第百五十二話 支配者②

 アクセルは全力で地面を蹴り上げた。

 迷いはない。

 クリスティーナ・グランフェルトという人間はここで終わらせる。

 否、終わらせなければならない。


 この女は自身の欲望の為だけに戦火を広げた。

 しかもその欲望は誰も幸せにしない、誰も救わない。

 彼女自身を満たすことも永遠にないだろう。

 ならば、誰かが終わらせなければならない。

 そしてそれは、この女に希望を持たせてしまった自分の役目だ。


 叫び声にも似た風切り音をあげながら、スレイプニルがクリスティーナの顔面に迫る。

 アクセルはこの後待つであろうヴィルヘルムとの戦いのことなど考えていなかった。

 戦いの後のことを考えるのは彼ではない。

 クリスティーナと同じ戦士として全力で、一撃で終わらせる。

 アクセルが辿り着いたのはそういう力だ。


「ッ!?」


 だが、突然体が動かなくなり、アクセルは困惑した。

 防がれた訳ではない。

 そもそもクリスティーナに防御する暇などなかった。


 どうなって、やがる……!?


 声を出すこともできない。

 辛うじて目だけは動き、辺りの様子を探るが世界は止まったままだ。

 その時、クリスティーナの口元が僅かに動いた。

 彼女の手の中で氷剣が形作られていく。

 アクセルは戦慄し、エレメントを一気に限界まで引き上げた。


「お……おおおおおおおおおおおおおおお!!」


 ゆっくりと動き出した氷剣に向かってスレイプニルを叩きつける。

 その緩慢な動きからは想像もできない重量に負け、アクセルは地面に背中を打ちつけた。


「がっ!? 一体何が……!?」

「やっぱり! 思った通りですわ!」


 クリスティーナはアクセルに氷剣を突きつけ、頬を紅潮させた。

 分かっていたことだが、この戦いをとことん楽しむつもりらしい。

 圧倒的に有利なこの状況でそれ以上動こうとしない。

 それならばと、アクセルは考えを巡らせた。

 『刻を蹂躙せし者インペリウム・クロノス』はまだ作用している。

 この中でアクセル以外が動ける筈がない。

 問い詰めようとすると、クリスティーナはしーっと唇に指を当てた。


「あぁ、アクセル。わたくしの運命の人。貴方の気持ちはよぉく分かりますわ。ここは本来貴方だけの世界、貴方の思い通りになる世界。先日の戦いがなければわたくし死んでいましたわ。ふふふっ♪」


 クリスティーナが笑う。

 大好きな人と世間話でも楽しむように笑う。

 その仕草に改めて彼女の異常さを思い知らされた。

 歯噛みするアクセルを見て、クリスティーナが甘えるように首を傾げる。


「気を悪くさせてしまったならごめんなさい。でも、本当に嬉しいんですの。ここまで同じだなんて思わなかったから」

「同じ? どういう意味だ?」


 クリスティーナは答えない。

 氷剣を手の中で遊ばせていたかと思うと、鋭く振り下ろした。

 剣の側面を蹴り飛ばし、距離を取る。

 思うように動かない体にアクセルは舌打ちした。


 体が重い……! 何が起きてやがる……!


 原因を探そうとするが、そんな時間は与えてもらえない。

 今はクリスティーナの攻撃を躱すだけで精一杯だ。

 徐々に追い詰められていき、遂に氷剣がアクセルの脇腹を掠めた。


「──ぐぅっ!」


 血が滴り、地面に染みを作る。

 氷剣がその血を吸い上げ、剣身を赤く染め上げた。

 クリスティーナが慈しむように氷剣を抱く。


「アクセル、貴方の『特異能力シンギュラースキル』は時間を止めているのではなく、。ですわよね?」

「なっ……!?」


 彼女の言葉に、冷たい汗がアクセルの背筋を伝った。


 あり得ない。

 飛鳥の『精霊眼アニマ・アウラ』やアーニャの『神ま』ならいざ知らず、この能力のことは誰にも話していない。

 話す訳がない。

 使用したのだってこれが二度目だ。


「何故だ……!?」


 どうしてお前が知っている。

 アクセルは出かけた言葉を飲み込んだ。

 これ以上聞けば肯定することになってしまう。

 しかし、もう遅かったようだ。

 クリスティーナは笑みを深くし、アクセルに顔を近づけた。


「えぇ、この能力の強みは自分以外は知覚できないこと。相手は当然パニックになりますわ。先日のわたくしみたいにね。だって気づいた時には状況がまるで変わっているんですもの」


