第百三十七話 奪還②

 先に仕掛けてきたのはアルヴァだった。

 アーニャの腹部目掛けての後ろ回し蹴り。

 速さだけならアクセルさえも超えているかも知れない。

 真正面からは受けられないと判断したアーニャは剣の側面で弾き、そのまま逆袈裟に剣を振るった。

 だが、既にアルヴァの姿はない。

 頭上から気配を感じ、間一髪のところで後方へ飛ぶ。

 先ほどまでアーニャが立っていた場所にアルヴァの拳が突き刺さり、衝撃で床がめくれ上がった。


「ふん……身体能力は人間と大差ないようだ」

「そうですね。ご期待に添えずすみません」


 まだ目で追える速度だ。

 殺気に圧されながらも、アーニャは憎まれ口を叩いた。

 『神ま』をベルトに戻し、両手で剣を握る。


「何、お前に期待しているのは各武装の動力源としてだ。俺のエレメントでは弾数に限りがあるからな」

「おとなしく捕まると思っているんですか?」

「お前の意志は関係ない」


 やや語気を強め言い放つアルヴァに、アーニャは眉をしかめた。


「ふざけないで! 人を道具扱いして……! これ以上貴方にユーリティリアの力は使わせません!」

「お前の意志は関係ないと言ったのが聞こえなかったか!」


 アルヴァが吼える。

 その怒りを表すかのように、アルヴァの全身からエレメントが立ち上った。


「精霊たちがこの地を去った後の歴史は知っているな?」

「はい。少しの間平和な時代が続いたそうですが、人間と獣人の間で争いが起こって……」


 アーニャが目を伏せる。


「そうだ。人間は獣人に対抗すべく精霊術を編み出した。戦争は泥沼化し、明確な勝敗こそつかなかったが、そのせいでスヴェリエのような国が生まれたんだ」

「だからスヴェリエを滅ぼすと? それで本当に全てが解決すると思っているんですか?」

「黙れッ!!」

「黙りません! 貴方たちのやり方は間違ってる! 今のエールのように、人間と獣人が手を取り合うことも──」


 アーニャの言葉を遮り、見下すようにアルヴァは笑った。


「手を取り合う、か。スメラギはおとなしそうな顔をして、随分と女の扱いが上手いようだな」

「どういう意味ですか?」


 嫌な予感、そして静かな怒りを覚えつつアーニャが尋ねる。


「レグルスの家に人間の血を入れるなど前代未聞。エールの歴史を、あの家の歴史を考えれば選択肢にすらならない。マティルダ・レグルスとてそこまで馬鹿ではない筈だが結果はこれだ。お前もスメラギの夫人の一人、これ以上は俺も言いたくないが……」


