第百三十二話 果たされぬ約束

 同じ頃──。


 スヴェンは研究室の扉に鍵をかけ、大慌てで荷造りをしていた。

 もちろんロマノーから脱出する為だ。

 帝都が陥ち、降伏を受け入れた後に起こるのは獣人の虐殺。

 残って素直に殺されるなど到底受け入れられない。

 幸い逃げるだけの金はある。

 数瞬だけ、机の上に広げられた伝承武装に関する資料を忌々しげに見つめた。


「ソフィア……我が娘よ、お前は本当に愚かだ。第八門はこんなものでは止められん。武装や術式などそんな次元の話ではない。存在なのだ。どれだけの犠牲を払おうとも、この世界との繋がり、この世界に認められた存在にならなければ第八門には至れん。そんな簡単なことが何故分からん?」


 必要最小限の──伝承世界や第八門創造計画に関する資料を鞄に押し込み、それ以外を火を灯した暖炉へ放り込んでいく。

 悪用されては困る、スヴェンにそんな思考はない。

 これらの研究成果は自分だけのものだ、自分だけの作品だ。

 自分でなければ完璧に再現することは不可能だ。

 中途半端に再現されるくらいなら、他の誰かの手柄になるくらいならここで捨てていく。

 ロマノーの為に人生を捧げてきたのではない、自身の理想の為だけに全てを捧げてきたのだから。


「よし……」


 轟々と燃える火にあたり、全身から汗が噴き出す。

 服の袖で額を拭い、スヴェンは鞄を閉じた。

 続いてぜいぜいと息をしながら、カーテンで仕切られた隣の部屋へ顔を向ける。

 カーテンを開け、彼は心底残念そうにギュッと目を瞑った。

 その部屋には大小様々な檻がいくつも並べられていた。

 ほとんど全てが空だ。

 中身が入っているのはただ一つ、入ってすぐのところにある一番大きな檻。

 檻の中には輝く銀色の髪と『精霊眼アニマ・アウラ』をもつ大層美しい獣人の少女が座っていた。

 瞳に光はなく、ボーッと虚空を眺めている。

 試しに声をかけるが反応はない。


「くそ……!」


 スヴェンはその場にへたり込み拳を床に叩きつけた。

 古傷が異様に痛み顔を歪める。


「これだけの個体を残していくなど……」


 精霊の力を色濃く受け継ぎ、且つ伝承との親和性も基準をクリアしている。

 実に八年振り、あの男以来の可能性を秘めたこの少女の価値は何物にも変えられない。

 しかし、自身が脱出するだけで精一杯なのだ。

 物言わぬ、自力で歩くのも困難な少女を連れてはいけない。

 一人でも協力者がいれば可能だが今やスヴェンの存在自体軍の最高機密、しかも研究を続けることを条件に生かされているようなものだ。

 それを反故にしようとしているのだから誰にも頼ることは、知らせることはできない。

 その時だった。

 やや乱暴なノックが響き、ドアノブが音を立てる。


「スヴェン、いるな? 鍵を開けろ」


 ベストラの声だ。

 スヴェンは慌てて檻の部屋を出た。


「か、閣下!? 今──」


 だが次の瞬間、へしゃげた扉がスヴェンの真横を通り過ぎた。

 悪びれる様子もなく、ベストラがズカズカと入ってくる。


「何故返事をしない? それに……こんな季節に暖炉か? 暑くてかなわんな」

「はっ……も、申し訳……」


 扉を蹴破っておいてこの態度。

 スヴェンは呆気に取られつつ返事をした。

 そこであることに気付く。


「閣下。その目、どうかされたのですか?」

「ん? あぁ」


 ベストラは右目の眼帯に触れた。


「こいつを何とかしてほしくてな」

「と、仰いますと……?」

「私の目にかけられている精霊術を解いてもらいたい。プリムラの術式だが、お前なら何とかできるだろう?」

「プリムラ様の、ですか……。調べてみないことには何とも……」

「ならさっさと調べろ。──ん?」


 ベストラの視線が檻の中の少女に注がれる。

 スヴェンは青ざめ、後ろ手にカーテンを閉めた。


「では、失礼いたします……」


 術書を開き、なるべくベストラと目を合わせないようにしながら眼帯に手をかざす。


「む……」


 そしてスヴェンは幾重にも折り重なった術式に眉をひそめた。


 何だこれは? 個人に使う規模ではない……。これではまるで……。


 考え込むスヴェンにベストラが痺れを切らしたように問いかける。


「どうした? 何とかできるのか? できないのか?」

「あ……はっ、多少時間はかかりますが、解除は可能です」

「そうか、すぐにやってくれ」

「……かしこまりました」


 本当に、解除していいのだろうか?


