第百四十三話 壊す者、創る者③

 去っていく『黒の王』の背中を眺め、アーニャとユーリティリアは互いを見合った。

 言いたいことは同じらしい。

 アーニャはカタリナと目線を合わせ尋ねた。


「どうしよっか? カタリナちゃん、何かやりたいことはある?」


 カタリナが申し訳なさそうに口を開く。


「えっと……普段は家のお手伝いをしたり、野草を採ったり、他の子の面倒を見たりしてるんですけど……」

「けど?」


 その様子が気になり、微笑みながら聞き返す。


「アニヤメリア様にそんなことをお願いするのは恐れ多いというか、無礼なので……」

「そんなことないよ! 他にやりたいことがなければ私たちにも手伝わせて」

「いいんですか……?」

「もちろん! それと私のことはアーニャって呼んでほしいな。皆そう呼ぶから」

「は、はい!」


 頭を撫でると、安心したのかカタリナは元気よく返事をした。

 鞄から針と糸を取り出し川を指差す。


「じゃあ今晩の為に魚釣りでもいいですか?」

「うん! お魚美味しいよね〜! よし、釣り竿作ろっか!」


 アーニャは嬉しそうに頷くカタリナの手を引き、手頃な枝を探し始めた。

 視界の端に木陰に座り頬杖をつくユーリティリアの姿が映る。


「ユーリティリア、何してるの? 一緒に探してよ」

「私はやらないわよ。生魚とか虫とか触りたくないし」

「前から気になってたんだけど、野宿とかする時どうしてるの? いつも宿で休めてる訳じゃないでしょ?」


 ユーリティリアは当然でしょとでも言いたげにアーニャの方を向いた。


「そんなの、この世界でなら四葬スーズァンにやらせてるに決まってるでしょ」


 予想通りの答えだがそのやり方には反対だ。

 ユーリティリアを立たせようと彼女の手を握る。


「ダメだよ、英雄は私たちの配下じゃなくてパートナーでしょ? 自分のことは自分でやらないと」

「だとしてもあんたに言われる筋合いはないわ。私に命令していいのは最高神様とニーラペルシ様だけよ」


 アーニャは溜め息をつき、ユーリティリアの手を離した。


「じゃあユーリティリアはお魚なしね」

「はぁ!? 何でそうなるのよ!? あんたが私の分まで釣りなさいよ!」

「え〜……やだよ。ほら、前にニーラペルシ様が言ってたでしょ? 何だっけ……働かないやつは死ね、みたいな」

「働かざる者食うべからず、ね。何でそんな物騒な覚え方してるのよ……」


 二人の口喧嘩を聞きながら、何故かカタリナは楽しそうに笑っている。

 気になったのか、ユーリティリアが声をかけた。


「何よ、何がそんなに面白いの?」

「す、すみませんっ。お二人は仲が良いんだなと思って……」

「全然良くないけど」

「羨ましいです。私はお父さんとお母さんと一緒に各地の里を回っているので、なかなか友達ができなくて……」

「だから仲良くはないんだけど。話聞いてた? それよりもしかして、強くなりたいのってそれが理由? 有名になってお友達が欲しいとか?」


 ユーリティリアの問いにカタリナは首を大きく横に振った。


「いえ、私はマティルダ様みたいになりたいんです! 直接お会いしたことはないんですけど、一度だけお姿を見たことがあって……。すごく格好良くて、同じ獅人族としてあんな風になれたらと思って……」

