第百四十二話 壊す者、創る者②

 朝食のパンを頬張りながら、アーニャは窓の外を眺めた。


「カタリナちゃん……もぐ、来ないね」

「食べるか喋るかどっちかにしなさいよ、相変わらず意地汚いわね」


 アーニャを眺めるユーリティリアは呆れ顔だ。

 『黒の王』はというと、カタリナのことなど気にしていないのか、コーヒーカップと睨めっこしていた。


「口に合わなかったですか?」

「そういう問題ではない」


 アーニャに対し、『黒の王』が信じられないとでも言いたげに首を振る。


「これは本当に飲み物なのか? やめさせろ、飛鳥の肉体に悪影響が出たらどうするつもりだ」


 香りに反応したので淹れてみたが気に入らなかったらしい。

 そのままそっぽを向いてしまった。

 仕方なくカップを下げ、少し冷めた残りに口をつける。

 そうしていると、『黒の王』は立ち上がりマントを手に取った。


「どこに行くんですか?」

「昨日の小娘のところだ。まさかお前たち、間抜け面を晒したまま待ち続けるつもりか?」

「誰が間抜け面よ……!」


 ユーリティリアが抗議するが、やはり恐ろしいのか声は小さい。

 アーニャも慌ててジャケットを羽織った。


「私たちも行きます。それと、小娘じゃなくてカタリナちゃんです。ちゃんと名前で呼んでください」

「いちいち面倒な……。名前など何の意味がある」

「貴方にだって『黒の王』って名前があるじゃないですか。名前っぽくないけど……」


 アーニャの言葉を聞いた途端、『黒の王』が歯を食いしばった。

 怒らせてしまったようだ。

 ユーリティリアがサッとアーニャの後ろに隠れる。

 『黒の王』はマントを整えながら吐き捨てた。


「俺に名はない。『黒の王』だったか、これは神界が勝手につけたものだ。俺が望んだものではない」

「そ、そうだったんですか……。ごめんなさい……」

「……? お前に謝罪など求めていないが?」

「それでも、気に障ることを言ってしまったなら、ごめんなさい」


 『黒の王』は鼻を鳴らし外へ出ていった。

 ユーリティリアがアーニャの体を強く揺さぶる。


「あまり余計なこと言うんじゃないわよ! 万が一があったらどうすんの!? バカっ!」

「ご、ごめんごめん……」


 ユーリティリアを落ち着かせつつ、アーニャたちも『黒の王』について歩き出した。


 カタリナの家の前まで行くと、言い争う声が聞こえてきた。

 原因に思い当たりがありすぎて声をかけるのを躊躇っていると、あろうことか『黒の王』はノックもせずズカズカと入っていってしまった。

 カタリナが駆け寄ってくる。


「国王様! アニヤメリア様! おはようございます!」

「こらっ! カタリナ!」


 父親らしき男が制止するが、カタリナは『黒の王』の背中に隠れ、マントを掴んだ。


「申し訳ございません。陛下、アニヤメリア様。私たちからしっかりと言い聞かせておきますので……」


 男が深々と頭を下げる。

 だが、『黒の王』は男を見下ろしたまま尋ねた。


「何の話だ」

「え、いや……陛下に稽古をつけていただくなど申し訳なく……。ただでさえ戦いでお疲れになられているというのに娘ときたら……」

「そうです。それにこの子はまだ九歳、戦いなんて……。カタリナ、こっちへいらっしゃい」


 母親も加わり、カタリナに手招きする。

 アーニャとユーリティリアは溜め息をついた。


 やっぱりそうなるよね……。


 カタリナの両親からすれば、『黒の王』もとい飛鳥は雲の上のような存在だろう。

 飛鳥やマティルダが民は家族だと言ったところで全員が全員カトルたちのように接してくれる訳じゃない。

 おまけにこの有事の中で娘が直接稽古をつけてほしいなんて頼んだのだ。

 萎縮してしまうのも無理はない。


 カタリナに目をやると、泣きそうな顔でこちらを見ている。

 両方の気持ちが分かるだけに難しいところだ。

 どうすべきか悩んでいると、『黒の王』がカタリナを脇に抱えた。

 皆がギョッとし、さすがのユーリティリアも思わず声をあげた。


「ちょ、ちょっと! あんた何してんのよ!?」

「つまりはこういうことか」


 『黒の王』は聞いちゃいない。

 確かめるようにカタリナの両親を指差した。


「お前たちは俺の決定に逆らう訳だな」

「へっ……?」


 父親の額を汗が伝う。


「いいだろう、ならば俺を止めてみせろ。だが俺もお前たちを破壊し──」

「わああああああああああ!! 飛鳥くんの気持ちはよ〜〜〜く分かったから大丈夫! カタリナちゃんと先に行っててください!」

「もちろんだ」


 カタリナを脇に抱えたまま『黒の王』は頷いた。

 アーニャはホッと息をつき、香箱座りのような姿勢で微動だにしないカタリナに手を振る。

 それからカタリナの両親に頭を下げた。


「あの、数日だけなのでどうか私たちのわがままを聞いていただけないでしょうか……? カタリナちゃんも真剣ですし……。絶対危ないことはさせませんから!」


 カタリナの両親も反射的にお辞儀する。


「お顔をお上げください! アニヤメリア様! ……恐れ多いことですが、分かりました。カタリナをよろしくお願いします」

「はいっ!」


 無事了承をもらい、アーニャとユーリティリアは『黒の王』を追いかけた。


 その後、四人は里近くの川原にやってきた。

 アーニャとユーリティリアは木陰に腰を下ろし、向かい合って座る『黒の王』とカタリナを眺めている。

