第百三十九話 奇蹟②

 ティルナヴィアがこの宇宙に誕生してすぐの頃、世界には何ものをも寄せつけぬ寒気と、全てを呑み込み焼き尽くす激しい熱気のみが存在していた。

 ある時、そんな世界に後にアウルゲルミルと呼ばれることとなる巨人が現れた。

 寒気も熱気もアウルゲルミルを傷つけることはできず、むしろ彼(?)はそれらを糧とし、その存在を増していった。


 それからどれだけの月日が流れただろうか。

 アウルゲルミルの四肢が大陸ほどに成長したのを見計らったかのように、天から『神』を名乗る三人の若者がやってきた。

 彼らもまた寒気と熱気をいとも容易く退け、アウルゲルミルに襲いかかった。

 これまで唯一無二の存在であったアウルゲルミルは体を貫かれ、裂かれ、骨も内臓も引きずり出され、空と大地の礎にされた。

 三人の『神』はヒトと動物の始祖を創り、大地が生み出した精霊たちに預け、何処かへと去ったという。


 伝承そのままの規模じゃないけど、こいつは……!


 『精霊眼アニマ・アウラ』が読み取った情報に飛鳥は歯噛みした。

 ナグルファルに現れたアウルゲルミルの質量とエネルギーはユートラント大陸ほどもある。

 もしも地上に降り暴れ出したら、被害はスヴェリエだけでは済まないだろう。

 飛鳥の体を駆け巡るエレメントを吸収し、レーヴァテインが輝きを増した。


「焔! 一時休戦だ! こいつをここから出す訳にはいかない!」


 飛鳥は恭介に向かって叫んだ。

 だが、恭介から返事はない。

 彼は剣を鞘に納め、地面に突き刺してあった『槍』に手をかけた。


「おい! 聞いてるのか!? 今は俺たちが争ってる場合じゃないだろ!」

「関係ない」


 恭介は抑揚のない声で告げた。


「何?」

「こいつもお前も両方とも倒すだけだ。陛下に仇なす者は全て消し去る。それが俺の使命だと言った筈だが?」


 地面に視線を落としたまま、恭介が『槍』を構える。

 無茶苦茶言う恭介に、飛鳥は目眩を覚えた。


「馬鹿を言うな! アウルゲルミルがどれだけの力を持ってるか──痛ッ!?」


 その時だった。

 『精霊眼アニマ・アウラ』に流れ込んできた『槍』の情報に、飛鳥はこの場にそぐわない素っ頓狂な声をあげた。


「はぁ!? 何だよそれ!?」


 飛鳥の声に恭介がビクリと肩を震わせる。


「何だ? 変な声を出すな」

「いやいやあり得ないだろ何だよあの槍、人間に創れる物じゃないだろ。でも実際に存在してるし……。スヴェリエ王って本当に人間か?」


 恭介は頭を抱えブツブツ言う飛鳥を気味悪そうに見つめた。


「よく分からんがそこで見ていろ。こいつを倒したら次はお前の番だ」


 『槍』の纏う炎の色が赤から白、そして青へと変化していく。

 恭介は天に向かって『槍』を高々と掲げた。


「──これこそは人を神へと昇華させし奇蹟の具現」


 炎が急激に膨れ上がり上昇気流を巻き起こす。

 気流に持ち上げられ空中を舞いながらも、飛鳥は『槍』を見つめ続けた。


 それはある人物の願いが『槍』という形を取った物。

 スヴェリエという国が永遠に続くよう、そこに暮らす人々が笑って生きていけるようにと心から願い、己が全存在を賭けて創りあげた正に『奇蹟』と呼ぶに相応しい力だ。

 しかし代償は余りに大きく、『槍』の創造者──初代スヴェリエ国王は死ぬことを許されず、彼の肉体は鞘として今尚この世界に囚われている。


 でも、あの『槍』を使ったらこの世界が──。


 有する力は『スヴェリエ王国と敵対する存在を抹消する』というものらしい。

 読み取った情報を視る限り対象の規模は問わない。

 相手がただの人間だろうと巨人だろうと、もっと言えば災害のような無機物でもだ。


 『槍』に込められた願いを否定するつもりはない。

 自分だってエールを、世界を救う為に力を使ってきた。

 破壊しかできなくても、傷つけることしかできなくても、その後に生まれてくる何かを信じて戦ってきた。

 じゃあ、あの『槍』を使った後には何が生まれる? 何が残る?