「あんた猫じゃなくて獅子なのね。虎もそうだけど見分けつかないのよね」


 カタリナが笑う。


「獣人同士だとすぐ分かるんですけど、人間の人からはよく言われます」


 アーニャはカタリナの頭をわしゃわしゃと撫でた。


「カタリナちゃんならきっとなれるよ。一応……飛鳥くん、がついてるし」

「はい!」


 その後、三人は──ユーリティリアは虫を怖がったり嫌々ではあったが、魚を釣り、カタリナの両親と夕食を共にした。

 『黒の王』にも声をかけたが、生返事が返ってきただけで、とうとう部屋から出てきてはくれなかった。


 翌朝、アーニャは昨日釣った魚でスープを作りながらユーリティリアを呼んだ。


「ユーリティリアー、お皿出してー」

「はいはい」


 ユーリティリアは素直に返事し、机の上に食器を並べた。

 こちらが引き下がらないので、いちいち口喧嘩するのが面倒になったようだ。


「盛り付けもお願いしていい? あの人起こしてくるから」

「気をつけなさいよ。全く……皇飛鳥はいつ復活するのよ?」


 もしかしたらと淡い期待を胸に『黒の王』が使っている奥の部屋の扉をノックするが返事はない。


「おはようございます、入りますよ……」

「ん? 何だ、お前か」


 振り向いた『黒の王』の顔にアーニャはギョッとした。

 目の下にはクマができ、酷く疲れたように見える。

 ゴミ箱には書き損じだろうか、溢れるほどの紙が捨てられていた。


「もしかして、寝てないんですか?」

「そうだが?」


 『黒の王』が手元の紙束をトントンと整え、紐で綴じていく。

 アーニャは彼の側に行き、それを取り上げた。


「何をする」

「後は私がやりますから、カタリナちゃんが来るまで寝てください!」

「何故だ? 俺は疲れてなどいないぞ」

「貴方がよくても飛鳥くんの体がもたないんです! 最初に言ったじゃないですか! 飛鳥くんが死んでもいいんですか!?」

「む……。そうだったな。うっかりしていた」

「うっかりで飛鳥くんを傷つけないでください!」


 叱りつけるが、暖簾に腕押しだ。

 『黒の王』は綴じた紙の束を寄越してきた。


「そっちは完成した。こっちも綴じておけ」


 と、『黒の王』がもう一冊分の紙束を指差す。


「分かりました。やっておきますから早く寝てください」

「あぁ」


 『黒の王』はおぼつかない足取りでベッドまで行き、ゴロンと横になった。


「さて、始めるぞ。カタリナ」

「はい! よろしくお願いします!」


 数時間後、家の手伝いを終えたカタリナを連れ、アーニャたちは川辺へやってきた。

 『黒の王』が来る途中にあった廃屋から剥ぎ取った壁板を三人の前に立てる。

 一体何をするつもりだろうか。


「カタリナ、お前は精霊術についてどれだけ知っている?」

「精霊術について……。えっと……すみません、使ったことも勉強したこともなくて……」

「だろうな」


 『黒の王』は製本した本の一冊をカタリナに渡し、チョークを取り出した。

 そのまま無言で板に図を書いていく。

 待っている間にカタリナが本を開くが、当然理解できなかったのだろう、目を回してしまった。

 気にせず『黒の王』が説明し始める。


「精霊術は効果や規模によって細分化されているが、大きく分ければ二種類しかない。自身の外と内、どちらに影響を及ぼすかだ」

「は、はい……」


 カタリナは分からないなりに必死に図と『黒の王』の言葉を本の余白にメモした。


「精霊使いと呼ばれるのは主に前者だ。体内で生成したエレメントをトリガーにし、周囲のエレメントを操って様々な効果を引き起こしている」


 アーニャとユーリティリアもうんうんと頷く。


「ただ昨日も言った通り、お前のエレメントでは弱すぎて周囲のエレメントを操作することができない」

「はい……」


 改めて指摘され、カタリナが辛そうに膝を抱える。

 だが、本人にはそのつもりはないだろうが、『黒の王』は叱咤するように続けた。


「下を向くな。外が駄目なら内側で完結する精霊術を使えばいい。その本に書いたのがそれだ」


 アーニャとユーリティリアも本を覗き込む。


「ただの強化術式じゃない」


 と、ユーリティリア。

 『黒の王』はそれを鼻で笑った。


「何よ……!」

「お前本当に精霊使いか? 説明の邪魔だ、黙っていろ」


 拳を握り肩を震わせるユーリティリアを押しのけ、『黒の王』が最初のページを指す。


「この術式はエレメントを全身に循環させ、お前の力を常に成長させ続ける。その在り方は星の成長過程そのものと言ってもいい。つまりお前の中にお前だけの世界を作り上げるものだ」

