第百五十三話 支配者③

「こんの……野郎がァ!!」


 アクセルは軸足を思いっきり地面に叩きつけ、もう片方の足を振り抜いた。

 スレイプニルから真っ黒なエレメントが噴き出し、三日月のように弧を描く。

 直後、そこへ氷剣の雨が激しく打ちつけた。

 氷剣の一本がアクセルのエレメントを貫き、彼の額目掛け一直線に向かってくる。

 横へ躱そうとするが体がついてこない。


 まだ、足りねぇのか……!


 『刻を蹂躙せし者インペリウム・クロノス』と『絶対零度クアンタム・ルーラー』。

 大地と氷と属性の違いはあれど、周囲の物質を制御しているという点では全く同じだ。

 この中で思い通りに動く為の方法はただ一つ。

 強度、純度共に相手のエレメントを上回ること。

 再びこの停止した世界を支配することだ。


 間一髪のところで躱し、無理やり体勢を戻す。

 今度は頭上から何本もの氷剣が放たれ、アクセルは飛び退くと同時に右足を突き出した。

 氷剣の間を縫うようにクリスティーナが突きを繰り出す。

 受け止めるが力負けし、アクセルは地面を転がった。

 氷剣の雨が止む。

 周囲は豪雨なんて言葉では片づけられない、まるで災害に遭ったかのような状態であった。

 木々は引き裂かれ、岩は砕け散り、地面には大きな穴がいくつもできている。

 アクセルは静かに佇むクリスティーナを睨み舌打ちした。

 彼女がわざと殺気を剥き出しにしたからだ。

 今、アクセルの意識は世界の支配権を取り戻す為あらゆる方向に向けられている。

 クリスティーナからしたら、それはとんでもなくつまらないことだ。

 いや、これまでの言動を見るに寂しい、悲しいの方が正しいのかも知れない。

 彼女はこう思っている筈だ。

 運命の人がこんなに弱い訳がない、どうして本気を出してくれないのかと。

 案の定、クリスティーナは泣きそうな顔でこう言った。


「アクセルはわたくしのことが嫌いですの?」

「当たり前だろ。好きになる要素があるか?」

「そう……。だからこんな意地悪をしますのね」


 クリスティーナが目元を拭う。

 信じたくないことだが、アクセルはようやく彼女のことが本当に理解できた気がした。

 最初はただの戦闘狂いなのだと思っていた。

 真正面から戦っても壊れない、真の強者とやらを探す頭のネジが何本も取れた壊れた人間なのだと思っていた。

 まだ幽閉されていた頃、アクセルはリーゼロッテに頼み動物たちから国内外の情報を集めていた。

 もちろん体を何とかし、リーゼロッテと共に逃げる為だ。

 ロマノーの、先帝やヴィルヘルムの思い通りになるつもりなどなかった。

 スヴェリエの第八門、クリスティーナと恭介のことを知ったのもそれがきっかけだった。

 将官でありながら自ら最前線に立ち、敵を絶望の底に叩き落とすスヴェリエの最高戦力。

 特にクリスティーナの方は向かってくるなら相手が民間人だろうと容赦はしなかった、必要以上に絶望を撒き散らしていた。

 でも、それが彼女なりの恋愛だったのかも知れない。

 対等に渡り合えることと愛されることが、彼女の中ではイコールなのかも知れない。


「……一つ聞いてもいいか?」

「何かしら?」

「俺がここで死んだら、てめぇはまた戦争を起こすのか? 真の強者とやらを求めてまた死体の山を築くのか?」

「そんなこと言わないで!」


 アクセルの問いにクリスティーナは初めて怒りらしい怒りを見せた。


「貴方はわたくしとずっとずーっと殺し愛ますの! 貴方ならそれができますわ! まだ本気を出していない癖に変なこと言わないでくださいます!?」


 その時ふと、飛鳥の顔が思い浮かんだ。

 初めて会った時、アーニャをちょっとからかったら本気で蹴飛ばしてきた飛鳥を思い出した。


「…………悪いこと、しちまったなぁ」

「何か言いまして?」


 結局皆同じなんだと、アクセルは思う。

 結局皆歪んでいるのだ。

 違いは周りへの影響が大きいか小さいか、その程度だ。

