第百四十七話 誘い

 エールの隠れ里を出た飛鳥とアーニャは、里の長に借りた小型の馬車に乗りセントピーテルを目指していた。

 到着まで三日といったところか。

 マティルダやアクセルがロマノー、スヴェリエ両軍を引きつけている間にヴィルヘルムに会い、停戦交渉に応じてもらえるよう説得しなければならない。

 飛鳥はヴィルヘルムと最後に会った時のことを思い出していた。


 何を考えてるのかも教えてもらわないとな……。


 どうしてエールから戻った自分たちを襲わせ、捕らえたのか。

 同盟を一方的に破棄したばかりか、エールに派兵までしたのは何故か。

 他人の意見など一切受けつけない、自身が絶対であると言わんばかりのあの冷たい瞳。

 初めて会った時とはまるで別人のようだった。

 自分たちがエールに行っている間にヴィルヘルムに何があったのか。

 それを解明しなければ、停戦合意を反故にされる恐れもある。

 もしそんなことになれば今までの全てが水の泡だ。

 戦争は止められない、この世界の救済も不可能になってしまう。


 考え込んでいると、アーニャが話しかけてきた。


「馬車、借りられて良かったね」

「そうだね。歩きだと大変だし、野宿もしにくいし」

「ロマノー領だし、町に寄るのは避けたいもんね……」


 エール軍の印をつけていないとはいえ、武装したまま町へ入れば警戒されるだろう。

 下手をすると自分たちを知っている兵士や憲兵に出くわす可能性もある。

 今トラブルに巻き込まれる訳にはいかない。


「ねぇ、飛鳥くん」


 アーニャが再び口を開く。


「ん? なぁに?」

「色々話したいことがあるんだけど……いい、かな?」


 状況が状況だけにアーニャは少し遠慮がちだ。

 飛鳥は笑顔で頷いた。


「こっちに戻ってからゆっくり話す時間なかったもんね。帝都に着くまでに色々整理しておこう」

「ありがとう」


 安心したのか、アーニャも微笑む。

 アーニャが『神ま』を開き、話し出そうとするが、飛鳥は待ったをかけた。


「最初に、その……謝らせて。ナグルファルでのこと、勝手に『黒の王』の力を使ってごめん。里にいた間怖かった……よね」


 神妙な面持ちの飛鳥に、アーニャがクスリと笑う。


「その話ならもう終わったでしょ。『黒の王』がかなり真面目にカタリナちゃんの面倒を見てたのは意外だったけど」

「あー……あれはカタリナを破壊者にしようとしてただけだから素直には喜べないけどね……」


 飛鳥の言葉に、アーニャは不思議そうに首を傾げた。


「そういえば飛鳥くんは途中から見てたんだよね? いつ頃目が覚めたの?」

「里に着いて三、四日経ったくらいかな。あいつ……僕が何言っても聞こえない振りしやがって……」

「そうだったんだ……。正直言うと、えっと……上手く言えないんだけど……」


 アーニャの顔が段々と赤くなっていく。

 心配になり、飛鳥はアーニャの肩に触れた。


「アーニャ、大丈夫? 少し休んだ方が……」

「『黒の王』のことは怖いよりも、うーん……寂しかった、が正しいのかな? 飛鳥くんじゃないのは分かってるんだよ?! でも、飛鳥くんの姿で冷たくされるのが凄く嫌で……涙が出そうで……。何だかモヤモヤしちゃって……ごめんね、まとまりがなくて……」

「あ……いや、大丈夫。言いたいことは分かるから……」


 顔がカッと熱くなり、飛鳥はアーニャから視線を逸らしてしまった。


 僕の姿で冷たくされるのが嫌って……。それって裏を返せばアーニャは僕に好意を持って──いやいや落ち着け飛鳥。好意イコール恋愛感情とは限らないぞ! 救世のパートナーとしては前から大切にしてもらってるし、今回もそうかも知れない……。ニーラペルシが言ってた通り、あまり押せ押せは控えないと……。


