第百二十四話 姉妹⑥

 物心ついた頃から、生みの両親はいなかった。

 流行り病で亡くなったらしい。

 私と姉を引き取ってくれた親戚は、私が理解できる年齢になるのを待って、そのことを教えてくれた。

 同時に、自分たちがどれだけ私たちを愛しているかを、本当の家族だと思っていることを一生懸命伝えてくれた。

 事実、私たちは本当の子供と同じように、三姉妹として育てられた。

 学校にも通わせてもらえたし、やりたいことがあれば大体のことは好きにやらせてくれた。

 今思えば、三人とも見た目がよく似ていたような気がする。

 見た目だけではない。長女は私とエミリア姉さんを合わせたような性格をしていた。

 エミリア姉さんと同じように明るくて、優しくて、体を動かすのが好きで。

 私と同じように勉強が得意で、危ないことを恐れて、そして、臆病だった。

 夜中にトイレで目が覚めた時は長女も私も、嫌がるエミリア姉さんを起こし連れていったものだ。


 親戚と──いや、第二の家族と過ごした日々は、それはもう幸せなものであった。


 しかし、当人がどれだけ満ち足りていても、粗探しや意地悪をしたくなるヒトというのがいるもので。

 血が繋がっていないなんてくだらない理由でいじめられたこともあった。

 本当は虐待を受けているんじゃないか、長女と違う扱いをされているんじゃないかと面白半分に噂されたこともあった。

 今では他人の噂など聞き流せるようになったが、当時の私たちはそこまで精神が成熟していなかった。

 でも、長女も私も言い返すだけの勇気はなくて。いじめっ子を殴る度胸もなくて。

 そんな時、いつも私たちを守ってくれたのはエミリア姉さんだった。

 誰に対しても怯まず言い返してくれたし、突き飛ばされようものなら何倍にもして殴り返してくれた。

 誤解されては嫌なので付け加えておくが、エミリア姉さんは喧嘩っ早い訳でもなければ、まして相手を痛めつけるのが好きとか嗜虐趣味を持っている訳でもない。

 エミリア姉さんが怒り、暴れるのはいつだって家族の為。


 そう、エミリア姉さんは、私にとってヒーローだった。


 だからあの時の──両親と長女の反対を押し切り、帝都で軍人になると家を出たエミリア姉さんについていった自身の選択を後悔したことはない。

 後悔があるとすれば、もっと後の出来事。

 だって、そのせいで今──。


「姉さん!!」


 エミリアと目が合う。

 彼女はマリアの無事を確認すると、安心したように微笑んだ。


「いや……いやぁ…………!」


 シグルドリーヴァが乾いた音を立て地面を転がる。

 エミリアは倒れ伏したまま動かない。その首から血が流れていく。

 マリアは震える手を鞄に突っ込み、回復用の霊装を探し始めた。


「マリア大佐、もう無理です。エミリア准将は助かりません」


 背中越しに聞こえてくるホテルスの声は酷く落ち着いたものであった。

 必死なマリアを笑う訳でもなく、エミリアに呪詛を吐くでもなく、本当に心配そうに、慰めるように言葉を紡ぐ。

 その時、ホテルスの手の中でダーインスレイヴがカタカタと震えた。


「あれだけ僕の血を吸ってもまだ足りないのか……。使う毎に量が増えてないか? お前」


 ホテルスがダーインスレイヴを振るう。

 ダーインスレイヴの剣身は鞭のように伸び、エミリアを抱き上げその首を斬り飛ばした。

 エミリアの首がマリアのすぐ傍を跳ねる。

 それを見たマリアはへたり込んでしまった。その瞳から大粒の涙が溢れ出す。

 頭の中が真っ白になり、動くことができない。

 ダーインスレイヴはエミリアの首から噴き上がった血を吸収すると彼女の体を捨て、ホテルスの手元へ戻っていった。

 震えが収まったのを確認し、ホテルスはダーインスレイヴを鞘に納めた。


「ふぅ、これでよし。マリア大佐、せめて首だけでも持ってすぐにこの場を離れた方がいい。戦闘に気付いた者がいるかも知れません。ここに留まれば、いずれスヴェリエ兵に捕まってしまいますよ」


 当然、マリアは何も答えない。

 俯いたまま、エミリアの首を見つめている。

 ホテルスは眉を八の字に曲げた。


「あまり気に病まないでください、大佐のせいではありません。責任は元帥閣下にあります。彼女は貴女たちのことを十分に理解していなかった」


 ホテルスの視線がエミリアへ移る。


「准将に限らず、ヒトというのは自分以外に関心を示した瞬間盲目になる。どれだけ意識を一点に集中させようとしても相手のことを考えずにはいられない。そして、准将は貴女へのそれが大き過ぎたのです」

「貴方が、姉さんのことを……語らないでください……」

「申し訳ありません。ですが、こんなに心が落ち着いたのは本当に久しぶりなのです。お好きなところで離脱してください」


 嘆願するようなマリアを無視し、ホテルスは続けた。


「准将の戦術は周りから見れば無茶なものだったかも知れませんが、相手を倒し自分は生き延びる最後のラインだけは間違えませんでした。それは何故か? 関心がなかったからですよ。他の『八芒星オクタグラム』にも第二隊の面々にも。それに加えて超がつく程のエレメントへの感受性。閣下やジークフリート准将と並び称されるだけのことはあります」