「私の中に、世界を……?」


 ポカンと口を開けるカタリナに、『黒の王』は頷いた。


「そうだ。その術式を寝ている間も、無意識下でも使えるようになれ。お前の体の一部とするんだ。いいな?」

「は、はい!」

「さっそくやるぞ、まずは術式の理解からだ」


 それから数日間、『黒の王』はカタリナを手元に置きひたすら特訓を続けた。

 分からない部分は懇切丁寧に教え、疑問が解消されれば実践の繰り返し。

 更にはカタリナのストレス発散にと組み手まで付き合ってやった。

 カタリナの両親も『黒の王』の熱心さ──恐怖の方が強かったのかも知れないが、根負けし、途中からは何も言わなくなっていた。

 しかし、本来の目的は飛鳥の回復だ。

 当然、そんな日々は長くは続かなかった。

 いつものように川辺にやってくると、そこには見知った顔が。


「あれ? カトルさん?」

「アーニャ様! 良かった……。こちらにいらっしゃると聞いてはいましたが、お会いしてやっと安心できました……」


 カトルが胸を撫で下ろす。

 アーニャは慌ててカトルに駆け寄った。


「ごめんなさい! 一週間も連絡してなくて……」

「いえ、お気になさらないでください。こちらも色々とバタバタしていたので」


 それからカトルは『黒の王』の元へ行き、跪いた。


「お元気そうで何よりです。ナグルファル攻略お見事でした、我が王」

「……お前か」


 『黒の王』が発したのはその一言だけ。

 すぐにカタリナのところへ行ってしまった。

 カトルが泣きそうな顔でこちらに戻ってくる。


「僕は……な、何か……無礼を働いてしまったのでしょうか……?」

「ち、違うんです! これには訳があって……。先に説明した方がいいですよね、飛鳥くーん! こっち来てー!」


 『黒の王』は最初煩わしそうな表情を浮かべていたが、カタリナを木陰に座らせ、ついてきた。

 四人揃ったところでカトルに説明する。


「宇宙に仇なす『力の塊』……!? しかも、そんな存在が今我が王の体を支配しているなんて……!」


 狼狽するカトルを『黒の王』が否定した。


「支配ではない、飛鳥自ら体を差し出してきた。それに……」


 そう言いながら『黒の王』がアーニャを睨みつける。

 続く言葉は分かるが、今はその話をしている場合ではない。

 アーニャはカトルにエールの状況を尋ねた。


「進軍の準備は整いました。マティルダ様率いる本隊は帝都の西側を通ってスヴェリエ軍を、アクセル殿と一部の兵はヴァルキュリア隊を止める手筈となっております。我が王の指示があればすぐに動けますが……」


