第百四十一話 壊す者、創る者
「やだやだやだやだやだ!! やだあああああああああああああああ!! 離してくださいいいいいいいいいいいいいいい!!」
「今離したら死ぬぞ、いいのか?」
アーニャの悲鳴に『黒の王』が苛立ったように問う。
答えはもちろんノーだが、『黒の王』に精霊術を使っている素振りはないし、ユーリティリアも気を失ったまま。
このままいけば地面に激突し、三人まとめてお陀仏だ。
アーニャは『神ま』を取り出そうと『黒の王』に訴えた。
「あのっ、じゃあせめて腕だけでも動かさせてください! 私の精霊術で少しでも衝撃を──」
「無駄だ」
素っ気ない返事をし、『黒の王』がアーニャの体を更にがっしりと抱える。
「そんなぁ! わわわ、もうすぐ地面ですよ!? どうするんですか!?」
「少しは黙っていられないのか」
『黒の王』は鬱陶しそうに首を鳴らし地面を見つめた。
『
「やだぁ! ……って、あれ?」
地面まで残り数メートルというところで、まるで磁石が反発し合うかのように三人の体が止まる。
そのままゆっくりと降り、『黒の王』はユーリティリアを地面に転がした。
「よ、良かったぁ……ぐぇっ!?」
心の底から安堵したのも束の間、『黒の王』の腕が解かれ、アーニャは顔から地面に落ちてしまった。
間抜けな声が出てしまい、恥ずかしそうに鼻をさする。
『黒の王』はそんなアーニャを見下ろしニタリと笑った。
嫌な汗が背筋を伝う。
「飛鳥に感謝しろ、女神。あいつの頼みでなければお前らなど助けていない」
「…………分かってます」
やっぱり嫌だなと、アーニャは悲しさと寂しさで泣きそうになってしまった。
目の前にいるのは飛鳥ではない、『黒の王』だ。
飛鳥が簡単に乗っ取られるとは思えない、きっと何か考えがあってのことだろう。
それでも……そんな顔は見たくないよ……。飛鳥くん……。
別人だと分かっていても、飛鳥の姿でこんな風に接せられると心が締めつけられて。
笑って頭を撫でてくれる飛鳥がこの場にいないことが想像以上に不安で。
でも、泣いても『黒の王』を喜ばせるだけだ。
アーニャは絶対泣くもんかと唇を噛みしめ俯いた。
「おい、女神。近くに休める場所はないのか?」
「休める場所……?」
思いがけない問いにアーニャが顔をあげる。
『黒の王』は飛鳥の体を見つめながらこう言った。
「飛鳥は力を使いすぎた。数日は出てこられないだろう」
「そんな……!」
「だが喜べ、飛鳥は破壊者として確実に力を増している。あの巨人と炎使いを同時に相手したんだからな」
「まさか、飛鳥くんがいないのは黒い雷を使ったせい……?」
『黒の王』が首肯する。
「あいつは鍛治神が俺に施した封印を断ち斬り、お前らを守れと体を差し出してきた。このまま完全に乗っ取ってもいいが……」
そこまで言い、『黒の王』は舌打ちした。
アーニャが首を傾げる。
「お前がいると何故だかそれができん。だがお前が死ねば飛鳥も自ら命を断ってしまう。それでは俺は使命を果たせない。堂々巡りだ」
アーニャはもどかしげに吐き捨てる『黒の王』をジッと見つめた。
私なら、『黒の王』を抑えられる……?
イストロスでのことを思い出す。
レーギャルンの鍵を開け、体を奪われそうになった飛鳥は自分の呼びかけに応えてくれた。
そして『黒の王』は自分を殺すことができない。
アーニャは立ち上がり『神ま』を開いた。
「ここから北西に行ったところにエールの隠れ里があります。夜までには着きますから、そこで休ませてもらいましょう」
「あぁ」
『黒の王』が歩き出す。
「待ってください、ユーリティリアを起こさないと」
アーニャはユーリティリアに駆け寄り体を揺すった。
「ユーリティリア、起きて。ユーリティリアっ」
「ん……うん……? アニヤメリア……? ここは……?」
「良かった、目が覚めたんだね。えーっと……歩ける? 色々説明したいんだけど移動しながらの方がいいから」
「いきなり何なのよ……。というか何で私コート一枚なの!? しかもこれ獣臭いんだけど」
ライルのコートを嗅ぎ、ユーリティリアが顔をしかめる。
アーニャは彼女を落ち着かせようと肩を抱いた。
「うん、分からないことだらけだよね。大丈夫、ちゃんと説明するから」
「おい、早くしろ」
『黒の王』に急かされ、ユーリティリアはキョトンとした。
「皇飛鳥……。ふ〜ん、あんたたちイストロスを救済して戻ってきたのね。神格がないのに中々やるじゃない、どれだけこの子のことが好きなの? あんた」
ニヤニヤしながら『黒の王』に近づいていくユーリティリアにアーニャが待ったをかける。
「あ、姿は飛鳥くんだけど『黒の王』っていう『力の塊』だから──」
「『力の塊』ぃ!!?」
アーニャが言い終わるのが早いか、ユーリティリアは引きつった声を発し飛び退いた。