 喋り過ぎて喉が乾いたのか、ホテルスは水筒を取り出し水を口に含んだ。


「もしこの戦いが一対一なら僕に勝ち目はありませんでした。今頃任務達成の報が中央に届いていたでしょう。閣下のミスはただ一つ、マリア大佐、貴女を戦場に出してしまったことです。貴女を守りたいという思いが強いあまり、准将は戦いに集中し切れなかった。ただそれだけです」


 やはりマリアは何も発しない。

 ホテルスはやや困ったように頬をかき、空を見上げた。


「話は終わりました。さぁ、早く帝都へ。残念ながら貴女を連れていくことはできません。ただでさえ、ユーダリル中尉の件を釈明しなくてはいけませんので。あぁでも……本当に、こんな穏やかな気持ちはいつ振りだろう。今から追手を出してもガムラスタ入りは止められません。そもそもエミリア准将以外で僕と対等以上に戦えるのはジークフリート准将だけですが……彼はロマノー軍の要、この任に就くことはないでしょう」


 何を言っても無駄だと悟ったのだろう。ホテルスは大きく伸びをし歩き出した。

 だが、次の瞬間──。


「うわあっ!? な、何だ……?」


 ホテルスのすぐ近くに生えていた木が爆ぜ、消し炭と化した。

 一本だけではない。同じ現象が次々と起こり、足元でも草花が燃え地面が焼けたように黒く変色し始めた。

 その異様な光景にホテルスは思わずダーインスレイヴを引き抜き辺りを見渡した。


「何が起きてるんだ!? それに、はぁ……暑い。急に気温が……!」


 吸い込んだ空気が肺を焼きむせ返る。

 苦しむホテルスの視線の先で、マリアがシグルドリーヴァを手に取った。

 嫌な直感にホテルスの顔が青ざめ歪む。


「た、大佐? 何をしているんですか? 伝承武装は使用者に合わせて調整されています。貴女にシグルドリーヴァは使えません」


 マリアは光を失った瞳で、しかし大地をしっかりと踏みしめた。

 シグルドリーヴァが輝きを放ち、濁流のような炎が迸り辺り一帯を取り囲んだ。


「暑い! いや熱い!! 何で!? そんな!? 大佐が伝承武装を扱えるわけが……!!」

「姉さん……。私の大好きな、姉さん……」


 今でも、後悔していることがある。

 姉さんと共に家を出たことじゃない。軍人になったことでもない。

 それよりも、ずっとずっと後の出来事。


「姉さん。私は……」


 私は自身の運命を受け入れるべきだった。

 例え姉さんに怒られても、嫌われることになっても。


 だってもう、姉さんは私を叱ってくれない。一緒に笑うことも、もうできない。


 姉さんを支えることは、守るということはこんなことじゃなかった。

 私が本当にやるべきだったのは──。


「姉さんは…………」


 燃え盛る炎の中でマリアが独り言ちる。


「姉さん。私は……私は、貴女のことを……姉としてだけでなく……」


 轟々と木々を、大地を焼いていく炎に巻かれ、ホテルスの叫び声が響き渡る。

 マリアはシグルドリーヴァの穂先を天に向け大地を突いた。


「──《いのち短し恋せよ乙女シャーリィ・シグルドリーヴァ》」


 波のように辺りを焼いていた炎が格子状に変化し、ホテルスを取り囲む。

 少しずつ狭まっていくそれに、ホテルスはダーインスレイヴを叩きつけた。

 だが、炎に触れたダーインスレイヴの剣身は短い音を立て、エレメント諸共蒸発してしまった。

 ホテルスの目が文字通り点になる。

 そのままダーインスレイヴは剣身のみならず、鍔の部分も溶け始めホテルスの腕を伝った。

 ホテルスの絶叫が木霊する。


「ダーインスレイヴが! ダーインスレイヴが溶けた!? ああああり得ない! 何なんだこの炎は!!?」

「ヒンダルフィヤルの炎は、真に勇敢な者しか乗り越えることはできません」


 マリアの発した単語に、ホテルスは陸に打ち上げられた魚のように身を捩った。


「ヒンダルフィヤル……それって! 嘘だ! 待て! ちょっと待ってくれ! そんな……大佐、貴女まで伝承と……貴方が見つけた伝承はまさか!! あの戦乙──」


 ホテルスの言葉はそこで打ち切られた。

 格子の炎が一気に閉じ、ホテルスは骨すら残さず消え去った。

 マリアの手からシグルドリーヴァが滑り落ちる。


「姉さん……姉さん…………!!」


 マリアは声をあげ泣いた。

 そこへ遠くから、騒ぎを聞きつけたスヴェリエ兵か、蹄の音が聞こえてきた。

 マリアはエミリアの首を布で包み、シグルドリーヴァを掴んだ。


「姉さん……。せめて、連れて……帰るから……」


 溢れ続ける涙を拭きもせず、マリアはおぼつかない足取りで歩き出した。

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