第百二十六話 光の騎士と

 ロスドンから南東へ数十キロ、ロマノー最南端の街サマールにミカの姿はあった。

 ここからガムラスタまでは三十キロ弱、馬に乗って半日ほどの距離だ。

 街の端からスヴェリエ領を見つめる。

 そこへ一人の隊員が近付いてきた。第一隊から一緒に異動してきたダンだ。

 彼の手には湯気を立てるカップが二つ。


「コーヒーです、どうぞ」

「ありがとう」


 カップを受け取り、念入りに冷ましていく。

 ようやく飲める温度になり、ミカはカップに口をつけた。

 ダンがニヤニヤしながら口を開く。


「ロスドンに行かなくて良かったのですか? 隊長」

「お前に隊長と呼ばれるのは何だか違和感があるな。──ここを抜けるのが最短ルートだ。何故わざわざロスドンに?」

「そりゃギーゼラ様がいらっしゃるからですよ。長くお会いになっていないでしょう?」


 ミカが顔を背ける。

 珍しい表情が見られて愉快なのか、ダンは益々楽しそうに述べた。


「ご安心ください。悪い虫がつかないよう残った連中にしっかり言っときましたから」

「だから何故俺にそんなことを報告する? 中将は責任感の強い方だ。戦時中に異性にうつつを抜かすような方ではない」

「そう、ですか。ふーん……」


 ダンの顔には『素直になれよ』と書いてあって。


「中央に詰めてる間手紙の一通でも書きました? バレンタインの贈り物は? してないでしょう。俺たちが贈った花束、めちゃくちゃ喜んでくれましたよ?」


 ミカは返事もせず、憮然とした表情でコーヒーを口にする。


「今回は相手が相手ですからきちんと気持ちを伝えた方がいいですよ。俺が帰ったら結婚してくれ、とか」


 後半はミカのモノマネだろうか、ダンはキメ顔で低い声を出した。

 ミカがうんざりしたように肩を落とす。


「お前あまり本を読まないだろう。物語だとそういうことをするやつは大体死ぬんだ。第一、中将は貴族で、この国に希望をもたらす聖女だ。住む世界が違う。……いや、そもそもその言い方だとまるで俺が中将を慕っているみたいじゃないか。前提条件がおかしいぞ」

「隊長だって貴族の出でしょう」

「歴史と格が違う」


 頑なに否定し続けるミカに、ダンは何を思いついたのかポンっと手を叩いた。

 嫌な予感にミカがダンを睨む。


「代わりに俺が手紙を──」

「分かった、書けばいいんだろう書けば! お前は何もするな」

「かしこまりました! 隊長!」


 ダンは姿勢を正し敬礼した。殴りたくなるぐらいイキイキとしている。

 ミカはコーヒーを飲み干すとカップをダンに押しつけ、肩を怒らせながら宿舎へ戻っていった。

 その背中を眺め、ダンが呟く。


「俺たち皆、准将を応援してますからね。必ず生きて帰りましょう」


 部屋へ戻ったミカは便箋とペンを取り出し椅子に腰かけた。

 そして『アールパード中将』とギーゼラのファミリーネームを書いたまでは良かったが……。


「…………」


 ペンをわきに置き腕を組む。


 何を書けばいいんだ……?


 考えてみれば手紙を書くなど何年振りだろうか。

 軍に入ったばかりの頃は両親に手紙を書いていたが、元々筆まめな性格でもなく、便りがないのが元気な証拠というやや放任主義な両親の性格も相まって、いつの間にか書かなくなってしまっていた。

 報告書や申請書の類は山ほど書いてきたが、私信となると何をどれだけ書いたらいいのか見当もつかない。

 まして相手はギーゼラだ。


「……あまり他人行儀な文章だと中将が悲しむかも知れない。どうすればいい……?」


 ミカは視線を右往左往させた。

 誰にでも分け隔てなく接し、いつも優しく、慈愛に満ち溢れたギーゼラの姿を思い浮かべる。

 彼女は役目や力で聖女と呼ばれるようになった訳ではない。元からそれに相応しい人間性を持っていた。

 そこにたまたま力がついてきただけのこと。

 軍人以外の道を選んでいたとしても結果は変わらなかっただろう。


「何か共通の話題があれば……。そうだ、プリムラ様の庭園に中将の好きな花が咲いていたな」


 ペンに手を伸ばすが、途中でミカは苦しそうに顔を歪めた。


 プリムラ様は今や帝国の敵だ。そんな話題出せるか……!


