第百二十八話 光の騎士と③

 戦闘開始のほんの少し前。

 砦の物見台から戦場を見つめ、レオンは項垂れ頭をかきむしった。


「あり得ないでしょうがよ……。何考えてんだ、あの女……」


 遠望術式で作った薄緑色の眼鏡を外し頭に乗せる。

 あの女とはもちろんクリスティーナのことだ。

 ──いや、訂正しよう。彼女の命令に一切異を唱えないレベッカやヒルダ、隊員たちも含めていい。

 普通このような状況では籠城戦と相場が決まっている。

 ガムラスタからの補給は滞りなく行われ、空から急襲する筈だったナグルファルも既に存在しない。

 仮に大規模な砲撃術式を展開されたところでクリスティーナたちなら容易く防いでみせるだろう。

 それなのに、だ。

 ヴァルキュリア隊は打って出た。

 伏兵を置くでもなく、妨害術式を敷くでもなく、真正面から。


「やっべ、頭痛くなってきた……」


 心配されるとアレなので言っておくが比喩表現だ。

 それぐらい、ヴァルキュリア隊の行動は理にかなっていない。

 眼鏡をかけ直し、再び戦場に目をやる。

 クリスティーナを見る為ではない。

 と言うか、好きにしろと言われたし、彼女の作戦に合わせるつもりもなければこれ以上彼女たちの行動について考えたくもない。

 見たいのはもちろん──。


「ジークフリート……」


 距離は離れているが、心中は手に取るように分かる。

 この定石から外れた状況にさぞ驚いていることだろう。

 視線はクリスティーナに釘付けだ、今矢を放てば確実に仕留められる。

 オレルス・スカディを構え、弦を引き絞る。

 ミカに殴られた頬が僅かだが痛んだ。


「…………クソッ」


 吐き捨て、オレルス・スカディを下ろす。


 俺ってこんな面倒くさい性格だったかな……?


 自分でも何を言いたいのか分からないが、これで終わりというのは腹落ちがしなくて。

 レオンは物見台から飛び出し、近くの木へ飛び移った。






 約二百メートル後方に控えていたヴァルキュリア隊第四班が横一列に並んだまま進軍を開始した。

 彼女たちの異様さに、第十三隊の面々が青ざめる。

 戦闘だけならまだしも足運びや体の揺れまで瓜二つ、首から上はもちろんそれぞれ個性があるがそれだけだ。

 皆瞳に冷たい闘気を宿し、口を真一文字に結んでいる。

 相手を操る精霊術もないではないが、ここまで揃っているものは見たことがない。

 クリスティーナの一撃を受け止めミカが叫んだ。


「怯むな! 体勢を立て直せ! 防御と回復に専念するんだ! 時間さえ稼げば勝機はある!」


 ミカの命令をヒルダが笑う。


「確かに『以心伝心ディア・マリオネット』は持久戦には不向きですけどぉ……それで本当に攻略できると思ってるんですかぁ? ふふっ♪ ジークフリートさんったら可愛い〜♪」


 彼女も彼女でこの戦場において異様異常と言えるだろう。

 第四班の一歩先をスキップしながら、にこやかな笑みを浮かべている。

 そして倒れているレベッカの元まで行くと、表情も声色も変えず彼女を揺さぶった。


「レベッカさん♪ 倒れてる暇はありませんよ? ほら、彼らまだまだ元気みたいですから♪」

「言われずとも分かっている……! 第三班! まだ動けるな! 攻撃を再開しろ! おのれ、ジークフリート……!!」

「ダメですよ♪ 隊長の邪魔したら殺されちゃいますよ?」

「だから分かっているっ!!」

「させるか!」


 クリスティーナを蹴飛ばしミカは再びグラムを振り上げた。

 だが、背後から襲ってきた強烈な殺気に思わず構えを解き振り向く。

 ミカの心臓目掛け、クリスティーナは突きを放った。

 グラムで氷剣を叩き折り、返す刀で斬り上げる。

 ソルヘイムを斬り伏せた一撃よりも遥かに重い高速の斬撃。

 しかし、クリスティーナはそれを片手で受け止めた。


「何っ!?」

「どこを見ていますの……?」


 クリスティーナがもう片方の手でミカの首を掴み上げる。


「かっ……はぁっ……!」


 こんな細腕のどこに、これほどの力が……!?


