第百五十六話 救うということ③

 バルデミアは自身の『神ま』に触れ、目を閉じた。


「私たちの目的、か」


 少しして、彼は空を見上げた。


「そうだな。英雄としての全てを差し出してもらうのだ、君には教えてもいいだろう。私の目的は新しい宇宙を創ることだ」

「新しい宇宙……?」

「皇飛鳥、君たちの救世は本当に成功したと思うかね?」


 バルデミアに問われ、飛鳥はアーニャを見る。

 彼女は同意するようにしっかりと頷いた。

 飛鳥も笑みを返し、バルデミアに視線を戻す。


「あぁ、俺たちはできることをやってきたつもりだ。ロマノーとスヴェリエの戦争は終わり、エールは成長した。後は……」

「私たちを倒す、かな?」


 飛鳥はゆっくりと頷いた。

 バルデミアの口角が上がる。


「駄目だな、それでは駄目だ。飛鳥よ、そんなことで世界は、ヒトは変わらぬ。だがそれは君のせいではない。この宇宙の在り方に問題があるのだ。最高神の爺様のやり方に問題があるのだ。アニヤメリア、ユーリティリア、君たちに聞きたい。何故君たちは救世の旅をしているんだ?」

「何故って……」


 二人は見つめ合い、アーニャが先に答えた。


「もちろん宇宙の安定の為です。苦しんでいる人たちを救い、世界を正しい方向へ導くことが私たちの役目です」

「そうだな。しかし考えてみてほしい。そもそも苦しむ者がいなければ神界が救う必要もない。そして、神界であっても全ての者を救うことはできない」

「それは、分かっていますが……」


 ユーリティリアが歯を食いしばる。

 バルデミアは更に続けた。


「救世の旅は選択の旅だ。誰を救うかではない、誰を切り捨てるかの選択だ。誰かを救うということは、他の全てを捨てるということなのだよ」


 アーニャの表情が曇る。


「そうかも、知れません……。でも、それでも、少しでも多くの人を救えるなら……」

「それができないから私は神界を離れたのだ。このティルナヴィアで何度も繰り返してきた。私は正しいと思うことをし続けてきた。だが、どれだけ手を尽くしても何も変わらなかった。争いが繰り返され、不幸が生み出される。どう選択しても結末は変わらなかった」

「何度も……? どういう意味ですか……?」

「幸か不幸か、私は爺様の能力の一端を受け継いだ。名を『天地創造ヴェグタムル・アルフォズル』。爺様のように無から創造することはできないが、材料さえあればこの通りだ」


 と、バルデミアは地面を軽く叩いた。

 アーニャが狼狽する。


「バルデミア様、貴方はまさか……!」

「この世界を……! 皆を……!」


 飛鳥は理解してしまった。

 先ほどのヴィルヘルムの言葉の意味を。

 彼らがこの世界で何をしてきたのかを。

 視界が歪み、不快感で頭が重く感じられる。


「ふざけるな! 思い通りにいかなかったからってティルナヴィアを創り直したのか!? じゃあその時生きていた人たちは! ここにいる、皆は……!」


 飛鳥の叫びにマティルダたちは呆然とした。


「余たちは、何度も死んで……?」

「心配するな。ほんの一部の例外を除いて記憶もリセットされている。世界が滅び、生まれ変わったことすら認識できていない」


 バルデミアの言い様に飛鳥はいよいよ激昂した。


「そういう問題じゃない! お前がやっているのは救世以前の話だ!」

「救世などとうの昔に諦めている。私は爺様とは違う宇宙を、誰も不幸にならない宇宙を創る。数え切れぬ『天地創造ヴェグタムル・アルフォズル』の影響で私はティルナヴィアと結びつき、この世界の創造主となった。次はこの世界を宇宙から切り離す。その為に君たちの力とレーヴァテインが必要なのだ」