「焔、悪いけどそいつは使わせない」


 一度大きく深呼吸し、心の中で呼びかける。

 英雄にされた時に潜り込んできた、それこそ災害のような存在に。

 自分から頼るなんて間違っているのかも知れない。

 ニーラペルシに知られたら……いや、アーニャでもきっと怒るだろう。

 だが、目の前にいるのはこの世界の礎となった存在と、国を守る為に全てを賭けてきた男たちだ。

 こちらも全てを出し切らなければ止めることはできない。

 それに、もし万が一があってもアーニャならきっと。


「行くぞ」


 レーヴァテインの鍔が開き、光り輝く宝石が姿を現した。

 身に纏う雷が徐々に黒く染まっていく。

 飛鳥は目を閉じ、告げた。


「──レーヴァテイン、解放」


 目を開けると、そこは真っ暗な空間であった。

 地鳴りのような声が響き渡る。


「お前の方からやって来るとはどういう風の吹き回しだ? 飛鳥」

「『黒の王』。……って、何か縮んだ? お前」

「……誰のせいだと思っている」


 『黒の王』の体は飛鳥の何倍もあるが、それでも以前に比べて随分と小さくなっていた。

 おまけに初めて話した時の威圧感も感じられない。

 今は全身を鎖でがんじがらめにされていた。

 飛鳥が感心したように呟く。


「ルフターヴって凄いんだな……」

「そうだ、そんな名の神だったな……! 神界の檻よりも窮屈で敵わん! 神界に戻ったらまずは奴を破壊してやる!」


 『黒の王』が身を捩り、鎖をジャラジャラと鳴らしながら叫ぶ。

 飛鳥は両手を広げ宥めた。


「それで、何の用だ。飛鳥」


 分かってるくせにと、飛鳥は思う。

 アークを介して繋がっている自分たちは恐らくもう切り離すことはできない。

 ニーラペルシもルフターヴもそれが分かっていたからこんな方法で『黒の王』を抑え込んだのではないだろうか。

 だからこうやって、改めて言葉にするのは嫌なのだが。


「頼み事……というか、取引かな」


 そう言いながら飛鳥はレーヴァテインを振るい、『黒の王』を縛る鎖を砕いた。


「何の真似だ」

「これでまた俺の体を使えるだろ? あの黒い雷を使ったら俺はしばらく戦えなくなる。アーニャとユーリティリアを無事に地上に送り届けることもな」


 『黒の王』が笑う。


 やっぱり分かってるじゃないか、飛鳥は心の中で毒づいた。

 感情はない、あるのは使命だけだなんて言っていたが本当かと疑ってしまう。

 それとも自分が言ったことを素直に守って感情を学んだのだろうか。

 だとしたら少し複雑な気持ちだ。


 『黒の王』は無駄話を楽しむかのように話し始めた。


「俺に女神のおもりをしろと? 馬鹿め、そのままこの世界を破壊してやろうか」

「世界一つ壊して満足か? お前の使命はもっと大きなものだろ。それに今はまだ最高神には勝てないぞ」

「俺の力を侮っているようだな」

「それはこっちの台詞だよ。お前が返してくれた『終焉の王フィニス・レガリア』はニーラペルシに取られたままだ。どうやってこの宇宙を壊すつもりだ?」


 飛鳥の問いかけに、『黒の王』は黙り込んだ。


「前にも言っただろ。救世の旅を続ければ俺は強くなれる。最高神を倒して、この宇宙を破壊できるくらいにな」

「だがそれも、あの女神がいなければ──」

「そういうこと」


 飛鳥が頷く。


「こんなところで終わりたくないだろ? 俺が回復するまでアーニャたちを守ってくれ」


 『黒の王』は金色に輝く双眸で飛鳥をジッと見つめた。


「いいだろう」

「そうか──うわっ!?」


 身を焦がすような熱風が吹き荒れる。

 そして、『黒の王』の輪郭を形作っている炎が煌々と燃え上がり、初めて出会った時と同じ巨体を取り戻した。


「女神を頼ろうなどと考えるなよ? お前自身の力で肉体を取り戻してみせろ」

「──言われなくてもそのつもりだよ」

「ならば存分に破壊しろ! 全てを壊し、この世界に終焉をもたらせ!」


 熱風に煽られ、真っ暗な世界から押し出される。

 再び目を開けるとナグルファルに戻っていた。


「それがお前の特異能力シンギュラースキルか! 皇!」


 恭介の声に、飛鳥はハッとし顔を上げた。

 黒い雷を放出するレーヴァテインに視線をやり笑う。


「さぁ、どうだかな」

「隠しても無駄だ。自然界に黒い雷のエレメントなど存在しない」

「ならそれでいいよ。じゃあ決着をつけようか。お前にその槍は使わせない、ナグルファルも止める」

「ほぉ、やれるものならやってみろ。──全てを灼き尽くせ! 聖槍ロンギヌス!!」


 極限まで膨張した青い炎が、視界を埋め尽くした。

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