第百四十六話 門が開く時③

 これまでに感じたことがないほど強烈で凶暴な気配が背中に突き刺さる。

 それでもアクセルはヴォーダンたちを助けようと走り続けた。

 あっという間にクリスティーナに追いつかれたが、アクセルは振り向かない、振り向く訳にはいかない。


 自分は飛鳥やアーニャとは違う。

 救いたいもの全てを救えるなんて思っていないし、考えたこともない。

 自分を動かしているのはたった一つの願い。

 獣人が差別されることのない、リーゼロッテと二人で大手を振って生きられる世界を創りたいという、どこまでも自分本位な願いだけだ。

 それだけの筈だった。


 駄目だ、それじゃあ駄目なんだ。


 もうあの時とは違う。

 フラナングの館でリーゼロッテと二人だけで暮らしていた時とは全てが変わってしまった。

 惚れた女の為に無茶ばかりする英雄とアホ面で大食いな女神のお陰で何もかもが変わってしまった。

 もし自分が生き残ったことに意味があるのなら。

 自分にもあの二人のように誰かを救える力があるのなら。


「おおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 腕を伸ばす。

 全員でエールに帰る為に必死で腕を伸ばす。

 異変に気づいたのは、その時だった。

 いつまで経っても背中に毛ほどの痛みも感じない。

 ゆっくりと振り向き、アクセルは目を見開いた。


「これは、何がどうなってやがる……?」


 後ほんの数センチというところで、クリスティーナの動きがピタリと止まっていた。

 とても演技には見えない。

 異変は彼女だけではなかった。

 他の者たちも、木々も風も、アクセル以外の全てが止まっている。

 その光景には見覚えがあった。


「またあいつの仕業か……!?」


 ロマノーの大軍と戦った時に現れた、自分と瓜二つの伝承世界の男。

 男の笑顔を思い出すだけで嫌悪感が湧き上がるが今はそれどころではない。

 アクセルは辺りを見渡した。

 だが、気配はない。

 あの男が現れた時は獣たちも騒ぎ出すが、何の反応も示さない。


 違うのか……? なら、これは一体……?


「痛ッ!?」


 突然激しい頭痛に襲われ、アクセルは膝を折った。

 どんどん痛みが増し、そのまま地面に倒れ込む。

 吐き気を覚えアクセルは身悶えた。


「ぐうう……。──!? 何で、ここに……これが……」


 周りから見たらモヤがかかっているようにしか見えないかも知れない。

 しかし、アクセルの目にはハッキリとそれが映っていた。

 初めて伝承世界へ行った時に逃げ込んだ、こちらの世界では自分を幽閉していたフラナングの館が。

 這い寄り、扉に触れる。

 どうやら幻覚ではないらしい。

 アクセルは体を起こし、扉の取っ手を掴んだ。


 何故か心がざわつく。

 扉を開けたら、もう戻れない気がして。

 でも同時に、受け入れなければいけない気もして。


 意を決し、アクセルは扉を開け放った。


「がああああああああああああああああああああ!!」


 先ほどよりも強く鋭い痛みが全身を刺す。

 そして、脳に直接刻みつけるかのように膨大な量の情報が流れ込んできた。


「あああああ……ああああああああああ……!」


 やめろ……やめてくれ……!