「何でそんなやつがここにいるのよ!? いや、それより皇飛鳥って器だったの!? しかも乗っ取られてるじゃない! 何とかしなさいよアニヤメリア!」
「落ち着いてユーリティリア! 大丈夫、私たちには何もしてこないから」
背中に隠れ喚くユーリティリアをアーニャが宥める。
しかし、『黒の王』はユーリティリアを指差し『違うな』と告げた。
アーニャとユーリティリアが何事かと顔を見合わせる。
『黒の王』は淡々と事実確認するように述べた。
「飛鳥が欲しているのはお前ではない。つまりお前を破壊しても何の問題もないという訳だ」
「へっ……?」
ユーリティリアが震え出し、彼女自慢の孔雀の羽のような派手なまつ毛もへにゃっと垂れてしまった。
『黒の王』の手に雷が宿る。
その時だった。
アーニャが両腕でばつ印を作り、『黒の王』の頭へ打ちつけた。
「えいっ」
「ちょっとー!! あんた何やってんのよ!!? 相手は『力の塊』よ!!?」
卒倒しそうなユーリティリアを無視し、アーニャは『黒の王』に顔を近づけた。
「ユーリティリアが死んだら私も死にますよ。いいんですか? 言いたいこと、分かりますよね?」
「お前……!」
普段なら脅しなど通用する筈もないが、『黒の王』は飛鳥に執着している。
『黒の王』は少しの間考え込むように視線を彷徨わせていたが、自分の中で答えが出たのかアーニャに背を向けた。
「仕方がない。休める場所へ行くぞ」
「はい、そうしましょう」
アーニャがユーリティリアに親指を立ててみせる。
ユーリティリアは『黒の王』の様子を伺いながらアーニャの腕にしがみついた。
自信家な彼女が初めて見せる一面に微笑みつつ、『黒の王』に声をかける。
「そうだ、私のことはちゃんとアーニャって呼んでくださいね」
「ん?」
「飛鳥くんは私のこと女神なんて呼びません。これから行くのはエールの拠点なんですから、夫婦らしく振る舞ってください」
「何故俺がそんな真似を……」
「飛鳥くんの力を使って使命を果たしたいんでしょう?」
「……いいだろう」
『黒の王』は苦々しげに顔を歪めつつもアーニャの言葉に従った。
それから数時間後、隠れ里にたどり着いた三人をエールの人々は暖かく迎え入れてくれた。
里の長である女性が恭しく頭を下げる。
「陛下とアニヤメリア様が前線に出られているのは聞いておりました。こんな場所ですが、どうぞごゆっくりとお過ごしください」
「ありがとうございます。良ければこの子に着る物をもらえると……」
「良くなくても服は欲しいんだけど……」
ユーリティリアが唇を尖らせる。
長は微笑み頷いた。
「かしこまりました、お待ちください」
宿にと通された平屋の椅子に座り、『黒の王』は疲れたようにダラリと腕を下ろした。
飛鳥の体に何かあっては大変だ。
アーニャは『神ま』を手に『黒の王』に近寄った。
「大丈夫ですか?」
「飛鳥の体が心配か? 安心しろ、損傷はない。消耗しているだけだ」
話すことすら億劫なのか、はたまたアーニャと話したくないのか、『黒の王』は視線すら動かさない。
「そうですか……。じゃあコーヒーでも飲み、ませんよね……」
「あの黒い液体か。あれは飛鳥の体を維持するのに必要なものなのか?」
「嗜好品ですからそういう意味では必要ないかなと……」
「ならいらん」
冷たく返され、アーニャもソファに腰を下ろした。
飛鳥らしく振る舞ってほしいと言ったのにずっとこの調子だ。
暴れたりしないだけマシだが、飛鳥の評判が悪くなったりしないだろうか。
挨拶だけでもと集まってきた人たちも一睨みで追い返してしまった。
彼らの言葉を思い出す。
『雷帝陛下、若いのに凄い迫力だな……』
『本国で見かけた時はもっと優しそうだったけど、気を張っておられるんだろう』
『マティルダ様もお美しいけど、アニヤメリア様もとても可愛らしいわねぇ』
最後の人、ありがとうございます。
そこへ着替えを終えたユーリティリアが戻ってきた。
アーニャの隣に座り、頭を抱える。
「服はともかく『神ま』を無くすなんて……。
「うん、プリムラさんも知らないって言ってたし……」
ユーリティリアの口から弱った子犬のような声が漏れる。
アーニャはユーリティリアの頭を撫でた。
「私たちも探すの手伝うから、ねっ?」
「俺は手伝わんぞ」
「飛鳥くんのことを言ったんですっ」
「ふんっ……。……おい、アレは何だ?」
『黒の王』が指差した先に目をやると、窓の外で灰茶色の尻尾が揺れていた。
アーニャの目がキラキラと輝く。
猛スピードで外に出てみると、そこには十歳前後の獣人の少女が。
「アニヤメリア様!? ご、ごめんなさい! 私、国王様に──」
少女が慌てて立ち上がる。
だが、彼女の言葉など耳に入らずアーニャは思いっきり飛びかかった。
「可愛い〜! もふもふだ〜!」
「きゃあっ!? あのっ、くすぐったいです……!」