 そう言って、クリスティーナがアクセルの頬に触れる。


「深呼吸なさって。一度冷静になって考えてみましょう。いつもの貴方ならすぐに分かる筈ですわ」

「てめぇに俺の何が分かる?」


 アクセルが問うと、彼女は拗ねたように腰を下ろした。


「仕方がないじゃありませんか。貴方ったらわたくしを見てくださらないんですもの。勇気を出して告白しましたのに」

「あれが告白だと? 俺が知ってるのとは随分違うなァ」

「調子が戻ってきたようですわね。さぁ、どうかしら? 何か考えつきました?」

「…………」


 黙り込むアクセルをクリスティーナが心配そうに見つめる。


「本当に分かりませんの?」


 アクセルは彼女を睨みつけた。

 察したのか、クリスティーナに笑顔が戻る。

 だが、アクセルは自身の考えを否定した。

 いや、否定したくなってしまったという方が正しいか。

 それこそあり得ない話だ。


「てめぇ……!」

「今この場を支配している能力は二つ、自由に動ける分私わたくしの方がやや優勢ですわね」


 そんな筈はない。

 そんなことがあってたまるか。

 歯を食いしばるアクセルを余所にクリスティーナは立ち上がりドレスを翻した。


「貴方も知っているでしょう? 物質というのは温度が低いほど動きが鈍くなりますの。もし自分以外をそんな風にできたら、時間が止まっているように見えるんじゃないかしら」

「同じってのは、そういう意味か……!」


 クリスティーナがゆっくりと頷く。


「『絶対零度クアンタム・ルーラー』。物質を自在に操る支配者、これがわたくしの二つ目の『特異能力シンギュラースキル』ですわ!」

「ふざけるな! あり得ねぇ、『特異能力シンギュラースキル』は一人に一つの筈だ……!」

「そんなこと、誰が決めましたの?」

「それは……」

「精霊使いはまだまだ分からないことだらけですわ。その中でも希少な第八門なら尚更。キョウスケは国の為、なんて研究に協力してましたけどわたくしは嫌ですわよ。他人に自分を知られるなんてごめんですから」


 何か思い出しているのか、クリスティーナの表情が曇る。

 アクセルはそれを笑い飛ばした。


「はっ、その割には随分親切に教えてくれるじゃねぇか」

「貴方は特別ですもの」


 クリスティーナが当然のように答える。

 先ほどとは別の意味でアクセルの背筋を嫌な汗が伝った。


「この前断った筈だがなァ、その部分まで吹っ飛んじまったか?」

「アクセルったら照れ屋さんですわね」


 今更だが、彼女は本気で言っているらしい。

 こういう言葉にだけは邪悪さが感じられない。

 だからこそ余計始末に負えないのだが。


「てめぇみたいなのを世間で何ていうか知ってるか?」

「さぁ? でもこれは知ってますわよ! アクセルはわたくしの旦那様! でしょう?」

「違ぇよ!!」


 怒鳴りつけ構えるが、相変わらずまるでハチミツの中にでもいるかのように動きが鈍い。

 しかし、カラクリが分かってしまえば対処は可能だ。

 アクセルはスレイプニルにエレメントを込めた。

 クリスティーナの周りに無数の氷剣が生み出されていく。


「そうですわ、アクセル。同系統の能力である以上、どちらの強度が上か、どちらのエレメントが先に尽きるか。殺し愛の続きをしましょう」

「望むところだ」


 氷剣が豪雨のように降り注いだ。

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