第百四十四話 門が開く時

 カトルを通じて伝えられた飛鳥の指示により、エール軍はすぐに動き出した。

 マティルダとアンカーが率いる本隊はスヴェリエ軍を止める為帝都セントピーテルへ。

 そしてもう一方、アクセル率いる別働隊はヴァルキュリア隊──クリスティーナ・グランフェルトを止めるべく西エウロパ平原を目指していた。

 数は約二百と少数だが、ヴォーダンや狐人三姉妹をはじめとした精鋭揃いだ。

 報告によればヴァルキュリア隊は五十人強、人数だけならアクセルたちの三分の一ほどだが油断はできない。

 クリスティーナは既にロマノーの精鋭部隊『八芒星オクタグラム』を三人、更には複数の精霊特化隊を撃破している。

 ロマノーにはもう彼女を止める戦力は残っていない。

 何より、クリスティーナが倒した『八芒星オクタグラム』の中には──、故に。


「代償は払ってもらわねぇとなァ」


 自然と口角が上がる。

 少し後ろを走るヴォーダンが不思議そうに尋ねた。


「アクセル様? 何か仰いましたか?」

「いや、何でもねぇ」


 口元を覆い返事する。


 何を考えてんだ、俺は。


 知らぬ間に昂っていた気持ちを無理やり押さえつけ、アクセルは軽く頭を振った。

 これは戦争の決着に直結する戦いだ。

 ジークフリートに個人的な思い入れもない。

 なのに、何故か心は弾むように高揚していて──。


 どうしたってんだ……? そもそも、俺は戦いに楽しみなんて……。


「アクセル様〜〜〜〜〜! そろそろ休憩しましょうよ〜〜〜〜〜!」

「あ?」


 ヴェルダンディの情けない声で意識が引き戻される。

 馬に体重を預け、ヴェルダンディはフラフラと手を振ってみせた。


「ずっと全速力で行軍してたら戦う前に疲れちゃいますよ〜〜〜〜〜!」

「てめぇは馬に乗ってるだけだろうが」

「そんなぁ! 馬さんだって疲れたって言ってますよ〜! ねっ?」


 もちろん馬から反応はない。

 いや、正確には獣人は動物の気持ちが分かるのだが、それでもヴェルダンディの言葉とは異なっているように見えて。

 アクセルはヴォーダンに声をかけた。


「どうなんだ?」

「いえ、『俺まだまだいけるっす』と申しております」


 ヴォーダンが呆れたように肩を落とす。


「そうか、ならこのまま進むぞ」

「うわああああああああああ!! 疲れましたああああああああああ!! 喉も乾いたしお尻も痛いですううううう!!」


 これまでずっと一緒に戦ってきた上官に裏切られ、ヴェルダンディはとうとうぐずり出してしまった。

 アクセルは馬を止め、面倒くさそうに顔を歪める。


「……近くに川があったな、少し休むぞ」

「やった! アクセル様ありがとうございます!」


 先ほどまでのは何だったのか、ヴェルダンディは颯爽と馬を走らせ川へ向かった。

 続いてやってきたスクルドが深々と頭を下げる。


「申し訳ございません。罰は私が代わりに……」

「そういうのはいらねぇから、他の連中にも知らせてこい」

「はっ」


 休憩を取っていると、近くの木からクララが姿を現した。

 アクセルは水を飲みながら視線を移す。


「よぉ、気づかれなかったか?」

「むー……気づかれたけどー……」


 クララは不機嫌そうだ。


「見逃されたー」


 歯牙にもかけられなかったのが不満らしい。

 しかし、それでいい。

 戦闘になっていたらクララは戻ってこられなかっただろう。


「お前にビビったんだろ」

「やっぱり? マティルダちゃんと共に鍛えられた私のハイパーパワーが溢れ出ちゃってたかー」


 クララの機嫌が直ったところでアクセルは報告を求めた。


「今のところは想定通りかなー。でもこんなところでのんびりしてたら詰むぞー、ぎゅって」

「互いに地の利はねぇ、帝都に着く前に潰せば問題ない」


 するとクララが地図を広げ、ある一点をトントンっとつついた。


「ここから下れば上を取れるぞー。一気にぺしゃんこだな」


 ヴォーダンも地図を覗き込む。


「なっ……!? 待て待て、クララ。こんな急斜面……」

「おいお前、いけるよなー? できたらヒーローだぞー?」


 クララはアクセルが乗っていた馬の頭を撫でた。

 馬が観念したように何度か頷く。


「決まりだなー」

「勝手に決めるな。……と言いたいところだが相手はグランフェルトだ。ご丁寧に正面から挑む必要もねぇ」


 アクセルはクララの提案に乗り、高台に陣取った。

 少ししてヴァルキュリア隊が現れたが、まだこちらには気づいていないようだ。


「いいか、攻撃、防御、補助の三人体制を絶対に崩すな。俺が指示したら一気に駆け下りて仕留めろ」


 ヴォーダンたちが頷く。

 その直後であった。


「──ッ!?」


 背筋に強烈な悪寒が走り、アクセルは眼下へ視線を移した。


 馬鹿な──!


