第七章 大戦編③
第百三十一話 失踪
ロマノー帝国帝都セントピーテル。
その中でも一等目を引く豪奢な宮殿に置かれた執務室でヴィルヘルムは軍からあがってきた報告書に目を通していた。
「ふむ……」
椅子の背にもたれかかり、ふぅっと息を吐く。
「裏切ったホテルスとユーダリルは無事死亡。ジークフリートとライルは生死不明だが……ジークフリートはともかくライルはなぁ。ナグルファルの墜落に巻き込まれて生きてる飛鳥たちの方がおかしいよ、うん。それと……」
ヴィルヘルムはアルヴェーン姉妹について書かれた部分を見つめた。
今のマリアを戦場に出すのは死にに行かせるようなものだ。南方司令部が保護してくれたなら、しばらくは向こうに任せるか。
「……ジャンヌもダメだな。あいつはジークフリートありきだししょうがないか」
残る『
しかし、この二人を帝都防衛に回すことはできない。
ヴァルキュリア隊の進軍でスヴェリエ軍の士気は最高潮に高まっている。
それを迎撃する為にも今の配置は崩せない。
何か良い策はないか、そんなことに頭をフル回転させている自分に気付き、ヴィルヘルムは呆れたように笑った。
「おっといけない。まっ、ベストラが何とかするだろう。さてと……」
紙にペンを走らせる。
そこには本のタイトルらしき文字列が数行並んでいた。
ヴィルヘルムは立ち上がり、扉へ近付いていく。
そして扉から顔を覗かせると、護衛の兵二人が一斉に彼の方を向いた。
「陛下、いかがされましたか?」
人間の兵が引き締まった表情で恭しく尋ねる。
「うん、小腹が空いてな。何か軽く食べられるものを持ってきてくれないか?」
「はっ、すぐにお持ちいたします」
その兵は一礼し足早に炊事場へ向かった。
ヴィルヘルムは残ったもう一人の獣人兵に先ほど書いた紙を見せた。
「お前は資料室に行ってここに書かれた本を持ってきてくれないか?」
紙に目をやりつつ獣人兵が困ったような表情を浮かべる。
「二人ともいっぺんに離れてはその……元帥閣下に叱られてしまいます」
彼の言うことはもっともだ。
だがヴィルヘルムは押しつけるように紙を渡し、顔の前で手を合わせた。
「そこを何とか頼むよ。急ぎで欲しいんだ」
獣人兵はまだ少しの間迷っていたが……。
「分かりました。すぐに戻りますのでお待ちください」
そう言って廊下を走り出した。
ヴィルヘルムの口元が僅かに緩む。
リストに書いたタイトルは全てデタラメだ。
どれだけ探しても出てくることはない。
ヴィルヘルムは室内に戻るとローブを脱ぎ捨てクローゼットを開けた。
そこには麻でできた白い上着にベージュのズボン、ブラウンのブーツ──冒険者が着るような服が一式吊るしてあった。
素早くそれに着替え、真っ白いマントを頭から被る。
「よし、まだ戻ってないな」
扉の隙間からそっと廊下を覗き、兵が戻っていないのを確認するとヴィルヘルムは執務室を抜け出した。
宮殿の一角、見取り図には載っていないこじんまりとした白い部屋。
仮に見取り図を持って注意深く歩いても見つからないであろう、本当に僅かなスペース。
窓もなく、家具と呼べるものは中心に置かれた椅子のみ。
ヴィルヘルムが椅子に腰を下ろすと、背後に気配が現れた。
「大勢は決まったようだな」
男がヴィルヘルムに語りかける。
「あぁ、帝国の負けだよ」
ヴィルヘルムの顔に失意や落胆はない。
むしろこの時を待っていたような、ある種決意に満ちた面持ちだ。
「ヴァルキュリアの、クリスティーナ・グランフェルトを止められる戦力はもうない」
「その為のエールだろう?」
男が分かりきったことを口にする。
ヴィルヘルムは一転して億劫そうに返事をした。
「お前、無駄話は嫌いじゃなかったか? 飛鳥はスヴェリエを止めるつもりだ。でも、誰がそんなことを信じる? この街はグランフェルトと飛鳥、ベストラたち三つ巴の戦場になるのさ」
「だが、回避する手段も必要もない」
男は一振りの剣を差し出した。
ヴィルヘルムが目を見張る。
「わざわざ取りに行ったのか?」
「あぁ」
「ありがたいが、勝手に出歩かれるのは困るなぁ。誰かに見つかったらどうするんだ」
「私を見つけられる者はもういない。それに、こいつがない方が困るだろう?」
「そうだけどさ……戦いになるかな? 飛鳥と」
「ならなければそれでよし。なった時には力ずくで言うことを聞いてもらう」
男の言葉に、ヴィルヘルムは溜め息をついた。
「そういう意味で言ったんじゃないんだけど……。まぁいい、それじゃあ行こうか」
「うむ。──早く会いたいな、飛鳥」
二人は連れ立って部屋を出ていった。