「リーゼロッテちゃんやマティルダさんに勝るとも劣らないこの毛並み……生きてて良かった〜……」
逃れようと少女が体を動かすが、アーニャは微動だにしない。
恍惚とし、緩みきった表情のアーニャの頭をユーリティリアが叩いた。
「あんた相変わらずね……。やめなさいよ、怖がってるでしょ」
「いえ、アニヤメリア様に触れていただけるなんて恐れ多くて……」
「しかも凄く良い子〜!」
改めて少女に頬擦りする。
見ていられないとばかりにユーリティリアは少女に問いかけた。
「貴女、あいつ……じゃなくて、陛下がどうとか言ってなかった?」
「はい! 国王様とお話がしてみたくて、ダメ……でしょうか?」
「あー……陛下はその、お疲れだからまた今度に……」
「俺に何か用か?」
「ぎゃあっ!?」
『黒の王』に隣に立たれ、ユーリティリアは恐怖のあまりすっ転んだ。
「用があるなら早く言え」
『黒の王』の視線は暗く冷たい。
少女は怯え、言葉に詰まってしまった。
アーニャが割って入る。
「まぁまぁ、飛鳥くん。中でゆっくり話しましょう? 貴女、名前は?」
「カタリナといいます」
「カタリナちゃん、中へどうぞ。見た目はこんなだけど怖くないから……多分」
「はい! ありがとうございます!」
カタリナを招き入れたアーニャは、彼女を膝の上に座らせ、その長い髪に顔を埋めた。
はぁ……幸せ……。
思わず吐息が漏れる。
ユーリティリアが心の底から気持ち悪そうに見ているが、もふもふには逆らえない。
何も言ってこないので、とりあえず気にしないことにした。
カタリナはというと、飛鳥と話せるのがそんなに嬉しいのか、目をキラキラと輝かせアーニャに身を委ねている。
その一切を捨て置き、『黒の王』は口を開いた。
「俺に話したいこととは何だ?」
威圧感にカタリナが唾を飲み込む。
少しして、彼女は意を決し述べた。
「私を国王様たちの戦いに連れていってください!」
「何故だ?」
『黒の王』の表情は変わらない。
「お前たちは俺の使命の為に消える、だが今ではない。生き急ぐ必要はないだろう」
「えっと……」
カタリナは理解できていないのか、口をモゴモゴさせた。
当然の反応だ。
飛鳥ではなく『黒の王』の言葉になってしまっている。
アーニャは軌道修正すべくカタリナに話しかけた。
「どうして私たちと一緒に戦いたいの? 凄く危険なことなんだよ?」
「それは分かっています……。でも、私も皆を守りたいんです! ここじゃ大人の人たちの手伝いぐらいしかできないから……」
「まぁアレね、成長過程でよくある漠然とした焦燥感みたいなものでしょ。大体は気のせいだから思い詰める必要はないわよ」
「ユーリティリア! カタリナちゃんは真剣なんだよ? そんな言い方しないで!」
アーニャに叱られ、ユーリティリアの目尻が上がる。
「あんたこそ変に入れ込むのはやめなさい。この子に何かあったら責任取れんの?」
「そうならない為の私たちでしょ!」
「お前たちは黙っていろ」
頬杖をついたまま告げ、『黒の王』が笑う。
嫌な予感がし、アーニャとユーリティリアは身を震わせた。
「カタリナといったか。つまりお前も破壊者として力を求めているという訳だな」
「破壊者……?」
カタリナの耳がピクピクと動く。
あまりの可愛らしさに頬が緩むが、『黒の王』を黙らせようとアーニャは口元に力を入れた。
「違うと、思いますけど……」
「連れていくことはできん、お前はまだ弱く脆弱だ」
「はい……。でも……」
カタリナが泣きそうな表情を浮かべる。
『黒の王』は構わず続けた。
「だが力を求める姿勢は評価に値する。ここにいる数日でお前にきっかけを与えてやろう」
「きっかけ……?」
「破壊者としての基礎を叩き込んでやる。俺が使命を果たす時、お前が立ちはだかるならそれはそれで面白い」
カタリナが恐る恐る聞き返す。
「特訓していただけるということでしょうか……?」
「そう言ったつもりだが?」
途端にカタリナの表情が明るくなる。
彼女は『黒の王』の前まで行き、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます! 国王様!」
「今日はもう帰れ、俺も休む」
「はい!」
家路につくカタリナの姿を見つめながらアーニャが尋ねる。
「どうしてあんなことを?」
「以前、飛鳥に感情を学べと言われた。感情は俺をより強くすると。それこそ最高神を倒し、使命を果たせるほどに。だから俺はこれまで飛鳥を見てきた。やつならこうすると思ったが、違ったか?」
思いもよらない答えに、自然と笑みが溢れた。
「いいえ、飛鳥くんも同じようにしたと思います」
こうして『黒の王』とカタリナの特訓が始まることとなった。
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