 英雄だなんていっても、アーニャに何かあれば飛鳥は誰も救わないだろう、アーニャを傷つけた世界を憎み、滅ぼそうとするだろう。

 あいつはそういう奴だ。

 自分はどうだろうか。

 リーゼロッテと、エールの連中とこれからも一緒にいられるなら、その為なら相手が誰であっても──。


 アクセルは立ち上がり服を叩いた。

 そして、クリスティーナを見つめる。

 すると彼女は嬉しそうに笑い斬りかかってきた。

 先ほどまでとは比べ物にならないほどの鋭い一撃。

 アクセルはそれをあっさりと受け止め、氷剣を砕いた。


「相手の血なんて不純物を混ぜるから脆くなんだよ」


 返す刀でクリスティーナに蹴りを叩き込む。

 爆弾が破裂したような音が響き、彼女の体が数十メートル飛んだ。

 体の自由を取り戻したアクセルはいつもの調子でクリスティーナに近づいていく。

 狂気を孕んだ獰猛な笑みを浮かべ、相手を見下した態度で彼女を見つめる。

 俯き、膝をつくクリスティーナはボロボロだ。

 頭から血を流し、真っ白だったドレスは血と泥に塗れている。

 アクセルはスレイプニルを振り下ろした。

 再び爆発音が響き渡る。

 しかし、互いにダメージはない。

 クリスティーナは左腕一本で受け止めてしまった。


「アハッ、アハハ……アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」


 彼女の右手にエレメントが灯るのを見て、アクセルが身を翻す。

 だが直後、みぞおちにクリスティーナの拳が突き刺さった。

 思わず体を折る。


「がぁっ……!」


 クリスティーナはアクセルのネクタイを引っ張り、額同士をぶつけた。


「アクセルぅ……!」


 彼女の表情は初めて見るもので。

 怒りも悲しみも寂しさもない、心の底から幸せそうなもので。

 それを見てアクセルは安堵してしまった。

 これでもう部下の命を無駄にしたり、闇雲に戦禍を広げるような戦いはしないだろう。

 そして、自分も死ぬつもりはない。死ぬ訳にはいかない。


「おい、いつまでそうしてんだ。気持ち悪ぃんだよ!」


 お返しとばかりにクリスティーナのみぞおちを蹴り飛ばす。

 彼女はふらふらと下がった後、美しい所作でお辞儀をしてみせた。


「ごめんなさい。わたくしとしたことがはしたないところを見せてしまいましたわ」


 クリスティーナはそう言ってアクセルの顔を殴った。

 何とか踏みとどまり、彼女の脇腹を殴りつける。

 殴り、殴り返される。

 二人はそれを何度も何度も繰り返した。

 止まった世界の中で互いのエレメントは拮抗している。

 精霊術や小手先の技はもう通用しない。

 どちらが先に倒すか、二人はそれしか考えていなかった。

 それからどれだけ殴り合っただろうか。

 互いの腕が交差し、二人とも仰け反った。

 アクセルは最後の力を振り絞り、地面を蹴る。

 既にクリスティーナの拳が目の前まで迫っていた。

 しかし、アクセルは防ごうとしない。

 全力で彼女の頭にスレイプニルを叩きつけた。

 クリスティーナが無言でその場に崩れ落ちる。

 周りの木々が揺れ、風が二人の体を撫でた。


「これで……満足だろ……」


 視界が霞み、全身から力が抜ける。

 だが、影から飛び出してきたヴァナルガンドに体を支えられた。

 重い腕を上げ、彼に触れる。


「助かった、よ……。悪いが、飛鳥たちのところまで……乗せていってくれ……」


 ヴァナルガンドがアクセルの襟をくわえ、背中に乗せる。

 アクセルは走り出そうとする彼に待ったをかけた。


「グランフェルト……。この前のてめぇの言葉、そのまま返してやるよ……。俺だけを見てろ、いつでもかかってこい……。何度でも、潰してやる」


 ヴァナルガンドが走り出す。

 呻き声をあげ、アクセルは彼の耳を引っ張った。


「あまり揺らすんじゃねぇ……」


 ヴァナルガンドは注文が多いなとでも言いたげに極点目指し走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る