場所は移ってロマノー帝国軍中央司令部──。
その会議室に並ぶ将官たちの表情は皆一様に険しい。
一番奥に座っているベストラはヴィルヘルムが読んでいたのと同じ報告書を握り潰した。
「私のせいだ……!」
トップに立つ人間として部下の前で、しかもこの状況で弱音を吐くのは最悪の行為だ。
そう理解していても、口に出さずにはいられなかった。
慰めてほしい訳ではない。貴女だけのせいではないと言ってほしい訳でもない。
ただただ冷静さを取り戻すべく、愚行と分かっていながらベストラは怒り、無念、悲しみ、そんな渦巻く感情を吐露した。
一度深呼吸をし、将官たちの顔を睨むように見渡す。
「ギーゼラを呼び戻せ。やつには文字通り、帝都を守護する盾となってもらう」
「……はっ」
将官の一人が返事をするが、口が重い。
これ以上若い命を散らすくらいなら……そんな思いが見て取れる。
そんなことは百も承知だ。
それでもやらなければならない。
降伏するということは、獣人の虐殺を認めるのと同じだからだ。
「住民の避難状況は?」
ベストラの問いに、他の将官が口を開いた。
「そちらは滞りなく進んでおります」
「そうか。物資が奪われてはかなわん、接収しろ」
「かしこまりました」
次にベストラは隠れるように身を縮めているクラウスに視線をやった。
気付いたのか、クラウスがパイプを握りしめながら向かいに座っているフィリップに目配せする。
「ルンド中将、オークランス中将」
「は、はっ!」
「何でしょうか? 閣下」
「お前たちは議会へ行って貴族共を黙らせてこい」
その命令に対する二人の反応は正反対であった。
「はっ。……わ、我々がですか!?」
クラウスは顔面蒼白になっている。対して──。
「承知いたしました」
フィリップは普段通り冷静に頷いた。
ベストラが八重歯を剥き出し笑う。
「何も直接説き伏せてこいとは言わん。ヴェステンベルクを手伝ってやれ。この状況だ、反皇帝派の連中に手を焼いていることだろう」
「そ、そういうことでしたら……」
クラウスは渋々だが一礼し席を立った。
二人を見送り、ベストラはすぐ斜め前に座っている白髪の男の名を呼んだ。
「ロードストレーム」
「はっ!」
白髪の男が立ち上がる。
座った状態でも他の将官たちに比べ一回り巨体だが立ち上がると尚更だ。
ベストラよりも頭一つ分背が高く、全身に搭載された筋肉で幅は実にベストラの二倍にもなる。
ノア・ロードストレーム──階級は大将、将官の中でも最古参の人物である。
ベストラが座っているせいで、傍から見れば祖父と小さい孫のようだ。
実際、二人の年齢はそれほど離れているが。
「これより全指揮権をお前に委譲する」
「了解いたしました! どうかご武運を、閣下」
「お前もな」
それだけ告げ、ベストラは立ち上がった。
ざわつく将官たちをロードストレームが一喝する。
窓がビリビリと音を立てるほどの声を背にベストラは会議室を後にした。
その足でベストラはヴィルヘルムの執務室へと向かった。
戦いが終わるまでの間、国民を鎮めてもらわなければならない。
しかし、執務室の前でオロオロしている二人の兵を見つけ、ベストラは首を傾げた。
「おい、何をしている?」
「げ、元帥閣下!?」
「いやこれは、そのー……」
「陛下にお会いしたい、そこをどけ」
二人は真っ青になり、深々と頭を下げた。
ベストラが眉を寄せる。
「聞こえなかったのか? どけ」
「申し訳ございませんッ!! へ、陛下のお姿が……」
「何?」
ベストラは勢いよく扉を開け、無人の執務室に目を見開いた。
「どういうことだ……!?」
「ほ、本当に! 申し訳ございません!!」
「謝罪などいらん! 状況を説明しろ!」
二人はヴィルヘルムから頼み事をされたこと、そして戻ってきたら彼がいなくなっていたことを報告した。
ベストラが唇を噛みしめる。
「何の為に護衛を複数置いているか分かっているのか……?!」
二人は返す言葉もなく、震えながら再び頭を下げた。
ベストラは執務室に入りペンと紙を拝借すると走り書きをした。
その紙を二人に押しつけ睨めつける。
「これを会議室にいるロードストレームに渡せ。それと分かっていると思うが──」
「もちろん他言はいたしませんッ!!」
「よし、さっさと行け」
二人は大慌てで駆けていった。
「陛下、こんな時にどこへ……」
捜索に加わりたいがそれはできない。
今やるべきは帝都を守ることだ。
ベストラは肩を怒らせながら、自室に向け歩き出した。
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