 言いながら、アルヴァが目配せする。

 アーニャは怒りで声を震わせながら呟いた。


「貴方にマティルダさんと飛鳥くんの何が分かるんですか……?」

「分かるとも。俺のようにエールの外で生まれた獣人にとってもレグルス家は絶対的な存在だ。その名を背負う女が人間の男の手に落ちた、誰でも同じことを考えるだろうさ」


 怒鳴り声をあげ、アーニャが斬りかかる。

 アルヴァはそれを避け、耳元で囁いた。


「お前の気持ちは痛いほど分かるぞ」

「黙って!」

「ぐぅっ!?」


 アーニャが膝蹴りを叩き込む。

 アルヴァはバク転で距離を取り、アーニャを睨みつけた。


「お前……!」

「貴方は何も分かってない」


 マティルダが飛鳥を認めたのは、彼が常に本気だったからだ。

 焔恭介と戦った時も、決闘も、王になった後も、飛鳥は本気でエールをより良くしようと努めてきた。

 人間だからとか獣人だからとか関係ない。

 誰に対しても、飛鳥は真っ直ぐ向き合ってきた。


 マティルダだって同じだ。

 彼女は彼女なりにエールを守り続けてきた。

 両親を亡くし、若くして王の重責を背負いながらも、いつも笑って。

 国民を家族と呼んで、愛したからこそ、誰も二人の結婚に異を唱えなかったのだ。


「二人を侮辱するのは私が許さない……!」

「意外だな、お前が一番恨みを持っていると思っていたが。まぁいい」


 アルヴァが突進する。

 先ほどとは比べ物にならない速度に、アーニャは力を込め剣を振るった。


「人間の速度で獣を捉えられると思ったか」


 壁を飛び回り、アルヴァの手がアーニャの首に伸びる。

 アーニャは背中越しに落ち着き払った声で告げた。


「思ってませんよ。この世界では私は剣士じゃなくて術士ですから」

「何っ!?」


 次の瞬間、見えない何かがアルヴァの手を弾き、顔面を殴り飛ばした。


「がぁ!? 何が……起きた……?」


 起きあがろうとするアルヴァに向かって、アーニャが剣を振り下ろす。


「だから無駄だと……!」


 横に転がり、跳ね起きたアルヴァを再び何かが殴り、壁に叩きつけた。


「何だ!? 何をした!? アニヤメリア!! ──ッ!?」


 目を凝らさなければ見えないほど薄く、透明な盾が何重にも重なりアーニャの周りに浮かんでいる。

 それらは絹でできたドレスのようにも見えた。


「光の盾だと……!?」

「《輝きの前に立ちし者スヴァリン・ソル》。貴方の攻撃はもう、私には届きません」

「もう届かない、か」


 力強く宣言したアーニャを、アルヴァが一笑に付す。


「戯言を。それなら全て引き剥がすだけだ」

「それができないと言っているんです」

「面白い、試してやろう」


 アルヴァはコートを脱ぎ捨て、口を覆っている布を外した。

 頬についた大きな裂傷の跡を見て、アーニャが気味悪そうに一歩引く。


「……やはりお前も、他の連中と同じ反応をするんだな」

「あっ……ごめんなさい……。その傷は、もしかして……」


 アーニャの言葉を無視し、アルヴァは遠吠えをした。

 体毛が伸び、姿形が変化していく。


「獣化……!」


 巨大な狼と化したアルヴァを前にし、アーニャは唾を飲み込んだ。


「さっきまでのようにはいかんぞ」


 アルヴァのくぐもった声が響く。

 言い終わるのが早いか、彼の姿が消えた。


「きゃあっ!」


 激しく殴りつけられ、アーニャは床を転がった。

 『《輝きの前に立ちし者スヴァリン・ソル》』に傷はないが衝撃までは殺せなかったらしい。


 この威力、飛鳥くんの予想を上回ってる……!