「渡さないって言っただろう……!」


 飛鳥は血が出るほど拳を握りしめ、絞り出すように告げる。

 バルデミアは溜め息を漏らした。


「君に選択権はない。さっきも言った筈だ」

「お前だけは許さない……! 皆を何度も……! 俺の大切な人たちを……!」

「そんな狭い視野で今まで戦っていたとは驚きだ」


 本心で言っているらしく、彼は眉を上げた。

 飛鳥が怒鳴る。


「黙れっ!! 仲間も救えずに何が救世だ!! 何が宇宙の安定だ!! この世界を……皆の未来を返してもらうぞ!!」

「そういうありきたりな台詞は聞き飽きた」


 直後、視界一面に青空が映った。


「…………え?」


 浮遊感を感じ、空に打ち上げられたのだとようやく気づいた。

 すぐ横でアクセルとマティルダの声が響く。


「あの野郎、何しやがった……!?」

「何がどうなっているのだ!?」


 空にいるのは三人だけのようだ。

 困惑する飛鳥であったが、『精霊眼アニマ・アウラ』が強大なエレメントの流れを捉えた。

 三人を中心に渦を巻き収束していく。

 飛鳥は彼らに向かって叫んだ。


「二人とも! 早く防御を──」


 言葉はそこで途切れた。

 聞いたことがないほど巨大な音が聞こえ、全身の感覚が消える。


「……──くん! 飛鳥くん!」

「あ……がっ……。アーニャ……?」


 目が覚めると、飛鳥は地面に横たわっていた。

 起きあがろうとするが、体に力が入らない。


「動かないで! そんな……飛鳥くんたちが……」


 頬にアーニャの涙が落ちる。

 ぼんやりとし、上手く頭が回らない。


「これで分かってもらえただろうか」


 バルデミアの声が鼓膜を叩いた。


 そうだ……。俺たちは、やつの攻撃で……。


「マティルダたちは……」

「ティルナヴィアの頂点に立つ第八門の精霊使いでもこれだ。私を止めることなど誰にもできん。さて……」


 『神ま』のページを指でなぞり、バルデミアは海に向かって手を翳した。

 途端に波が荒れ狂い、大地が揺れる。

 アーニャは飛鳥を守るようにぎゅっと抱きしめた。

 海面を突き破り緑色の半透明な何かが空に向かって伸びていく。

 『精霊眼アニマ・アウラ』が取り込んだ情報に叩き起こされ、飛鳥は無理やり上体を起こした。


「どうしてやつがここに……!? ナグルファルで倒した筈じゃ……!」


 バルデミアが笑う。


「ナグルファルのは劣化した模造品のようなもの。こちらが本体だ」


 山のようなんてものじゃない。

 雲を抜け、陽の光を隠し、それでもまだ全身は見えない。

 伝承に謳われた創世の巨人アウルゲルミル。

 その真の姿。


 飛鳥は力なく項垂れた。


 無理だ……。俺たちじゃバルデミアもアウルゲルミルも止められない……。


 アウルゲルミルの体が淡く光を放ち始めた。

 世界を無に帰す力。新たな世界を創る為の力だ。

 光が集まり、太陽のような火球が現れた。

 放たれれば世界が消える。

 ティルナヴィアに生きる全ての生命が消える。

 そして、飛鳥たちにそれを止める術はない。


 ここで終わるのか……? 嫌だ……。アーニャを……皆を……。


 気持ちだけではどうにもならないのは分かっている。

 敵わないのも分かっている。

 それでも──。


「でえええりゃああああああああああああああああああああ!!」


 その時だった。

 上空に黒い穴が開き、そこから流星が飛び出してきた。

 流星はアウルゲルミルに向かって一直線に飛んでいき思いっきりぶつかった。

 『いてて……』なんて言いつつ流星が大声をあげる。


「お待たせ! アーニャちゃん! スメラギくん! イストロスでのお礼をしに来たよ!」

「ステラちゃん!? どうしてここに!?」

「さすがに異常事態過ぎるからね! ニーラペルシ様の新! 軍団長である私自ら参上しました!」


 やたらと『新』の部分を強調し、ステラは笑みを浮かべた。

 重厚な鎧と飾り気のない大剣、彼女の体ほどもある大きな盾。

 琥珀色の髪を靡かせ、ステラはアウルゲルミルの火球を押しとどめている。

 更に彼女はバルデミアに向かって吼えた。


「上位神バルデミア! 貴方の行いは神界への反逆行為です! 私たちが止めてみせます!」

「ステラだったか。上位英雄が一人増えたところで私は止められん。そんなことも分からないとは……」

「では、私がいたらどうでしょうか?」


 凛とした美しい声に、飛鳥とアーニャはゆっくりと振り返った。


「ニーラペルシ!? あんたまで……!」


 白い一枚布の服ではなく、彼女が聖装と呼んでいる緑のグラデーションが入ったドレスを身に纏い、ニーラペルシは飛鳥を見つめた。


「全く、情けない」

「はい?」


 彼女の思いがけない一言に、飛鳥は固まってしまった。


「バルデミアごときに諦めるなど、それでも私が選んだ英雄ですか? アニヤメリアとの結婚ももういいのですか?」

「いい訳ないだろ! これはその……」

「ニーラペルシ様ああああああああああああああああああああ」


 飛鳥を遮り、ユーリティリアがニーラペルシの足にしがみつく。

 彼女はユーリティリアを振り解こうと足を振りながらバルデミアを睨んだ。


「こんな所に隠れていたとは。宇宙の安定を乱した罪は重いですよ?」

「久しいな、ニーラペルシ。君こそいいのか? 下位神とはいえ他者の救世に割り込むなどただでは済まないぞ」

「罰なら甘んじて受けましょう。貴方を殺せるなら安いものです」

「君が冗談を言うようになるとは。予想外の客人だがいいだろう。ティルナヴィア共々消えるがいい」


 バルデミアが立ち上がる。

 ニーラペルシも『神ま』を開き、二人は向かい合った。

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