第百二十五話 燻る心
机と椅子とシングルサイズのベッド、そして壁には数本のハンガー。
寝起きするのに必要最低限な物しか置かれていないこじんまりとした部屋の中で、レオンはベッドに横になり廊下の様子を伺っていた。
見張りも立っていない、戦時中とは思えぬ静けさを湛えていた白亜の砦。
それがどうも今朝ほどから騒がしい。
ヴァルキュリアたちが絶えず駆け回り、緊張感のある声が飛び交っていた。
レオンがこの砦にやってきてまだ数日だが、こんなことは初めてだ。
「何かあったのか……って、ロマノーが攻めてきたぐらいしかないよな」
レオンは少しだけ葛藤した後起き上がった。
クリスティーナと話をし、この部屋が充てがわれて以来極力外へは出ないようにしていた。
別に監視されている訳でもなければ、出会い頭に殴られる訳でもない。
だが妙に居心地が悪いというか、視線が痛いというか。何とも言い難い嫌な感覚に襲われ、なるべく目立たないように過ごしていた。
しかし、緊急事態となれば話は別だ。
まだガムラスタからの返事がないこの状況でロマノー軍に見つかるのは具合が悪い。
「まっ、ここが陥ちることはないだろうけどさ……」
この砦を守護しているのはスヴェリエが誇る第八門の精霊使いクリスティーナ・グランフェルトだ。
彼女を──第八門を止められる者は少なくともロマノーにはいない。
だからこそこうして亡命を試みたのだ。
しかも彼女が率いているヴァルキュリア隊も滅法強い。反則なぐらい強い。
机の隣に立てかけられているオレルス・スカディを見つめ、レオンは項垂れた。
「まじかぁ……」
と、苦笑いを浮かべる。
俺にこんな感情があるなんてなぁ……。
ここに至って悔しい、腹立たしいと感じている自分がいることに気付いてしまった。
ただでさえ少ない精霊使いという存在、その中から選ばれた特別な八人で構成される『
その一員である自分が、いくら第八門がトップとはいえ、一隊員に組み伏せられるなんて。
湧き上がってくる負の連鎖を振り払うようにレオンは首を振った。
「ダメだ、やめやめ。考えるのやめたっ」
今は現状把握が最優先だ。
そう自分に言い聞かせ、レオンはゆっくりと、できるだけ音を立てないよう気をつけながらドアに近付き取手を引くが──。
「うおおっ!?」
隙間から覗く瞳に驚き尻餅をついてしまった。
ドアが完全に開け放たれ、拗ねたような声が響く。
「レオンさんったら酷いですね。こんなに可愛い私を見て悲鳴をあげるなんて」
立っていたのはヒルダだ。
唯一友好的(?)な彼女の姿に、レオンは胸を撫で下ろした。
「あんたか……。いつからいたんだよ……」
「ついさっきから♪ いやらしいことしてたらどうしようかな〜見て見ぬ振りするのがいいよな〜って思いながら顔を近付けたら、丁度レオンさんの方から開けてくれたので助かりました♪」
先ほどの拗ねたような態度は演技だったのか、いつも通りの調子でヒルダが述べる。
そんな都合のいいことがあるのかと、レオンは彼女を見つめた。
視線に気付いたヒルダが何故か胸元を隠し体をくねらせる。
「えっ? もしかしてレオンさん……本当にそういうことしようとしてたんですかぁ!? 私のことを考えながら!?」
「んな訳ねぇだろ! それより、俺はいつになったらガムラスタに行けんだよ?」
「せっかちですね♪ 隊長が連絡してからまだほんの二、三日ですよ?」
「グランフェルトはスヴェリエ軍の大将だろ? そいつがわざわざ通信術式を使って直接本部に話をしたんだ。その場で結論が出てもいいぐらいだと思うけどな」
レオンの指摘に、ヒルダは首を傾げ微笑んだ。
「どうでしょう? 私もその辺りはあまり詳しくないので♪ ところでどこへ行こうとしてたんですか? お手洗いなら早く行った方がいいですよ♪」