 壁を蹴る音が耳をつく。

 そちらに向かって剣を振るが、空を切るだけで。

 再び襲ってきた衝撃でアーニャの体が十数メートル飛んだ。


「言うだけのことはあるな」


 目の前に現れたアルヴァが口を大きく開く。


「破ることはおろか、傷一つつけられんとは思わなかったぞ」

「当然です。これは飛鳥くんが私の為に創ってくれた精霊術ですから」


 アーニャは恐怖を押し殺し言い放った。


「スメラギが?」

「貴方だけではありません。あのアクセルさんでも、この盾を破ることはできません」

「ほぉ……」


 アルヴァが考え込むような素振りを見せる。


「その自信、スメラギの『精霊眼アニマ・アウラ』は相手のエレメント強度を測る能力か」

「そんなところですね」

「気が変わった」


 アルヴァはアーニャにのしかかり四肢を押さえた。


「あぐっ……!」

「お前はやつを釣る餌だ。夫婦仲良くナグルファルの一部になってもらおう」

「そんなの……お断りです!」


 『《輝きの前に立ちし者スヴァリン・ソル》』の表層が破裂し、眩い光を放つ。


「があああああ……!!」


 目をやられ、アルヴァはのたうち回った。

 その隙をつきアーニャが走り出す。


「待て!!」


 広い場所では不利だ、アルヴァの動きを捉えられない。

 『神ま』に描かれた見取り図を頼りに細い通路を目指し走る。

 途中にある曲がり角でアーニャはあることを思いついた。


「そうだっ、ここでこうして……」


 背後からアルヴァの足音が聞こえてくる。

 アーニャは慌てて走り出した。

 そして辿り着いた行き止まり。

 一度深呼吸し、アーニャは振り向いた。


「自ら退路を断つとは愚かな。俺の武器は速さだけではないと理解していると思ったが?」

「もちろんです」


 アーニャは剣を消し『神ま』の記述を指でなぞった。


「ここまでだ! アニヤメリア!」


 アルヴァが勢いよく飛びかかる。

 しかし、背後から飛んできた『《輝きの前に立ちし者スヴァリン・ソル》』の一部に後頭部を強打された。


「がはっ!?」


 アーニャはアルヴァの下をくぐり、通路を出ると手を掲げた。

 『《輝きの前に立ちし者スヴァリン・ソル》』が分解し何十枚もの盾と化す。


「行って!!」


 放たれた盾が絨毯爆撃のようにアルヴァに降り注いだ。

 何度も何度も殴られ、アルヴァが呻き声をあげる。


「くそっ……! ちょ、待……」


 アルヴァが動かなくなったのを見て、アーニャはその場にへたり込んだ。

 抑えていた恐怖が解放され、全身が震える。

 だが直後、大きな揺れを感じ頭上を見上げた。


「今のは、飛鳥くんと焔恭介の……? ──急がないと!」


 震える足を叩き、アーニャはユーリティリアの元へ向かった。


 東方司令部の最深部、薄暗い空間の中心に、それは鎮座していた。


「ユーリティリア!」


 液体で満たされた球体の中で、ユーリティリアは眠り姫のようにじっとしている。

 大声で呼びかけるが反応はない。

 光の剣を出し斬りつけるが弾かれてしまった。


「どうしよう……このままじゃ……」


 辺りを見渡すと、床を這うケーブルが目についた。

 よく見ると球体から壁の中に伸びているようだ。


「これ以上……この子から奪わないで!」


 全力で剣を振り下ろす。

 ケーブルが切れた途端揺れが起こり、球体にヒビが入った。

 ヒビに向かって剣を叩きつける。

 球体が砕け、噴き出した液体を浴びながらも、アーニャはユーリティリアを抱き止めた。

 静かに寝息を立てるユーリティリアを見て、ホッと息をつく。

 しかし、安堵したのも束の間、彼女が裸なのを思い出しアーニャは顔を赤くした。

 急いで来た道を戻り、アルヴァが脱ぎ捨てたコートを拾い、ユーリティリアに着せる。


「飛鳥くんは……」


 『神ま』で呼びかけるが返事はない。


 早く地上に戻らないと……!


 ユーリティリアを担ぎ歩き出したアーニャの前にアルヴァが現れた。


「ライルさん……。……もう勝負はつきました、そこを通してください」

「……そうだな、俺とお前の戦いは終わった。だが……!」

「やめてください! それ以上エレメントを使ったら体が!」


 制止するアーニャを振り切り、アルヴァが告げる。


「ナグルファル、再臨執行エクセキューション──」


 立っていられないほどの揺れに、アーニャはユーリティリアをかばい背中を床に打ちつけた。


「ライルさん! 何を!?」

「ソフィア・リストですら知らない伝承武装の最終形態だ。俺に与えられた新たな伝承は原初の巨人、この空と大地を創りし者。……お前たちもガムラスタと共に滅ぶがいい!」


 壁の計器がけたたましい警告音を発する。

 今にも倒れそうな体を必死に支え、アルヴァは巨人の名を呼んだ。


「──今こそ顕現せよ! アウルゲルミル!!」

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