 以前、まだ日本にいた頃に聞いたことがある。

 恋愛感情とは無自覚な場合がほとんどだが性的欲求が背景にあると。

 特定の誰かの価値を高く感じて、肉体的、精神的に繋がりを持ちたい感情のことだと。

 実際はその人の一挙手一投足が気になったり、話ができただけで一日中嬉しかったり、思考がずっと支配されたりそんな状態だが、一応そういう風に定義されているらしい。

 自分からアーニャへの気持ちがそうかと問われれば当然イエスだ。

 というか、もう気持ちは伝えてるし。

 しかし、それによってアーニャの気持ちがどう変化したかは分からないし、聞く勇気はない。


 でも、この旅の間にハッキリさせられたら、いいな……。


 アーニャを上位神にする、ニーラペルシの軍団には加わらない。

 その決意は変わっていないし、無理だと言われても押し通すつもりだ。

 だが、その一方で客観的な自分がいるのもまた事実だ。


 目元に指を当てる。


 アッサリとレーヴァテインや『終焉の王フィニス・レガリア』を取り上げたニーラペルシに今の自分で勝てるのか。

 否、そもそもニーラペルシやステラと戦えるのか。


 アーニャ以外、どうでも良かった筈なのに……。


「飛鳥くん、目が痛むの?」

「へっ!? ううん、大丈夫! 何でもないよ! ごめん、もう一度聞いてもいい?」

「『黒の王』がカタリナちゃんに精霊術と銃を作ったでしょ? どうやったのかなと思って」

「『黒の王』は、他の『力の塊』がどうかは知らないけど、僕のアークと繋がってるんだ。『精霊眼アニマ・アウラ』や僕の知識を使って作ったんだと思う」

「アークと……!?」


 それを聞いた途端、アーニャは不安げな表情を浮かべた。

 嫌な予感がし、アーニャに尋ねる。


「あ、あれ? もしかして、結構まずい状態なの……?」

「私も『力の塊』の全てを知ってる訳じゃないから何とも言えないけど、アークは英雄の力の源だから……。つまり……」

「ルフターヴの拘束も壊しちゃったし、『黒の王』を取り除くことは難しそうだよね……」


 少しの間、二人とも項垂れていたが、アーニャが飛鳥を励ますように顔を上げた。


「きっと何か方法がある筈だよ! 神界に戻ったら調べてみよ! それに私たち二人なら抑えられるし、だから心配しないで!」

「アーニャ……ありがとう」


 予定通り里を出発してから三日後、二人は帝都セントピーテルに辿り着いた。

 一キロほど手前で馬車から降り、お礼の手紙をつけ馬を里へ返す。

 そして、城壁まで行き、飛鳥は眼帯を外した。

 城壁だけでなく、全体に隙間なく精霊術が設置されている。

 ねずみ一匹も通さないとはこういう状態を言うのだろう。


「大規模術式を防ぐ為の防御術式に侵入者用の探知術式、か」

「どう? 何とかなりそう?」


 アーニャに聞かれ、飛鳥は腕組みした。


「う〜ん、難しいかな……。解除に少し時間がかかるし、その間に囲まれると思う」

「そっか……。じゃあ……」

「追いつかれる前にヴィルヘルムを見つける、それしかない。宮殿の地図はある?」


 アーニャが『神ま』を手に取る。


「もちろん! 案内なら任せて! でも、ヴィルヘルムさんはもう逃げてたりしないかな?」

「あいつの性格的にそれはないと思う。さぁ、掴まって」


 飛鳥が手を伸ばすと、アーニャが首に手を回してきた。

 思わぬ行動に顔が真っ赤になる。

 しかし、照れている場合ではない。

 アーニャの体を抱きしめ、飛鳥は十メートル以上ある城壁を一気に駆け上った。

 『精霊眼アニマ・アウラ』が反応する。


「もう動き出したのか……!? 少し急ぐよ」

「うん!」


 空を駆ける稲妻のように飛鳥はヴィルヘルムの宮殿目指し走り出した。

 アーニャの絶叫が響き渡る。


「……っていやああああああああああああああああああああ!!?」

「アーニャ!? ちょ、静かに! 気づかれちゃうから!」

「だってええええええええええ──むぐっ!?」

「ごめん! 宮殿に着くまで我慢してて! ──ッ!?」


 飛鳥が慌ててアーニャの口を押さえた、正にその時だった。

 地上から一条の雷撃が放たれ、飛鳥は身をひるがえした。

 近くの建物の屋根に降り、辺りを見渡す。

 そこへ二発目、三発目と立て続けに雷撃が飛来した。

 屋根から飛び降り、路地裏に身を隠す。

 雷撃のエレメント強度はエミリア並みだ。


 何だこの威力は!? 『八芒星オクタグラム』以外にここまでの遣い手が……!?


「隠れても無駄だ、早く出てこい。今は時間も人も惜しいんだ」


 強く、凛とした女の声が耳を打つ。

 同時に鋭い殺気と数人分の気配を感じ、飛鳥はゆっくりと通りへ出た。

 声の主は至極色の長髪をなびかせた美しい女であった。


「ロマノー軍か……。貴女は?」


 飛鳥はレーヴァテインに手をかける。

 『精霊眼アニマ・アウラ』に何も映らないという事実に、自然と手が動いていた。

 女が周りの兵に手で指示を出しながら名乗る。


「会うのは初めてだったな。私はベストラ・ヒンメル。ロマノー帝国軍元帥だ」

「貴女が……!? 帝国軍のトップがこんなところで何をしている」

「指揮は私よりも現場慣れした者に任せてきた。私は自分で動く方が性に合っているのでな」


 ベストラは腰に下げたカタナを抜いた。

 飛鳥が彼女の手元に視線を移す。


「日本刀……?」

「さて、挨拶も済んだことだし用件に入ろうか。雷帝皇飛鳥、そしてその第二夫人アニヤメリア。お前たちはここで死ね」


 有無を言わさぬベストラの物言いに、飛鳥は雷を纏った。


「俺はヴィルヘルムに用がある。そこをどけ」

「和平の仲立ち、そんな手に乗ると思うか? お前たちは女を殺せ、雷帝は私がやる」


 二人への包囲が徐々に狭まっていく。


「おい」


 たった一言。

 ベストラを見据えたまま放った飛鳥の一言に込められた猛獣のような殺気に、兵はそれ以上踏み込むことができなかった。


「まず、俺はエールの王としてこの戦争を止めに来た。エールに大陸統一の意思はない、望んでいるのは人間と獣人の共存だけだ。だが──」


 レーヴァテインを抜き、ベストラに突きつける。


「アーニャに危害を加えると言うなら、俺は夫としてお前たちを倒す」

「お前たち、何をしている。その女を殺せ」


 雷が渦巻き、レーヴァテインが空を駆ける。

 だが、ベストラは飛鳥の斬撃を正面から受け止めた。


「お前……!」

「どれほどかと思っていたが、私に恐怖したな?」

「何だと?」

「視えないことが恐怖なら、地力を鍛えておくべきだったな」


 ベストラの眼帯の下から真紅に輝く瞳が顔を覗かせた。

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