 三人の視線が『黒の王』に集まる。


「飛鳥くんはいつ回復するんですか? もう一週間ですよ?」

「準備が終わっているなら好きに動け、飛鳥が合わせる」

「だから、その飛鳥くんはいつ動けるようになるんですか?!」


 問いただすアーニャに向かって、『黒の王』はニヤァっと笑った。

 得体の知れない恐怖に全身を撫でられ息を呑む。


「飛鳥ならとっくに回復している。出せ出せとうるさくて敵わん。だが、明日まで待て」

「とっくにって……! 約束が違うじゃないですか! 今すぐ飛鳥くんの体を返して!」

「駄目だ、明日まで待て。……まだ足りない」

「……?」


 意味が分からず、三人は互いの顔を見つめた。


「この間飛鳥の精神を俺の炎で灼き続けた。だがまだ足りない。今やつに体を返しても以前のままだ。もう一日あれば、やつは更に力をつけて戻ってくる」

「灼き続けた……!? 何を考えてるんですか!?」

「そうだ、飛鳥の力はこんなものではない。もっと、もっとだ……。共に使命を果たす為、やつには何者をも凌駕する存在になってもらう」


 『黒の王』は酔いしれるように、あるいは呪詛にも似た言葉を吐き続ける。

 アーニャは『黒の王』の両腕をギュッと掴み目を見つめた。


「明日ですね? 明日になれば飛鳥くんを返してくれるんですね?」

「あぁ」

「……分かりました。最後の一日ですけど、カタリナちゃんをお願いします」

「言われるまでもない」


 『黒の王』はアーニャを振り払い、カタリナの元へ戻っていった。

 ユーリティリアがアーニャの肩を揺さぶる。


「ちょっと! 本当に大丈夫なの!?」

「うん、大丈夫。いざとなったら私が飛鳥くんを取り戻すから」


 アーニャは真剣な表情で『黒の王』の背中を見送った。


 迎えた最後の朝、アーニャが呼びに行くより先に扉が開き、飛鳥が出てきた。

 ユーリティリアとカトルが神妙な面持ちで唾を飲み込む。

 アーニャはカップを取り出した。


「おはよう。コーヒーちょっと待っててね、飛鳥くん」


 飛鳥がアーニャの手を握る。


「……うん、おはよう。アーニャ、ごめんね。勝手なことして……」

「もう十回名前を呼んでくれたら許します」

「へっ? あ、うん……」


 飛鳥は素直に従い、アーニャの名前を何度も口にした。

 アーニャが嬉しそうに笑う。


「えへへ♪ 怒るも何もないよ、それだけ大変な戦いだったんだから」

「アーニャ……。ありがとう」


 笑い合う二人の間にユーリティリアたちが割って入った。


「無事戻ってきたわね。四葬スーズァンのこと、一応お礼を言っておくわ」

「ユーリティリア、お前も無事で良かったよ。カトルも心配をかけたな」

「そんな! 僕は信じていましたよ! 我が王は必ず戻ってくると! 本国へは昨夜の内に伝令を送りました。間もなく、帝都に向け進軍を開始するかと」

「ありがとう。僕とアーニャはこのまま帝都に行ってヴィルヘルムと話をする。カトルはユーリティリアをエールに。それと、この設計図をソフィアさんに渡してくれ。カタリナの武器だ」


 飛鳥は『黒の王』が作った二冊の本の内、一冊をカトルに手渡した。


「カタリナの、ですか……?」

「精霊銃ドラウプニル。いつか必ずあの子の役に立つ筈だ」

「かしこまりました」


 朝食を終えた一行はカタリナの家に向かった。

 だが、カタリナの姿がない。

 特訓は最後だと昨日伝えた筈だが……。

 カタリナの父親が階段を指す。


「二階の自室におりますので良ければ……」

「ありがとうございます。失礼します」


 階段を上がると、カタリナの部屋の前には母親が。


「陛下……」

「少し話をさせてください。──カタリナ、僕だ。入るよ」


 返事はない。

 ノックし部屋に入ると、カタリナは本を手にベッドの隅に座っていた。

 その表情はとても弱々しく、寂しそうで。


「おはよう」

「……おはよう、ございます」

「座ってもいいかな?」


 カタリナは小さく頷いた。

 隣に座り、飛鳥がカタリナの頭を撫でる。

 カタリナは今にも泣きそうだ。


「ごめんね、もっと一緒にいたかったんだけど……」

「国王、様……」

「でも僕はカタリナに出会えて本当に良かったと思ってる。こんなにもエールのことを大切に思ってくれている君は、僕の誇りだ」


 カタリナがやっと顔を上げてくれた。


「国王様……私……」

「良かったら受け取ってくれないかな?」


 飛鳥はマントの留め具を外し、カタリナに握らせた。


「この戦争が終わって本国に戻ってきたら城に来てほしい。それを見せればすぐに通してもらえるから」

「いいんですか……?」


 飛鳥が微笑み、頷く。

 カタリナは獅子の横顔が彫られた留め具をしっかりと握りしめた。


「私……絶対に強くなります! 毎日特訓して国王様やマティルダ様みたいに強く、なります……!」


 カタリナの頬を涙が伝う。

 飛鳥はカタリナを優しく抱きしめた。


「うん、待ってるよ」

「はい……!」


 カタリナに別れを告げ、飛鳥たちは里を後にした。

 帝都の方角を見据え歩き出したアーニャの襟をユーリティリアが引っ張る。


「ぐぇっ!? 何するのよー……」

「気をつけなさいよ、何か嫌な予感がするから」

「ユーリティリア、やっぱり私のこと心配してくれてるの?」

「違うって言ってるでしょ!? 皇飛鳥、あんたも死ぬんじゃないわよ」

「うん、ユーリティリアも気をつけて」


 照れているのか、ユーリティリアは顔を背けた。


「ご武運をお祈りしております、我が王」

「あぁ、行ってくるよ」


 向かうはロマノー帝国首都セントピーテル。

 ティルナヴィアの救済、その最終決戦の幕が上がる。

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