 すると突然、ユーリティリアがアーニャにデコピンした。


「痛っ!? いきなり何?」

「何ニヤニヤしてんのよ、あんた」

「え? そう……?」


 指摘され、頬に触れる。

 特に意識していなかったが、ユーリティリアにはそのように見えたようだ。

 憤慨したようにユーリティリアが続ける。


「まさかとは思うけど、あいつに情が湧いたんじゃないでしょうね。あいつは『力の塊』よ? 下位神や英雄にどうにかできるものじゃないわ」

「わ、分かってるよ……。でも私たちを助けてくれたし、飛鳥くんと私なら抑え込めるかも知れないし……」


 ユーリティリアはもう一度デコピンした。

 さっきよりも威力が増した気がする。


「全然分かってないじゃない! このバカ! あいつは皇飛鳥の体を使って自分の使命を果たしたいだけよ!? 『力の塊』が私たちに力を貸すことなんてない。あいつらは宇宙の安定を乱す絶対悪なのよ? 感情を持ってるように見えるけど、アレだって皇飛鳥を真似てるだけ。本当……」


 そこまで一気にまくし立て、ユーリティリアは肩を落とした。


「アニヤメリア、あんた変わったわね。トロいとことか現地の連中に入れ込みすぎるとこはそのままだけど、英雄に対してはちゃんと一線を引いてたでしょ? 何で皇飛鳥のことはそんなに気にするのよ」

「それは……。そんなの、自分でもよく分かんないよ……」

「もしかして、あんたたちもう男女の仲だったりする?」


 ユーリティリアの口から出た単語に、一気に顔が熱くなる。


「ま、まだそんなんじゃないよ!」


 飛鳥のことはもちろん大切だが、今まで組んできた英雄と差をつけているつもりはない。

 そもそも好きの違いが分からないのだ。

 恋愛感情というのがどういうものなのか、他人を思いやる気持ちとどう違うのか、自分はまだ理解できていない。

 飛鳥が自分に向けてくれる気持ちは嬉しいが、それ以上具体的にどうしたらいいのか。


 悩んでいると、ユーリティリアが三度デコピンの構えを見せた。


「もうっ、分かったから。ちゃんとするからデコピンはやめてよぉ……」

「分かればいいのよ」


 得意げな顔のユーリティリアを恨めしく思うと同時にある疑問が浮かび、彼女の顔をジッと見つめる。

 視線に気づいたユーリティリアは気味悪そうに見つめ返してきた。


「何よ、まだ何かあるの?」

「ユーリティリアが私のこと心配してくれるなんて珍しいなって」


 冗談っぽく伝えたが、ユーリティリアが急に真剣な表情を見せたので言葉に詰まってしまった。


「私や四葬スーズァンを助けてもらった借りを返すまでに死なれたら後味が悪いのよ。何より、ニーラペルシ様の悲しむ姿を見たくないだけ」

「そ、そうだよね。ごめん……」


 気まずくなりカタリナたちへ視線を戻すと、『黒の王』がカタリナの頬を掴むのが目に飛び込んできた。

 ユーリティリアと二人、跳ねるように走り出す。


「「何して」」「るんですかああああああああああ!!」「んのよおおおおおおおおおお!!」


 カタリナを抱き上げ、『黒の王』を威嚇する。

 『黒の王』は迷惑そうに眉をしかめた。


「何をする、返せ」

「それはこっちの台詞です! カタリナちゃん、大丈夫? 痛いとこはない?」

「は、はい!」

「危害など加えていない、視ていただけだ」


 『黒の王』が『精霊眼アニマ・アウラ』を指差す。


「視ていた……?」


 『黒の王』は腕を組み唸っていたが、しばらくしてカタリナを指差した。


「おい、獣人というのは人間よりエレメントも身体能力も上なのだろう?」

「一般的にはそうですね、もちろん個人差はありますけど」

「ふむ……。結論から言うぞ。お前のエレメントは弱すぎる、今のままでは精霊術士にも戦士にもなれん」

「えっ……?」


 突きつけられた事実にカタリナの目から自然と涙が溢れ出す。

 ユーリティリアが若干及び腰になりつつも『黒の王』に対し怒りを見せた。


「もうちょっと言い方ってものがあるでしょう? こう、オブラートに包んで……」

「それで何が変わる。言い方を変えればそいつは強くなるのか?」

「そうじゃないけど……」


 余程ショックだったのか、カタリナはしゃがみ込んでしまった。


「カタリナちゃん……」


 肩を抱くが何も言ってくれない。

 しかし、落ち込んだ空気を気にせず、『黒の王』は立ち上がった。


「故に、対策を練る」

「対策……?」


 やっとカタリナが顔を上げてくれた。

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったカタリナの顔にハンカチを当てる。

 『黒の王』は不思議そうに振り向いた。


「何だ? 諦めるのか? 俺が使命を果たす時、多少は抵抗できるまでになるかと思ったが……」

「諦めません! 諦めたくありません! 強くなれる方法があるなら教えてください!」


 鼻をぐずぐず言わせながらカタリナが叫ぶ。

 それに『黒の王』は笑った。


「そうか。お前たち、今日一日こいつの面倒を見てやれ」

「へっ? いいですけど……。貴方はどうするんですか?」

「対策を練ると言っただろう。俺は部屋に戻る」


 アーニャたち三人が互いに顔を見合わせる中、『黒の王』はさっさと部屋に戻っていった。

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