 身長約百九十センチ、体重は八十キロを越えるミカの体を持ち上げるクリスティーナの顔には怒りが浮かんでいて。


「聞こえませんでしたの? わたくしだけを見なさいと言いましたわよね?」


 クリスティーナはミカの首を掴んでいる手に更に力を込めた。

 爪が食い込み血が滴っていく。


「ぐっ、ううう……!」


 ミカがクリスティーナの腕を握りしめるがビクともしない。段々と意識が遠のいていく。


 ここで……負ける訳には……。


 だが何を思ったのか、クリスティーナは凶悪な笑みを浮かべミカを投げ飛ばした。

 肺が酸素を急激に取り込みミカが咳き込む。

 それを見下ろし、クリスティーナはダンへ近付いていった。

 ミカが叫ぶ。


「何をする!? お前の相手は俺だろう!」

「えぇ。でも貴方、まだ本気ではないでしょう? どうしたら本気になってくれるのかしら?」


 そう言いながらクリスティーナはダンの傷口に触れた。


「やめろ……。やめてくれ……!」


 ミカが必死に腕を伸ばし懇願するが、クリスティーナは応えない。

 彼女の手に引かれるようにダンの傷口から血が溢れ出る。

 ダンは声にならない悲鳴をあげた。


「やめろおっ!!」

「お黙りなさい。貴方がわたくしの相手をしないからでしょう?」


 ダンの血がクリスティーナの手に集まり剣へと姿を変えた。


「そんな……」

「すぐには死にませんから安心なさい。さぁ──」


 と、クリスティーナがグラムを蹴る。


「いい加減本気を出しなさい。でないと、大切な部下が全員死にますわよ?」


 そう告げ、彼女は高らかに笑った。


「クリスティーナ・グランフェルト……!」


 ミカは歯を食いしばり拳を握る。

 その時、頭の中でカチリと音が鳴った気がした。

 コントロールできない、自身を焼き尽くすほどの怒りに反して、思考はどんどん明瞭になっていく。

 突然の変化に戸惑うミカの脳裏に浮かぶのはエールでの──。


 そうか。これが、お前の見ていた世界か。


 ミカはグラムを手に立ち上がった。

 鋭い殺気がクリスティーナに突き刺さる。

 その感覚に、彼女は大層嬉しそうに目を細めた。


「ようやくやる気になったようですわね」

「あぁ、俺としたことが優先順位を誤るとは情けない」


 ミカの姿が消える。

 直後、クリスティーナを背後から両断せんとグラムを振り下ろした。

 当然素直に食らう彼女ではない。軽いステップで横に避け、剣を振るった。

 しかし、既にミカの姿はない。

 クリスティーナが頭上に氷の盾を出現させるのと同時に、ミカの放った無数の光刃が豪雨の如く降り注いだ。

 ミカが地面に降り立つ。

 クリスティーナはまるで恋人にでも語りかけるようなあどけない表情を見せた。


「素晴らしいですわ、こんなに楽しいのはいつ振りかしら」

「お褒めに預かり光栄だ、とでも言えば満足か?」


 ミカの皮肉に、クリスティーナは少しイジけたような態度を取った。


わたくし、本気で言っていますのに。 ──そうだわ、聞いてくださる? キョウスケったら酷いんですのよ? どれだけ仕掛けても戦ってくれませんの。スヴェリエを守るとか秩序ある世界とかくだらないことばかり言って……」

「キョウスケ……? 焔恭介のことか」


 クリスティーナが悲しそうに頷く。


「ですから、貴方が教えてくださらない?」

「教える?」

「えぇ。──わたくしの本気を」


 片手で剣を構え、クリスティーナが踏み込んだ。

 見えたのはそれだけ。

 ミカの鎧が砕け散り左肩から血が噴き出した。


「はっ……?」


 少しして襲ってきた焼けるような痛みにミカが身悶える。

 だが、苦しむ時間さえも長くは与えてもらえなかった。

 飢えた獣のような殺気に迫られ、ミカは倒れるように体を捻った。

 脇腹が僅かに斬られ血が滲む。


「くそっ!」


 斬撃が飛んできた方向へグラムを振るうが空を切るだけで。

 その勢いに負け、ミカは受け身も取れず地面に背中を打ちつけた。


 何だ、これは……!? これが人間の動きか……!?


 左肩を庇いながら起き上がるミカの眼前に剣が突きつけられる。

 ミカは恐る恐るクリスティーナを見上げた。

 彼女の顔に失望や怒りはなく。

 興味を無くしたように、無造作に剣を振り上げた。

 しかし次の瞬間、二人は何かに気付き距離を取った。

 ミカが第十三隊に向かって叫ぶ。


「全員その場を動くな!」


 クリスティーナも左手をあげヴァルキュリア隊に指示を出した。


「お待ちなさい」


 両隊に動揺が広がる。

 ミカは目を凝らし呟いた。


「光の糸……グレイプニルだと……!?」


 勝気な、そして怒気を含んだ女性の声が響き渡る。


「誰も動くんじゃねぇ。細切れにされたくなければな」


 そこに現れたのは──。

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