 痛みのあまり地面を転がり回る。

 意識が閉じようとするが許されない。

 やがて抵抗する意思も体力もなくなり、アクセルは地面に横たわった。

 もう指の一本すら動かせない。


「…………」


 それからどれだけの時間が経っただろうか。

 情報を取り込み終わった途端、今までのが嘘だったかのように痛みが引いていった。

 額の汗を拭い、ゆっくりと立ち上がる。


「……なるほどなァ」


 自然と笑みが浮かぶ。

 アクセルはクリスティーナの顔をジッと見つめた。

 自分と同じように笑う彼女を真正面からしっかりと見つめた。

 運命の相手というのもあながち間違いではないと、アクセルは思う。

 もし、八年前の事件の後、幽閉されるのではなくヴィルヘルムの他国侵攻に使われていたら。

 もし、飛鳥たちと出会う前に戦いに身を投じていたら。


「さっき互いが壊れるまでどうとか言ってたな、ならこれが最初で最後だ。だってそうだろ?」


 アクセルは両手に重力球を生み出し、ヴァルキュリア隊に向かって投げ飛ばした。

 重力球が彼女たちの目の前でピタリと止まる。

 空いた手に闇のエレメントを灯し、アクセルは拳を握りしめた。

 しっかりと狙いを定め、全力でクリスティーナの顔を殴る。


「俺たちはもう、とっくに壊れてんだからな」


 アクセルはクリスティーナに背を向け、言い聞かせるように告げた。


「もう十分だ、悪かったな。目覚めろ、時よ」


 止まっていた全てのモノが動き出す。

 大きな打撃音と共にクリスティーナは木にぶつかった。

 震える手で血を拭う。

 動揺しているのか、氷剣が溶け地面にシミを作った。


「な……何ですの……? これは……?」


 木にもたれかかりながら立ち上がるが、足がもつれクリスティーナは地面に倒れ込んだ。

 焦点の定まらない目でアクセルを見上げる。


「アクセル……。何を、何をしましたの……!? わたくしは……先ほどまで、あ……貴方を……!」

「まだそんだけ喋れるとは大した奴だな。……今楽にしてやるよ」

「答えなさい! 貴方──まさか、これが貴方の……」


 アクセルは首を振った。


「答える訳ねぇだろ。情報は俺たちにとって最大の武器であり弱点だろうが」


 クリスティーナは地面を這いながらくつくつと笑った。


わたくしとしたことが……そうでしたわね……。アクセル……あぁ、アクセル……! やはり貴方は素晴らしいですわ……! わたくしがこんな……わたくしに、これだけの傷を与えたのは貴方が初めてですわ……! さぁ、続きを……!」

「もう終わりだ。見逃すなんてヌルい真似はしてやれねぇ、てめぇはここで死ね」


 グレイプニルが凍気を纏う。

 アクセルはクリスティーナの頭を潰そうと足を振り上げた。

 クリスティーナは笑みを崩さない。

 そこへレベッカが猛スピードで突っ込んできた。


「隊長ッ!!」


 レベッカはクリスティーナを抱き上げ、アクセルを阻もうと炎を撒き散らした。

 クリスティーナがレベッカの腕の中でもがく。


「離しなさい……! 戦いは終わっていませんわ……!」

「いいえ、終わりです。先ほどの攻撃でこちらは壊滅状態です。一度退却を──」

「離しなさいッ! わたくしの言うことが聞けませんの!?」

「聞けません! 貴女が死ぬところなど見たくありません!」

「レベッカ……」

「てめぇら、状況が見えてねぇみたいだなァ」


 炎を払い、アクセルはレベッカ目掛け足を振り下ろした。

 だが、ヒルダがそれを弾いた。


「そうはさせません♪」


 アクセルが舌打ちする。

 双剣をクルクルと回しながらヒルダは続けた。


「今日はここまでにしませんか? 貴方だって限界でしょう? 今のキック、と〜〜〜〜〜っても弱かったですよ♪ アクセルさん♪」


 部隊は壊滅、指揮官も敗北したというのにヒルダは遊んでいるように楽しげで。

 クリスティーナとは違った異質さに、アクセルは沈黙を選んだ。


「納得していただけたみたいで良かったです♪ 行きましょう、レベッカさん♪」

「あぁ」


 言い終わるが早いか三人は一瞬で姿を消した。


 見抜かれてたか……。厄介な連中だ……。


 全身に激痛が走り、アクセルはその場に崩れ落ちた。


「くそっ……!」


 連続しての使用は無理か……。だが、この力があれば……!


 改めて脳に深く刻まれた情報を見つめる。

 ようやくここまで辿り着いたのだと、アクセルは心の中で拳を握った。


「アクセル様! ご無事ですか!?」


 ヴォーダンたちが駆け寄ってくる。

 その声に振り向くが、すぐ目の前に銀色に輝くプレートアーマーが。


「アクセル様あああああああああああああああ!!」

「あだぁ!?」


 飛びついてきたヴェルダンディの鎧に顔を打たれ、アクセルは後頭部を地面に打ちつけた。

 ヴェルダンディはというと、そんなことお構いなしにアクセルにのしかかり抱きしめる。


「ありがとうございますうううううううううう!! 助かりましたああああああああああ!! めちゃくちゃ怖かったですうううううううううう!!」

「…………そうか」


 皆の無事を確認し、アクセルは五体を地面に投げ出した。

 スクルドが慌ててヴェルダンディを引き剥がす。

 アクセルは視線だけを動かしヴォーダンに尋ねた。


「他の連中も無事か?」

「はっ! 現在治療を進めております! 命に別状のある者はおりません!」

「少し休んだら俺たちも帝都に向かうぞ。飛鳥たちと合流する、全員にそう伝えろ」

「かしこまりました!」


 ヴォーダンと入れ替わりで全力で謝罪しに来たスクルドを手で止める。

 思い思いに休息を取る面々を眺め、アクセルは一息ついた。


「帝都か……」


 クリスティーナと恭介がいなくなった今、帝都防衛は約束されたに等しい。

 後は飛鳥がヴィルヘルムを説得し、スヴェリエに停戦交渉を呼びかけるだけだ。

 アクセルはある男の顔を思い浮かべ、目を細めた。


「覚悟しろよ、スヴェン。今までの代償を払う時だ」


 数時間後、アクセルたちは帝都を目指し動き出した。

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