「第一隊はもう一年以上中央から離れていたな。中央の……軍内部の派閥争いやアホな政治家の話をしてもな……。もっと前向きな話はないか……?」


 何だったら戦闘中よりも真剣な表情でミカは考えを巡らせる。

 その時グラムが目に入り、ある人物の顔が頭を過った。

 ミカの顔がパッと明るくなる。


「エールだ……! 戦後に中将が大使になればアクセル・ローグやレグルス陛下も話を聞いてくれる筈だ。獣人への差別も減らしていける」


 ミカはエールで見聞きしたこと、アクセルやマティルダの人柄を書いていき──。


「よし。これならきっと中将も喜んでくれるだろう」


 普段の業務報告とほとんど変わらない手紙が完成したのだった。






 翌朝、第十三精霊特化隊約百名はサマールの正門前に集結していた。

 白いブレストアーマーを身につけたミカが前に立つ。


「これより我々はヴァルキュリアの砦攻めを行う。ここが分水嶺だ。ヴァルキュリア隊、そしてその隊長であるクリスティーナ・グランフェルトを倒せばガムラスタはもう目の前、スヴェリエ軍の士気も大いに下がるだろう」


 皆、緊張した面持ちでミカの話に耳を傾けている。


「確かに二度失敗をしている。だがお前たちは各隊から選ばれた精鋭中の精鋭だ。俺は、勝てると信じている」


 ミカは馬に跨りガムラスタの方角を見据えた。

 隊員たちもそれに続く。


「行くぞ! この戦争を終わらせる時だ!」


 鬨の声をあげ、ミカたちは進軍を開始した。


 雪が溶け、新緑が芽吹く大地を揺らしながら第十三隊が駆けていく。

 報告にあった通り、スヴェリエ軍の姿はほとんど見当たらない。

 中央司令部はスヴェリエの自信の表れだと考えているが、ミカは少し違った。

 一番の急所をたった一部隊で守っている。確かに内外へのメッセージとしては十分だ。

 しかし、万が一にでも突破されたら?

 焔恭介が戦場にいないこの状況で、それを考慮しないほどスヴェリエの司令部は楽観的だろうか?

 答えはノーだ。

 ヴァルキュリア隊しか置いていないのではなく、置けないのだとしたら。

 精霊使いの精神性は一般の者と少し異なっている。第八門ともなれば、その差はより顕著だろう。

 恐らく、クリスティーナ・グランフェルトという人物は──。


「隊長! 前方に複数の敵影あり! 内一人が高速でこちらに向かってきています!」


 周囲を探索していた隊員の声で、ミカの意識が引き戻された。

 直後、視界に一人の男が映る。

 風を纏い接近してくるその姿に別の隊員が悲鳴にも似た声をあげた。


「おい、あの馬鹿でかい左腕はまさか!」


 短い金髪をツンツンに逆立て、軍服の上着を腰に巻いた男は左腕にだけ鎧をつけていた。

 否、それは鎧と呼ぶにはあまりに巨大で。

 成人男性とほとんど変わらぬ大きさの銀のガントレットに、第十三隊の面々は恐れ慄いた。


「間違いない! 『銀腕』だ! 『銀腕』のソルヘイムだ!」

「ヴァルキュリアの前にやつが控えてるなんて! 隊長!」

「速度を落とすな」


 ミカが冷静に、だが闘気を込めた声で言い放つ。


「で、ですが!」

「聞こえなかったか? 速度を落とすな、このまま進め」


 慌てふためく隊員たちへ振り向きもせず、ミカはグラムを手に取った。

 光が収束し剣身を作り上げていく。

 それを認め、ソルヘイムと呼ばれた男が笑った。


「俺をヘンリー・ソルヘイムと知って向かってくるとは大したやつだ! 名を名乗れ!」

「お前に名乗る名はない。俺の目的は──」


 ソルヘイムが放った拳に向かって、ミカがグラムを逆袈裟に振るう。

 左腕を失い、首無し騎士デュラハンとなったソルヘイムを乗せたまま馬は走っていってしまった。

 たったの一撃、僅か数秒の出来事であった。

 ソルヘイムの後ろからやってきていた部隊が、誰からともなく道を開ける。

 ミカは前方にそびえ立つヴァルキュリアの砦を睨みつけた。


「クリスティーナ・グランフェルト。お前だけだ」

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