「あ、いや。やけに騒がしいから……ロマノーが攻めてきたのか?」
「はい♪ こちらに向けて進軍中の部隊ありと報せがありました♪」
何がそんなに楽しいんだよ、こいつ……。
笑顔を崩さないヒルダを不気味に感じつつレオンは続ける。
「なぁ、グランフェルトからもう一回本部に言ってもらえないか? こんなところでロマノー軍に会いたくないんだよ」
「どうしてです? 裏切ったんだから倒しちゃえばいいじゃないですか♪ 古巣の『
ヒルダの言葉にレオンは険しい表情を浮かべた。
「その話本当か? 誰だ? そいつの特徴は? ライル大佐……はナグルファルがあれだしな。あいつじゃねぇといいんだけど……」
「向かってきてるのは、ミカ・ジークフリートさんです♪」
レオンの呼吸が止まる。
エールで、その後で何があったのか、ヒルダが知っている筈がない。
なのに彼女は酷く愉しそうにレオンの耳元でもう一度その名を囁いた。
「部隊を率いているのは『
僅かに震えながら、ゆっくりと首を動かしヒルダの瞳を見つめる。
彼女の瞳には、全てを見透かしたような怪しい光が宿っていて。
答えは分かっているくせに、ヒルダはレオンにこう尋ねた。
「レオンさんは、どうしたいですか?」
スヴェリエが受け入れてくれるのかまだ分からない。
ガムラスタ行きが認められ、安全が確保されるまでは下手に動かない方が賢明だ。
だが、一度火がついてしまったものはもう止められない。
レオンは立ち上がり、鋭い目つきでヒルダに尋ねた。
「グランフェルトはどこだ」
「隊長なら会議室にいらっしゃいますよ♪」
レオンは部屋を飛び出し会議室を目指した。ノックもせず、乱暴にドアを開ける。
案の定レベッカがいち早く反応し、怒りに満ちた表情でレオンを睨みつけた。
「何の用だ! 本部からの返事ならまだ来ていない! 部屋でおとなしくしていろ!」
「そんなこと今はどうでもいい!」
レベッカの制止を振り切り、レオンは一番奥に座るクリスティーナへ近付いていく。
クリスティーナは割って入ろうとするレベッカを止め、レオンへ視線をやった。察しがついているのか、何も発しない。
レオンはテーブルを叩き彼女に詰め寄った。
「俺にも戦わせてくれ」
クリスティーナの表情は変わらない。
代わりに怒声をあげたのはもちろんレベッカだ。
「貴様──おい! ヒルダ! こいつに構うなと言っておいただろう!」
「だってもう準備が済んじゃって暇だったので♪」
「ならこっちを手伝え!」
いつものことなのか、二人のやり取りをクリスティーナは優しく見守っている。
レオンはもう一度告げた。
「俺も戦う。部隊に組み込んでくれとは言わない。ジークフリートをぶっ飛ばせればそれでいい」
やはりクリスティーナは何も言わない。
代弁だと言わんばかりにレベッカが突き放す。
「戦場にいられるだけで邪魔だ! 隊長がいらっしゃる限りこの砦は陥ちん!」
「んなことは分かってるよ。俺は借りを返したいだけだ」
「そんな個人的な理由、聞いていられるか!」
クリスティーナの頭上でレベッカとレオンが騒ぎ立てる。
さすがに煩わしいと思ったのか、クリスティーナが二人を押しのけた。そして──。
「お好きになさい」
何の興味もなさげに口にした。
レオンが笑う。
「何だよ、話が分かるじゃないか。あんた」
尊敬するクリスティーナをあんた呼ばわりされ、レベッカは益々顔を赤くし拳を握った。
「レベッカ」
「隊長、しかし……!」
怒りのやり場を失い、レベッカが身を縮める。
クリスティーナは確認するように述べた。
「貴方の好きなようになさい。
「あぁ、もちろんだ」
レオンは満足げに頷き、大股で会議室を後にした。
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