 どうしてか、そんな不安が頭を過った。

 プリムラの術式──いつもなら心が躍り、頼まれずとも調べたくなるような代物だ。

 なのに、解除してはならないと制止する自分がいる。

 一つ一つの強度もそうだが、ざっと数えただけでも五十以上の術式が複雑に絡み合い何かを封じていた。

 仮に自分がこのような術式を使うとしたら、相手は伝承クラスの存在だ。

 『八芒星オクタグラム』に植えつけたような超常的な存在だ。

 しかし、ここで断ったところでメリットはない。

 解除しろと言うなら早く終わらせて逃げなくては。


 一つ目の術式を解析し、慎重に解いていく。

 二つ目、三つ目と進めていく中でふとある物がスヴェンの目に映った。


「そういえば、閣下」

「何だ」

「その剣、不思議な形をしていますな……」

「これか」


 ベストラが左目だけ開け、腰に下げた得物に触れる。


「これは剣ではない。西の海を越えた果てにある日ノ国で作られているカタナという武器だ。元帥に就任した時にどこぞの貴族が寄越してきたものだが、サーベルより使いやすいので重宝している」

「日ノ国の物でしたか。彼の国は独自の文化で栄えているそうですな」

「らしいな」


 それきり、ベストラは口をつぐんでしまった。

 沈黙が流れる。

 普段なら気にせず続けるところだが、スヴェンは気まずさから話題を探した。

 ベストラの様子を伺うと、話は受けつけないといった状態だ。

 余計なことを言って脱出を悟られては困る。

 居心地の悪さを感じつつも、スヴェンは解除を続けた。


 それから数時間後──。


「閣下、お待たせいたしました。解除が終わりました」

「うん……」


 ベストラが眼帯を外す。

 眼帯の下から現れた瞳にスヴェンは腰を抜かした。


「『精霊眼アニマ・アウラ』……!? 閣下が……保有者だったとは……!」

「ふむ」


 ベストラは何度か瞬きをし、頷いた。


「問題なさそうだ。ご苦労だったな、スヴェン」

「いえ、お役に立てたのであれば──」


 直後、腹部がカッと熱を帯び、視界が落ちる。


「は……? な……」


 少しして、スヴェンは熱の正体が自身から流れ出る血だと理解した。

 理解した途端、強烈な痛みに襲われ咳き込む。


「閣……下……?」


 スヴェンを見下ろすベストラの手には血塗られたカタナが。

 彼女はカタナを床に刺し、腰を下ろした。


「何故斬られたか、理由が知りたいといった顔をしているな」


 スヴェンが口を開くが、出てくるのはかすれた空気の音と血ばかりで。


「理由は色々あるが、一番は私の『精霊眼アニマ・アウラ』の力だ」


 ベストラの顔に怒りは見られない。

 いつもと同じ、近寄りがたい冷徹な表情をしている。


「……?」

「私の『精霊眼アニマ・アウラ』は一対一の状況でしか発動できん。そしてプリムラに封じられてからの三年間、当然だが使うことができなかった。調子を確かめるのは当然だろう?」


 そんな、理由で……。


 スヴェンの体から力が抜けていく。


「もう一つの理由はお前の実験だ。前任者から引き継いだ時驚いたよ。第八門の創造に八芒星オクタグラム計画、ヒトというのはここまで残酷になれるのだな」

「そ……そ、れは……」

「もちろんお前だけのせいではない。先帝の頃から名を変え手法を変え続いていた遠大な計画だ。その中で私にとってはお前の娘、ソフィアが提唱した伝承武装が唯一の救いだった」

「ソフィア……が……?」

「ヒトのままで第八門と同等の力を得られるならそれに越したことはない。どの道間に合わなかっただろう。でも、あいつを救えたかも知れないんだ」


 ベストラは思い出すように遠くを見つめた。


「お前の年代なら名前ぐらいは聞いたことがないか? ウトガルデロック家、今はもう途絶えた貴族の家系だ」

「その、名前、は……」

「我がヒンメル家とローグ家はウトガルデロックの流れを汲んでいる。と言っても、向こうは権力闘争を嫌い爵位を捨ててしまったがな」


 スヴェンが目を見開く。


 まさか……復讐の為に……?


「あぁ、勘違いはするなよ? 事件の真相が知りたくて軍に入った訳ではないし、知ったのは元帥になった時だ。それに今のあいつはもう、私のことなど覚えていないだろうさ」


 私の研究は……まだ……。


 ベストラは立ち上がり、カタナを引き抜いた。


「今までご苦労だったな。……もう聞こえていないか」


 カーテンを開け、ベストラは少女を見つめる。

 少女は悲鳴をあげるでも怯えるでもなく、変わらず虚空を見つめていた。

 ベストラの瞳にほんの少しだけ憐れみが浮かぶ。


「私にはお前を元に戻してやることができん。これが、せめてもの手向けだ」


 白刃が煌めき、壁一面に真っ赤な花が咲いた。

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