 反射的に号令を発する。


「後ろは見るな! 一気に駆け下りろ!」


 ヴァルキュリア隊から放たれた精霊術によって地面が爆ぜる。

 爆風に押されながらアクセルたちは駆け下りていった。


「邪魔だァ! てめぇらに用はねぇ!」


 絶え間なく向かってくる攻撃を薙ぎ払い、最後方に佇む女に狙いを定める。

 互いの視線がぶつかった瞬間、アクセルは馬から飛び下りた。

 両断された馬の体が女を避けるように転がる。

 目に見えないほど薄い氷の剣が切り裂いたのだ。


 やっぱり、こいつが……!


 再び気持ちが昂り、笑みが浮かぶ。

 女──クリスティーナ・グランフェルトも嬉しそうに微笑み、片方の手を上げた。


「レベッカ、指揮は貴女が執りなさい」

「はっ!」


 アクセルは重心を下げ、クリスティーナを睨む。


「選べ、クリスティーナ・グランフェルト。おとなしく引き返すか、俺に殺されるか」

「まぁ怖い。でも、貴方がわたくしならどちらも選ばないでしょう? アクセル・ローグ」


 こいつ、俺を知って……!


「一目で分かりましたわ。やはりミカ・ジークフリートには手心を加えていましたのね」

「何だと?」


 クリスティーナの瞳がギラリと光る。


「貴方が本気を出していたら彼は死んでいた筈ですわ。だってそうでしょう? 貴方はわたくしと同じですもの」

「あ? 意味が分からねぇな、てめぇに俺の何が分かる?」

「あら、それならどうして貴方はわたくしと同じ顔で笑っているのかしら?」


 自身の頬に触れ、アクセルは歯を食いしばった。

 殺気をぶつけるが、クリスティーナは喜ぶばかりで。

 気持ちの悪い感覚に、アクセルの体からエレメントが立ち昇る。


「……前言撤回だ。てめぇを野放しにはできねぇ。ここで殺してやる」

「嬉しいですわ、そうこなくては」


 空中に配置されていた無数の氷剣がアクセルに襲いかかる。

 だが、アクセルは防御もせずクリスティーナを睨みつけたままだ。

 急速に膨れ上がったアクセルのエレメントが氷剣を次々と砕き、甲高い音を響かせる。

 アクセルが腕を伸ばすと、氷の粒が渦となりクリスティーナに向かっていった。

 クリスティーナが恍惚とした表情を浮かべる。


「流石ですわ、わたくしのエレメントまで操るなんて」


 渦が真っ二つに割れる。

 既にアクセルの姿はない。


「随分余裕そうじゃねぇか」


 クリスティーナの脳天目掛け、アクセルは蹴りを放った。

 しかし、突如現れた氷の盾に弾かれ舌打ちする。

 クリスティーナはグレイプニルを指差し、非難するように眉をひそめた。


「いけませんわ、アクセル。それ、『八芒星オクタグラム』と同じものでしょう? そういうものは弱者が使うものでしてよ」

「何を使おうが俺の勝手だ。つーか、気安く呼ぶんじゃねぇよ」


 クリスティーナの表情に、声に、一つ一つの所作に虫唾が走る。

 彼女からは何も伝わってこない。

 信念も、目的も、生きる理由も。

 こんなタイプは初めてだと、アクセルは心の中で吐き捨てた。


 飛鳥はこの世界を救う為。

 焔恭介はスヴェリエが支配する世界を創る為。

 ジークフリートはロマノーを、仲間を守る為。


 今まで戦った者たちは何かしらの信念を持っていた。

 プリムラも想いを託せる相手を探してこちらの世界に残っていた。

 けれど、クリスティーナは違う。

 だからこそ、止めなければと思った。

 放置すればクリスティーナはいつか必ずこの世界の災いとなる、そんな予感がした。


「何を考えていますの? アクセル」

「──ッ!」


 振り下ろされた氷剣に向け、斬撃のように鋭い蹴りをぶつける。


「まさかとは思いますけど、貴方までわたくしに信念などというものを説く気かしら?」

「別に説教するつもりはねぇよ。ただ、てめぇが何をしたいのか純粋に疑問に思っただけだ」


 アクセルの言葉に、クリスティーナは剣を引きキョトンとした顔を見せた。

 警戒し、一歩下がる。


わたくしわたくしが満足できる戦いが、真の強者との戦いがしたいだけですわ。それ以外必要かしら? 貴方だって本当はそうでしょう?」

「はっ……?」


 この状況で、これだけの力があって、こいつは本気で……?


 クリスティーナの相手が自分で良かったと、アクセルは安堵にも似た感情を抱いた。

 飛鳥やマティルダなら、彼女さえも救おうとしていただろう。

 それを間違いだと言うつもりはない。

 だが、不可能だ。

 クリスティーナにはヒトとして必要なものが欠けている。

 そんな彼女に対してできることはただ一つ。


「行くぞ、ヘル」


 アクセルの影から闇のエレメントが伸び、クリスティーナを包み込んでいく。

 クリスティーナは抵抗せず、試すような目でアクセルを見つめた。


「てめぇに審理の場は不要だ」


 黒い繭のようになった闇がアクセルに引き寄せられる。

 その中心に向かってアクセルは蹴りを叩き込んだ。


「──《死女神が降す最終審判デッドリー・ジャッジメント》」

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