて、だから、まっしろだった私の気持ちはちょっとずつ落ち着いてきた。

「……ちょっと、休みたいから、(ショッピングモールに)戻ろう」

 そう言う余裕ができたくらいには。



 その後、ショッピングモールにある比較的静か目なカフェに入って、私は夫にいきなり映画が観れなくなった理由やなにがあったかや自分の気持ちなどを、ほかのなにをだれに対するときより素直に、話した。「そういうことだったのね」と夫は言って、あとは静かに私の気持ちを聴いてくれた。

「ちょっと、落ち着いてきた」

「けっこう、落ち着いてきた」

「だいぶ、落ち着いてきた」

「やっぱ、映画観たい……」

 そしてレイトショーを予約しなおしてくれるところまで、完璧だった。



 あらためて観ることのできた映画はとてもおもしろかった。





 昨日、ふとしたことで私はまた自分のことがよくわからなくなりよくわからない行動をとってしまった。

 雨が、降っていた。令和のはじめ。めでたい雨だったが、しかし、私はその雨にただ冷たく濡れたりもした昨日だった。


 そして、そこに傘をさしてくれたのは、やっぱり、ほかならない夫だった。

 すごいなあ、すごいなあってほんとうに思う。ひとに、まっすぐ傘をさすこと。それは、もちろんだれにでもできることではないし、私にそうやって傘をさしてくれるのは、やっぱり、夫、彼だけなんだなあって、あらためて思った令和のはじめだった――。

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